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■11月30日 晴れ強風 台風のせいか少し暖かい
お寺のパソコンの大元締め「サーバー」がまたも壊れてしまった。変な予感がしたので毎日毎晩データーを保存しておいたので支障は無いが、それぞれの端末が使えない。予定管理も問い合わせも困った事となる。明日ぐらいにバックアップのサーバーが来て何とかなると思う。
本堂の大掃除を寒くならないうちに夕刻より始めた。清清しい気分になり仏様もお喜びになっておられると思う。暗くなった本堂に一人でたたずみ色々と思いを重ねた。年月の過ぎるのは早いものだ。来年が目前に迫っている。若い頃は秋が好きな季節だった。落ち着いた雰囲気で何となく充実感を感じることの出来る季節と思っていたが、最近ではやはり春ですね。人は無い物を望むという。私にはもう春が無いのかな??いやいやこれから秘めたる志も有るので弱気にならずに心掛けて毎日を過ごそう。

■11月27日 晴れ  
随分と備忘録を書き忘れていたと言うより、更新をしなくてはならないと思いつつ「まぁ良いか」で不精をしてしまった。他にも色々と出来事があり時間も無かったのですが。
高野山で修行していた時の同窓会を大阪の阪急ホテルで行った。私は途中の2次会で失礼をしてしまった。学校でてから30年と言う月日であるが私はお寺へ入った歳は18歳、初々しい小僧であった。着た事も無い僧依を身にまとい、正座してお経を読み、大学の教授連の講義を受け掃除や台所、洗濯、その他も諸々の事をして過して来た。一番若かったので可愛がっても頂いた。しかし電話も冷蔵庫もテレビもラジオも何も無い中での生活は今までの生活と雲泥の違いが有りなれるのに一苦労でもあった。
毎朝5時のお勤めに間に合うよう4時半には起きて、準備をして、朝7時までに雑巾がけを済ませ飛ぶ様に時間が過ぎて卒業となった。あれから30年、同窓の年長の方々はお年を召してお会いするので皆さんあの頃の元気さは、年輪と言う真似の出来ない穏やかさに変わり懐かしさと時の過ぎ行く悲しさにお互いに感慨無量となった。「湯川君は18歳で可愛かったよな」「そうだ、、そうだ何かニックネームが有ったよな?「え〜っと、そうそう珍念だ」で大笑いであった。そうだ私のニックネームは珍念だった。
可愛かったと言われ面映い思いをして楽しい一時を過ごした。零下10度の極寒も、山岳を下駄と僧依で上り下りして汗まみれになった思い出、雪を掻き分け井戸で水を汲んだ思い出・・走馬灯のように思い出される。出席して良かった。

■11月22日 晴れ 強風
久しぶりに子供たちと戯れる。自室を掃除機で清掃していると19になる娘が「お父さん、奇麗になるね」と声を掛けた。「そうさ、青い畳は気持ちの良いものよ」と返事をする。「青い畳? 全然青くないじゃないの」と言葉を返した。「何を言うか、青いと思えば青いのよ」「ふふ・・・」と笑う。「よ〜し、一度青い畳を味合わせてやる」といって私はお腹を両手で「ど〜ん」と勢い良く叩いて「さぁ向かって来い!」と柔道の真似をした。「おぅ上等じゃ」と言って娘が向かってきた。6畳の部屋でオオソトガリ、背負い投げ、外掛け、うちがけと色々と技をかけて娘を投げ飛ばすと大笑いしながら「何おっ」と言って又向かってきた。部屋が狭いので気をつけながら最後は背負い投げをして大きな音がした。その音を聞いた息子がやってきてニコニコ笑ってその様子を眺めていた。
はぁはぁ言いながら笑っていると家内から電話が入り息子が事情を話す。「茶でも飲むか?」っと私が子供たちを誘うと「うん」と返事をしてくれる。「何処で飲もうか?」と尋ねられ「そりゃ、こんな良い天気、屋根の上で飲もう」という話になり二階の屋根まで上りお茶とバナナと牛乳を持って景色を眺めながら一服した。鳥がさえずり飛行機が頭上を行き交う。そばには赤く熟れた柿が沢山ぶら下がっている。
「色々なことが有るけど健康で皆仲良く行こうな」と言うと「うん」と返事をしてくれた。回りは背の高い竹薮が囲み屋根の上には大きな楠木が覆っている。トトロの風景を思い出して「健康で居なくてはいけないな」と実感する。夕刻より所用で三重県まで出かけて一日を終えた。明日も天気であって欲しい。

