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名古屋の天気予報
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平成24年9月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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カウンター
■9/30               
一昨夜と昨夜は友人や僧侶の方達と外食をしました。金曜日の夜は久し振りに夜風に吹かれて大変賑わう名古屋を歩きました。昨夜は温泉のある名古屋市内のビジネスホテル内で7名の会食をして細々とした竣工式典の打ち合わせを行い近日中に再度、お寺の中で会議です。皆さん、親身になって下さって色々意見を出して下さるのですが私が意見をまとめることが出来る状況ではないので二人の方が、私に替わって式運営の素案を作成しくれることで話が落ち着きました。

本日は雨風がお昼前から強まり台風が近づくとニュースで言っていました。お寺の中では竣工式典に向けた書類の作成が急がれ私も、先ほどまで全力で事務処理をしていました。加えて永代供養の実際面でのチェックリストや様々な書類、色々な事象への対応を確実にするための素案を作らなくてはなりません。何でも最初が肝心です。当初の頃に想定していない処理も求められるようになり、愚直ではありますが、基本を忘れない、面倒でもキチンと整えて将来、混乱しない運営に心掛けるよう最も大切な、事務処理。昨年からパソコンを駆使していますが、目も駆使しています。目に負担をかけることとはなりますが人では追いつかないことをパソコンはあっと言う間に処理してくれます。後もう少しで、全ての事務処理が終わると思います。そう信じて私の出来る事を毎日行っています。
■9/27 晴れ       清々しい晴れ
昨日は葬儀もありお寺も落ち着きがありませんでした。今日はお寺の山仕事を致しました。あと数日すると竹垣がお寺の回りにめぐらされ、その工事を終えると枯れたドングリの大木や、重い石、溢れ出てきそうな土砂等を片付けるのは容易ではありません。環境班とともに片付けました。あっと言う間ではありませんが、大量の木々を普通では考えられない時間で処理して何事もなかったように元の佇まいにしてしまうチームワークは昨日今日では出来ません。何時も環境班の人や受付の人、お寺の僧侶方との連携や配慮からなる物であり、お寺を引き継いでいくことも一朝一夕ではないだろうなと、夕暮れに思いました。

そんな仕事をしていると、どうしても重機が必要になりあちこちを時として、穴も掘ってしまいます。何でもないお寺の山の中には、私が思慮分別もなく地中埋設した電線や、ケーブル、訳の分からない電線がCD管と共に出てきます。昨日も夕方近くに、工事の方が支柱埋設工事をしていて誤って4芯のケーブルを切断してしまったという。現場監督から驚いた声でどこの線だろうか?と尋ねられてもこちらも分からないのが実情。若かりし頃の、何でも自分でして費用を少しでも浮かせることを思って行った素人の工事であったので忘れてしまっている。昨日の断線は映像関係の線らしく直ぐに復旧が為されました。それよりも、相談に値する工事関係者が私の回りにいて下さって、即座に対応してもらえるのでこれも大変ありがたいことです。お寺を継承することは、人のご縁をつないでいくことであり、また新たなご縁を頂く事でもあります。

明日は午前中、色々と予定があります。もうすぐカレンダーを一枚めくり大切な月を迎えます。「この秋は 雨か嵐か知らねども 今日の勤めの 田草とるなり」。穏やかに毎日を迎えたいです。
■9/26 晴れ       イヤな言葉
先日のお話しです。或る所に出向き夕食をとっていた時のお話しです。サラリーマンが楽しそうに会社帰りに賑やかに一杯やっているのれんの向こう側では満席で数人が待っておられた。初めて入ったお店ですので要領が分からずカウンターに座ろうと板場さんに「座って良いですか?」と尋ねました。「すいません、予約の方の場所で・・」っと返事をされ新たな方向を指さされると、立ち飲みのカウンターを案内されました。

