02 03 04 05 06 07 08 09 10 11
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
2 2 2 2 2 2 2 2
3 3 3 3 3 3 3 3
4 4 4 4 4 4 4 4 4
5 5 5 5 5 5 5 5 5 5
6 6 6 6 6 6 6 6 6
7 7 7 7 7 7 7 7
8 8 8 8 8 8
9 9 9 9 9 9
10 10 10 10 10 10 10 10 10
11 11 11 11 11 11 11 11 11
12 12 12 12 12 12 12 12 12
名古屋の天気予報
-天気予報コム-

ブラウザをJavaScript対応に設定してください。

平成23年月6分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター
■ 6/30 暑い      桶狭間13仏廻りと井戸さらい
東京から一泊二日で13仏参拝にお越しになられた団体さんがあった。豊明市商工会で鳴り物入りで始まった初めての団体参詣が旅行会社の企画で来山された。古戦場では檀家の方や観光ボランティアの方より史跡の説明があった。その後、引率の千葉県の住職さんが読経を頂き、私がその後を引き継いだ。古戦場の今昔が分かる絵葉書で明治以降の様子を説明させて頂いた。

外では環境班の方が井戸の清掃を行う事を私に申し出られた。先日も清掃をしたのだが何せ60p径の井戸の土管は6mの深さがあり上から覗くと怖い。お寺で一番元気で小柄な方がハシゴをかけて降るという。井戸の底は暗く恐怖心が湧くがそれでも降りて井戸の掃除をするという。本堂で13仏の参詣を終えるまで待って欲しいと伝えて、お参りを終えて本堂からすっ飛んで井戸のそばまで来ると13仏参詣の私の代理を願っている檀家さんも側で手伝って下さっていた。彼は元ゼネコンの所長さんで色々と現場での感覚はよい。重機のバケットにワイヤーウインチを二台固定し、一台は水汲み用ウインチ、一台は人命救助用のウインチ、安全帯に固定された○○さんはスルスルと井戸の下に下り土管の側壁をタワシで擦り始め、上から水道を流し手際よく洗浄が為された。

そんな折、水質検査会社の方がこの井戸の水質検査報告書を持参された。50項目中1地項目のみ僅かなアルミの含有が認められ、飲み続けても直ちに健康被害が出る訳ではないとの事。そりゃそうかも知れません。私も生まれて30年ほど風呂も、食事も、全てこの井戸を利用していたし、今も健康である。ただ、大腸菌や重金属、水銀、色々な水質が心配で、本来なら10項目であるはずの水質検査を50項目に増やしての結果である。水質検査の方も一緒になって井戸をのぞき込み井戸清掃を終えました。最後は砂利を洗って井戸に入れ込み来週もう二回ほど井戸の水を抜いて再度アルミ含有量を再検査して貰うつもりです。この井戸は恐らく災害や水不足には「救いの水」になると信じて今月を終えました。その様子を写真でご紹介します。
下に降りて下さった方に感謝です
ウインチはこの方の安全帯に掛けられ直ぐに電動で救助できるようにしています
大丈夫、大丈夫とだんだん下に下ります
よく見えませんが土管の継ぎ目からは地下水がジョロジョロと浸みだし
直ぐに井戸の底に溜まってしまいます
この井戸の名前を「緒方井戸」と命名しようと思います
100年ほど前に掘られ、どんな日照りでも枯れなかった井戸。
「井戸水を飲む時、井戸を掘った方の労苦を忘れてはいけない」とケ小平さんが
故田中角栄さんに言われた言葉を思い出しながら、安全第一に作業を進めました。
井戸サライの様子を見ていた皆さん、ご心配をお掛けしました事をお詫び申します。
■ 6/27      四国より帰る
毎年の定例検診を済ませて所用をあちこち済ませてきました。25日徳島県日和佐の薬王寺様へ出かけました。お寺で相当以前から想定をしていた工事の再考を改めて行うための遠路での出張でした。途中、四国18番恩山寺さんへ電話をして徳島市内で宿泊地を紹介して26日薬王寺様へ到着しました。色々と参考になる建物を拝見し、息子の同級生にお寺を案内頂きました。午後より恩山寺様、洲本遍照院、北淡の八浄寺様を尋ねて大阪に一泊、翌朝は姫路の大日寺を訪れました。

