先月備忘録


 平成15年6 月分
梅雨空に 咲いて明るし 桐の花

■6/30
日帰りで次回の世話人さん旅行会の下見と順路を確認に出かけた。トテモ疲れる。信州南木曽温泉のホテル木曽路で昼食を頂く予定で訪れたところ又新しくお風呂の施設が出来上がっていた。とても立派な施設で驚いた。ここのお風呂と昼食をいただく事を社長さんにお願いした。豆腐料理をお出し頂けるとの事になり試食させて頂いたがとても美味しかった。お風呂や料理の写真も少し紹介させていただきます。世話人さんの慰安を兼ねて毎年2回ほどお寺の主宰であちこちに出かけております。
秋は毎年前副住職のお寺大日寺へ参詣し四国の札所を巡っております。今年春にはハワイへ20名が出かけてとても楽しく親睦を深めることができました。
下の温泉は今年の6月にオープンしたばかりのホテルの温泉です。大浴場からは谷間が展望できる温泉があり、外にでると大南木曽岳を一望する露天風呂も完備しておられます。お風呂は一箇所ではなく他の施設まで参りますと(同一敷地内)岩風呂、ヒノキ風呂と趣向を凝らした温泉があります。一度皆様もお運びください。ここの社長さんとは既に23年のお付き合いがありいつも精力的にお仕事をされて見えられます。趣味は仕事という方ですが一面、鉱物学者の先生でもあります。
ホテルの名前はホテル木曽路です。ご一読を願います。
豆腐尽くしの料理、私も色々各地各お寺の「豆腐料理」を頂いたがここのは絶品でした。↓
この豆腐も唸らせる このご飯は桜の花びらで色づけと香り付けられた逸品!


■6/29 日
葬儀やご法事で忙しくする。

■6/28 土曜日
檀務等で忙しくする。54歳で急逝された檀家の方のお通夜がある。他にももう一件のお通夜がある。54歳の方はとても優しい方でありました。一報を頂いた時、まさかと聞き直したほどでありました。「住職、逆さまを見てしまった」と力なく答えられるご両親にかける言葉も無かった。「今晩は私がお通夜に参ります」と伝えたら「よろしく願います」と電話口から返事があった。
子供を、それも第一線の現役の社長さんを、送るご両親の気持ちを考えると本当に辛くなる。奥様も子供さんも突然の出来事に、昨日の自分で今日は居られなくなる。人生、成る様にしか成らないと言う言葉を受容するのに暫らくの時間が必要なのは言うまでも無い。宗祖弘法大師が中国の国、唐よりお伝えになったお経を今晩は丁寧に読経して冥福をお祈りさせて頂く。

■6/27 金曜日
防火管理者専任届けを消防署へ提出する帰り道、栗の赤ちゃんの写真を撮影する。まだ小さいのに一人前のトゲを持ちくりくりの顔をしてこちらを向いてくれた。暫らくの間燦々と降る太陽の光と梅雨の雨を存分に吸収し、暫らくすると台風の大風にも突っ張ってしがみ付いて大きくなる栗の写真です。ほら、かわいい中にもつっぱているような気がします。

小さな栗の姿 もうこんなにたくさん生っています
■6/26 木曜日
防火管理者の講習も本日で終わり。周りを見れば久しぶりに見る人が多く自分もそうだろうが「あ〜歳とったな」と長嘆息を無意識にしてしまった。卒業のテストも終わり久しぶりに修了証書というものを手にした。嬉しくもあり照れくさくもありであった。
駐車場へ向かう道すがらすでに栗の赤ちゃんが沢山生っている木を見つけた。かわいい栗の赤ちゃんだった。とげを触っても痛くも無い。又近くへ行く様があるので写真をとってアップしますが、遠い先に秋の字を見た気持ちでした。ではお休みなさい。疲れました。

■6/25 水曜日
防火管理者の講習会に出かけてきた。以前は実弟が管理者の資格を持っていたが私も資格取得に本日から出かけた。明日もある。とても一日イスに座って映画やスライド、講座を受けるのはとても眠かった。講師の先生方はテストがあると時折脅かす。これが眠気を一時的に退散させるがすぐに又眠くなる。しかし防火に関する法令や細則が沢山あり消防というより予防の重要性を改めて認識しなおした。当寺では折に付け火災や緊急の取り決めをしているが、今回の講習はとても役に立った。明日一日、眠いががんばろう!