初めて立ち飲み屋に私は立ち、慣れない様子で色々と注文をしました。サンマに豆腐、漬け物にビールとサラリーマンが頼んでいる物を眺めながら注文を出しました。来るわ来るわでゾロゾロと予約の人達が暖簾をくぐって来ます。「ここは活気があるな〜」っと思いました。暫くすると歳の離れた男女が無愛想に入ってきて、私の隣の少し離れた机の前に立ち、メニューを眺め始めました。その内「オイ」っとアルバイトらしき店員さんにあれこれ注文を出しました。店員は要領よく注文を聞いてその場を離れ、直ぐにアルコールを持ってこられました。店の中は超多忙の様子で少ない従業員で満席の店内に、それぞれお品を運んでは追加の注文を受けていました。

隣の、あまり近付きたくない妙な男女。男は命令口調で女性に物を言い、女性は知らぬ顔でムシャムシャ食べているだけの不気味な男女。その内に男は「オイ、俺サッパリ分からん。何でこいつらこんなに一生懸命働くん?俺には信じられヘン」、女は知らん顔して「・・・・」ムシャムシャと食べ続ける。店員さんや調理場の人達は、殺到する注文や、出来上がったお品の配膳、新しい注文取りと一生懸命です。再び「あいつら、よくやるよ。馬鹿じゃないか?」 「・・・・・ムシャムシャ・・・」 。 初めから気味が悪かった男女であったが益々気味が悪くなりました。働くって色々な事情があって働くのですが、人が勤勉に働く姿を見て「信じられヘン、馬鹿じゃないか」と思う気持ちに私は言葉こそ出しませんが「許せない!」と言う思いに替わりつつあり又、人はそれぞれだなとも思いました。独り黙々と食べている私に突然「お客様、カウンター席が空きましたのでいかがされますか?」と店員さん。「あぁ、私は一人ですのですし、もうすぐ終わりますのでここで良いですよ」と返答すると店員さんは隣の男女に声を掛けていました。モノを言うと損がたつように無愛想に店員の指さす方へ向かっていきました。

その不愉快窮まりない男女は私の視界から消えて、私は再び立ち飲みのテレビを見ながら箸を進めました、が、この店の同じ空気を吸っていること自体、腹立たしく思い始め、飲み残しのビールを後に店を出ました。人が一生懸命働き、お客さんの満足を得るためにできる限りの注意を払い、経営のリスクを負って真面目に働く姿を「何でこいつらこんなに一生懸命働くん?俺には信じられヘン」のセリフは聞きたくなかったセリフ。人はそれぞれですがこんな男の人生の楽しみは何か? 友人はいるのか? 親の愛情を受けたことはないのか? 色々な思いを感じてお店を出ました。 きっと、人に愛されたり、信じ合ったりした事が希薄な人生があのような言葉が出た遠因だと思うと、気の毒にも思う夜でした。
■9/23        評議委員会       
今日も朝から一日、葬儀やご法事、慰霊祭等々、会議資料作成等で大変でしたが、なんとか無事に一日を終えることができてお寺の職員共々ホッとしております。夕方より評議委員会及び院内の合同会議みたいな事をおこないました。瑜祇塔竣工式の打ち合わせと施設建設状況、葬儀会館の運営状況や葬儀会社の関わりの審査や実情が報告され色々とたくさんの意見が出てきました。

