備忘録

住職備忘録
12月分
■12月31日 大晦日
今年の備忘録も今日が最後。一年間、お付き合いを頂きまして有難うございました。気が付けば26日以降の備忘録・・・何処かで遊んでいたわけではなかったのに。すみませんでした。
師走に入ってから種々の考え事やイレギュラーな事が多くあり夜もロクロク寝られないような今日まででした。
昨日、名古屋港区のと或る女性がお越しになった。知り合ってから既に10年以上の人であった。
遠くから段々と近づくその姿から「お久しぶり、住職」と私に声を掛け。私も気が付いて「ああ、久しぶりですね、お元気でいたか?」と挨拶を返した。「住職は私を見ても知らん顔をした」と私の気づくタイミングの悪さに少し怒っていた。無論、私にはそんな積りは無く相手が悪いのだ。数ヶ月入院をして人相も変わって少し険しい顔になっていた。「いや、済みません。目がうとくなって・・最近パソコンや老眼が入りだめですわぁ」っと返す。
「実は大切なお願いがある。私はあの墓に入りたくない。絶対にいやだ。だからその相談に来た」と年末の忙しい時にノーアポの相談である。上がっていただいて相談事に乗った。
「住職に私の半ば遺言の下書きを送って欲しい」と言われ「葬儀や納骨の事、死後の供養」の事を明文化して欲しいとの依頼。「こりゃ私も困ります。ご子息さん達の手前・・・」と、少し断りの言葉を並べはしましたが、ヤヤコシイ話も一応区切りが付き「ハイハイ、分かりました」の状況になってきた時「住職、少し見ない内にボケてきたね、以前はも少し覇気があったのだが・・」とドキッとするする突然の言葉に思わず気が遠くなた。
自分でも「歳取ったな、最近あかんなぁ、記憶力がとても悪くなた」と自覚をし始めた矢先に、他人から追い討ちを掛けられる言葉に、ガツッンと一発パンチを食らったようであった。
私、思うのです、歳を重ねると色々な情報が頭の中に蓄えられて整理や判断への時間が極端に長くなったと。若い時は整理・判断に要する時間も少なくてすみ、記憶もシッカリしている、が、しのび寄る加齢には止む終えないのであろう。
先般、神経内科の権威で国立大学の学長までされ現在もと或る私大の学長をされている檀家の方に「ボケ」の話を尋ねたら満面の笑みで「しょうがないよ」っと一笑され同行されていたドクターたちも「僕たちも駄目だな、一緒ですね」と言われた時は、あきらめと納得が同居した気分であった。
さて来年、いい年であるようまた少なくとも私の周りの方々は健康で朗らかな一年であるようにお祈りします。来年も宜しく願います。


■12月26日 
寒い日でした。今晩は当地でも雪が降るかもしれないと言う。師走らしくなってきた。名古屋へ年末年始に使う品を買いに出かけてきた。午前中は来客が多かった。
クリスマスが終わり街の中は新年に向けた衣替えがあっという間にすんでいた。

■12月23日 
風の無い暖かい一日であった。以前椅子を修理していただいた同じ『足立椅子店』さんに再度椅子の修理をお願いする。以前の椅子は23年物と33年ほど使った椅子を修理して頂いたが今回の椅子も30年も使用した椅子。『こりゃ大変だ』が本日の第一声であった。御夫婦仲良く何時もお越しいただいて色々と助言を頂きながら良心的に仕事をしていただいている。
『この椅子は今度建設する斎場にいれる椅子なのです』と足立さんに話すと『それでは色々な方に座って頂くのシッカリ作らなくちゃ』と奥さん。ともかくまたご縁を頂いた。
法事やお参り、その他で忙しくして一日を終わる。
新しく張り替えられ蘇ったイス 
お寺に来て23年 同じく33年目のイス
名古屋市中川区『足立椅子店』修理

■12月22日 
無事に何も無く昨夜の忘年会も終わる。9時過ぎにはお寺に帰り10時には就床できた。ただ他の方たちは日曜の凍てつく師走の街へ行こうと誘っては頂いたが・・・
桶狭間病院理事長・事務長来寺。午後より法事等をして夕方より労働基準局へ。慌しい一日も終わった。

■12月21日 ななつき参りの日
寒さのせいか、お参りの少ない寂しい日でした。僧侶は全部で10名でお経を読みました。因みに僧侶の方もロムして頂いているので専門用語を使うと法要付中曲理趣三昧法会を致しました。もうほぼ完全に何処の法会に呼ばれても皆さん大丈夫までになりました。世紀が改まった2000年1月より私の発願で毎月同様のお経を上げて早、3年。36回目の法会となりました。早いものです。
 今日は僧侶たちとの忘年会です。早く帰られるように皆さんも祈ってください。嫌いではないのですが明日にこたえます。今一番の毒は睡眠不足と飲み過ぎです。昨年の忘年会では不思議な笑みを浮かべて私を良からぬ所に誘い出そうとしたあの住職は今年は来られないという、、残念で寂しい気分もする。もし明日この備忘録が更新されていなかったら二日酔いか何かで起きられないと思ってください。
今晩の私の決意、乾杯はウーロン茶、勧められてもお酒は飲まない。一杯飲んだら同じになってしまうので・・・・何と意思の弱い事か。昔、言われて事があった「強い決心、弱い意思」にならないように行ってきます!師走の街へ・・・・・ハイ(何だか嬉しそうですね)


