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平成17年5月分

■5/31
   藤田学園医学部慰霊祭
例年の慰霊祭を5人の僧侶でお勤めをした。お寺の人は色々と布施だの感謝だのと言うが、本日お勤めした人達は死後、自分の体を医学の発展の為に解剖用として提供された方々の慰霊の供養祭であった。誰からも頼まれた訳でもない、自らの遺体を医学発展の為に供した、所謂最高の布施を社会に為された方々の供養祭であった。

なかなか献体を出来るものでは無い。私も昭和47年医学部創立の頃より先代と一緒に供養を毎回させて頂いた。設立早々の学校は本当に艱難辛苦の連続である事は容易に私の目にも歴然であった。しかし力を抜かない元理事長の徹底した「実のある行動」はそばでただお経を読んでいる私にも熱いものが伝わってきた。今や大変な法要になったが、草創の頃の法要は質素ではあったが今以上に迫力も気合いも凄い物があり理事長の一挙手一動に全てが呼応していた。大した人であった、藤田学園創立者藤田啓介先生は。本当に立派な方であった。

宗教家として私も先生を見習い出来る事は精一杯尽くして今日まで来た。以前この備忘録にも書いたが「人様の人情のお陰で生きている」という気持ちは本日の慰霊祭であった。宗教家として出来る事は一生懸命にして過ごしたい。返事一つ書けない宗教家なんぞになりたくもない。
■5/30
   映画を見る
とても考えさせられる映画を鑑賞した。良い映画であった。

クリント・イーストウッドがボクシングジムのオーナー役で有望なボクサーを育てる。しかし折角育てたボクサーもタイトルマッチ直前で他所へ引き抜かれていく。その貧困なジムはかつて彼がトレーナーとして世話をした元ボクサーの老マネージャーと共に運営、数名のボクサーと、ガッツで貧困の中からボクサーを夢見て練習に励む紅一点の女性ボクサーが入り込んできた。
初め、クリン・イーストトウッドは女性のトレーニング断り続けていたが彼女の素質を見出した老マネージャーと、彼女のデビュー戦で商品として取り扱われるには気の毒すぎる実力にクリント・イーストウッドは彼女にポロボクサーを請け負ってしまったと言う物語。

最後は大成してチャンピオンに勝つのだが相手側の反則で頭を打ち、不幸にも首から下が、全く不随と成り人工呼吸器を付けてベッドで寝たきりの生活に成ってしまった。意識はシッカリトし、自分の意志もお話も出来るが、今迄の彼女ではない。首から下が麻痺しているので動く事も出来ない。床ずれをおこしても痛くもない。不幸にもその部分が悪化し黒く悪臭がたち始めて片脚切断の精神的断末魔を迎える。

輝かしい現役時代に、彼女を貧困の中から育ててくれた母親に精一杯の家を一軒プレゼントしても目の前の生活保護の打ち切りに腹を立てる母。その母の病院での見舞いと称する財産の横取りに孤独感を深め、回復不能の自分の現在と元気でいた自分を思いに「死にたい」とクリントイーストウッドに懇願する。人工呼吸器を外せば自発呼吸が出来なくなり数分で死に至る、その作業を懇願した。懇願が拒否されると、彼女は2度も舌を噛み切り、クリントウッドは病院からの電話で叩き起こされる。

彼は20年以上欠かさず礼拝に行った教会の神父さんにもまた、辛苦を共に乗り越えてきた老トレーナーにも相談する。が、自分と違わない考えを改めて告げられ、また自問を繰り返すクリント・イーストウッド。彼は、思いを決めて彼女のベッドサイドに赴き、人工呼吸器を取り外す。その前にやさしく彼女に声をかけ、彼女は涙を流して静かにその時を迎え、クリントウッドはその場から立ち去り二度とジムには戻らなかったというストーリーであった。

