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こもれび眼科

院長先生のお写真
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平成24年11月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター

今の瑜祇塔からリアル映像
瑜祇塔の上部にはインターネットカメラが常設されています。
公開できるカメラは2台です。朝焼けや日中、夜景をご覧下さい
(ネットワーク上やセキュリティーの条件で見る事が出来ない場合もあります)

西側 名古屋方面 右側 お寺と刈谷方面
■11/27 晴れ       東京から帰る
東京で葬儀の依頼があり昨夜、浅草付近に宿泊をしました。副住職にはお通夜に間に合うように指示をして町屋斎場という葬儀場でお通夜で読経をして貰いました。宿泊先のビジネスホテルで息子と待ち合わせをして駒形どぜうを二人で遅くの夕食に出かけました。初めてドジョウ鍋を食べる息子は奇妙な顔をして食べ始め「うまい」と一言感想を漏らしました。お互いにビールを交わしあれこれお話をしているとお寺から電話がかかり檀家さんの葬儀の段取りが始まりました。いつもドジョウ鍋やさんは忙しそうで今日も結構来客が多く見えました。私もそんなに頻繁に東京に行くわけではありませんが夕食は駒形ドジョウ鍋と決めているので、息子を連れて行って良かったです。ふだん、あまり言葉を交わす事もなかったですが、ドジョウのお陰で色々と普段しないお話ができました。

今日は午後3時過ぎに東京を発して5時半頃にお寺に着き、再びお通夜のお参りをしていまパソコンに向かっています。お通夜の席では皆さん、私が東京に行ってる事を知っていて『おぅ、間に合ったな』とか『本当に仕事か?』とか色々と親しく声をかけてくださるのが嬉しかったです。もう少し若かったら疲れたとか言わないのですが、やはり疲れました。毎晩ですが、できる限り早く休むようにしています。早めに休む事ができ、暖かい部屋、屋根の下、布団の中で休む事のできる幸運に感謝です。お休みなさい。
■11/25 快晴        ひどく汚れていた山門・・・あらためてビックリ        
今日は日曜、連休最終日。今年最終の連休は師走のクリスマスの頃にもう一度あります。お寺も一日バタバタとしていて何とかつつがなく終えました。夕刻、お通夜に私が行って来ました。明日は東京町屋にてもう一件のお通夜があり明日葬儀を終えたら東京です。他の僧侶には休日が無くて本当に申し訳ないのですがこれだけはどうしようもありません。夕方、世間で言う日曜や連休関係なしにお寺の山門の作業場は洗いの作業が続いて、寒い最中の水仕事に大変かと思いますが、お陰で山門は大変驚くほどにきれいになりました。そして何よりも昭和62年建設時に香っていた檜の大変良い香りが現場には香り始めました。木肌はきれいになり白く美しい樹肌を現し始め、建設当初作業小屋から境内中に漂っていた檜の芳香が、私の若かりし頃の熱い思いを蘇らせてくださっている。工事現場の足場の上で天を見上げて地を見渡し、落涙の思いを密かにしております。自分自身に『本当に良くやったな』と自分で自分に声をかけて久しく合わなかった、25年振りの檜や、法隆寺南大門を原型にして東京工業大学名誉教授、文化財保護審議委員の藤岡通夫先生に監修して貰った鬼瓦に目を遣り「昭和62年7月作之」の文字を見つけました。自慢ではありませんが山門の鬼瓦は何度も何度も試行錯誤をされ作り上げられた鬼瓦であり、他方、夥しい数の彫刻を施された装飾彫り物も富山県井波町にて彫られた物でした。数ヶ月、それらの品々はそれらの作業場から店先に展示をされてお寺に納入された、いわば職人さんの誇りと自信作の固まりが高徳院山門の全てなのです。