特に葬儀は明日にも発生するかも知れないことを思うと、葬儀費用の負担の軽減を目的とした元々の高徳院主導の原点に返り再確認を経験者と協議しながら再度、見直すことが満場一致で議決されました。他の議題に上がった事象についても注意深く、再検討と熟慮を役員一同で協議して行くことでも一致の意見を見ました。瑜祇塔へ役員、職員一同で出かけましたが皆さんから満足の様子を感じ大変うれしく、また心強く思いを新たにしました。ともかく、本日は心身ともに大変疲れました。
■9/22 晴れ       彼岸法要の日
朝より天候に恵まれ良いお彼岸の中日を迎えることができました。多くのご参詣の方をお迎えし、僧侶、世話人会等大変感謝致しております。お寺の法要のお手伝いをボランティアで行って下さる方々を「世話人」と呼びます。本当に助かります。今日は午後からも色々な方がお見えになり多種多彩な話題に、聞き入ったり、うなずいたりの夕刻でした。夜はお通夜に副住職が行き、私は明日の段取りや準備、お彼岸の備忘等に追われ、一日を終えました。国会議員の先生も秘書を伴いぶらりと遊びに来て下さり今の、色々なお話しをして下さりました。今日の様子です。
事務所受付前の水汲み場で・・・何という小鳥でしょうか
お接待の白玉です。全部当日、手作りです。
さっと ひと茹でするとモチモチ白玉が出来上がり・・・
皆さん 楽しそうです
本堂での様子です
境内でのお接待の様子  昨年は瑜祇塔がありませんでした
■9/20 晴れ       四国より帰寺する
数日、体不調であり数日伏せっていた。お彼岸前にご挨拶に伺う事にしていた薬王寺様へ本日伺い工事の様子や竣工式のご案内をして先ほど帰りました。昨日午後2時頃お寺を出て淡路島の友人のお寺に伺い竣工式典の打ち合わせをさせて頂き、昨夜は徳島にて宿泊しました。7月に伺った時は暑苦しく、四国も名古屋同様に暑いんだなと思いましたが昨夜はとても過ごしやすかったです。

今朝、9時頃に徳島を出て日和佐の薬王寺様へ伺い色々と不躾な事や様々な事を相談させて頂き一時間ほどで失礼をしました。何度も何度も、薬王寺様へ伺いましたが昨年から今年にかけてのお邪魔させて頂く頻度も恐らく、今年ほどの頻度はなくなると思います。お世話になった今川ご住職様、そして何度見ても見飽きたらなかった瑜祇塔。今は同じ姿の瑜祇塔がお寺に建っていると思うと薬王寺様へは感謝の一言です。本当に有り難うございました。
■9/16        
今日は一日、大変でした。無事に一日を終えることができてお寺の職員共々ホッとしております。朝から予定が細かく、時間の遅延が生じるとあとに響く状況でしたが何とか終えることができました。午後の最後は京都の仏具屋さんでした。午後4時のお約束時間を私は忘れて本堂で、パソコンを使用しながら古戦場のお話しをしていました。約束の時間の頃の私の話題は、明治天皇が建立された建勲神社のお話しの佳境の頃でした。建勲神社は明治二年、明治天皇が京都船岡山に織田信長をご神体とする神社を建立されたお話し。そしてこの桶狭間合戦で今川義元公から奪い取った刀が奉納されている神社であります。大左文字という刀で、三好家から武田家、今川家、織田家、豊臣、徳川と続き、江戸の明暦の大火では一度は焼失した刀を再度、刃を付けて徳川家累代の財宝とされていた刀。明治維新後、明治天皇が徳川家から取り上げて建勲神社に奉納した曰わくを、あれこれとお話ししました。

「何故、明治天皇は明治二年、維新間もなく建勲神社を建立したか?」を私なりに推測を交えてお話しをしていました。京都、建勲神社は船岡山にあり昔の刑場の跡地であったそうです。仏具屋さんはその船岡山のそばに住んでおられ、私が約束の時間を過ぎてもペラペラのお話しズーッと聞いていて下さったそうです。本堂から出てきて事務所に入ろうとすると本堂の縁側から仏具屋さんが顔を出されました。「あっ、忘れていた」とお詫びを申し上げると「イヤ、楽しく拝聴していました」と、船岡山の事に触れていたことを大層喜んでお話しを頂きました。

