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平成22年5月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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■ 5/26     医学部慰霊祭
本日は地元の医科大学の例年催される献体慰霊祭で読経をしてきました。毎年・・・昭和47年以降から毎年行われている行事。以前は当寺の本堂で行われてきていたが昭和50年頃から大学の講堂で行われるようになってきた。以前は法要の4〜5日前頃より医学部の学生諸君がお寺に来て窓ガラスや廊下、机を拭いて本当にお迎えして感謝の気持ちを表すようにしてご遺族を迎えておられました。

あの頃の大学の必死な姿は今はもう、お陰なのか?、見る事はないと思います。藤田啓介先生の遺品を集めた記念会館が大学本部に開放されていて毎年、僧侶数名を率いて見学をさせて頂いている。今回も私の思い出を語りながら、僧侶の方々を案内していると「おーーぃ」と元気な声が聞こえてきた。ここの大学の常務理事をされている外科の先生の声であった。「いや〜和尚、お久しぶり。」っと親しく声を掛けて下さった。

「先生、昔はここの大学を受験するにもホテルも宿もなかったのでお寺で多くの受験生が泊まったんですよ」「ご献体第一号の方は○○県ご出身の方で○○で亡くなった方でお寺で葬儀をあげたんですよ」等々と昔を知る人が少なくなった中で、私の話が余程興味深い物があったのか先生は聞き入っては「そうだったんですか」と深く頷かれておられました。病院の建て替えや、運営面での大変さ等、私たちが知るよしもない事の一端を教えて貰いもしました。

以前の慰霊祭は藤田啓介先生の何事にも妥協しない式典の一つであり開式が2時からで閉式が5時頃であった。時も11月頃であり真っ暗になったお寺に帰っては慰霊祭を終えましたが、最近では4時頃にはお寺に帰る事が出来ます。多くのお医者さんが基礎医学の中でも重要な解剖学を学び立派なお医者さんになられておられると思います。御献体された方々も崇高なお気持ちで自身を医学の発展に資すられたと思います。お参りをさせて頂きながら改めて布施の尊さを考えさせられた一日を終えました。
■ 5/15     お参り大好き大先生・・・放送大学一年生
お参り大好き先生が放送大学に入学され日本美術史を受講されている。

「オッさん、医者はもう止め、車を取り上げられ、タバコを止めさせられた。足も手も、口にくわえる物まで取り上げられたよ。寂しい限りだ。だから僕は放送大学に入学して受講しているんだ」と鼻の穴を大きくして息巻く老先生。ご自身も良く自分のことが分かっていての私への愚痴。「うんうん、そうだな」と相づちを打つ私。仕方ないことも、息子先生もみんな心配していての事と承知していても・・悲しい自分を奮い立たせるように大学へ通っている。

「でもね、オッさん。聞いても読んでも即忘れるよ」と悪戯っぽい笑顔で私に話しかけてくれる。私も先生のそんなお話が聞ける年になれたのだなと思いました。息子も私もみんな同じ道を歩むことを考えると、矢張りこの「お参り大好き先生」は私の行く道のパイロット、道先案内人になって私に手本を見せて下さっているようだ。部屋には七福神のお守りや朱印帳、御札、染筆等置き場の無いくらいに飾られている。「先生、これだけお参りしたんだから、何処かのお寺か神社の御利益を頂いて、85にもなって大学に行けるんだよ」と私が言うと「高徳院さんの御利益にきまっとる」っと笑顔で答えてくれた。ご丁寧に駐車場まで見送りに来て下さった。

夕方「住職さん、電話です」と夜間宿直から電話があった。誰だろうと思うと知り合いの○村さんであった。彼は数ヶ月前に脳梗塞を患い暫く入院していた。退院した時は自宅に帰る前にお寺によって私の顔を見に来てくれた。
「もしもし○村だけど」っといつもの声。どことなく何時もの元気がない。それどころか気持ちが縮んでいるのがよく分かる。「○村さん、聞いとるぞ、また別荘に行っているとかだな」っと返事をする。「そうかぁ、誰にも言っていないのにな〜」。「あんたは人気だから、少し見えなくなるとみんなが心配しているぞ」と暫くお話をして「○村さん、次回金太郎温泉へいこう。今度は内湯のある部屋が出来たと聞いているのでみんなで行こうぜ。世話人のみんなも寂しがっているぞ」っと声を掛けると嬉しそうな声で「ありがとう」と返事をしてくれた。世話人会で一番年が若いのがこの私である。

