先月の備忘録
■2/29
夜、役員会を開く。大変に盛り上がった委員会となった。有り難かった。これからの葬儀の方向性がだんだんと見えてきたような気がした。総勢14名。お話は尽きなかったが宿題を残しての散会となった。
次回は3/13、規則の書類、葬儀の明細を作る事となり終わるか心配だ。ネットオークションで求めたプロジェクターが威力を発揮した。ソニーの製品で5200ルーメン(通常は1500ルーメン)で室内灯が点いていてもトテモ明るくホームページを参照しながら又、他の葬儀社のリンクを見ながらの会議となった。とても快適に進みまた議題の精度も上がった。明日から三月。春が目の前だ・・・・

■2/28 土曜日
一日忙しく終わった。昔なじみの奥さんが亡くなり枕経へ出向いた。享年67歳。子だくさんで昔から相当お歳を召していたようにお見受けし先年ご主人を亡くされたばかり。昔から苦労を背負って来られたせいか享年を伺いビックリした。明日は葬儀もあり忙しい。
日曜日の資料作りに頭を悩ませる。副住職は私の斎場でのプロジェクター設定で頭を悩ませている。今回の斎場用のホームページも一から作成している。時間がどれだけあっても足らない。

■2/27 雪が舞った
どうしても欲しい物があった。それは暖炉。ガス暖炉を探していた。何に使うかというと葬儀場でお通夜が終わり人気も無くなる頃にお出ししてくつろいで頂こうとする時の必要で癒される一時をと私が求めていた。
ところがネットオークションでも楽天でもとても高いのです。そしてメーカーに尋ねるともっと高価なのです。
半ばあきらめていた時、尋ねていった先のお店の傍らに煉瓦調の暖炉があった。ガスではなくて電気で炎がユラユラと景色と写る暖炉であった。暖かくないが夏にでも「癒し」の暖炉となってもらえる。求めていて諦めかけていた時に向こうから私を待っていてくれた。とてももトテモ嬉しかった。店の方に「lこの暖炉は何処にあったのですか」っと尋ねると「名古屋の或る有名なバーにあった」との事、何だか知らないが私も一度見たような気がした。それは炎のところに小さな穴が開いていて「これを直せば良い物を」と余計な事を思った記憶が遠い昔にあったような気がする。まぁ、人の心を和ませる暖炉、お通夜も終わり人も去り、寂しくなった斎場でコーヒーを飲みながら家族で暖炉の上で微笑む故人を偲んで一時を過ごして欲しいという私の勝手な想い一途であった。とても嬉しかった。
 昨夜は松井建設名古屋支店長他3名で慰労をかねた宴席を設けて色々と懇親をなした。長いつき合いになった。私が31歳の時からのお付き合いだ。当寺現場監督をされた方が今では支店長さん。で、私は昔も今も変わらない住職。夜9時にはお寺へ帰寺。
明日は住職代理公休、日曜日には責任役員・総代・評議委員会の合同委員会が開催されその会議の資料作りを進めなくては為らない。

■2/23 春の嵐と高野の雪の日
高野山に再度登った。奥の院に建立するお墓の件で西門院さんに再度ご面会を申し出て快く面談の栄を頂く。丁度同期で西門院様のご子息さまとご一緒させて頂いた。時も忘れて楽しく過ごしていて失礼を告げて辞去すると外は雪であった。昨夜は関西空港のそばのホテルで投宿したのだがすごい風であった。飛行機が着陸するのだがやり直しをする飛行機をみた。ともかくすごい風で高野山上も杉が強風にあおられて落ちてしまって汚れていた。時間と気象の関係で他の寺院様をお訪ねしてお願いをする事も次回とした。
途中、当寺の縁の深い河内の高貴寺へ出かけてきた。初めてお会いするご住職、ご親切に奥の院までご案内頂き当寺とご縁の深い本尊様をお参りさせて頂いた。有り難かった。こんな由緒のあるお寺と私みたいな者とが深いご縁を頂いていたと思うともっとシッカリせんとイカンと思った。
疲れた。早く休む事とする。