時、バブル景気が始まる昭和62年頃は職人さんを確保する事が建設業者の大切な仕事でもあり、それらの事を思いながら、瑜祇塔同様大変な工事を32歳でしてきたなと、思うと本当に夕暮れ時落涙の思いは、うなずいてもらえると思います。山門が終わると鐘楼堂が同じく洗いの作業を待っています。築地塀も、32歳の私が思っていたとおりの色合いの塀になります。これは色々と経緯があり私が私の力で建立していても色々と思い通りにならなかった事がありましたがこれも思い出です。段々と、美しくきれいになっていく山門の写真をご覧下さい。
ひどい汚れがよく分かります
鬼瓦・・・室町様式 法隆寺南大門の鬼瓦が原型
■11/23 晴れ       山門・築地塀の家洗い…その後
真っ黒けの洗い水が雨漏りのように頭の上から降り注いでくる。25年間に一度も家洗いをしていなかったのでこれほどとは思っていなかった。それにしても家を洗う事も大変大切な事なんだと思いを新たにしました。永代供養の納骨や、樹木葬の納骨が続きます。皆さん大変感動されて満足をされて帰られます。「これで安心です」………一番多くの方から聞く感想の言葉です。本当に大変でしたがこの塔が出た事によりお寺の周りからの期待度も変わりお寺も大変に忙しくなりました。寺の僧侶はこの二週間お休みがないです。私は来週は東京にて葬儀を受けお寺を二日間ほど留守にしなくてはなりませ。

風邪の方は快方に向かい、やっと風邪の不快感から解放されたように思われますが、時折激しい咳き込みにおそわれる事もあります。ただ、左足の親指に激痛を伴う痛風がこの数日続いていました。知り合いの外科の先生に電話で尋ねると「カロリーオーバーだな、こりゃ。シジミのサプリメント飲むと一日で治るぞ。薬局で痛み止めと併用で」その言葉を信じて昨夜、薬屋さんでシジミの錠剤を求めました。朝は気持ちよく目覚め、他所痛みの残る左足に気を遣いながら一日を走り回っていました。このまま風邪の神様は何処かへ飛んで行き、春の光のような明るさとそよ風が私を包んでくれたら、即健康になるような気分です。毎日 色々ありますが健康に注意しています。
■11/19 晴れ       山門・築地塀の家洗い補修工事のその後
思ったより大がかりな作業となってきた。仮設を立てて養生シートがかかるとなんだか工事らしくなってきた。山門は小ら62年以来の屋根瓦に対面した。白く美しく輝いていた台檜の樹肌は25年、四半世紀の風雪に晒され酷い汚れようであった。私が33歳に上って以来の風景に感慨無量であった。鐘楼堂は平成13年師走に除夜の鐘にて落成をした以来であった。よく台湾檜は黒くなり木曾檜は影響を受けにくいと入っていたが・・・台湾檜で作られた山門は木曾檜で建立された鐘楼堂に比べて汚れが少なく材質も相当良質に思えました。

お寺の山門、足場のかかっていない部分は既に水洗いを終え染み抜き作業が待っています。
久しぶりに上る山門の軒裏
一木をくり貫いて掘られた彫刻 富山 井波にて彫られたお品
破風も大変汚れて黒ずんでいます
山門の破風越しに瑜祇塔を眺める
鐘楼堂の足場の様子
昭和62年竣工の山門より酷い汚れ・・・ホントに木曾檜か?信じられないです

風邪引き未だに完治しておりません。咳が酷く出てきます。咳をする度に細かい血管が破れたり血栓が飛んだりしないかと不安で仕方がありません。夕刻、眼科の生から先日早めの受診を勧められていたので「こもれび眼科」へ行き目の瞳を広げて眼底を隅々まで検査していただきましたが、眼圧の割に何も異常がないといわれホッとしてタクシーで帰ってきました。 夜、瞳を広くして黒々とした目になれば猫のように闇夜が明るく見えると思っていましたが眼科の先生に言わせると「余計に眩しくなるので車は厳禁」と言われ泣く泣くタクシーで帰りました。八事日赤の前にある医院なのですぐにタクシーが拾えるかと思えば全然、タクシーはこなくて寒い道路で暫く立っていました。日赤に入る前のタクシーに無理矢理乗り込んでお寺まで帰りましたが車内では、グッとクシャミをこらえ、色々な思いをしながら帰宅しました。
■11/16 晴れ       山門・築地塀の家洗いと補修工事の開始
山門が建立されて今年で25年を迎えました。昭和62年11月8日境内全域を埋め尽くした人の波、立錐の余地のない大変な人出を33歳の私は大変な感動と、死に物狂いの頑張りでやり遂げて稚児400名を含む大法要を終えてから、今年で25年の歳月を迎えました。山門や築地塀は昔の白いきれいな樹齢2600年の台檜の木肌の白さ輝きが蘇り、私の若かりし頃の思い出を目に浮かばせてくれます。丁度その年は亡父の7回忌の年でした。四国善通寺官長さんが導師をお勤めいただき大変親切に、我が事のようにお喜びいただき、微に入り細に入りて大変に親切にしていただいた。今でも本当に心から感謝をしている。 ただ見たこともない僧侶が入れ替わり立ち替わりで読経をしてくださり、二日間にかけて料亭や旅館で大宴会を、人の迷惑も何も考えずに慶賀の宴席を開かせて「良かったな、立派になった」と誰もかも分からない僧侶から声をかけてもらって泣きそうになった事を未だに思い出します。今回の瑜祇塔の竣工式典にはそれらの僧侶は誰一人、式典の席は顔が見えなかった。私も色々と経験と世の中が見えてきたお陰なのか、はたまた、お寺の世間から相手にされていないのか? まぁ そんな人には私はご縁が無くて幸いである。

