先月に戻る

■3/31 日 晴れ 鐘楼堂落慶法要
好天に恵まれ多くの方の参詣を得た 午前中の大般若経転読の参加者は初めて見る転読に満足していただいたと感想を聞く
ただ初めてのせいか予想ほどの人出はなかった 午後からは落慶法要及び稚児行列があった 午前午後の2回に餅まきをして好評を得た 夕刻より打ち上げ会をする 実の所、風邪を引いていて声が出にくかった 天候だけはどうしようもないが好天に恵まれた事が、有り難かった 打ち上げ会の席上で「三重の塔」を父の33回忌に建立する事を話してしまった また始まってしまった「自分を追い込む事を」・・・・

■3/30 土 晴れ 暖かい
夕刻より打合会をする 40名ほどの世話人さんと最終のリハーサルをする 

■3/27 雨/晴れ 少し寒い 花冷え
半日ほど書類の整理や手紙の整理をする 住職代理出張 稚児の打ち合わせを法衣屋さんとする

■3/26 火 晴れ
落慶法要の準備と大般若の用意を進める 御札の準備やその他は婦人会の方々のお助けで完了した さヽ酒祭りの受付の準備をする 大変に華やいだ受け付けになる  あちこちからも当時の分の祈祷申し込みが来簡がある 当日の天気を願うばかりである  副住職・住職代理休み


■3/24 日 晴れ/曇り 花冷え
お腹が一日中痛い 笠寺観音の息子が「腹が痛い痛い」とhpで訴えていたが私も痛いです 少し収まったのは薬のせいか?
葬儀や法事で一日中バタバタする 副住職・住職代理が奮闘してくれた 情けない歳のせいだと思う 少し弱気か? 少し休むかと思っていてもする事がたくさんありそんな気にもなれない 

■3/23 土 晴れ/曇り 寒い
とうとう医者に行く 絶対にご飯を食べない 安静にしている事を言い渡される 昼3時まで就床 4時ごろに名古屋西区愛知葬祭社長金森氏を訪ねる 香炉の打ち合わせ その帰りお稚児さんの土産お菓子の見本の打ち合わせに菓子問屋へ出かけて見本を作り少しお菓子を買って帰寺する 途中胃痛がさしこみユニーで腹巻を買って保温に勤める 書き込みを忘れて今、パソコンに向う 落慶の当日は晴れて欲しいな 今から22年前の落慶のときは土砂降りの雨で悲しい思いをした もう父が亡くなって22年今年は23回忌 本当に年月の過ぎるのは早いものだ 住職代理御通夜 副住職法事でバタバタ でも私は幸せです
昔だったら何でもかんでも自分でしか出来なかったが今は心強い副住職と住職代理がいる 健康に気をつけよう

■3/22 金 晴れ 時々曇り 寒い
副住職休み 枕今日に住職代理出仕 住職午前中ダウン 午後5時より僧侶8名で落慶法要の打ち合わせと実際を試みる 何でも事前にチャンと打ち合わせをする事がトテモ大切と痛感した 夜、胃痛を引きづり会食会に出かける 胃痛酷し
でも話は楽しい 10時ごろまでガヤガヤする

■3/21 木 曇り 時々雨
彼岸法要に沢山の人が来られた 沢山のお接待の赤福餅も本の少し残すのみであった またご寄付やメッセージも沢山ご持参頂き恐縮する 4/1に最後の建設費を支払うことになっており全てをその費用に賄います 法要はちょうど一時間皆さん本堂境内書院等でお経が終わるまでお待ち頂き法話の後、お接待となりました デジカメでその様子を写すつもりがバッテリーが上がりご紹介が出来なくなりました 紹介できないのは落慶法要の内容でこうなったら当日の様子をご紹介するほか無いです
午後より世話人さんが集まり世話人会の会議がありました 私が作った凡その打ち合わせ用の式次第により副住職が議事の進行をする 当の住職はとうとう胃痛で倒れてあえなく二階で就床してしまいました 皆さん済みませんでした


■3/20 水 晴れ
彼岸法要の塔婆、契証を書き終えて最終のチェック体制に入る 寄付札を書いて掲げる 落慶法要が31日で寄付のお願いを始めたのが今月初旬、時間が無いのに皆さんよくしていただける この先が見えない時期にあり難い話です 同じく20年後に届くメッセージもドンドンと届き始めた 明日は彼岸法要沢山のお寺さんがお見えになる いい人ばかりのお寺さんだ 難しい人権威ばった愚かな僧侶は一人もいない 天気を良くしたいです 胃痛が酷くここ3日ほど息が出来ないほどだ

■3/19 火 晴れ
世話人さん婦人部の方々が一日中お札の作成、法要の準備をしてくれる 午前中愛知葬祭金森社長さんの所へ出かけお寿司をご馳走になる 香炉を求めるに社長さんに相談に上がった 色々な業者や値段の事も一生懸命に相談に乗ってくれた ありがたい人であり感謝する お昼頃、世話人さんのお昼をお願いする事を忘れ早速手配をする 物忘れがひどい気がする