■2/21 晴れ 春の陽気
なな月参りの日、沢山の参詣者があった。葬儀もあったので他の僧侶にお願いして斎場へ向かった。
夕方より評議委員会が開催された。5名の評議委員会で目下の葬儀場での対応や規則等の素案を審議して来週再度審議を重ねる事とし午後9時に終了する。審議をしていて感じた事は葬儀の運営を説明しても、話している自分もよく分らなくなった。
 と言うのも元々形のない物を形成して行く課程で、今まではボンヤリと考えもしなかった事柄の多い事に驚き、今まで放置してきた私たちの責任も少なからず感じた。
葬儀とて費用のあり方が再度来週に見直される。総代会も並行して開催される。ともかく「最期だから立派に」の全てを含む葬儀が全て含まれる最善の葬儀斎場を目指す事とし散会した。

■2/19 晴れ 暖かい
午前10時より松井建設と葬儀場の詳細の打ち合わせを14時までする。午後3時大林組との打ち合わせ。夕刻より責任役員会・総代会を開催する。建設的な意見交換と冷静な議決を得てホッとする。世の中には色々な人が居るが感覚の違う人とは付き合いたくないな。

■2/18 
17日夕刻より葬儀で東京。午後1時より浅草で葬儀をする。桶狭間病院理事長、事務長等8名夕刻に面会を求められ早々に名古屋へ帰る。夜遅くまで面談をする。とても疲れる。

■2/16 月曜日 寒い
例のお参り大好き先生はしっかりしている。先生の所のお参りは毎月15日。今月は16日月曜日だった。お参りから帰った住職代理が「住職さん、○○先生の所の病院慰霊祭・・」と言われたので「あ〜あのお勤め、毎年三月の○日先生の所の開院記念日だね」と言葉を遮り独り言を私が言い出した。すると「今年は三月のこの日にしてほしいと仰って見えましたよ」と私にキチンと報告をして貰った。「そうですか、分りました」で、私は付け加えるように「あの先生のお家は15日もチャンとお参りに行かなくてはダメだよ、以前お参りのご都合を聞いたら『チャンと来てよ』と言われた事があるから」と住職代理に告げた。
すると住職代理はニコニコしながら「先生もその事言っていましたよ、以前住職から尋ねられて『チャンとお参りに来てよ』と言ったけど『今回はいいよと言っておいて』と仰ってお見えでしたよ」と私の先回りをした先生の記憶力の良さに驚かされた。子供の頃からお世話になった先生、私が日頃ボケタと自分に悲しくしているのに先生は大昔に私に言った言葉をチャンと覚えている。私は昨日この事も忘れてしまう。
今度先生にお会いしたらどうしてそんなに良く何でも覚えているか?尋ねてみる事にしよう。でもお医者様だから薬や注射を忘れたら大変だから注意力が旺盛でそのせいかもしれない。と言う事は私は注意散漫となってしまう・・・・それを老化という都合勝手一言で済ましてしまう自分に情けなさを感じる・・・・・・

■2/15 日曜日
法事はあまり無かったのだが葬儀があり忙しくした。檀家の方でビデオ撮影が得意な方がおられる。昨年のキュウリ祭より行事行事の撮影をお願いした。正月の初詣、節分、彼岸(秋)、お盆、精霊送り、お砂踏み、除夜の鐘と大凡一年間の行事を取り終えられてビデオを編集し直して私の所へご持参して頂いた。大変良くできた秀作であり見応えのある編集であった。お歳は既に70を過ぎておられおられる。しかしデジタルカメラを手に撮影をされ、パソコンに映像を入力し編集ソフトで立派な記録映画を作り上げ、CDに焼き付けてそのCDのタイトルまで編集してご持参頂いた。驚いた本当に驚いた。老化とは自分の人生に興味を失う時に老化が始ると諺にあった。この方はますます元気だ。何時も私を訪ねてビデオの作品の事やナレーションの事を相談に来られる。とても熱心だ。
「何もお礼は出来ませんので今度高野山に団体で行きます。お二人分私が感謝の気持ちでお連れしますので予定をして下さい」とお話をすると「お参りにタダで行くなんて・・・」自分の分は出していきます。
人はほっとかれる人とほっとけない人がいる。ビデオを回すお二人、私には、ほっとけない人だ。感謝。