皆さんならどうされるでしょうか??人の尊厳をどの様に思うのか、自分に置き換えて大切にするのは、人の気持ちなのか?単に生命なのか?尊厳なのか?失意の中にいる最愛の人よりも自分が大切なのか? 考えさせられる映画であった。
■5/29
   縁は不思議なもの
葬儀が複数あり日曜日にかかっていたので法事の方への私は急遽担当が出来なくなった。住職代理と補佐とでご法事をそれぞれで担当願った。その内のお一方は和歌山県高野山のご在住の方がお見えであった。私も存じ上げている方なのだが丸山僧正(住職補佐)に担当を願った。一周忌の法事で昨年の今頃を思い出される。
またもうお一方の方は、時折私の備忘録を眺めていただいている方でつい先日もご親戚のご法事にお顔を拝見したばかりである。「hp見てる??」っと伺うと「はい時々」っと笑顔で答えてくれた。とても嬉しかったが肝心の塔婆を依頼されているのをすっかり忘れていて夕刻に改めて書いた次第であった。メールをやり取りしているうちに失念してしまったようである。

葬儀と最初の方の初七日やお参りを澄ませ寺務所へ帰ると、代理も時間の調整で事務所にいた。ニコニコして話しかけてくる代理。「いやー不思議な話も有るもんですね」と私に尋ねて欲しいような雰囲気。「何がですか?何かあったの?」っと尋ねると丸山僧正が担当した法事で何かがあったようだ。

丸山僧正は高校・大学と高野山で修行をしながら青春を過ごした方でも有る。途中からは寺生(てらせい)と言ってお寺に住まわせてもらいながら学校に通う、昔で言う「苦学生」で大変辛抱強い人でも有る。

「その丸ちゃんがどうしたの?」っと私が尋ねると、待ってましたとばかりに「実は昼ごはんの時に・・・・」で始まる話を聞いて大笑いしてしまった。
法事を終え丸ちゃんが澄まして挨拶を終えたところ、その高野山の親戚のお一人から「オイ!丸山!丸山じゃないか」っと声がかかった。驚いて顔を上げて見渡すと懐かしい?声の方を見て腰が抜けるほどビックリしたという。若いヤンチャ盛りの高校生の寮生活。高校2〜3年間を受け持ってもらった担任が突然現れたという。

「そりゃぁ ビックリしただろうに」と代理と大笑いしながら話をしている所へ「只今返りました」と丸ちゃんが返って来た。「今日はビックリしただろう?」っと私が悪戯っぽく尋ねると「イヤー、驚きました。高野山から来るとは聞いていても担任が来るとは思いませんでした」っと彼。「その先生はどんな先生?」っと聞くと「怖い先生で色々迷惑もかけた」と言う。まぁ、おとなしい丸ちゃんなので何も無かっただろうと、深読みをしませんでした。そしたら最後に「あの先生、お経全部暗記してるんです。初めかから来ているのを知っていたらとてもお経が出来ませんでした」には彼の正直さが伝わりとっても清清しく一日を終えた。
■5/28
   忙しい日
暑くなり始めたのか汗を良くかくようになった。寺務所内でも「暑いですね」が挨拶の一つになり始めた。知人が結婚される。私ども家族も良く存じ上げているカップルで仲睦まじい。自分たちもそうであったんだろうが若いとは良い物と改めてお二人を眺めて想いを新たにした。夢も希望もこれから始るという事に、大変な事や辛い事もあるだろうが、若い時特有の希望を光を持っている事に羨ましさが湧いてくる。
私も結婚する頃、ある番組のテーマ音楽が思い出深くその曲を聴くと今でも「これから私達の人生が始る」という希望に満ちた想いが蘇ってくる。キラキラ輝き、これから人生を踏み出そうと決意する自分があった事を思い出すと余計に、今日来られたお二人の事が羨ましく思える。お二人とも正に日本の東西を代表する大学をご卒業したにもかかわらず無欲というかホンワカとした性格、争いを好まず、暖かい思い遣りのあるお二人に幸多かれとお祈りしたした次第であった。