無理な話は分かっているが、誰一人欠ける事のない、誰も病気にならずに笑顔で悪態つきながら、お互いに心配し会える仲間で何時までもいたいモノです。来週、人を誘って必ず面会に行くから待っててくれと言って電話を置いた。体が少し言う事を効かなくなっても、頼むから後生だから悪態を遠慮無く言って欲しい。「おれは嘘は言わん、ホントの事をいているだけだがやぁ〜」っとみんなを笑わせてくれた○村さん。早く退院して下さい。
■ 5/14     高野山参詣より帰る
昨日一泊二日の高野山参詣から帰寺した。先日、高野山から帰寺の折に新しいバイパスがあることを教えて頂き利用をさせて頂いたら何と1時間も時間を短縮できる事が分かり今回の往復に利用させて頂いた

朝7時半に出発して一路高野山麓の慈尊院さんへお参りに上がりました。所が東名阪道路で飛んでもない渋滞に遭い大変な時間をロスしました。と言うのも大型トラックの追突事故の炎上事故処理で一車線通行。とても苦労をしました。渋滞箇所を抜ける郡山で下り橿原神宮を左手に見て御所(ごせ)を通り過ぎると京奈和道という京都、奈良、和歌山と続く暫定無料のバイパスが高野下まで通り抜けていて大変便利となりました。今までは藤井寺まで走り、外環状道路から橋本へと抜け慈尊院まで相当の時間を要しましたが、渋滞さえなければ恐ろしく早く着く距離となりました。

慈尊院から高野山、本山とお参りをしましたが山頂はとても寒く、早速宿坊であり大変以前からお世話になりご無沙汰を重ねすぎていた金剛三昧院さんへ到着しました。お寺は今大変な改修工事を行っている最中でした。夕食を頂いて少し外出をしました。翌日は奥の院、大師教会、刈萱堂、福智院、色々なお寺を巡らさせて頂きお寺に帰ってきました。帰路は例年よりも遅い高野山出立でしたが道路事情の大幅改善で1時間も早くお寺に着くことが出来ました。高野山参詣の皆様方も大変にお喜びになられ「次回は温泉の湧くお寺へ」と言われる方もお見えでしたが、また来年も金剛三昧院さんへお邪魔させて頂きたいと思います。長らくのご無沙汰にも快くお受け頂いたことを心からお礼申し上げたいです。
本山金剛峰寺 シャクナゲがとてもきれいでした
先ずは手を清めてお参りです
豊臣秀吉建立のお寺の正面
金剛三昧院さんでの朝のお勤めの様子
毎朝お供えされる精霊前
本尊 愛染明王
刈萱堂にて とても寒かったです
伽藍にて
お疲れ様でした
■ 5/12     持病快癒
昨日、檀家さんのお家にお参りに参じさせて頂きました。お経が終わると一時楽しいお話が楽しみのお家です。お茶を頂きながら「実は」と昨年来、ひび割れで困っている事をこぼしてしまった。jひび割れが酷く数本の指に縦にヒビが出来て血が滲み悲しい思いもお話をしました。

「住職、一度あそこのお医者さんへ行ってみたら」とご紹介を受けた。色々とお医者さんに見て貰ったのだが一向に完治しない。私はものぐさなのだが、この指の荒れ具合には閉口し、指サック、包帯、数種類の軟膏、テレビショッピングのクリーム、何でも試したのだが・・数日は効果があるのだが、すぐ又ダメになってします痛々しい三本の指。そこで藁にもすがる思いで件の皮膚科を訪ねた。

それはお寺から少し遠い場所にある。ちょうど今盛りのカキツバタで有名な無量壽寺というお寺の脇を通り東海道松並木沿いの安城にあるという。再度○田さんにお電話をして確認をすると丁度目の前にその医院は現れました。

中に入るとガランとした待合室。「本当に効くのか??」っと内心心配になってきたがここまで来て・・と思い直し受付を済ませた。数分待つと診察室に呼び出され少し待つと女医先生がお出ましになられた。「ふんふん」と私の訴えを聞いてくれる。「ちょっと待ってて」となにやら物騒なナイフを持ち出して私の荒れている皮膚をガリガリと掻き始めた。ガラスの上にそのかすを載せて顕微鏡で眺め、「水虫でもないですね」と言う。「湿疹ですね、これは」と意外というか申し訳なさそうに診断名を私に告げて「保湿剤を出しますね」と言う。「あぁ〜ぁ、保湿剤で・・そんなんで本当に効のかな?」と先生には悪いがあまり効果に期待をしていませんでした。