■12月20日 雪/晴 寒い(当たり前ですね)
朝起きたら雪、今年初めての雪。12月14日も12月8日もメモリアルデーはイラクへの日本の対応で従来よりは取り上げられ方が、今年の場合記憶の彼方にも無い。古くからの知人が尋ねてきた。うつ病を発症して話を聞いてほしいとのことであった。彼のご子息は心臓外科医で現在ハーバード大学へ留学している。彼が自分の子息に病状を尋ねると「入院して療養を」と勧められ、他の医者に行くと「楽になるまで家の中でジッとしていろ」と言われる。思い余って私のところへ来た。
実は私も軽い鬱がある。パニックも過喚起も持っているので彼の悩む事が手に取る様に分かる。が如何せん人其々で自分でしか乗り越えられない病気でもあると思う。
私が「ハーバードの息子は元気か?」と尋ねると東大大学院に入学して研究する積りが外来を任されて身を削って毎日を過ごし今は病身でシカゴで手術をする事にもなっていると言う。自分の事で精一杯と言う。
「前向きでバリバリ前に進む貴方に怒ってもらって「喝〜っ」と言われるかと思ったら『皆同じなんだ』と思いましたが、私ばかりでない事を聞くjとホッとした」と言われて数日後また会うことを約束して帰られた。
人はもろい物と日暮れの応接間で独り呟いた私です。
自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか?自分をよくととのえたならば、得難きあるじを得る。「ダンマパダ」


■12月18日 快晴
昨日葬儀を済まされた「やまうっつぁん」のお家へ弔問に出かけてきた。奥様も娘さん方も存じ上げている方である。拙いお経が始まると後で皆揃ってお参りをして頂いた。お経が終わると奥様が「お父さんが一番喜んでいる」と言って頂いた。「お世話になりました」と奥様。「お世話になっていたのはこちらの方でしたよ」と私。色々なお話をしていても奥様はオロオロしていた。
辞去を告げる時に私は奥様に言いました。「私が26歳のときに先代は亡くなりました。そして母は58歳ででした。母は今日の奥様と同じオロオロして何から手を付けて良いやらの風情でした。私が母に告げたのは『お母さん、夜に考え事だけは止めようね』と申しました。どうか休む時には御主人の楽しかった事、怒れた事、呆れた事、惚れ直した事を思い出しながら休んでください。悲しい事、悪い事は今日のような青空の下で考えてください」と告げて帰寺しました。
何だか23年前の自分と母に会ったような錯覚が致しました。40年ぶりに上がりこんだ懐かしい家、「やまうっつぁん」の苦労の結晶の貫禄の家に久しぶりに上がりこんだ。

■12月17日 快晴 健康診断より退院
少し時間が空いてしまった。健康診断の入院で2日間留守をしてしまった。入院のため出かける少し前にお寺の近所の昔からの方が亡くなられた。この方は明るい性格と気さくな人柄が多くのファンをつくりお寺も大変にお世話になった方だった。数ヶ月前にお寺の正面の喫茶店でお姿をお見受けしたが、酷く疲れた御様子で私も心配になり声を掛けようかと思ったがお参りの途中で声を掛けそびれてしまった。
改めてその喫茶店に出かけてご様子を伺うと「入院した」と伺った。「そうだろうな、何だか何時もの元気な様子でないからな」と返事をしてお寺へ帰った。突然の悲報にビックリした。
「大阪天保山、メリケンの山とはオレのこった!」「なぁ、よく聞けよ 春夏秋冬 何時に変わらぬ 松の翠と 吾が心、自分の心は松の翠と同じ何時も変わらないんだよ」「伊勢湾台風は酷かったな・・おまえん所の松の掃除に家の従業員を総出で出して片付けたくらいだった」等々元気の良いあの気取らない語り口はもう聞かれない。段々と昔を知る方が少なくなる。ホンとの事を語り恩着せがましいことも一言も言わず、怒れる事にも淡々として人の中に入りって円満に収めてしまう不思議な人徳を持ち合わせた方であった。
 私も告別式には出たかったが放射性同位元素を使う健康診断のためキャンセルできない事情でもあったが、悔やむ事がまた一つ出来てしまった。明日は線香を上げさせていただく積りだ。