話は変わる、私の知り合いの中の出世頭、名前を出したら近隣では知らないような男がお見えである。今はある権力の長にある男の事である。友人からの言付けと共に果物をいただいた。その言付けが「この柿は売り物にならない、虫の食った柿だ。割れたり黒く穴のあいた物もあるが食べられる。今は煩いので上物を上げると贈収賄になるので失礼だがお礼の代わりとして貰って欲しい」との言付けであった。

私は忙しかったので頂いた事も忘れていて、昨日台所で厨房の人に「この柿はどうした? お供えにしては酷すぎるな」と素直な感想を述べると先ほどのお話をしてくださった。大凡、人様に物を差し上げたり、進物にするには謙譲語を添えるか、自慢して贈るかどちらかである。私の手の上に乗ったその柿は青いやら赤いやら分からない不均一な柿は、ヘソの当たりが鉛筆の太さぐらいの真っ黒な虫食いが柿の実の中心部へと深く入り込んでいるのを見て、改めて驚いた。ほかの柿を見ても大凡、私の感覚では正直、人様に差し上げるどころか、牛や馬の家畜のえさに紛れ込ませる程度の柿であった。この人生で、色々と人様に大切されて驚くようなお品を時折頂いたり、ほんの小さな物でもふたを開けたら、小さな世界が見えてくるような夢のあるお品、心あるお品を頂いたが・・・・これほどの柿を頂いたのは、母の親戚で屑ミカンで作ったみかんジュースを酒の一升瓶に詰めて貰った時以来であった。

柿には罪はありません。今、その柿は仏様にお供えする気にならず、ステンレスの調理台の上で行き先もなくレジ袋の中で悲しそうに台所の天井を眺めています。明日一つ、皮を剥いて食べてみて見ます。案外おいしかったり・・・・といいですが・・・柿の木の多いお寺に生まれた私には、何となく予感がつきますね。お休みなさい。風邪は、一進一退です。声を出せば出なくなる。寒いのを辛抱するとだるくなる。暫くすると重篤な肺炎になったりすると大変です。一度このパターンで大学病院へ入院しましたので・・・怖
■11/15 晴れ       一日就床
朝からとても起きられる状況でなく一日就床をしていました。先日、家電量販店で親切に色々なPAD機器の説明をして下さった店員さんが、ひどく咳き込んでいて『イヤな咳しているな』と思いつつ説明を聞いていた時に風邪を拾ったと思います。なかなか酷くて治りません。昨日、受診した内科の先生の薬が効いてきてやっと声が少しは出るようななってきました。が、一日就床することは大変です。

知り合いの方は、風邪をこじらせ肺炎になっているそうです。マイコプラズマ肺炎だそうです。お医者さんや医療関係者の方は大変危険な職業と思います。特に大きな病院になればなるほど、危険性は増すと思います病気になって初めて健康の有り難さを感じます。明日は是が非でもお参りに出かけなくてはなりません。明日カラッと起きることができてお参りに出られることを念じて再び休ませていただきます。
■11/14 晴れ       声が出ない…寒い
気持ちが弛んでいるのか、風邪が一向に良くならない。今日は午後から国民健康保険証の受領に区役所に出かけ、その足で司法書士の先生宅へ相談に出かけた。久しく出かけていない内科の先生の受診を受けようと八事まで走りました。慰労会や宴会、祝賀会と色々と宴席が増えるに比例して一ヶ月に一度の内科の主治医への受診回数が減り、本日意を決して受診をしました。不安ははずれ数値も改善され看護婦さんやお医者さんからも一応褒め言葉はありしたが、私の風邪によるガラガラ声に皆さん、心配もしてはくれますが・・色々な事や面白いことを言われてからかわれました。