■3/17 日 晴れ 暖かい
一日落慶法要の打ち合せをする 多忙

■3/16 晴れ 
通夜をする お彼岸の申し込みがたくさんあり塔婆書きを明日より開始する ご寄進も皆さんお持ち頂いたり振り替えて頂いたりで有難い事です 稚児も400名が参加する事なりまた「慶讃行事の大般若経転読」の案内状も約8700通の送付となる 当日はお一人にでもお喜び頂ける様に世話人さんと力を合わせ良い落慶法要をしたいです
皆さん応援して下さい

■3/15 晴れ 
ホテル木曽路の社長さんより枝垂れ桜の高木が3本寄贈され午後より植樹する 

■3/13 晴れ 境内の敷石の見本を工事店が持参する 総計25トンも石がある 一度に運びきれず2度にわたり搬入する予定 来月中に竣工予定

■3/12 晴れ 暖かい 
女性世話人会さんが落慶法要の案内状の封筒つめを一日中してくれた 明日も半日出てもらえる お世話をおかけします 副住職茨城出張 長野県南木曾町のホテル「木曽路」の中村社長さんよりシダレ桜の大きい木を3本ご寄進頂く事になり15日に搬入されてくる電話があった 境内の50本の桜も昨年社長さんより寄付の申し出があり、参詣者の目を楽しませてくれるであろうしたいへん有難い事である 明日はユンボを山よりおろして植え込みの場所を堀起こして肥料をまき腐葉土を埋め込み万全な対応を準備しよう 本当にありがたい 実はこの枝垂桜を鐘楼堂へのご寄進の記念品と考え、全国桜の会理事の中村社長に購入の相談した所、寄付の申し出を頂恐縮して頂く経緯があります ご寄進頂いた方は毎年、桜を愛でて頂き鐘楼度記念品を毎年受け取ってほしいです

 夕方、私の仲人の奥さんより「主人が亡くなり3回忌を済ませていただきました 三回忌が済んだら亡き主人より『住職はオレが死んで3回忌も過ぎるとオレの事を忘れるといけないから100万円を寄付するように』と言われておりますので」と少し悪戯っぽい顔して申し出がありました おかしいやら嬉しいやら私が用が無いやら複雑な気持ちでお話を伺いました 「来月境内に敷石工事を致します 本堂正面に将来据え付けする予定の香炉鉢のために水平な1平方くらいの場所が作ってあります そこに香炉鉢をお願いしましょうかね」 奥さん「それは良い 亡くなった主人も喜びます」 住職「場所的には本堂の前で一番目立つというか邪魔な所というか」と久し振りに仲人さんと楽しく春の宵を歓談して過ごしました 早速愛知葬祭金森社長に品を手配していただくよう依頼の電話をしました
何だか毎日飛ぶように過ぎていきます

■3/11 晴れ 暖かい 桜の蕾も少しほころび始めた
月例会議をする 落慶法要の叩き台の原案を作る 大変だ 稚児だけで1200人ほどを想定 車の整理等課題山積 接待の事も課題となる 松井建設より鐘楼堂工事引渡し書類を取り交わす 警備会社との打ち合わせ 午後より藤田学園火葬祭慰霊法要を執行する300人ほどが雲上楠会堂愛昇殿で慰霊 住職 副住職 住職代理の3名で執行 終了後印刷物や書類の整理
住職代理東京出張
松井建設より加賀人形を頂く 人形はまといを持った人形でまといの上には「香華山」「高徳院」「松井建設」と書いてあった 社寺建設は「松井」「松井独特の社寺」で有名で、20代の頃から念じていた会社から品を受けるなんて感激である

■3/10 晴れ 暖かい
法事やお参りでゴタゴタする 約束の時間を守り切れなくて約束の人を待たせてしまった 日曜日に競馬があり大渋滞 そこえ寺の前の道が何の連絡もなく通行止め 一体全体どういう積もりなのか首をかしげる
印刷物の仕事を住職代理と刷る なんとか上手く当日の落慶を迎えたい.

