備忘録

住職備忘録
12月分
■12/31 大晦日
今年も終わります。一年間お付き合い頂きましてお礼を申し述べます。来年はどんな年になっているのでしょうか?私は49歳に2月1日なります。大切に育ててくれた母は施設に入って数年となります。何もできない私ですが一日も長生きして私を叱って私の冗談に大笑いしてそばにいて欲しいです。
桜の花を二人で眺めながら「お婆さん、来年も桜を一緒に眺めてね」「有り難う」と母と言葉を交わして数年後、母は入所した。もう少し早く病状に気が付いていてあげられたらと悔やむ事しきりです。来年も同じ事が書ける事が私の唯一の望みです。皆さん来年もよろしく願います。

■12/29 寒い
親しくしている知り合いが一昨日、交通事故を起こしてしまった。過労の居眠りで悪い事に三重衝突だったそうだ。幸いな事に物損だけで済んだだけでも良かった。この秋頃から急に笑顔が無くなり、元気消失と言った風であった。ある時は近所の自販機でドリンクを買ってボンヤリしているのを見た事があった。こんな遅い時間までと思い声もかけずにお寺へ帰った。彼の顔が曇り始めたのは、新しい責任者が転任されてからであった。彼の店へも時々伺うが今迄の責任者の対応は責任者らしかった。しかし件の責任者は、相当違った様に私にも見える。一言で言えば「人の手柄はオレの物、オレの失敗は他人のせい」今迄明るかった店内は恐怖と緊張が漂っているのは来店した私にも感じられ、他からも聞こえ始める始末となった。その件の責任者が暮れの挨拶と称して部下を引き連れて突然上がり込んできた。私は原則的と言うか反射的に応対に出た。藪から棒に「ゴエンジュ(住職の異称、私は嫌いな言い方)競売の500坪の土地を買わないかこの近所なんですが」なぞと住職を始めてこの方23年来、初めて面食らう脈絡のない話にこの男の人となりを考える事を止め、お付き合いも辞めようと応対しながら考え始めてしまった。そして彼の交通事故。哀れなるかなである。
昔、岩陰部隊長と言う、平時は部下には威張り飛ば目上にはしゴマをすり手練手管で出世し、戦争時は部下を危険際なり無い所へと突撃を「岩陰に隠れて」命令する男、岩陰部隊長。しかしこのような手合いもこの世の中に結構いる。
私は時々思うのです。無心に母を見つめお乳を飲み、手を繋いで日が暮れるまで遊びほうけて来た人間が何処でどうしてこうなってしまうのか?「それは住職が幸せに来たからだ」と人は言う。そうか?そうかも知れない。人の一生で「三つ子の魂百まで」と言うように幼少の時の経験は大人まで影響するのでしょう。しかし何処かで気が付く時があっても良いはずなのだが。やはり私は性善説者なんだろうか?。と言う事に落ち着けたら、いつも性善者は性悪者のために必要となる。人の良い物バカの内、でもやはり私は恥ずかしいし事はしたくないし、相手を大切にして人生を送りたい。その為には人の海の中で溺れない事だと思っていると言ったのはついこの間だった。

■12/26 
サーバーの調子が悪いみたいでこの備忘録も上手く載るかどうか分からない。お昼頃、見た時はindexの画像が無かった。最近、メールの調子もおかしい。当寺の職員に聞くと「光ファイバー、bフレッツ、ヤフーBB」と色々言ってくれる。何がよいのか分からない。この間の友人との会食でも午前様になるともうダメだ。体の不調を訴えて倒れそうになる。若くな事を身を以て感じる。来年はどんな年になるのか?。病気だけはごめん被りたい。
星祭り、除夜の鐘の準備で気をとられ新年の更新をどうしよう・・・ 誰か助けて欲しい。が自分と同じ人は何処にもいない。自分で踏ん張るしかない。