■6/24 火曜日
6/21より高野山へ団体参詣を23日に終了する。途中から別行動で他所に出かけて本日夜帰寺する。疲れた、本当に疲れた。小さなパソコンを求めて出先から更新をしようと心掛けるのだが求めたばっかりのパソコンだからホームページビルダーが入っていない。FTPサーバーも設定しようにも手許に控えが無い。これでは更新も出来ない。
しかし留守中あちこちで物騒なことが頻発する。どうしてこんなに私たち国民は自堕落になってしまったのだろうか?一昔、「水と安全は日本人は只と思っている」と外国人に揶揄された。今この言葉の重大性が身に沁みて感じられる。何処へ行ったんだろうか?
日本人400年前イエズス会の宣教師として来日したフランシスコザビエルは「ベネチュア以東これ程の文化を持った民族を見たためしがない。名誉心に富み勇猛で議論好き、清潔で高い文化を持っている。」とうならせた。「神は全ての人を救う」と説いたら日本人のお百姓さんからは「だったら、どうしてもっと早くに救ってくれなかった?」と問いただされたそうだ。ザビエルはその答えを持ち合わせなく後年「修辞法を習っていたので助かった」と其の感想を述べさせるくらいに新しい物を怜悧に吸収する能力をバスク人であるザビエルに唸らせた中世の日本人。名誉心は何処へ??久しぶりにパソコンを触るので小指が痛いです。この辺で
本山新別殿で法話を承る 本山別殿の石庭
一切経蔵の塔 この取っ手を一回しするとお経を読んだ功徳がいただける


■6/17 火曜日 雨
名古屋へ子供の父母の会懇親会会場の下見にお昼前から出かける。宴席会場も色々であり話がまとまりやすかった。明日頃から台風の接近か、雨の日が続く。そして高野山へ再度、団体参拝に伺う予定となっている。私がお寺に居ない日がしばしば有り私もお寺でいてお寺の仕事を済ませたい。しかしそうも言っておられない。年齢なのだろう、歳相応の役職が回ってくる。又も違う話が出てきそうだ

■6/15 日曜日 結婚式に出席
友人のご息女がご結婚されおよばれを頂き出席させていただいた。大変豪華な結婚式であり出席者も200人弱の方がご来駕された。花嫁さんも婿殿も大変華やかな中にも威厳と格調のある結婚式でした。会場は「ホテルニュー淡路」で有名なホテルでした。「私は嬉しくて嬉しくて本当にうれしいんや・・」と友人、「絶対に泣かない」と言っていて大粒の涙をこぼしていた。
夕刻とある別のホテルの一室で同窓会を開いた。忙しい中、ご夫婦でお見え頂き楽しい一時を開くことが出来た。「今度は誰のお寺のお慶び事かな?」と其々の健勝を誓いお開きとなった。いい結婚式でした。
その夜突然息子から電話があり「お父さん、父の日おめでとう。遅くなったけど今電話した」と連絡があった。隣の布団の中から「いい息子だね」と言われとても嬉しかった。本当に良い一日を過ごすことが出来、息子からの電話を貰ったことが何よりの慶事でもありました。



■6/13 金曜日 雨/薄日がさす
今日は13日の金曜日、知人から食事会に誘われている。これから出かけようと思うがハテ、お客さんは居るや否や? 一日中、所要があり雨の中をウロウロして一日終わってしまった。昨夜hpの引越しをした。勇気が要るもんですな、引越しは。ファイルやリンクの件で不都合を探し出し、ダウンロードの繰り返し。疲れてしまった。最近、就床するのが大体午前1時ごろである。そろそろ足を洗って自分のペースにもだら無くてはいけない。では、出かけようとしようか。でも連れがまだ来ていない。はて、遅刻する。

■6/11 水 


在りし日の藤田啓介先生
今日は藤田保健衛生大学創立者藤田啓介先生の逝去された日であった。先生にはお世話になった。先生も私のことをいつも湯川住職と呼んでいただき歳こそ離れても何時も気を使って頂いた。祭礼の時、空模様が悪いと心配していらしく、お会いすると「良かった、晴れていてくれて」と心にかけていただいた。当寺の山門名も先生にお付けいただいた。決して男芸者をして先生に花を持たしたわけではない。独創一理という絶対に曲げない男気で大学を創設され、困難にもへこたれず弱音を吐かず孤軍奮闘された先生に私は憧れ、先生を心の頼りに今日まで粉骨砕身きたつもりである。先生も私の姿を見て哀れと思い何かと気を使っていたただいた。嬉しかった、本当に嬉しかった。「私を利用してください、そしてあなたの良いように私を使ってください。名古屋市長の西尾は私の後輩や、愛知県知事が市長が来てほしい、勲章をやるといってもわしは行かん貰いもせん、だが住職が来てくれと言えば何時でも何処でも行くから、私を使ってください」。当時私は34歳だった。仁王像開眼供養と史料館会館の記念式典の折、私が催す記念音学会の一時、私に応接室で先生から直接承った言葉だった。私は唯、黙って頭を下げて気持ちが落ち着くまで頭を上げる事が出来なかった。音楽会も終わり公用車に乗られる先生はご機嫌であった。暫くすると藤田保健衛生大学創立25年記念音楽会に主賓として招かれ二階席左最前列に先生、右最前列に私も着席した。エルガー作曲「威風堂々」に聞き入る先生の姿を未だに忘れることができない。世の中に立志伝中の立志という言葉ある。私の今までの人生の中でそんな人ばかりに囲まれてきたことが、幸運というより、不思議でならない。
今日は厳しく面倒見のとことん良かった先生の供養に、大昔から仕えた方々が三々五々お参りになられた。無論、ご子息も法要の一座を設けられた。当主は亡くなられた先生同様、同じお歳で孤軍奮戦、頑張っておられる。久しぶりに感慨無量になった。