今日も来客が多くミスをしないように注意し、チェックチェックの日々を送る。夜、当寺山中にて不審者を見る。最近、近隣では放火や不審火が多いのでセキュリティー機能に頼るほか無く、また機器があるので安心してお寺にいる事が出来る。事実、夜23時頃非常ベルが鳴動するので夜警に出ると不審者がうろついていたので投光すると出て行った。お寺は赤外線センサー、煙感知器、炎感知器、セコム警備契約、その他書く事の出来ないセキュリティーを十重二十重に設置している。広すぎる境内に最先端の技術が24時間機能を果している。見えない所に、設備がかかるのです。はい。
■5/27
   忙しい日
31日に予定されている藤田保健衛生大学の慰霊祭の準備を進め大塔婆3本も書き終える。来客も多く一日を終える頃に取り込みが二件入り土日の予定を勘案する。
この間もこの備忘録で書きましたが愛知県の忙しさ賑やかさがここに来て炸裂しているように感じられる。花フェスタ2005岐阜では100万人の入場者数をクリアーして現在薔薇が満開らしい。実はこの間ちょこっとこの薔薇を見に行ったがとてもきれいであり良い香りがしていた。万博も1000万人を突破して活況を呈している。

本日観光協会理事会があり私の代理出席をして頂いている方より理事会の報告を伺った。万博会場にもチラシを置いたので今年はそのお客さんも来るかも知れない。ポスターも貼って大いに盛り上がっているみたいであるとのご報告を伺った。

地域がバックで盛り上げる古戦場祭。とても元気よく友人の機械製作所の仕事もフル稼働だという。不景気は何処かへ行ってしまったような愛知県。お寺も夏に向けて段々と気ぜわしく忙しくもなってくる。健康に気をつけよう!
■5/26
   結縁灌頂当日
午後より八事興正寺に出かけて結縁灌頂のお手伝いをさせて頂いた。何事も計画通り行く物ではなく私も持ち場が変わり色々と担当をさせて頂いた。
長時間のご参加を頂いた方々には予想を超えた物かも知れなかったし、長時間の間の真言の読呪、目隠し、行列、投華等どの様に思われたかは定かではないが、今をさかのぼる事1200年前にはなかなかこの灌頂に参加する事はある種のステータスにもなっていた時期があった。有り難うございました。

私も午後からとは言えとても疲れて帰寺しました。
■5/25
   結縁灌頂の法会
今日は八事興正寺をお借りして愛知宗務支所の法会を開いた。高野山からは管長さんにお越しいただいて式衆30人ぐらいのお勤めが為された。
(お寺の方もお読みになられていると思いますが一般の方が多いので分かり易く書いております事をご承知ください。)

ほら貝、ドラ、等の引導でお堂には入り長座の法会が為された。とても緊張をしました。昔、高野山で若かりし頃に一生懸命でお経についていた頃を思い出し懐かしくその法会に参加をさせていただいた。

夕食は管長様を囲んで支所役員が同席をさせていただいた。色々なお話を伺いとても私の様な者が同席させて頂いた事を感謝したい。記念に扇を頂いた。ご染筆の扇面で有る。明日は結縁灌頂。朝8時集合だが私は葬儀が複数あり午後からのお手伝いとなる。

ご参集の人たちも法悦に浸って頂けたら苦労して準備した甲斐も有るものである。天気がご縁を結んでくれたらしく今日も明日も好天の下、盛儀が執り行われる。
■5/24
   ヒット10万件達成
今年の夏は冷夏になるか? 寒すぎる。暑くなれば暑くなったでブツブツ言うのだけど季節は夏に向っている。このままだと農作物に生育不良が出て困らなければよいが・・・・