今日は連休の中日というのに瑜祇塔の工事関係の方が仕事をされていました。本堂でお参りしていると山中から時々、建築の音がするので不思議に思っていましたが完了検査の期日が決まっているので、多くの現場の人が工事をされていました。台風が沖縄をかすめ生暖かい風が夕刻より吹いております。中国では反日活動と称する略奪、放火。暴動の数にその略奪行為やデモに参加している人数を掛け合わせると恐ろしい人数の、内乱状態がテレビで放映されております。テレビを見ていると中国国内ではニュースとして映像は流れていないそうです。治安は維持されて初めて国家であり、外交であるのに・・・国家の様相を維持できなりつつある様子です。不満のはけ口は反日から中国独特の農民工の怒りの爆発がパンデミックに生じたら、アジアだけの問題で無くなりつつあります。歴史を学んだ人は、リスクヘッジができる人だと改めて思いを新たにしております、明治と言う時代のことですが。今日は偉そうなことを書きました。
■9/14 晴れ       夢で会いましょう
昨日、夕刻プイとお寺を出て高山へ行きました。快晴であり、ガラリと夏の空気と秋の爽やかな空気が入れ替わり、まさに秋気改まる感を深めることができました。私は発作のように、時々午後からお寺を出て翌日のお昼過ぎ頃に帰ってくる一人旅を時々行います。そんなの楽しいの?って思われるかも知れませんが、私は楽しいです。昨夜も、一人食事を取り何も考えずにボンヤリと時間を過ごし、ベッドに入りました。

「お父さんは今までに出会った方で、大した方だな〜っと、思った人はいる?」っと私は亡くなって久しい父に尋ねていました。父は、私の顔を真っ直ぐに見て名前を忘れましたが「○○弁護士だった」っとハッキリ言いました。それは、今から30年ぐらい前の薄暗い寺の台所、隣には弟が座って、立っている私に物静かに言いました。「それはどうして?」っと尋ねると色々とその理由を私に話してくれました。夢の中でのお話しですが、父が亡くなって今年で33回忌、初めてハッキリとものを言ってくれた夢でした。そしてハッと気がつくと高山の真夜中のホテルのベッドの中、首筋に汗をかいた自分でした。

何でこんな夢を見たのか?・・・数年に一度でしょうか? いつも夢に会う父から言葉を交わしたことは一度もなかった。夢で会う父に私はいつも同じ事を言っているのです。「お父さん、これからは私が一生懸命お寺のことをするから、お父さんは何も心配せずに古戦場の研究をして下さい」とか「お父さん、これからは健康に気をつけて、好きのことをどれだけやって貰っても良いから安心してくれ」 「これからは・・・」「これからは・・・」と、色々父に語りかけはしても、いつも体が辛そうな顔をしてただうなずく父の夢しか見たことがなかったです。父が亡くなって初めて言葉を交わした高山の夜、しばらく眠ることができませんでした。私は自分が寂しかったんだと思いました。尋ねたり聞いたりする人を亡くして、今日を夢の中で初めて父から言葉を交わして貰った事がとても嬉しかったです。

翌日、快晴の高山を出て乗鞍経由で平湯温泉に向かい、立ち寄り温泉「神の湯」に入りのんびりとせせらぎの音と木々に囲まれポッカリ空いた青空を眺め、再び同じ道を通り色々な事を思い出したり、美しい風景を眺めて郡上八幡に入りました。一度入ったことのあるひなびた五平餅屋さんです。お婆さん一人で一日10本売れれば良いお店らしいです。「おばあちゃん、五平餅一本いくら?」 「あぁ 300円だよ。あれ、あんた名古屋の和尚さんだったな?」って私の顔を覚えていた。驚いたのは私です。店の中にはお婆ちゃんの友達が2人いて、「名古屋のどこ?私は北区に住んでいた」とか言う。私があれこれ返事をしていると「高徳院か?」っとお婆ちゃんが言い当てて、再びビックリ。お婆ちゃん三人とペチャクチャとお話ししていると「オゥ、久し振り」っと見知らぬ男性が入ってきて、自分で勝手に漬け物と五平餅を頬張りながらお茶を飲み出す見知らぬ男性。「あんたが来たから雨が降り出した」っと五平餅屋のお婆ちゃん。私に向かって「あんた、どっから来た」っと尋ねられ「名古屋」と言うと「そぉ〜か!俺は中村区の花屋だ」と自分から名乗りだして隣の婆ちゃんが「名古屋の高徳院の住職さんだよ」って要らぬ事を言ったら「競馬場のあのお寺か?」と今度はマジマジと私の顔を見つめ直し始めた。