久し振りに逢う弟は頭も白髪が多くなり大変だとも言っていました。帰路、京都福田巧藝社へも立ち寄り挨拶だけさせて頂きました。名古屋高速に入り千種区の納骨堂を経営されているお寺へも立ち寄り夕刻、お寺に戻りました。疲れましたが得るもの多く、一度に廻ると色々と思う事も現実味を帯びてきました。

話は変わりますが、私はヒグラシの声が大好きで以前よりヒグラシを飼ってみたいと思っていました。色々なサイトでヒグラシの詳細や飼育のことを調べましたが長期の時間が必要で尚かつ、大変に飼育が困難で半ば、あきらめていました。先日、と或る方よりヒグラシのCDの事を教えて頂き早速求めて境内で再生をしました。奥山深山で33分間録音されたヒグラシの声は澄み渡り、夏の夕暮れ時や朝の一時に大変マッチしました。あちこちに出かけていたのでお寺に電話して参詣の方の反応を伺うに「もう蝉が鳴いているのですか?」「近くから聞こえるのですが」とか色々な声を伺いました。「チャンとCDと言うことをお伝えしましたよ」と受付の方の配慮に感謝します。

お寺の人達も色々な感想を述べて下さいました。私的には朝夕、ヒグラシの蝉の声はお寺の雰囲気にマッチするので流そうと思います。息子が「住職、さすがに雨の日のヒグラシは止めた方が良い」には「そうだね」と応えざるを得ませんでした。当地、名古屋には滅多に聞こえないヒグラシの声。私はヒグラシの声に、何とも言えない郷愁を覚えます。
■ 6/17      
午前中、お寺の中でコンクリートの亀裂部分が見つかり以前、土工会社で色々な経験を持ちお寺で働くお二人が穴を掘ってコンクリート工事で補修作業のお手伝いをしました。昨日は大方の力仕事をお手伝いしたのですが今日は少しの時間しかお手伝いできませんでした。

午前中は色々と予定があり来客も多かった。午後は寺院の総会や、勉強会があり、古戦場祭り関係のお約束を忘れてしまい、中に入って頂いた方へ大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。夕刻8時頃の帰寺でした。
築地塀が交わる部分に僅かな亀裂が走っていました
転圧が為されていなかったのが主たる原因とのこと
向こう60p先は土手がある 
管を二本通してコンクリートの空気抜け穴を貫通
鉄筋パイルをユンボで斜めに埋め込む
鋼鉄材を番線で縛り付けて強度を付ける
生コンを3立米 入れる
相当の強度は出て広く踏ん張れるが、地盤沈下にはかなわないと思う
今更、パイルを打つことも容易ではないので暫く様子を見る事とする
この工事をご覧になられて元ゼネコン所長さんは「たぶん大丈夫だろう」と言われた。他の工事経験者の方は「ちょっと難しいかな」とも言われた。良くは分からないがお寺の環境班で働くお二人の経験にお寺の僧侶がお手伝いをして一応終えました。月曜日に再度生コンを細部まで入れ込んで終了です。
これで様子を見て、悪ければ土中へのコンクリ中入しかないと思いますが・・・大変でした。お疲れ様でした。
 ■6/12 曇り      被災ボランティアの憂うつ         
法事がありました。久しぶりにお会いする鉄平君。彼は片道切符の航空券でニュージーランド、オーストラリアとワーキングホリディーで数年間を過ごしていつも溌剌としている彼。歳は23歳。