内科を後にして同じビル三階にある「こもれび眼科」へ受診しました。ここも2ヶ月のご無沙汰でしたが、皆さん大変よくしてくれます。薬を変えたりお話を聞いたり、私の個人的なことをあれこれと知っているみたいで、遠い親戚に出かけてくつろいでいるような気分でした。「よし、先生!。わたしのhpにリンクを張らせてください。宣伝します」「ありがとうございます。昭和区 眼科 と入れても一つもかからないのよ」と少し寂しそうです。左上の女性が院長先生です。暗いお部屋で目と目を合わせてにらめっこをして目の病気を治してくださるのです。私の知り合いで眼の悪い方は殆どここへご案内しておりますので、ご不安の方、目のお悪い方は『こもれび眼科』さんにてご受診をおすすめします。
■11/13 晴れ       声が出ない
もらい風邪を引いて声が出ません。のどは痛いし意思は疎通できないし大変です。いつ誰にどうやって?は確信があります。家電量販店に行ってパソコンやパッドを割っていたらひどく咳き込みながら「何かお探しですか」っと近寄ってきた店員さんが私に風邪をプレゼントした張本人です。冷え冷えする本堂や少し寒い場所で辛抱していてひどく引き込みました。

ここ数ヶ月、大変に多忙で色々と私にチェックや相談の依頼ごとがあるのですがなかなか対応がしきれていません。たとえば今回の工事の起工式から先日の竣工式典の記録映画を確認して数種類の作品の量産をしたいので見てほしいといわれていました。先ほど飛ばし飛ばし内容を確認しましたがとても時間と根気が必要な作品でもあり、第1に気持ちがなければ二時間にも及ぶ作品にはならないです。ご労作に何らかの感謝の意を伝えようと思います。また、式典当時にお手伝いくださった多くのお世話人さんや関係諸氏への懇親もしたいと思っていますが・・・・声が出なくて風邪引いて、ただいま困っています。

そんな中、私室内で使用するお寺のパソコンがwindows8に変えられました。真新しいosに戸惑ったりビックリしたりです。そして、このHPを更新するソフトまでが最新版に更新されていました。今までの古いソフトで十分なのですが・・・これも戸惑いながら老化を防ぐ一つとして勉強をしています。お休みなさい。
■11/09 晴れ       薪ストーブを設置
「薪ストーブ」が私の部屋の中で今日から稼働です。 薪ストーブは大変です。いまポカポカ暖かいのは夏季酷暑の折に精を出して木を切り、枝を払い小さく輪切りにして、薪を割り、集めて積み上げ数年乾燥させて、再び運び出して自室にホコリと虫食いの粉を厭わずに搬入積み直してやっと、火が入るのです。 人にはお勧めできません、絶対に。でも上記の作業を厭わず、薪の気持ちとストーブへの思いやり、苦心惨憺しても薪の炎を眺めて冬を楽しみたいと思われる方には、ぜひ是非のお勧めです。

お寺の境内にはたくさんのナラの木があります、それも大木が。いま全国でナラが枯れる「楢枯れ被害」が蔓延しています。原因は戦後、楢の木を炭や薪にしなくなりドングリが落ち放題となり、知らぬ間にドングリ(こなら)の大木となり数が増えすぎた分、虫の体内にあるバクテリアのカビによる然淘汰が楢枯れその原因と聞き及んでいます。厄介なことに楢枯れ防止処分は、単に伐採しても根から幹まで全て焼却か薬剤中入をしなくては被害拡散防止にはなりません。お寺の楢の大木も数本、枯れました。焼却処分は行政が受け取ってくれません。産業廃棄物となり捨てるだけで莫大な費用がかかります。加えて枝や幹回りが松や楠に比べて格段に大きい楢は伐採だけでも大変です。 伐採→垂直に倒れない→太い幹に登る→チェーンソーで枝を切る→枝を引き出す(馬鹿力必要)→枝を小分けする→粉砕処分をする→大木を引き吊り出す(重機の出番)→大木を小さく切る→重機でトラックに乗せる→薪割実施場所確保→直径60センチ平均の幹を薪割りする→薪を集めて積み上げる→乾燥・・・書けば切りのない作業をお寺の山を守るためには酷暑極寒を平気で乗り越えて作業をしなくてはなりません。愚痴になりましたが境内掃除も屋根掃除、どぶ掃除もそれとは別に私どもの大切なお寺を守る作業なのです。