当寺のhpを開始して10万件を昼頃突破した。まぁ、知らずに始めたパソコンだったけど10万件も感慨がある。

母を見舞うと今日は少し調子が良く明るかった。帰り道にTシャツ屋に寄ったら昔なじみの市役所元部長が背広を数着洗濯に出しに来ていた(Tシャツ屋さんはクリーニングの代理店も併設)。「やっとネクタイとお別れだね」と一言言うと「一週間に一回だけ背広を着たい、気分がシャッキッとする」と言い、今は或る営業をしているという。「どうだね、住職、何かあったら電話して」と渡された名刺には元部長ではなく○○地区担当営業と書かれた名刺を出された。
「週一回の営業で他には?」っとうかがうと「或る病院の庭木や松の剪定をしている」という悠々自適の毎日をお話ししてくれた。その病院とは、まか不思議、母の入所している施設の病院であった。母ともその元部長は旧知であり「○○くん」っと父からも母から言われていた元部長。

顔を見に行ってくれるという、有り難い話だ。キット母は判らないが、元部長は色々な事を思い出にあり、若かりし頃の思い出も以前私に語ってくれた。もう私しか知らない近隣の事情を知る人も少なくなった。

今日は父の命日であった。朝、亡父の位牌を出して持仏堂にてお参りをした。母にも今日は父の命日と伝えた。思い出は遙か彼方の事となったが一つ一つを手に取れば鮮やかに思い出が蘇る出来事ばかりであった。25年前の今日は暑い日であった。
■5/23
   多忙な一日
過日の話である。
恥ずかしい話であるが先日の火事の誤報騒ぎの事後処理の為にあちこちへ電話したり指導を受けたりで午前中対応をしていた。消防署の優しい対応に心和むみホッとしていると電話が鳴った。

「あの・・・」で気が付いた法事の時間。しまった、法事を忘れていた。13回忌と33回忌と仏壇の開眼を依頼されて住職指名の法事であった。あぁ;;;;;;;;「忘れていた〜」と私の電話での返事に「んじゃ、23日にお願いできますか??」。本当に申し訳なく思って電話を切る。あの、がせネタ火事騒ぎで心もそぞろになっている最中のおおぼけであった。

と言う事で本日の法事の段となり、彼のお家へお参りに上がりお詫びを申し上げる。「良いんですよ、そんなに言って貰わなくても」と言われてもお詫びの気持ちで一杯だった。気分も落ち着き世間話も終わりがけに「息子さんどうしている?」っと伺うと「嫁さんも貰わずに近所で一人暮らしをしている」と奥さんが。「所で妹さんは元気?」っと伺うと「先週お待ちしていたんですよ二人もと、住職の顔が久し振りに見えると言って」と何気なく言われた。

こちらが心配して尋ねた相手が何と私を待っていてくれたのだ。あぁ〜悪い事をした。本当に悪い事をした。きれいな妹にイケメンのお兄ちゃん。お二人に宜しくとお伝えして玄関を後にする。笑顔で見送ってくれた奥さん、ごめんなさい。会えなくて残念だった。

午後よりご葬儀をして一日を終える。
■5/21
   バブリィーな名古屋
お寺で数件の法事を私は受け持った。本堂でお勤め後お墓へ納骨に出かけたが、日差しが強く初夏とは言え、汗ばむ陽気であった。

名古屋は今本当に元気な気がする。何処へ行ってもたくさんの人が出ているし車も大変混んでいる。本日も家内と娘が博物館へエジプト展に行きたいと言うので、忙中閑有り、送って行った。ところが一人で走らせる帰路の車中に「待ち時間1時間という。博物館付近の大混雑は博覧会のせいであった。隣の県、岐阜県では花フェスタ2005岐阜が開催され凄い人が出ている。
名古屋港にはイタリア村が出現して予想を遙かに超える人出。追い打ちを掛けるように毎年秋恒例の名古屋祭も近日中に催される。中部空港はこの夏ビアガーデンが開かれて海と飛行機とショッピングが楽しむ事が出来ると言う。

名古屋駅前には高層ビルが次々に建ち始め、新しい副都心として金山総合駅は活気に満ちている。あちこちの駅や盛り場、イベント会場は平日でもゴッタガやし、リニューアルの施設はあか抜けたお店が目を奪うような店構えを誇っている。そして高速道路が縦横無尽に建ち始め以前であれば2時間もかかる場所へも30分前後で東西南北何処へでも移動が可能となった。