■11月21日 晴 ななつき参りの日
僧侶8名で中曲理趣三昧法会をする。毎月9時よりの法会も段々と揃うようになり色々な法会にも即戦力となりそうだ。
世の中には、「赤ひげ先生」のような方がまだお見えであった。といっても熱血漢で昼夜分かたずに診ると言うのでもない。長い盆暮れの長〜〜い休診。そして一週間に数日しか診ない。しかしお客は一杯来られる。不思議な医院。先生は子供にもとても優しくチョコレートやキャンデーをくれる。不思議な雰囲気を持つ先生を存じ上げている。
昨日の夕刻、親類で皮膚科の受診が必要となり以前からの先生に治療をお願いした。一目見ると「かなり酷いね」と言われ「たらい回しや、不要な治療をされて酷くなるといけない」と感想を漏らされて国立の○○病院の知人に紹介状をタダで書いてくださった。そして帰宅すると心配して再度電話で色々と病院での細かな指示を頂いた。そして診療が終わった後にもう一度、診たいので来て欲しいとの事、早速出かけて再度見ていただき今後の事に相談に乗っていただいた。そして本日、大きな病院に出かけると担当医から外来までチャンと事前に赤ひげ先生から電話を入れていただいていた。そして再検査の必要を申し渡されて帰宅すると、受診経過を尋ねる赤ひげ先生の電話が先生から入る。「私の家だけ特別なんか?」と家内に勘繰りを入れると、医院の外来で先生も奥さんも他の患者さんの様子を電話で尋ねたり再診を勧める電話をしている。入院にかかる費用を費用をなるべく少なくするために色々と助言をしておられると言う。驚いた、本当に驚いた。先生は酒が好きらしい。シャトー・ムートン・ロートシルト・ボイヤック85年をお礼に送ろうと思う。私の友人が先生の好みを知っているからだ。

■11月19日 雨
昨夜は高野山真言宗の声明の発表会があり出席の予定であった。地下鉄に乗る寸前に携帯電話がなった。不運は何時やってくるかわからない。詳しくは書けないのですが、寺へ取って帰るにもドタキャンをする訳にも行かず一先ず名古屋市芸創センターに出かけて入り口付近で待ってて頂いた方にドタキャンをお詫びして一先ずお寺に帰った。色々と連絡を取り合い事の推移を見計らうこととなり就床したのは午前1時ごろであった。不運と言うかとても慌しい一日で有った。

■11月16日 晴れ
朝のうちのぐずついた天候もお昼前から急回復してよい天気となる。暑いくらいの陽気でこれから暑くなるのかなと錯覚するような日柄だった。一日各僧侶はお参りに走り三時のおやつの時間にお昼ご飯を食べていた。私も遅めの食事を頂いて夕刻からはお通夜に出かける予定だ。
秋植えの種を蒔いた所、色々と芽や頭を出し始めた。どうしよう、春の花々なのに。せっかく芽が出たのだから何とかしようと思うが・・・・ インターネットでビニールハウスを購入して避寒の対策を講じなくてはならない。まぁ 冬と錯覚して芽を出てくる花芽が悪いのか私の不慣れなのかはたまた此処からジッとして春を待つのか、私との根競べが始まったような気がする。以前にランの話をこの備忘録で書いた覚えがある。最近ではランを見るとつらくなり息が詰まってしまう。ランが苦しんで花を咲かせていると思うと花を見てもきれいとか美しいなんて思う気持ちになれない。やはり知らないで無邪気にきれいきれいと愛でる方がランにも花にも幸せなんだろうな。