ホームセンターで薪一束700円程で売っていますが・・・一束燃やして10分・・・薪を作ることは大切であり、今の水道やガスが出なくなったら誰彼無しに襲いかかる作業となります。ガスや水道が完備される前のお寺の山中や近隣はたき物の伐採で全てがはげ山であり、その頃は楢枯れも無かったそうです。自然は偉大でありとても人の手で管理は大変難しいですね。この国に深く根付いた自然崇拝は木を見て森を見て、海を眺めて山を見て畏敬の念を払い尊崇した私たちの先祖のDNAなのでしょうね。キーボードが独走しました。お休みなさい。
■11/08 晴れ       保護司として表彰を受ける
午前中、先日の御砂踏みの後片付け、本堂の床の手直しの打ち合わせ、山門や鐘楼堂の洗い工事等の打ち合わせ、薪ストーブの薪の搬入搬出、芝生の張り替え、新しいパソコンソフトのインストール指示やその後の経過、永代供養の事務の指示・・・午前中だけでも色々ありました。午後からは保護司等の社会福祉協議会からの式典に出席しました。何も大したことはしていないのですが名前を呼んで頂けました。

夕方、依頼していた雅楽舞台の欄干収納の機材が搬入されましたが最後迄立ち会うことが出来ないまま、環境班と境内受付の人に色々とゴチャゴチャ言って日が暮れました。先月より式典や祭礼があり準備や片付けに追われ、また色々な会食が続き私の体にとっては大変な負担をかけたと思います。血糖値も食欲ばかりか種々の緊張で上がっていると思います。お医者さんに行かなくてはなりませんが恐ろしくて行くことが出来ません。もう少し運動と散歩が継続できて手持ちの薬が無くなった頃にブラリと行こうと思います。健康が何よりですが気持ちの健康も、大切だと思います。一方通行の気持ちの通いは寂しく疲れるばかりです。気持ちのボールがが返ってくるような素敵な毎日が過ごしたいです。
■11/07 晴れ       寒い一日
休日を久し振りにとって高山より帰寺しました。私は高山が好きでよく出かけます。平湯とか乗鞍にも近く温泉の条件が揃うところが大好きです。ここ数日お寺は落ち着き始め僧侶も少しホッとしております。ただし、永代供養の受け付けは寺務作業が間に合わないような状況と現場からは報告が上がっています。本来ですと火〜木までは休みなのですが今週は出勤をして貰って寺務作業をして頂いております。

お寺の工事も殆ど終わり、樹木葬墓地、竹垣工事もほぼ終えることが出来ました。境内舗装工事、築地塀の塗り替え工事、木材の染み抜き工事等々まだまだ続きますがお正月までには何とかして欲しいです。あと少しすると正月。今年もあっと言う間に過ぎてしましました。今振り返ると昨年の今頃は東奔西走が連日続きましたが、睡眠だけは薬で無理矢理就床して過ごしました。私の若い頃から持ち合わせしていた夢の一つが境内の夜間照明でした。今、境内山中は夜間、照明が施され、嵯峨野、天竜寺、大河内山荘にも 負けないくらいの竹林が夜間照明に浮き出されて素敵な竹の翠、紅葉のモミジと枝を一杯にのばしております。本当に苦労して手入れをした甲斐と言うものがありました。今独り環境班の方がご入院されておりますが退院後、再び私と力を合わせてお寺の整備に尽力したいと思います。
■11/04 快晴         
先日の瑜祇塔竣工式典、そして昨日の御砂踏みの大祭、前々日からの準備と昨日の片付けと毎日心配の連日が延々と続いていました。昨日も本日も明日も葬儀と色々な予定のぎっしりと詰まる日々を毎日暮らしております。

昨日は40名程のお寺の役員さんやお世話人さん方が大祭の準備からお手伝い、片付けと微に入り細に入りお力添えを頂き無事終了を迎えました。例年ですと色々と写真やレポートをアップできるのですが今年はそこまで気が回りませんでした。後は例年の大掃除を11月半ば過ぎから掛かり初め師走初頭までに全部を終えるつもりです。これからの先は、永代供養の方々の埋葬、収蔵、お位牌の確認やスケジュールの管理等が11月10日より始まります。初めてのことが多く粗相の無いよう万全の準備と注意を払わなければなりません。ホッと一息と思う気持ちもありますが、慣熟までの数ヶ月をこれより迎えます。正直なところ、ホッとした気分になりたいです。

急に寒くなりました。お寺では薪ストーブの準備もしなくてはなりません。薪の燃える炎と煙と香りを楽しみながら厳冬を迎えます。お風邪なぞ召さぬようお過ごしを願います。お休みなさい。