外は雨も降り出し、凄い勢いで地面に叩きつけている様子である。「雨が降り出したから、お婆ちゃんまたね」と逃げ出すように五平餅屋さんから這い出してお寺に帰ってきました。まさか、郡上のあんな田舎で私のお寺を知ってくれている方が2人もいるとは思いませんでした。この度の高山思いつきツアーは亡父に出会い、五平餅屋さんで親しくお話しをして貰って、大変うれしい清々しい気持ちとチョッピリ、センチメンタルな思いの初秋温泉旅行でした。写真は五平餅屋さんの気長な五平餅焼のいろり。「お婆ちゃん、餅の中、生温いよ」って言ったら「朝から焼いとったら真っ黒焦げになっちゃうでよ」だって。生温い五平餅ですがとても美味しいかったです。「もう一本食わんか?」って勧められましたがお腹一杯になりました。
■9/11 晴れ       
大雨と雷鳴は、瑜祇塔を試すが如くに凄い雷雨でした。幸い、何事もなく昨日の事故も建設会社のバックアップにて難を逃れました。最終的には「頼んだ私が悪かった」と自分に言い聞かせています。午後より松食い虫で赤茶に枯れた松を、環境班の方と三人で伐採しました。頭のいい人と仕事をすると、早い、キレイ、疲れない、と言う結果になります。瑜祇塔の外構工事が本格化的に始まり数十人の人が働いています。今日は、セキュリティー、排水、舗装工事、自動ドア、照明、雨水処理、造園、・・色々と人々が働いて下さっていました。

工事現場監督さんが体調不良で一週間ほど入院をされていました。入院中に5sも痩せたとホッソリした顔で私に挨拶をして下さいました。今朝も電話を入れて「無理をしないように」とお話しをしたのですが・・・・「現場が気になって、毎晩夢に出てきました」「うなされて、ロクに寝られなかった」と病院での辛かったお話しをしてくれました。本当に、責任のある人達に囲まれて私はこの瑜祇塔を竣工させることができると思えば、感謝をして暮らさなくてはと思いました。尋ねられることばかりで、返事をしなくてはならない毎日。ヒョッとすると私の人生での二回目の輝ける思い出の時かも知れません。一回目は山門建設の32歳の時の事でした。明日は病院での検査が待っています。昨夜「お父さん預かります」に出かけた私は、自業自得の検査結果を得ることと思います。

私の備忘録の更新を待っている人の娘さんからメールを貰いました。「住職の備忘録更新がないと母の背中が丸くなっている」と遠回しに更新を促すメールでした。そうか、背筋を真っ直ぐにできるような備忘録に心掛けます!!
■9/10 晴れ       辛かった一日
ボンヤリしていたのですが秋彼岸法要の準備を寺の僧侶が全部済ませて下さっていてホッとしました。今日は色々ありました。午前中、城郭研究の方々がお見えになりパソコンの画面を大きなディスプレィに映し出して色々と説明をさせて頂きました。一時間ほど時間を忘れてお話しをしているとお約束の方がお見えになり途中で私の一席を終えて応接間に席を移しました。
来客の方からは不思議なお話を聞き、私の回りには色々な人がいるのだと改めて思いに耽りました。そこへ突然の事件が涌き上がりました。私の人生の最後になるかも知れない大切な工事に、人情というか、情に流され或る人を紹介し、無理矢理に工事の仲間に入れ込んだのでしたが・・・・老害と言われても仕方ないトンでもない事故を起こされてしまいました。顔色を変えてバケツと雑巾を借りにこられた奥さん。何事かと私も思いましたが・・・・しばらくして現場に行き・・・・私の怒りは沸点を通り過ぎ情けなく、悲しく、落胆をしてしましました。事を起こした張本人は照れ笑いをして「私めの失敗でございました・・」と私の怒りが通じていないのか、落胆の極みにある私の心を踏みにじりました。