■6/10 火曜日 梅雨の入り 時の記念日
月例会議の日、来月に迫った色々な祭礼の打ち合わせ、古戦場祭りの反省、一時間ほどで終了した。議事録を久しぶりに私がおこして読む。病欠の方や連絡ミスで遅延された方も見えた。少し気分を新たにしないといけない。
皇太子ご夫婦がご結婚されて早10年、10年前に子供たちと戯れていたとき雅子様が皇太子妃のお姿となって馬車行列の映像をとある所で眺めて早10年の日月が過ぎてしまった。現の天皇陛下ご夫婦の結婚パレードは白黒テレビで拝見した。簡単にテレビの流れを私の記憶で思い起こすと、「美智子様ご成婚パレード」「東京オリンピック」「安田講堂事件」「アポロ11号月面着陸」「万博と沖縄返還」「浅間山荘事件」その間、国際紛争ばかりの出来事で「雅子様ご成婚」となる。過ぎ去るときの速さ、関わりたくないがこの時間も過ぎていく。時を大切にしなくては。時を考えないようにしても天智天皇は漏刻という時計を作り今日の時の記念日となった。という事は関わらざるを得ない事となる。だったら大切にしなくてはならない。でも悲しい。テレビに映った映像は今も昔も、争いと強欲の所作ばかりが記憶に残っている。

■6/8 日 快晴 古戦場祭り
大変良い天候に恵まれ賑やかにお祭りがなされました。お茶席、フリーマーケット、鉄砲隊、ハイキングと思い思いに初夏の一日を楽しみました。そのときの様子をご紹介します。
ご苦労様でした

鉄砲隊の方々

■6/5 木 暑い
だんだんと暑さが迫ってきた。パソコンの調子がいまいちで中々思うように行かない。バタバタして一日を終える。午後より名古屋へ事務用品を求めに出かける。帰り際に依然頼んでおいたメガネを頂に上がった。目は2.0で学生時代をすごし平成9年に目で入院した。その3年ほど前に中年に好発する網膜炎にかかった。それ以来、目の視力は愕然として落ち、パソコンで目を使い、老眼が入り乱視が追い討ちをかけてとうとうメガネのお世話になり始めた。無論、めがねの着用を勧められていたが観念した。

しかしあのブルーベリーの錠剤は良く効く。本当に劇的に目の疲れや様々な症状を緩和させてくれた。緩い下り坂を下り始めていたが少し後ろから押された気分でもある。上手に老けて行こう。老いぼれ込むのでなく・・・・

■6/3 火曜日 快晴
何だか風邪を引いたみたいだ。明日は本山の仕事で野○総研の方とお会いすることになっている。何故会うかと言うと本山からの末寺への管理監督の手筈を決める参考資料を収集して今後に役立てたいとの事。何だかよく意味が判らない。午後より医学部の献体の方の葬儀をする。
このページの紹介の所に質素な葬儀と書いておいた。事実この葬儀は本当に質素ではあるが心のこもった葬儀である。費用は信じられないほどの費用ですむ。もう少ししたらページをアップします。

■6/2 月曜日
台風一過、本当によい天気である。私の好きな花、タイザンボクの花が咲いた。脚立を持って買ったばかりのデジカメで写真写す。デジカメで思い出すのだがこのデジカメは壊れやすくそして高価なもので。普通のフィルム写真の写真機は壊れない記憶ですがデジカメは本当にデリケートです。落とすなんて論外です。超精密機器の塊です。シャッターでも本の僅かの歪みでも機能しません。
で、本日写した写真です。ご照覧ください。
咲いた花、柑橘系の香りがする つぼみ、一日で開花する
午後、松井建設名古屋支店長、営業部長、 日本電話施設等々来寺

■6/1  日曜日
朝の内、小雨がぱらついていたが昼前には日が差してきて急速に天候が回復した。台風一過という季節外れの言葉で爽やかな一日となった。法事の方がお見えであった。50人の法事、三回忌であった。元気のよい人でまさか亡くなるとは思ってもいなかった方の葬儀をして気が付いたら2年が経過していた。兄弟仲がよく面倒見のよい方でもあった。口は悪いが根はケロッとしていて私の忘れられないうちの人でもある。ご子息が父親に一目見させようと一生懸命に作った新築を、心待ちにし病院より仮退院で新築に一晩休んで今度は無言の帰宅であった。病院でヒョンナ遭遇をした。「おしょさん」「おしょさん」と何処かで私を呼ぶ声がした気のせいかと思っていたら○○さんであった。
「おっ、誰かと思えば・・」、「おしょさんは、いいな〜」っと奥さんが押す車椅子の上で私にこぼした。点滴の管が数本ぶら下がりゴチャゴチャと揺れていた。「俺はもう直らない病気なんだ」と何時もらしからぬ弱音を吐いた。そんな人ではなかった。「俺が死んだらな、よろしく頼むぞっ」って空元気で笑って見せて病院で別れてすぐだった。
三回忌はどうしてこんなに早く来るんだろう。歳もどんどん過ぎてします。今年も折り返しの月に突入。時間が飛んでいく。