名古屋はいま、バブルのような気がする。愛知県は三英傑を生んだ土地柄で何事にも大変に用心深く、石橋を叩いてたたき割る程の土地柄とも言う中の一種のバブル。人々は明るく陽気にビールを酌み交わし美味しい料理を頂いている。昨夜も友人に誘われて金山総合駅の近くで会食をしたが凄い人出。この有り難い世の中を大切にしなくてはならない。
■5/20
   個人情報の保護
昨日、あちこちの支所下の寺院を回って所用を済ませてきた。各寺院様は色々な工夫や活動をされておられ参考にさせて頂いたお寺が多かった。

今日は事務機器の方とお寺の行事での個人情報の取り扱いについて色々とアドバイスを頂く。法律が変るとこちらも対応が迫られる。一昨日もご祈祷をさせて頂いた方に、祈願の内容を読み上げるのに他に知れると差し障りがあれば読みませんが、如何しましょうか?っと尋ねたくらいだ。

或るお寺の住職と「個人情報保護」のお話と私のこれからの対応及び、チェックの姿勢を話した所「どうしてそんなに神経質なの?あんた、野菜食べていますか?」っとからかい半分で返事をされた。そりゃ、無神経でいられたら平気だろうが、法律に反する事となってから、野菜を人一倍食べ始めても元には戻らない。

神経質な事ばかかりでもなく、以前からお世話になった方と昼食を共にさせて頂き、踏み込んだ親身のお話や近況を話す食事会もあり心も和む一日でもあった。今日一日を感謝する。
■5/17    色々あった一日
月例会議を催す。先月の反省と今月の予定及び来月の古戦場祭りの準備を打ち合わせする。墓地の枯れ花は煙害を考慮し今後は中止、等を打ち合わせする。
婦人部がボランティアに来山してお札等を製作してくれた。仲間に入って色々と歓談しながら少し手伝う。美味しい桃の缶詰を開けて頂いた。
午後より焼却処分品をトラックに積んで東浦クリーンセンターへ搬入償却して帰り、夕刻高野山真言宗愛知支所の役員会に出席する。会食中に家内より携帯電話をもらう。

何かがあった電話だと感じ、問いただすと火事があったと言う、お寺で。驚いて詳細を聞くと消防車が2台来ているという。実は以前入れてあった墓の枯れ花を焼却炉に、夜勤の者が火をつけたと言う。煙突から見えた火の粉をみて近所の人が「火事」と通報して消防署が来ているという。

その少し前、火事の確認が消防署からお寺にかかって来た。家内も夜勤者も訳が分からない。確認しているうちに消防車が来たという。消防車の職員がお寺の山頂や境内をくまなく見ても、シンと静まり返った真っ暗な境内や山しか見えない。一体何処が火事なのか家内も夜勤者も、現況を理解出来ないでいると、通報者が消防署から呼び出され状況の説明を求められたらしい。

本当の火事で無くて良かったが、煙突の火の粉を見て何故「火事」と通報したのか? 理由は簡単、焼却炉で焼く事をいさめるための通報と考えることしか出来ない。例の焼却炉はレンガで造られ平成9年、当時では上位機種の焼却炉で新車のカローラが一台買えるくらいの高価な物で、決してドラム缶や足で倒せば転がるようなものでもない。一昨年12月月例会議時間内に関係官庁へ電話で問い合わせしてそれないりの指導を得て使用してはいるが、何か事が有ると「無許可だ」と指摘を受ける。

本日の月例会議で煙害が議題となりその対処も議題となった。すでに殆どの可燃物はクリーンセンターへ持ち込んでいたが、焼却炉の僅かな枯れ花に火をつけてしまった事が原因ではある。