■12/25 クリスマス
今夜は友人に誘われて忘年会に出かける。明日の晩も予定が入っている。お酒を飲まなければいいのに楽しくなると飲んでしまう。昨日の新聞のコラムを読んでいたら面白い事が書いてあった。クリスマスと言う季節の行事は日本ではいつ頃から習慣となったかと言う少し興味の湧く内容だった。私も全部は読んでいないがともかくサンタクロースは始めはあの赤いユニフォームは着用していなかったそうです。日本の最初のサンタクロースは何と裃(カミシモ)姿であちこちの家に届け物をしていたそうです。著者は「突然上がり込んできた裃姿のサンタには驚いただろう」と感想を書いていた。またあの赤いサンタの扮装も元々は某コーラ会社がサンタに扮してプレゼントをした所から発したと書かれていた。考えてみればあの赤色とサンタの赤色は同じような色に思えてきた。まぁ、所詮人がこの世の中、全ての物を人が創り出したのだからコーラ会社のサンタであろうと裃のサンタであろうと誰でも構わないが今の世の中「裃サンタ」の方が受けるかなんて一人で思っていた。除夜の鐘の準備で一日を費やした。副住職、住職代理本日休養日。

■12/23 天皇誕生日
やたら彼方此方でクリスマスソングが聞こえる。頭がおかしくなる。別にお寺からアチコチお詣りに出かけるだけの筈なのだが・・・。あと一週間も経てば今度は朝から晩まで「おめでとうございます」の連呼が始まる。まぁいいか。以前、クリスマスシーズンに子供達と海外に出かけた事があったがこんなバカ騒ぎは出会った事がなかった。だいたい飛行機内でも「Season's Greetings」と書かれ何処にも「Merry Christmas」のデコレーションは見た事もない。ホテルにしても然りでした。サンタに扮した従業員一人が精々アメを一本、子供に「メーリィ〜クリスマス」と言ってプレゼントしてくれても、二本もくれない。無論街中は静かなものであった。どうしてこれ程までに賑やかで騒ぎ立てるのか不思議に感じ少し考えてみたが、所詮詮ない事。そして元旦から始まる、どのチャンネルを回しても・・・私は三が日はニュース以外見ない事にしているがつい見てしまう。漫才、歌合戦、普段聴きもしないシンフォニック、隠し芸大会、どうかしてると思わないのが変なのか。変なのであろうな、だって毎年毎年同じ番組ばかりだから・・・。
しかしテレビを見ている側に立って番組の放映目的の落差が天と地程著しく激しいのは「紅白歌合戦」と「ゆく年来る年」のあの二番組が何時も私には奇異に映る。たった今迄大バカ騒ぎをして、とたんに涼しい顔してしんみり番組に豹変できる気持ちが知れない。だからと言うよりそういう民族性があるからこそ戦後の焼け跡からここまで来られたのかな?? 昔「軍人勅諭」の中に「恥を知るものは強し」と言う一文があった。「恥を知らない物はもっと強い」私の乏しい人間関係の中で何度も何度も人の海で溺れると「やはり」と確信してしまった。でも、やはり私は恥ずかしいし事はしたくないし、相手を大切にして人生を送りたい。その為には溺れない事だと思っている。


■12/20 葬儀で多忙
ケーブルテレビ局の取材を受ける。除夜の鐘の事で取材をしたい旨の依頼を受け快諾する。除夜の鐘はどうした108なのか? この鐘楼堂の名前の由来は? どんなお接待が受けられるのでしょうか?等々私のhpを見れば分かるような質問だった。やはりこの寺の住職という名前の付いた人間から伺いたかったんだろうかな?なんて自分で勝手に解釈をしてしまった。因みに愛知県下の名古屋市緑区、豊明市、日進市、東郷町の地域で見られるそうです。お暇な方はどうぞご覧下さい。
しかし今日のご葬儀の方で、亡くなられたのはお婆さんかと思っていたら息子さんだった事はショックだった。まだまだ元気で種々の楽しみもあったのに・・・・お婆さんは痴呆症で介護施設でご療養・・・正気であったら倒れてしまうような逆さまの事実。私も母を見舞いに病院へ出かけるが、意識もない白髪の老婆の手を握り頭を下げて、たった一人でベッドの側で見つめるばかりの私と同年配の人の姿を見るたびに心痛む。親に受けた愛情は何にもまして代え難い。父母恩重経の一説が頭によぎる。「十月十日の後、骨節ことごとく痛み子を産む、母の乳を糧と為し、母のヒザを遊び場と為す、自ら糞まりても厭わず・・・」両親の愛情を説くお経である。痛み入るばかりだ。