午後になっても深く心に傷つけられた傷心の思いは癒えるどころか、益々怒りと許せない気持ちと、今までに陰に日向に心配りをしていた私が情けなくなり深く落ち込んで夕暮れを迎えました。お寺の中は広く私はバイクで移動をし、所用を済ませながら忙しく、人と応対をする私の視界には、不思議に必ずその方は入ってくるのでした。昨日は鈴虫の音のお話しをしました。 今、鈴虫が私の心を慰めてくれるように、寂しそうにリンリンと鳴いてくれているようです。納まらない私は、思い付いて夜の名古屋へ出て数年ぶりに「お父さん預かります」と言う私が名付けた飲み屋さんのドアを開きました。7年ぶりの「お父さん預かります」のお店には、昔の愉快なお父さんが一人とママさんがおられました。「あら〜 住職。何年ぶり??いつも話していたんだよ、住職のこと」とお二人から声を掛けてもらいました。「電車からお寺を見たらビックリしましたよ。」とこれまた嬉しいことを言ってもらい気分も、徐々にではありますが少しは忘れることができました。愚痴を備忘録に載せてしまいましたが、一言聞いてくれると気も楽になります。

今朝、お寺の山の中を散歩していたら見付けた栗。もう栗が落ちてきました。時の経つのは早いですね。

■9/9        白露重陽
外は鈴虫がリンリンと鳴いている。昨年の今頃は夜遅くまで瑜祇塔予定地で私が大量に作っていた、たい肥をユンボでかき集め、その山積みのたい肥の上から遠く名古屋の夜景を眺めながら、重機の座席の上で、足をレバーに放り上げ静かに鈴虫の音を聞いていた。「来年の今頃はどうなっているんだろうか?」と思いながらリンリン鳴き止まない夥しい鈴虫の音に囲まれて星空を眺めていました。一年はあっと言う間でした。

今日は私自身はあまり予定は多くなく、事務処理や今夜開かれる評議委員会や責任役員会の資料、竣工式典の準備を致しました。夕刻7時より役員会を開催し種々の意見をまとめながら次回開催日を決定致しました。一人より二人、三人寄れば文殊の知恵と言いますが、なるほどの意見が出て冷静に様々な事柄を判断できました。生意気なことを言いますが、最終的な全責任は私にあります。良かれと思うお話しも、時としては断らなければならないこともあります。私の人生を振り返るに思い出深い出来事が、鈴虫が色々と奏でてくれるほど多くあることに、大変な幸せを感じますが、最近は寂しく感じることが多いです。若さというか、火中を走り抜け、自分が自分らしくあるよう、向こう見ずさが自分から徐々に減っていることが、思うに寂しく感じる遠因と考えます。要は歳でしょうか?

母の敬老の日のプレゼントが地元の老人会から届けられました。とても有りがたく、心配りと優しさに大変嬉しく感じました。こんなキレイな心で贈り物が出来るのであれば世の中はもっともっと良い世の中でいられるのでしょう。人様にお品を差し上げさせて頂く事はとても難しい事と、私は思います。物を贈ることには3個の条件が整わないと贈り物にはならないそうです。
1.贈る気持ちが清浄な気持ちで贈ることが出来る事(喜んでもらえる素直な気持ち)
2.頂く気持ちが清浄な気持ちである事(負担に思われない素直な気持ち)
3.贈る品物が清浄であること(盗品でないお品)

要は、明るい気持ちが通じるような贈り物でないと、清浄な贈り物にはならないと言う事らしいです。布施の成立に係わるお寺の原則を述べましたが本日、母の敬老の日のプレゼントを見て心底、「優しい気持ち」がなければこの様な贈り物をしてもらえないな〜と思いました。その写真をアップします。私も心がけなければなりません。
リボンがネクタイ 袋が赤シャツ??
ネクタイを外すと・・・
あれれ  赤い袋????
タオルとウエットティッシュ・・・
贈り物って気持ちが通じないと心に届きませんね
私は、母に替わってとても嬉しく感じました
しばらく母を見舞っていないので明日見舞ってきます
豊明市老人クラブに感謝です。
■9/8 晴れ       
午前中、瑜祇塔内の仏具が搬入され眺めていました。柱の金箔工事も私の横やりでやり直しです。徐々に内部の仕上がりも納骨堂らしい雰囲気が出てきました。午後からは葬儀や法事等が有り一日を忙しく過ごしておりました。午後三時からは納骨堂説明会に多くの方がお集まり頂き、まだ業者の方がお見えの内部にご案内して色々とご説明をさせていただきました。通常は六波羅蜜会堂にて説明会をしているのですが今日は、私も気が急いて皆さんをお連れしました。明日は予定が多いので今日のようなことは出来ないと思います。セキュリティー工事、照明工事、防水工事と毎日たくさんの職人さんが入って賑やかな工事現場が数ヶ月続いております。