■12月14日 快晴
昨日、海釣りに誘われて出かけてきた。初めて海の釣堀で魚釣りを経験する。泊りがけの釣りと言うので興味が湧き誘われるがままに出かけた。魚釣りをされる方は体力が勝負だとツクヅク感じた。まず、風呂は近所の銭湯に出かけ食事は小さなお店でボソボソと食事を済ませる。泊まる場所は雑魚寝の広間。そして一番苦しかったのがタバコと歯切りしりと大イビキ。私はタバコを吸わない(人が吸うと欲しくもなるが・・・)。が、友人や知り合いはタバコをスパスパ吸う。寝ても覚めてもスパスパであった。小腹が空いたと深夜、ロールパンを食べ始めてスパスパ。突然テレビをつけて天気予報を見ている。色々な事を話しかけてくる。返事もロクにせず「もう少し眠ようよ」と就寝を勧めると電気を消してタバコをまた吸う。暫くすると歯ぎしりと大イビキが襲ってきた。やっと寝付いた頃にタイミング良く、ラーメン屋のチャルメラが大きな音を鳴り響かせて路地をユックリと通り過ぎる。暫くすると電気を付けて釣竿のリールの調整を始めだした。
 もう寝れない。目が覚め始めたのが午前2時ごろ、起きたのが午前5時。フラフラで起きたが一人だけまだ寝ている。起こして未明のコンビニエンスストアーに朝食と昼食を買いに出かけてイザ、海の釣堀に出発しました。釣りのお好きな方は厳寒、早朝を厭わずに既に数人の釣り人が魚を釣り上げていた。驚いた、本当に驚いた。
 眠くて浮きを見る気持ちも失せてしまった。突然「引いている 引いている」と隣から大きな声がした。竿の先の浮きが水の中に引き込まれている。驚いて引っ張ると何と立派な鯛が釣れていた。私の成果はこの鯛一匹であった。家内が迎えに来るまでの間、手を変え品を変え場所を変えて色々と成果有る釣りを試みたのだが一匹だけであった。兎も角、睡眠不足で今日一日大変でした。
 でも折角誘ってくださったお気持ちは感謝します。でも、魚釣りは暫く中止です。


■12月9日 晴れ 寒い 月例会議
朝より月例会議を開催する。大掃除の進み具合や年末年始の行事の打ち合わせをする。会議後、大掃除の続きを全員でする。午前中に殆どの掃除を済ませる。午後より外部の清掃。しなくてはならない掃除の箇所というより、落ち葉の多さに驚く。午後より桶狭間病院事務長来寺。途中友人から娘さんの快気祝いを頂く。その後来客多し。
夕暮れの寂しさに寒気が迫って来ると子供の頃を思い出す。そろばん教室が始まる前の一時、かくれんぼをお寺の山内でして遊んだ。暗くて寒い茂みに潜み探しに来る友人を待っていると母が夕ご飯の支度をする良いにおい、父親がお風呂を焚く煙の匂い。上を向くと黒味がかった青空が冷たく見える。気が付くと私一人が隠れてい続けたとん馬な夕暮れ時を思い出す。子供の頃は良かったな〜。


■12月8日 晴れ 寒い
師走らしくなっていた。昨日は愛知葬祭の金森会長と久しぶりに歓談をする。とても楽しい時間を過ごした。公私に渡る相談や世情の厳しさ等を語ってきた。色々な方とご厚誼を得た中で、生まれた時より備わって来たものを才能とも徳と言うのかもしれない。神は等しく人を創りたもうたと言われるが時として、徳や才能を生まれながらに持している方は本当にうらやましい。私の知っている娘さん、彼女を見ると全っき人とはかく在る人と思わせる方を存じている。溢れる才能も能力も、謙虚と言う彼女の徳が彼女自身全を光り輝やかせている。
この世の中のありとあらゆる職業に付こうと思えば全てが可能な能力を十分に備えておられる。驚くような資格でも殆ど勉強らしい勉強もせずに取得されている。が、自分の身の丈に合っていると本人の誤解で欲張らない仕事をしている。その資格を取るのに歳を重ねて老いる方もお見えの中に大学在学中に取得してしまう能力だ。
私が今までにご厚誼を得た立志伝中の人々は全てに人を魅了する徳を持されている。その方々は一様に、人格論やホラ話をしない。一言、真心から出た言葉だけしか話さない。時として相手に利する話になる場合もあるが、真心から来る話は損得を超えた人の心の奥底に響く深い波長の振幅が魂をゆすってくれる。私はそんな人々たちとお会いできて今日まである事を感謝しなければならない今日であった。


■12月6日 雨
パソコンの調子が元に戻り安心して日々に対応できるようになってきた。機械物はどうしても不安定が付きまとう。人間の体とて同じではあるが・・・・  寒くなってきた。
少しお休みを頂いてリフレッシュをしてきた。何だか頭が少しサッパリとした。仕事の順序も手はずも段取りも苦にならない。風邪と事故だけには気をつけなければならない。

■12月1日
hpを更新していると昨日壊れたサーバーの代替サーバーが送られて来た。ホッとする。副住職も心配して休日にも関わらず出て来てサーバーの設置をしてくれた。何とかせにゃならんな〜。でもウインドウズに載せ替えもかなりの費用を考慮しなくてはならない。何時も災難は先方から突然やってくる。
大掃除もすすみ忘年会の段取りの話しとなった。親しくしているお寺の副住職に幹事をお願いした。が日曜日に設定をしてしまい二次会の会場を私が心配したら「大丈夫です」と返事があった。皆さん元気ですね。