1滴の水も1cmのホースも使わない「火事」でも「ぼや」でも無い真っ暗闇の中で起きた「騒ぎ」はお寺のお詫びで済んだ。これからは行政指導を受けないように心得て過ごしたいが、他意を持って善意の第三者を巻き込んだ的外れな申し出は代理人にお任せする事とする。しかし、本当の火事で無くて良かった。
■5/16    涼しすぎる一日
余りにも涼しいというか、お寺の僧侶達も風邪を引いている。本日は午後より私が勤めて全員に帰宅を勧めて早引きして貰った。
厨房及び庫裏の工事もほぼ終わり綺麗になった。電気屋さんも一日で何とか終えてくれて後は本坊のトイレ工事を残すのみとなった。シャワートイレと自動水洗の機器を購入する。業者から品番だけ問い合せて、ネットで品を購入すると恐ろしい程安く同じ品が入る。

時節柄、申し訳ないと思うが少しでも運営や維持管理を進めるに当たっては致し方ないし、業者の方も良く理解をしてくれているように返事をしてくれる。

明日は月例会議、そして夜はお寺の役員会。何だか忙しい。寒いのでこの備忘録をお読みの方々もどうか風邪なぞ引かないようにご留意を下さい。
■5/15
曇り   晴れたり曇ったりのハッキリしない天気
5月も既に半ばとなる。忌明けや年忌等でバタバタして一日を終える。遠く大津から法事で来られた方と話し込んでしまった。先々代の住職の事や、私が産まれた時の事まで知っている方であり、私もこの歳となると、懐かしさがあってつい話し込んで法事の時間を忘れていた。
次の法事の喪主は、若い方で何時も私のhpをご覧になっているようである。各種問い合わせや色々な事をメールして頂ける。私の備忘録も読んでいるらしく顔があったら、ニッコリと白い歯を見せて微笑んでくれた。

私もあちこち全ての法事に出てお経を上げたい。そして色々な世間話や昔話をしたい。でも先方様のご希望を全て聞く事は難しいな・・・
昨日も、私は4年間或る団体の代表を務めていて最後の出席をする事となり3時頃までお寺を空けていた。法事の御経が出来なくて、回向をさせて頂く事が出来ずにいてとても残念がられてしまった。本当に申し訳ないと思う。

これからも顔を出すようにして笑顔を絶やさずに等しく住職として対応をさせて頂きたいと思う次第だ。しかし、体は一つだけしかないから・・・・
■5/13     五月晴れ 寒い一日
流氷が南下していると昨夜のテレビで報道があった。
お寺でTシャツを用命していたが本日出来上がった。中々の出来上がりで、多分世話人さんにもキット好評を頂くと勝手に思っている。

また、世話人さんも増員と言うか、少し若い人にも参加を呼びかけたいと思う。お寺の仕事のお手伝いは年寄りの仕事と言う固定概念から、カッコいい、あか抜けている姿を見て私も入りたいと思ってもらえるように工夫をしたTシャツだ。当寺の僧侶方、受付事務の方、境内清掃の方にも見てもらったがとても好評であった。「面と向かって悪い」と私に言う人はいないと思うが結構のような気もする。

結縁灌頂の申し込みの人に見せたら「うちのサークルでも欲しいな」と言っていた。その人が「住職は着ないほうが良いな。貫禄無いぞ」と言われスグに脱いでしまう自分の無さが恥ずかしくもあった。

背中 正面 胸のロゴ
墨蹟は京都山科勧修寺元門跡、元当寺
住職「長宥篋(おさゆうきょう)」大僧正書
山門の絵は
鷲見香治氏
作品
■5/10     五月晴れの青空
風薫る5月。清々しい天気であり仕事をするには非常に良い季候だ。一昨年だったかダンプの軽トラックを購入したが少し調子が悪く車屋さんへ持ち込んだ。エンジンが全然かからない。丸チャンと二人で車を牽引して持ち込む。彼方此方を見て貰うがナカナカエンジンがかからない。
トラックの荷台には色々な雑誌があったので久し振りに腰を下ろして雑誌を読みふけっていると「住職、明日の夕方だね、治るのは」と言われた。「ここに水が入って腐食し通電しないんです」と説明を受けてもサッパリ分らない。
車を置いて二人でお寺へ帰る。隣のマンション工事で伐採された青葉若葉の倒木が痛々しく可愛そうでもあった。
■5/9     
午後より境内のどぶ掃除をする。合計6人でする境内掃除は頗る捗った。皆良く働いてくれる。不満も小言も聞こえてこない。今までには色々あったが一番今が充実していると思える。今月26日行事として予定されている結縁灌頂は中々人が集まらない。