会計時に受付の方に「変なこと聞きますが・・いつもこんなに空いているのですか・・・??」っと恐る恐る尋ねたら受付の後の看護婦さんが「今日は運が良いんですよ・・昨日なんか2時間待ちなんですよ」っと明るく私に返事をして下さった。「2っ、2時間待ち?。そうですか。だったら今日は、私の日頃の心がけが良かったんですね」っとお返事をしたら奥で笑っておられました。帰りがけ「もうそろそろ、八つ橋のカキツバタがきれいな頃なんだろうな?」なんて思いながら帰り早速、昼の塗り薬と夜の塗り薬を数回塗って休みました。

本日、朝指を見たら・・・!! 指の皮膚がきれいになりスベスベになっているではありませんか。痛くもないし、ヒビもない。カサカサもしていなければ指も伸びる。久しぶりに自分の指らしい指を眺めて本当に嬉しかったです。そして餅は餅屋さんで、流石だな〜って思いました。お参り先で悩みを零して真剣に聞いて頂き教えて貰ったお医者さんで助けて貰って本当に有難かったです。久々のクリーンヒットに家内をカキツバタの公園へ誘い目も鮮やかなカキツバタを見てきました。平○さん、ありがとうございました。
■ 5/5 晴れ     スリランカのお坊さん
檀家さんがご厚誼のあるスリランカのお坊さんをお連れしてお寺をお訪ね下さいました。片言の日本語と英語で愉快にお話下さるお坊さん。小乗仏教の僧侶の方は偏に戒律を重んじられると言うので少し緊張をしていましたがリラックスできてお話が出来ました。

ちょうどお寺はツツジが満開であり五月晴れの薫風が本坊を爽やかに吹き抜け、お連れされた檀家さんも大変お喜びになられておられました。二本には何度もお越しになられているそうで今回は長野県で法要があり出席する為の来日との事。お名刺を頂きましたがスリランカで最も大規模なお寺の一つだそうです。檀家さんも何度となくそのスリランカのお寺に出かけているらしくまた、観光地のすばらしさも教えて下さいました。「水上コテージは見た目が良いけど、大変よ」と実際に出かけた方ならではのお話を伺いながらあっという間に時間が過ぎてしまいました。

今日はこどもの日、子供の頃、母親にチマキと柏餅を食べさせて頂いた事を思い出し、季節を忘れていた事を今思い出しました。明日は母のお見舞いに出かけてきます。お休みなさい。
■ 5/4 晴れ     
何時もお元気で私の事を「住職先生」と気恥ずかしい呼び方をされる方が母娘でお越しになられた。先年亡くなられたご主人の永代供養をご希望されてお越しになられた。娘さんもつい最近、心痛む出来事がお有りでお言葉もかけようもない事でしたがお二人はお元気でお参りに来られました。

何時も色々とご心配を下さるのですが、その思いを短歌にして私に色々とプレゼントして頂けるのです。何でもない事を短い言葉の連続に歌い込め、詠む方にその情景を膨らませ豊かな心持ちにさせて下さるのです。この間も地元の吟行会の方々と突然にご来訪を頂きました。知らない方ではないので本堂にご案内し色々とこの地の歴史や今昔の写真をご覧になって貰い、つたないご案内をさせて頂きました。その折の短歌が下記の作品です。

御仏に 線香それぞれ たむければ 紫煙は 一つに 昇り行きたり

タブの木や 芭蕉の句碑に魅す人ら 心残しつ 高徳院 辞す

高徳院 大樹名木のタブの木は 明治皇太子 記念植樹とふ 

等々をお贈り下さった。この間も、お参りにお邪魔させいただき失礼するときの何気ない事を歌に詠み、他の僧侶に託して下さった。色々とこの様に詠んで下さると身を慎みより良いお寺とならなければならないと思いました。ありがとうございました。
■ 5/1 晴れ      寒暖の差の激しい季節の入れ替わり
朝は長袖のシャツを着なくてはならないノに日中になると暑くてならない。お勤めをさせていただいていると汗ばむ程です。明日は桶狭間古戦場450年祭記念式典の大幟立柱式典である。今から450年前に桶狭間合戦がこの地であり旧暦で5月19日、新暦で言うと6月22日。今で言うと梅雨の頃の合戦という事になる。

往古から桶狭間合戦供養祭は当地付近で行われてきた。以前は現在の北朝鮮学校の前に池がありその池は三角池、お初池と言われ例年供養のご飯や木刀、御神酒等が奉呈されていた。その古い写真もお寺に保存されている。ここ450年の御遠忌に亡くなれた両軍の供養の追善の実を結び、加えて慰霊の奉納舞踊やお茶席、諸行事を為して6月の大祭を無事に終えたい地元の方達の熱意が明日を迎えさせる。

私の企画立案した素案ではありますが無事に立柱の儀、幟旗掲揚の儀が無事終えられるよう祈るばかりです。