●寄付金のこ
多額の寄付をお寺が求める事が世情を賑わしますが、当寺では記念の3事業以外は、
お寺独自で済ませてきました 
                        
当寺の単独事業 任意の寄付事業
楠会堂別館(H4年) 参道(H14年)
S55年以降 六波羅蜜会堂(H16)
・本堂屋根本葺き改修
・本坊改修工事
・諸改葬、改築
・諸設備等々
山門築地塀工事(S62年) 鐘楼堂(H14)
仁王像建立(H2年)
過去寄付行為は数回ありました。任意寄付であり案内状一通が届くだけであり任意です。

寄付行為は喜んで布施をするという
「喜捨」基本です。気の乗らないような負担となる喜捨は、後味の悪さを考えると考えつきもしない事です

物を差し上げる事、頂くという事、は難しいことです。「差し上げる気持」「頂く気持ち」「贈られる物」と言う三つが清浄で圓満であってこそ、布施(寄進)は成立すると仏典にはあります。
「布施波羅蜜(フセハラミツ)」と言う6波羅蜜の一つです。

しかしお寺の人が「其れは当たり前」と思い上がり、「ありがとう」と言う気持ちが希薄となり、「半ば強制が伝統だ」と言う昨今の気持ちの相違が、世上に話題を投げかける遠因となっていると思います。
豊明市内のとあるお寺で、寄付の集金額が少ないとそこの住職言われて、寄付金集金の世話人を首になったと言って、嘆いていた人が居ました。平成13年2月に聞いたお話です。
默って聞いていましたが、この私の方が、変なのかと不思議な気持ちになりました

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