土曜日に求めたハワイアンの音楽を聴くと心が穏やかになる。南国の爽やかな風と湿り気の少ない異国の音楽は、当地にあっては快く私の体の中に入ってゆく。少し今、疲れている。いや実は相当に私は疲れている。午後からドブ掃除をしたけどホンとはクタクタなのだ。風邪気味のような気分が晴れ晴れとしない。仕事はしなくては成らない事が有るのだが手を付ける気分にもなれない。程なくしたらスッキリするのだろうが、焦らずにハワイアンを聴く事とする。
■5/7     ビックリした不愉快な話
夜、所要で外出をした。帰路、近所に出来たスーパーへ立ち寄り以前から欲しかったCDを購入した。家内は一階の食料品店へ行くと言う。私はコケ玉に今関心を持っているのでその売り場を眺めていた。暫くして一階に降りるとレジの前には「母の日」の企画で花屋サンが色々なお花を出していた。眺めているうちにコケ玉にも目が移り少し眺めていたが気に入るような物は無かった。他の棚に目を遣ろうとしていると目の前を女性が通り過ぎ私の横を横切った。

私は道を譲り天井の看板を眺めて目的の商品棚を眺め目の前を横切った女性の方に目を遣るとこちらを眺めている。私の背後に知人でも居るのかと思い目を逸らした。そして目的の商品の方に目を再度遣り、眺めていると勢いの有る足音がして私の後ろあたりで止まった。

「あのう、私とお知り合いですか!」っと突然に質問された。「ええっ?、存じませんが」っと言った。メガネをかけて不機嫌そうな顔をして私を睨むのであった。すると知らぬ顔をして通り過ぎレジの方へ行ってしまった。私も突然見知らぬ女性から「あのう、私とお知り合いですか!」っとキツイ口調で訊ねられる心当たりは無い。通り過ぎざまに道を譲り、目を遣ればタダ目があっただけだ。それが気に入らなかったのか?「あのう!、私とお知り合いですか!」は無いもんだ。

気分悪く「何か不愉快だな」と思いつつ目的の商品棚付近に出て通路を見たらレジ付近で此方に目を遣る例の女性が立ていた。これは注意を以ってレジの方から私に振り向かないと目が合わないのは女性の方で有る。此方は見たくて見たのではなく見通しで目と目があっただけである。私がストーカーでもしている様な嫌な目つきで此方を見ているように思えた。

私はその女性がどのような女性だったか今、全然記憶にも無い。しかし何かの勘違いで私をストーカーと思ったのか?それとも余程の自意識過剰な人なのであろうと駐車場の車の中で考え込んでいた。
「不運は続くかもしれない、あの女がこの駐車場へ来て再度私と目が合ったら「今度こそストーカーだ」っと言われるかもしれない。そうだ早く家内に車に返ってきてもらおうと携帯を出して電話をかけるその時、家内は荷物を持って帰って来た。

事情を話すと「怖いわね、目なんか合わせるから・・私なんか何時も下を向いて歩くのよ」っと言う。娘に話すと「そりゃ、病気だ」と言う。ともかく今度からは誰彼無く目を合わせない様にしようと思う。しかし私の場合、近所で知人に会わない事は無いし、声もかけてもらう。どうして良いやら、頭がおかしくなりそうだ・・・。それにあの立派で大規模なスーパーに行く事が怖くなってきている。
■5/3     良い話を聞いた
何気なくテレビをつけた。藤田まことさんが映り久しぶりに彼の顔を見た。大昔、彼のヒット作「あたり前田のクラッカー」で名を馳せた「てなもんや三度笠」を夢中で見ていたことがありそれ以降、藤田まことに親しみを感じていた。それか暫くたってと言っても、私が成人になってから両親を連れて東海林太郎物語を見た事があった。とても良いお芝居で機会があれば今でももう一度見たい気持ちが有るくらい、素晴らしい舞台であった。