■12/19 忘年会の日
腰が痛くて整形外科医を訪ねるもダメ。でによって私の信頼する漢方医であり藤田保健衛生大学創立者故藤田啓介先生のご長男、藤田興先生を訪ねる。丸薬を口に含ませて整体を施し本当に軽くなった。新設された病院を隅々まで案内して貰った。「先生、この機械高いでしょ?」「うん ポルシェ三台分」「えっ ・・・」。「住職、貴方のお知り合いで老人保健施設を入所希望の方がお見えでしたら言って下さい」とも私の立場を理解して話をして頂いた。母ばかりか檀家さんの中で困った方がお見えで有れば言って欲しいとの事であった。言葉は言葉、気持ちは気持ちとして心得ましたとお伝えした。体も気分も別人のように良くなり、痛みも消散して忘年会の名古屋へと繰り出した。
今日の忘年会にはとても楽しみな人を招待してあった。その方は既に70歳も超えたとても愉快な住職である。昨夜の大笑いした放言録を少し紹介しよう。「オレは人を見て調子の良い事言う奴大嫌いだ、そう奴は銚子の生まれだ」「オレはヤクザは恐くない、昔パチンコ屋で玉が出ないので因縁つけたらヤクザが沢山出てきた。『ガラス割ったろか?』と言ったら『やれるならやってみろ』、コッカらがオレの偉い所だ『おう 割ってやる』と言って店中のパチンコ台全部を割ってやったら『ヤクザ』でなくパトカーが来た、オレはヤクザは恐くない」と大笑いして話していた。店の女将さんに紹介したら「高徳院の住職に誘われたから下見にこの間来て、シコタマ飲んでいたので顔は存じてますよ」なんだ来たんだと思った。「おう住職会費は?」と私に尋ねる。「元気な住職さんの顔が会費だから来年も来てね」と応えると「オウ、今からチョットオレに付き合わないかい?(悪戯っぽい顔して)良い所有るから・・・」「ううん・・・」と思ったが「明日葬儀がたくさんあるので今回は」で失礼した。
早く帰り10時半頃就床した。他の人達は夜のネオン外に消えてゆき、あの豪快な住職は一人で何処へ行ったのか?? 「良い所」へ行ったのか?? 無性に布団の中で行き先が気になった師走の星降る夜、でした。


■12/18 寒い
久し振りの休暇に出かけた。お寺に帰ったら葬儀が3件も入っており、藤田保健衛生大学医学部の葬儀も3件入っていた。副住職にも住職代理にも申し訳ない事をしたと反省した。休暇と言っても用事を済ませながらの旅であり近所の温泉を巡る事を楽しみにしているだけである。20日の月例会議は順延、19日の所縁の接待忘年会は当寺の僧侶全員が遅延という事になりそうだ。今年の忘年会は「やまとろ」と言う山芋屋でする事にした。夏は夏仕舞いと言うお盆後の慰労会を毎年する事になっていたにも関わらず、行う事が出来なかった。山芋はとても精の付く食材らしく「おっさま、チャンと食べやーせ」と女将がお詣りに来て進めるがままの忘年会となった。読者の皆様、忘年会は若い頃は待ち遠しかったが今この歳になると「気をつけて飲もう」と言う事になりますね。どこかの製薬会社のコマーシャルソングが酩酊した頭の中を何度々々もうるさくがなり立てた苦い思い出・・・。若い頃を思い出す。