■3/9 晴れ 暖
腹の立つことがあった それは人が毎日廊下を清掃しているにも拘らずその廊下を土足で上がりこみ畳の上まで歩いている年の頃28歳の男を発見 境内の受付より飛び出ていったその男に「お前は人の家に上がるのに土足で上がるんか?」「出て行け二度と来るな!」と怒鳴ってやる 境内には連れの男がいて此方を見ては頭を下げていた 暫くすると彼方此方で記念撮影やら受け付けの前を堂々と歩き笑顔さえ見える 人の倫理観や善悪はどうなったんだろう??
腹が立って昼から怒っていた バタバタで一日終わる
境内敷石工事を発注する

■3/8 晴れ 
落慶法要の印刷物を刷る 一日追われる 葬儀を執行 松井建設叶X田部長・寺地氏鐘楼堂の受け渡しの打ち合わせと三重塔の打ち合わせ 綺麗な塔ができるといい 

■3/6 小雨/曇り
落慶法要の準備をする 及びお彼岸法要の準備も進める 毎年沢山の方のお参りがあり粗相の無いようにしたい 稚児の申し込みが毎日10人以上の申し出があり関心の高さを物語る 今まで現在午後11時 お風呂に入って寝ようかと思ったが備忘録を思い出し再び机に向かう 字を忘れるというが私はパソコンのキーボードの指運びが段々と衰えてきた 力がなくて正確さが無くなり入力ミスが多すぎる 先日脳のMRIとMRA検査をしたが別に異常はなかったが・・・
そうだワープロソフトが悪いのか 困ったもんだが段々と年のせいを感じる 若くは成らない老いるばかり 老いぼれていくより上手くふける準備を心がけよう その為Iは健康だ 心も体も健康が一番だ でも私は・・

■3/5 曇り 
昨夜 旅行代理店の方と色々とお参りの打ち合わせをしてとうとう母の見舞いに出かけれなかった 今日は行くぞ 待ってねね
住職代理東京出張 副住職お参り 私 事務で終日机に向かう 眠いのと目が悪くなるのと運動不足
紙をインターネットで昨日の午後に発注したらすごい値引きと、午前中に届いてしまった 大恐ろしいけどありがたい

■3/4 晴れ 母の誕生日
母の誕生日だった 今は老人健康保健施設で毎日を過ごす 色々子供の時にオムツから洗濯、病気の看病、学校のこと、父が亡くなり色々と心配を掛けさせておいて、病院に入れておかなければならない自分勝手さに辛い思いをする 
ある夏の事だった 未明「おかあさん お腹痛いよ」 母は飛び起きて「そうか 待っていろよ」と言って何をしてくれたか忘れてしまったがその事が、白髪交じりの母を思うと本当に悲しい 厳しい母だったが暖かい手の感触を忘れない 寒いときに履かせてくれた靴下 泥だらけの手をお湯を薪で沸かして指に石鹸をつけて洗ってくれた 
「くすぐったいよう」「ほーら きれいになったね」 私はヤンチャノ無茶をする子供だった あるとき小学校の近くの駄菓子屋へ買い物い連れて行ってくれた 「お宅のお子さんですか」「はい」「元気がいいですね」「・・・・」 母に叱られ何で叱られたかが分からぬままに大人になってしまった
知らず知らずにも母には思いが多く、親子断絶とか家庭崩壊とか口も聞かないなんて、幾らオオチャクな私でもその言葉が理解できなかったし、今でもどうしてそうなるか分からない
見舞いに出かけて「大好きなイモ」を持っていいてあげよう 私を元気に産んで育ててくれた一本気で裏表の無い母へ


■3/2 晴れ 暖かい
午前中 法事 お参り等をして 午後より落慶法要の準備をする また彼岸法要の準備も同時に進める 多忙であった 当寺職員の父君が亡くなられた 昨夜危篤の知らせを聞き私が乗せて病院まで連れて行ったが午前2時ごろ無くなられた「今父が息を引き取りました・・・」力なく電話する声を聞き、昔の22年前の自分を思い出した

■3/1 晴れ 暖かい
昨日より四国与田寺へ出かけて夕方に帰寺する 与田寺には蓮生善隆前善通寺管長さまがお見えであり今年度より四国参りを始める予定で、信徒の方をお連れする事を報告に上がりました また私どもの企画主催に他の旅行代理店も賛同され、心のこもった巡礼を予定しております
 毎回寺の僧侶がバスに乗り弘法様のお開きになった四国の地をご案内して、昨今アルバイトの先達でなく真言宗の僧侶がお連れする四国八十八カ所の巡礼を企画しました 前管長様はお喜びになられ御推薦のお言葉と書面を頂きました また前管長様のお寺は元々は四国八十八カ所奥の院と称されお参りの最後にお伺いするお寺でもありました 年間に数度のお参りとなると思いますがよろしく願いますと言葉をおかけして失礼してきました 「湯川君、元気でやってくれ 来て頂いたら私がいたら必ず御挨拶させてもらう」と本当に心温まるお言葉を頂きました
 失礼して車に乗り振り向くとなんと手を振って見送る管長様のお姿がありました カッコの良い事や人を驚かす事ばかりを述べて平伏させる偉いお坊さんには沢山お会いしたが、私みたいな者に駐車場にまで見送っていただく管長様は、初めてお会いした昭和62年6傑の善通寺の大玄関までお見送り頂いたあの時と一つもお変わりありませんでした  実るほど頭の下がる稲穂かな 管長様を稲穂にしては申し訳ないですが、凡そ位人臣を極めた方の行いに改めて深く自分を戒めました