その彼が昨夜(5/3)テレビに出ていた。彼のお父様も役者だと言うことをお話されていた。或る時、藤田親子が飛行場?にいる時、向こうから大勢の人を率いてやって来る一団があったと言う。それはその当時、人気沸騰していた超有名な役者さんだったと言う。想像してもその様子は分かる。

普通なら「お前も出世してあのように胸を張って世間様から注目してもらえるように頑張れよ」と励ます?のかもしれない。しかし、その光景を遠巻きに見ていた藤田まことの親御さんは息子に
「なぁ オレたち役者は人様の情けで生きてきている身分だ。だから人様が通るど真ん中を大きな顔して歩くなよ。いいか、俺達は道の脇を通って過ごすのだよ」っと息子に話したと言う。
人それぞれ、野心も功名心も持ち合わせている。どん底から這い上がってくる気持ちも大切だ。また這い上がってくる真剣な姿は感動する時も有るし、思わず感涙する事も有る。

しかし藤田まことのお父さんのような気持ちを息子に若い頃から話されてきた事を伺うと、息子にかける期待と将来の息子の姿を思い巡らし、間髪いれずに、生きた教訓をお話されたと思う。

私たち宗教家も忘れてはいけない、「人様の情けで生きている」と言うことを。 いつも心に銘ずべき事を改めて彼の口から聞いた。本当にそう思う。藤田まことはこの話をまとめるのに「で、私は何時もゴルフへ行くと真ん中を通らずに外ればかりを回っています」とユーモアーを交えてお話を終えられた。説教くさい話を後味良く終わらせた彼は良い人だと思う。
■5/2     快晴の五月晴れ
本日はノンビリで寺務は他の僧侶に任せて真夏の祭礼の企画に思いを巡らした。巡らすと言うより「個人情報保護法案」の取り扱いでお寺たりともいい加減な事は出来ないので細心の注意を払うように心がけを進めている。

境内清掃の方達も明日の連休を考えて月曜日の本日清掃をされた。たくさんの春特有の落ち葉片付けに汗を流された。台所の工事も思いの外、ダメージが少なく早めに切り上がった。

お昼休みに大工さん、電気屋さん、清掃職員さん、僧侶方々と頂くアイスクリームは格別である。「もう直に暑い暑い夏が来るねー」っと口を揃えて皆さん覚悟をしている。指を怪我された方も「箒を持ち始めて見る見る良くなった」っと言って頂いた事に有り難く思う次第である。
■5/1
快晴   久し振りの雨
午前中お参りで彼方此方に出かけた。久しくお会いしていないお家に出かけると色々な消息を聞かせてくれる。

お寺のツツジは今が満開でとてもきれいだ。暫くすると庭木の手入れをしなくてはならない。そして境内の真ん中の大きな木「タブの木」の葉が毎日凄い勢いで落ちる。本当に凄い勢いで落葉するというか新しい葉と入れ替わっている。特有の香りがする。
この木はお寺と縁の有る木で線香の糊料として利用されている。明治39年に山縣有朋氏が当寺に記念植樹した木である。初めてお参りに来られる方は皆さん驚かれる。私は毎日見ているので何とも思わないが日立の「この木 何の木 気になる木」と歌われた木の規模がある。
夏は日陰としてお参りの人を覆ってくれる。ご参詣の方への一服する格好の木でもある。その木の出番ももう目の前まで迫っている。

一年は本当にあっと言う間であり、人生もあっと言う間の出来事なのだろうな。お寺の事や、子供の成長に夢中になっていたら人生の折り返し地点を知らずに過ごしてしまった。でっかくて逞しいタブの木のような行く末で有れば有り難い。
本堂より境内のタブの木を望む