■12/14 晴 寒い
今日は愛知葬祭の新社長さんがお越し頂き楽しいお話をさせて頂いた。途中来客があり早々に帰られたがまたお会いしてお話をしたい。
先程までNHKの三大テノールの番組を見ていた。今年の6月27日横浜アリーナでの録画であった。パバロッティ、ドミンゴ、カレラスの迫力有る歌唱にテレビを見ながらカーテンコールをしたのは初めてであった。フィナーレはベルディ「乾杯の歌」であった。聴衆も聴視者も素晴らしい演奏と堪能するテノールに感激をしながらカーテンコールの手を拍った。期待に添ってオー・ソレ・ミオを三人三様の持ち味で歌い上げ、迫力と何にも勝る実力で聴衆に十二分に応えておられた。スタンドコールで駄々をこねる聴衆に再度カレラスのオーソレミオが始まると館内最高潮に達した。幸いを分かち合えるとはあの事を言うのであろう。因みに私はドミンゴのグラナダが一番好きである。それもかつてニューヨークのホームグランド「ヤンキースタジアム」の特設会場での三大テノールの番組を拝見した。人間の創造した最高の芸術を拝聴するため、礼服にドレスに身支度を整えた聴衆の前で、風に髪を撫でなれながらドミンゴの歌うグラナダに、我を忘れた覚えがあった。人は才能と努力と冥助によってこれほどの人間に感激を与えられる者になれる者だと感心した。かつて学生自分にベルディの人となりを読んだ事があった。一人の評論家に認められるよりも万人に愛された方が素晴らしいと唸った美空ひばりの事を思い出して今夜は少し早めにやすむ事にする。では

■12/12 晴れ 寒い
電話機を全部入替える。昭和60年に入替えて以来であった。寺内電話は全てで16台。コードレスが1台である。境内は広いのでアンテナを2カ所設置してカバーする。ビジネスフォンが進化しているのでこれをまた勉強するのも一苦労である。内線番号も転送も、短縮操作も全て最初からやり直しである。まあ、良いか。
一日中かかって電話機の設置をされて帰られた。ご苦労様でしたが、今度はこちらがご苦労様の番である。久し振りに金森愛知葬祭会長とお会いして歓談する。魅力ある人だ。夜、私より倍も年齢差のある方と夜の街に出かける。帰宅は午前様であった。

■12/11 晴れ 厳寒と言えば言い過ぎ?
母を、イモ饅頭を持って、見舞いに出かける。何時も私を見つけてくれる母がいない。どうした事かと病室を数室見て名札のある部屋にはいるとベッドがない。何処かウロウロしているのかとナースステーションに赴く途中にお医者さんにお腹を見て頂いている母の姿を発見した。熱が有り吐いたとの事。手を握ると冷たい。いつもより状態が悪い。他の患者さんもいつもに比べてみんな状態が悪い。「おかあさん、気持ち悪い?」と聞くと「・・・」タダ私の方を見るばかりであった。看護婦さんの手伝いをしてベッドを個室に入れ座薬を入れて頂いてしばらく様子を見ると寝てしまった。大丈夫かな?っと思って病院を後にする。夜10時頃緊急入院で隣の病院へ搬送された。高齢者の場合は何時何が起こるか分からないと思う。今日は色々あった。疲れた。明日にも予定が一杯詰っている。終わり次第に母の見舞いに出かけるつもりだ。心配でロクに寝られない。

■「12/10 
市内でクリスマスの夜景をデジカメで写しに行った。少しご覧下さい。私のお寺から車で5分以内にお家をこんなにデコレーションしているお家がいっぱいあります。少しピンぼけの写りもあります。撮り直して再度アップしますが一度ご笑覧下さい。


■12/6 曇/小雨
住職代理が急遽大阪出張、副住職が頑張ってくれた。私は年末の種々の準備や来客で過ごす。今日から安城市の愛昇殿がオープンするのだが少し天気が気になる。たくさんの人達が来て頂けたら幸いだ。ここの社長さんや会長さんにも大変お世話になっている。天気だけはどうしようもない。