■11月15日 晴後雨
日記をご無沙汰してしまった。済みませんでした。急に出かける事と休日をとり更新が遅れてしまった。岡山県津山市まで副住職と出かけて帰路に姫路に一泊する。翌日西宮に出かけて用事を済ませる。余り体調が良くなく休日を兼ねて帰寺した。少し休みましたがこれからも宜しく願います。

■11月9日 曇り/晴れ所により小雨
今日一日、他用でお寺を空けていた。午後より時間があったので蒲郡の竹島へ出かけてきた。竹島には神社がある小さな小島だ。海岸から海へ400メートル程の橋を渡り鳥居をくぐると階段がある。階段を上り詰めると神社があり七五三の可愛い子供たちが数名お参りをしていた。ぐるりと竹島を回ること数分で元の橋の袂、鳥居の下に出て海を眺めながら駐車場へ帰った。その後遅くの昼食を蒲郡プリンスホテルにて頂いた。昭和9年に建てられた建築様式で先年、経営をプリンスホテルに譲渡されたがとても上品な所であり昭和天皇もご行幸されたそうだ。庭園も茶席もあり心静かに過ごすことが出来た。最近まで追われるように毎日を過ごしていたのでホッとする半日を過ごすことが出来た。
それと、昨日までの選挙の応援での候補者紹介は本日で終了します。不快な方もおみだっただろうと思いますが私の友人であることをご理解いただきご了承を願います。それと「今春統一選挙でお世話になった」と言って来られた義理人情のある坂下市議会副議長さんと安井明市議会議員両先生他には感謝申し上げます。
(この備忘録を見て間違いの訂正をしていただいた方がお見えです。ありがとうございました。これからも宜しく願います。済みませんでした)選挙ではお世話になりましたが残念な結果となりました。ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました。

■11月8日 晴れ 穏やかな日
午前中法事等で忙しくしていた。僧侶一名が病欠で休み明日を心配する。少しパソコンを触らないと備忘録もすぐに後れてしまう。
とても最近疲れる。お砂踏みの準備の頃から今に至るまで休息をしていない。目は見え辛いし考えはまとまらないし聞かれることも報告を受けることも忘れたり思い違いをしてしまう。少し休まなくてはいけないと思う。
明日は選挙である。私は選挙に行く時間が無いので一昨日不在者投票に出かけてきた。午後より吉田候補の立会演説会に出かけてお話しを拝聴してきた。終盤戦を迎える候補者からの訴えは、精一杯努力しが説得力あるお話であった。彼は言っていた「あれもこれも、やります、できます、させてください」なんて一言も言わなかった。応援に来ていた中川通産大臣は「私は今回一度も自分の選挙区に行っていないので心配だ」をこぼされていた。
吉田さんは皆に握手をして部屋を出るとき私の肩をポンと叩いて出て行かれた。兎も角健闘も大切だが体を大切にして欲しいのみだった。明日は皆さん宜しく願います。私の友人、吉田さんを宜しく願います。この備忘録をお読みの中には色々なお考えの方がお見えだとは承知しております。私は人の考えることは大凡、大差がないと思います。同じ境遇に在ればほぼ同じ事を思いつきます。ただ手段が違うのみです。
分け登る 麓の道は多けれど 同じ 高嶺の月を見るかな 登山道は一杯あるが先頭に立つ人は人柄がよい方が一番です。宜しく願います。
■11月4日 晴れ
空を見上げれば晴天。遥か彼方の青空には銀翼輝ける飛行機が、地上の喧騒とはさも無関係に、爽やかに飛行機雲を描いている。午後よりテントを片付ける。又もとの生活が戻る。
住職代理は公休、副住職はお参りと昨日の事務処理。私は境内整備の人たちと大まかな清掃を指示して共に片付けにかかる。まぁ すぐ済むのですが体が少し重いような気がする。ここの所、運動に行っていないので重いのだろう。
最近あちこちから色々な電話がかかる。だいたいが個人名で取次ぎを要求される。知らずに取り次ぐと様々な事を一方的に話し出す。忙しい時にその電話はかかってくる。大概がセールスの電話ばかり。時にはギョッとする電話もある。相手の顔が見えない事を良い事に言いたい放題のマシンガントーク。で、あっさりガチャンと切られる。最近では一方的に電話を切られるのが嫌で一工夫して受話器を置く様にしている。それは、もうそろそろ電話機をガチャンと切るだろうその前に耳から外す。受話器を握る掌の彼方でガチャンと小さな音がする。少しは気分が楽で不快感も残らない。
昔、母が言っていた「お前、受話器を置く時は相手様が電話機を置いた音を聞いて置くのが礼儀だよ」と何度も私に言っていた。私が電話で母に用を伝えて終わると「ガチャン」っとぶっきら棒に電話機を置いたのをたしなめてくれたのだ。そりゃそうだ。これと類似する思いを何度かした事がある。場面はお参り先の一軒家やマンションとか団地。お参りも終わって失礼をして玄関を出た途端の「ガチャン」。
ホンの数歩で「ガチャン」と言う音を耳にするのは何だか辛いもの。玄関先や階段を数歩進めると、草履や下駄が「バタ、バタ」っと音がする、その音を聞いてソット「ガッチャッンッ」と閉められる方。とかく物騒な世の中だがカギ一つ、電話一つの心遣いも時としてとても大切な気がする。
でも自分の事は分からないもの、私も結構尻尾を踏んでいたりして・・・・すんません