「鉄平君は何しているの?」と私が尋ねると「震災ボランティアを2週間していた」と返事をしてくれました。「どうだった?」と尋ねると海岸の清掃や家屋の泥水の片付けをしていたという。「ボランティアのツァーがあって色々な人が色々な思いで参加されていてね」とチト元気がない。自己満足のためにボランティアで写真をパチパチ写してる人。これはするけどあの作業は嫌だと文句を言う人。色々と考えさせられる事が多かったと言っておられた。被災された方々の受け止め方も様々で「感謝の気持ちいっぱいです」と言う方もあれば「お前らボランティアだから・・・」と言う態度で接する方もいたそうです。

阪神大震災の折に不肖私も兵庫県のと或る体育館へ出かけた事がありました。色々な思いをして返ってきた事を思い出しました。本当に人は様々と思います。青年の気持ちは折れても若々しい彼を見ているとこれからの人生の糧になると信じて彼とお別れをしました。

政治家は安全で安心な社会実現が政治家の使命でありその環境整備が法律制定にあると思います。法整備の実務者を巨大企業が囲い込んだり実務家がへりくだるような構造を放置してきた政治は、コストゼロの税金を山分けする背広組の山分けの様に思えます。そんな法整備の実務家に原子力も補助金も環境も何もかも期待してもダメだし、法整備をしても山分組に都合の良い法整備にしかならないような気がします。万事、安全と危険の基本立ち返り、単純で面倒で、幼稚で、くどい作業の中に安全安心が存在するように思います。

唐突ですが、第二次世界大戦の勃発は、日米開戦不利を当時の歴代内閣が認識しいたにも関わらず、日清日露以降大陸での犠牲者や、財閥の他国への投資金額等の大問題を政治家が説得する勇気を失ってしまい、断固開戦反対を唱える政治家、軍人が存在していればあの終戦の破壊と原子爆弾、他国での多くの犠牲者は回避できたと思いますが、出来なかったのは断固たる不利益を訴え開戦不利を主唱する政治家の存在がなかった事が決定的要因を思うと、今回の原発での歴史的悲劇は何度でも過ちを繰り返すと私なりにつくづく思います。
■ 6/11 雨/曇      
梅雨に入ったのは相当前です。平年よりも相当早い梅雨入りでした。ホームページ更新も梅雨のせいか?すっかり湿ってしまいました。今年の古戦場祭りの様子をアップしますのでご覧下さい。変な話しですが古戦場祭りを間近に見るのは初めてです。自分の寺の中で行われている毎年の行事なので見に行くという事はしなかったのですが、友人が色々と出世したので立派になった姿とお祝いをお伝えしたくで初めてテントの中に入り武者行列絵巻を拝見しました。天気は曇りでしたが直射日光のきつくなる時期ですので返って良かったのかも知れません。
今年もお寺の所有する明治の頃からの絵葉書や写真をパネル展示しました
桶狭間古戦場は田楽狭間の合戦が正式名称
葬儀会館ティアさんが「味噌田楽」を振る舞ってくださいました
お茶会も開かれていました
天気が悪いのか? 冷たいものが今ひとつ
お寺で大昔販売していた織田家の家紋入り杯・・・売れたのでしょうか??
バックの大木はタブノキ・・・・明治39年10月陸軍大将 奥 保 お手植え
祭りに参加の人でしょうか?色とりどりの服の方が見えます
本堂では薩摩琵琶が演奏・・・例年満席です
鉄砲隊の到着・・・発射がされ凄い音がします
エイエイ、オォー お疲れさまの大行列
色々な売店があります
イョ、チョウーかっこいいですね。若い!!
豊明市議会議長さんのご挨拶
今川 義元さん お着きです
よく似合うよ
左二人目から 豊明市長 大村愛知県知事 加藤観光協会会長
ホンと、お疲れ様でした。カンカン照りでなくて良かったですね。