■12/5 晴 暖
松井建設専務取締役さん、名古屋支店長さん、他2名が来訪された。色々な世間話や建築の話等楽しい時間を過ごす事が出来た。四季報に社寺の松井と言われるくらいの上場会社である。元々は富山県の出で加賀藩の普請大工が振り出しだそうです。社寺の松井建設と若い頃から知ってはいたが、ご縁を頂いて既に17年になる。社長さんも数度ご来山して頂いたが、この度は松井建設の専務さんであった。お寺では山門、本堂修復、鐘楼堂等々色々お世話になり、社寺建設で信頼の置ける設計と堂宮大工を抱える建設会社で良かった事を告げた。無論次回の「三重の塔」工事も経験豊富な建設会社にさんにお願いしたい気持ちである。現在の支店長さんとは17年来のご厚誼を頂き、四代に渡る名古屋支店長さんとの付合いとなった。私の建設会社を決める判断材料は「図面のきれいな会社と値段のきれいな会社」だと遠回しに専務に踏ん張りをお願いをした。私の冗談にも真剣さが伝わったのか良い雰囲気で帰られました。
 話は変るが念じていると幸運はやって来る物と思った。私は携帯電話を昔からトランシーバーのような形の電話が好きでそれ一筋であった。ところが写真が写り、メールが送れるという謳い文句で折りたたみの電話を購入したが私の性分に合わなかった。重い、開閉面倒、基本操作の違いで嫌で堪らなかった。で世間中の電話屋さんを回ったが既に製造も販売も終わりでホトホト困っていた。先日、寺のもう一台の携帯電話が壊れたため新規購入のために午前中、何気なく入った電話屋さんへその話をこぼしたら「それならここにあるよ」と運良く私の探していた携帯電話があった。それを何とタダで譲るというのである。少ししか使わなくて機種替えした物で、私は喜んで頂き隣設するドコモショップで元々の番号を入れて頂き、希望の電話機が再び私の手のひらに戻ってきたのである。私は昔から欲しい物は欲しいと念じて気長に探し求めていると、何時も向こうから不思議に私の手の中に入ってきてくれる。人にしても何にしても・・・東証一部上場の専務さんが支店長さんを率いて来てくれるなんて23回忌の済んだ亡父が聞いたら「このほら吹きが」と信じてくれないだろうな〜。


■12/4 雨
久し振りの雨となる。やっとスズメが鳴き出しこれから天気が上がるのか?? 午前中でお詣り等は全て終わったために副住職・住職代理は休日となる。代理は午後より名古屋へ。明日もお休みの予定だがお寺は何があるか分からない。私はDVDの「浅間山荘突撃」のビデオを二日の日に深夜二時頃まで見ていたのでそれが祟ったせいか眠くて眠くて終日えらかった。もちろん昨日の大掃除はモットからだがだるかった。若くない事を実感する。

■12/3 大掃除の日
今日は8時30分より月例会議を開き9時より先月の月例会議承認の大掃除計画書を元に開始された。細かい部分は各担当でゴソゴソ始めていたので、大まかな所や多人数での箇所の清掃が為された。10時45分より小休止で再度打合会、お昼は全員での会食と世間話で花が咲き、午後も3時頃まで各所を清掃した。とても疲れたが夕勤行の折りには大変清々しい思いでお経をあげる事が出来た。


■12/1 日 法事等で忙しくする
久しくお会いしない遠い親戚筋の法事に招かれてお参りをさせて頂いた。お互い成人して結婚をしてそれ以来、10年以上も逢っていない美人姉妹にお会いした。かつては大変な美人で、母も私たち兄弟のお嫁さんに望んでいたという事を人から聞いた事があった。美人には恐らくは沢山の恋敵のライバルが多く、私の様に半ば放蕩息子のような者はライバルとしてはあり得なかった。それはツンとした知的美女でその頃、何とも思わなかったと言えば彼女たちに失礼か?? 10年以上お会いする機会無いにも関わらず、お会いした瞬間に私は「いや〜昔と変らずきれいだね」と言ったら「あら 嫌だ お上手言っちゃって」なんて軽くあしらわれた。でもまんざらでもなさそうでもあった。事実、それなりにキレイデもあった。
お経の後で、楽しい昔話に花が咲き気が付くと1時を過ぎ辞去を告げて帰寺した。「今度は何処かで逢ってお酒でも飲もう」と言われた言葉だけが、少し嬉しかった。本気なんだろうか?? 何という法事なんだろう。(反省)