■11月3日 雨
例年のお砂踏み祈祷会が行われた。お世話人さんたちと力を併せて準備してきたのだが雨であった。雨にもかかわらずお参りの方は一時は入れないほどのお参りの方があった。有難いと言うか信仰の思いは、雨も関係なかった。夕刻、お砂踏みの片付けも世話人さんと始まる。何時もだったら5時30分頃に終わるのであるが悪天候の中、5時前には迄には片付いてしまった。準備も設営も全て世話人さんと進めたので片付けも様子が分かり手間取らなかった。本当にありがたかった。
雨、雨、雨、雨の天気予報、「明日は雨」の予報が出ている時は就寝する時も深く寝られない。寝ているのも嫌になる。が、当日を迎えると不思議に何も思わない。頭もボーっとしている。
さて気分を切り替えて年末を迎える準備と大掃除、少し気が早いが節分の準備を心得なければならない。早いものだ。。。何だか最近、日本語が変になっている。多分疲れているのでしょう・・・・・お許しください。
■11月2日 曇り
お砂踏みの最終の調整を行い明日を迎える。法事も数件あり午後より本格的に終わらせた。明日の天気は如何なのであろうか? 当然と言えば当然だがどんな行事でも何時も最後の心配事は天気。天気だけはなんともならない。亡くなられた故藤田啓介藤田学園理事長もお寺の天気は行事ごとに心配をして頂いた。「天気が良くてよかった。キット天気を気にしていると住職を心配しておりました」なんて仁王像開眼供養の時、言葉をかけていただいた。
昭和55年10月19日400人の稚児行列と龍神様お堂の落慶の折の大雨は並みの雨ではなかった。山からは滝の如き流れが降り注ぎ一号線は洪水、テントの下に腰掛ける人々は一様に足を上げて水の流れに目を遣る人ばかりだった。そんな時、土砂降りの雨の中、一人古畳を背負い何度も往復しては足元の悪い所に設置してくれたのは私の弟だった。その姿に一人の方が「見ろ!こんな時に厭わずにやってくれるのは身内だけだ」と御子息に話していたのを側で聞いた。何だかんだと言っても身内はありがたいもの。私は何度と無く天気には打ちのめされて来たが、態々お越しいただくお参りの方のことが気になる。