夕刻、桶狭間古戦場の研究家がお越しに成られ昔のことを色々とお話ししました。戦後間もない頃から開墾をされておられた方で、当時は豊明の小中学校に行かず、隣接の有松の学校へ通っておられたことをお話し下さいました。何十年ぶりかでの同窓会に行くと「桶狭間、桶狭間って有松の連中が騒いでいるが、何で有松の桶狭間なんだ?昔から豊明だろう」と古くからの同級生から会う度に言われると苦笑されておられた。そんな昔話や、郷土史をライフワークにして桶狭間古戦場を調べられている先生もお越しに成られ、今秋出版する著書の原稿を拝見した。

夕食後は、瑜祇塔竣工式典の打ち合わせ資料や、出演者への連絡等の確認作業をなして気がついたら遅くにまで成っていました。パソコンのお陰で手作業が無く、本当に楽をさせて頂いているのですが、例の如く疲れ目になやまされております。

お寺の瑜祇塔(納骨堂)内部の工事写真です。ご笑覧下さい。
金剛界 大日如来  天蓋は本日取り付けられました
仏間はガラス張りでどの納骨棚からもお参りが出来ます
内外の照明は全てLEDです  1/3の電力で従来の照明の数倍の明るさがあります
未だ稼動しておりませんが空調は「地中熱利用の空調機器」が設置されています
地球環境にお寺としても出来るだけのことに配慮したつもりです
■9/6 晴れ       慌ただしい北海道
急に所用が出来て早朝より函館へ行くこととなりました。一時間半もあれば涼しい函館です。到着すると曇り空。レンタカーを借りて友人宅へ向かいました。お昼ご飯を食べるのを忘れて四方山話をしたり昔話をしたりでした。大沼という湖畔のそばにあるホテルに泊まり温泉に浸かり暫く2〜3日逗留して元気になって帰ろうかと思いながら早めに就床をしました。

午前1時半、一人のんびり久し振りの熟睡している私のベッドの携帯電話が鳴り響き「今、母が亡くなりました」との悲痛な電話。あちこちへと連絡をして休みましたが、薬のせいか?頭がぼんやりして呂律も回らない電話の応答に気持ちだけは大変な注意を払いました。それよりも葬儀が他に2件有りとても遠方にいるような場合ではなくなりとんぼ返りをして本日、一泊二日の北海道より帰りました。慌ただしく土産も何も無しですっ飛んで帰ってきました。お通夜前にお参りをさせて頂き諸準備を為して頂くために時間をずらして頂きましたが、何だか私の都合を聞き届けて下さり申し訳ないの一言でした。この備忘録を更新しているとまたご不幸の連絡が入りました。
■9/2 晴れ       不調
ここ数日、不調が続いている。この間も点滴をして頂いて少々元気になるのですが・・・・風邪を引いたような気分の重い毎日が続きます。あの薬、この薬と色々な薬を先生に貰うのですが・・・落ち込むばかりです。今日も私のお世話になった方の奥様の三回忌がありご一緒の宴席の予定までしていたのですが墓前でのお参りを済ませて、事情を話し欠礼をさせて頂きました。日曜日は色々と予定がありお昼からは社会を明るくする運動の一連行事で地域の会合にも出席をしましたがどうしても元気が出ませんでした。一安心をしたのか、内在する難儀と向き合いたくない自分が何だか、体の中でぶつかり合っているような気分です。張り切れる事柄なのに、どうも元気が出ません。葬儀が続きます。