住職備忘録
2010〜
10 11 12 13 14 15 16 17
1 1 1 1 1 1 1
2 2 2
3 3 3 3
4 4 4 4 4 4 4
5 5 5 5 5 5 5
6 6 6 6 6 6 6
7 7 7 7
8 8
9 9 9 9 9
10 10 10 10 10 10 10
11 11 11 11 11 11 11
12 12 12 12 12 12 12
2002〜2009
02 03 04 05 06 07 08 09
1 1 1 1 1 1 1 1
2 2 2 2 2 2 2 2
3 3 3 3 3 3 3 3
4 4 4 4 4 4 4
5 5 5 5 5 5 5 5
6 6 6 6 6 6 6 6
7 7 7 7 7 7 7 7
8 8 8 8 8 8
9 9 9 9 9
10 10 10 10 10 10 10 10
11 11 11 11 11 11 11 11
12 12 12 12 12 12 12 12
名古屋の天気予報
-天気予報コム-

平成29年2月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

■ 2/11 大雪       高野山 専修学院 檜皮葺 起工式
昨年、平成28年3月に高野山へお詣りに出掛け44年前にお世話になり私の青春を過ごしたお寺へ寶壽院(僧侶養成機関で専修学院と称す)へ参詣をしました。このお寺は一般のお寺と違い全く世間とは隔絶したお寺で凛として清浄、修行僧を輩出するお寺の威厳と風格を備えた通常のお寺では全く叶わない、道場に相応しいお寺の内容です。

この備忘録をお読みになられておられる方ならご存じかも知れませんが、私は20年以上、毎月のように高野山へお詣りに出掛け、この10年程はこの寶壽院へもお詣りを致しております。お詣りに行くたびに寶壽院の山門の傷みようが酷く何か機会があれば山門の檜皮を葺き替えるお手伝いが出来ればと思っていました。屋根の耐久性は瓦>銅板>とたん>檜皮と耐久性は非常に弱いのですが建物の完成度は全く檜皮には叶いません。昨年3月、寶壽院監事さんに寶壽院山門前にて偶然お会いして私の気持ちを素直に伝えました。突然の話でありましたが、若い頃から厚誼を頂いている監事さん、門主(住職)さんや多くのご相談役さんにお取りはからいを得て山門檜皮修築工事の申し出を快くご承諾を得ました。またとても私一人では何事も出来ないので四国23番薬王寺ご住職にもお力添えとご援助を頂く運びとなった幸運に恵まれ本日の起工式となりました。

高野山は大雪でありケーブルカーのケーブルが外れるほどの事故もあり高野山頂は大雪と混乱の極にありましたが、起工式時には晴れ間も差す幸運に恵まれ盛儀の内に起工式を終えて頂きました。45年前、何も知らずに入門して門出をなした私はこのお寺に感謝を致しております。また旧高野山の山内寺院であった高徳院の本山僧侶育成機関への微力を寺として行えた幸いを感謝して大雪の高野山を降りました。感慨無量の想いで一杯でした。
大雪の雲から陽が差し込みました
寶壽院門主猊下、宗務総長、法類寺院、修行僧 読経がこだましました
式典後の様子
門主様からのご挨拶
■ 2/3       節分豆撒き
節分の豆撒きを行いました。以前は七福神の着ぐるみを着て貰い盛大に豆撒きをして一年の厄除けを祈りました。ただ、高齢化の波はご参詣される方への危険性を取り除き、またお手伝いをして下さる方々へのご負担や継続性を考えると以前の豆撒きに時間を戻しておく必要性を平成25年に深く思慮しました。加えて私も以前のような体力が続かなくなった事もその事情にありましたが、楽しく出来る限りの豆撒きを大勢の方と行いました。大きな声で「福は内」と叫ぶと、皆さん大変な笑顔になり私も「行って良かったな〜」と思いました。葬儀も重なる節分でした。写真データーの編集が出来ません。後日にアップします。
■ 2/2       寒い1日
年初から色々とお寺の手直しをしております。広い境内での安全を確保するのはとても大変な事です。大木の整理や竹藪の手入れ、土圧による石柱の傾きとか色々な面での対応が大変です。石柱を移動して土圧に耐えられるようにやり直し工事です。
右端に建っている石柱は移動してまたこの場所に設置されます
瑜祇塔内にて人気の宮型納骨棚 増設工事です
樹木葬の紫陽花墓苑は完売してしまい新たに増設しました。
樹木葬の前の紅色の梅です。郡上八幡から運んできて私達で移植した物です。今年で5年となります
本坊内に少人数用の葬儀場を新設中です。畳からカーペットになっただけですが
天上も床も断熱材の固まりです。昨春増改築した寺務所は僅かな光熱費でとても快適です。
右側の屏風は昨日表装からお寺に戻ってきた二双六曲屏風です。