■2/13 高野山へ行く
高野山へ出かけた。暖かくとても2月の陽気とは思えなかった。実は、お寺のお墓が高野山奥の院に在り改修を余儀なくされている。改修を志して既に数年となりその間、高野山西門院さんにも改修の快諾を頂いていたのだがご縁と言う時を待たなくては成らなかった。今年、高野山はユネスコの文化遺産の登録が為される予定がほぼ確実となった。この機会にお墓の改修を図り元々埋葬されておられる霊位の供養と当寺先師の供養の塔を建て、加えて檀信徒の供養の基を築こうと決心して登山させて頂いた。
鬱蒼と生い茂る杉の巨木が林立する奥の院のほぼ中央、周りには戦国時代の大名の墓地も隣接する場所、間口4.5b×奥行き3bのお墓である。元々西門院さんのご縁で建立されたお墓であった。今年4月10日頃までには竣工の予定となった。
下のお墓が完成予想です。

奥の院の参道
この周りに数万基のお墓がある
平安の頃から現代まで
全国の諸大名・財閥系・時の権力者等々
高徳院でご縁のある方の
心の故郷となる
墓地を再建します
高野山では西門院様、桜池院様とご挨拶をさせて頂き帰路、徳島まで2時間の船を乗りついでエクシブ鳴門で一泊して帰寺した。帰寺すると東京本所に在る当寺の昔からのお世話になったお寺の大奥様がご他界された悲報を受ける。横浜にも出かける予定もあり所用をすませながら再び東京です。


■2/10 
久しぶりに休暇と称して長野県蓼科の温泉につかりゆっくりしてきた。冴え冴えとした夜空に瞬く星、吐く息は真っ白になり遠くては雪が枝から落ちる音がする。喧噪を忘れて温泉に浸かった。しかし寝ても覚めても色々な事を思いつき気の休まる時はなかった。体重も1月11日より既に5`近く痩せてしまった。別に苦しくも何ともないのだが・・・ 少しパワーというか粘りが落ちたようだと家内が言う。備忘録も他も更新しなくては成らない。防火管理計画、三年間に渡る他の工事の計画、葬儀場の運営、評議委員会の開催、責任役員・総代会の開催、高野山団参の準備と連絡、彼岸法会の準備、葬儀場の細部での突き合わせ、葬儀場での運営マニュアルの策定、葬儀認可業者の絞り込みと打ち合わせ、ざっと上げるだけでもこれだけがスッと頭に上る。他にもパソコンでデーター管理を進めなければならない。
楽しいと言えば楽しいのだが、頭が変になると言えば変にも成りそうだ。でも職員さんが頑張っていて下さるのでとても力強いです。さて休暇から帰ったのでサッパリとした気分にもなれている。疲れ込まない程度に仕事を進めていこう。


■2/4 
忙しかった。毎日のようにバタバタしている中来客や打ち合わせもありで過ごす。風邪が流行っている。職員にも欠勤者がおりまた友人にも休んでいる方がお見えだ。毎日、これはhpの話題になるなと思う事柄が山程ある。が、しかしあまりにも多すぎるために覚えていない。今日も色々あった。気の毒な話、怒り爆発するような話、頼まれる事、断らなくてはならない話・・・・もう本当にクタクタだ。以前にも書いたが人の海の中で自分を見失いように生きる事は困難だな。でも私は、人の波に飲み込まれないように心がけて懸命に生きる事にしよう。
今、私が始めようとする葬儀場の事が世間に伝わり始めてきた。そんな事は私の日常ではあまり関心がない。それよりもより良い建物にして使われる方々から感謝と喜びの声が聞こえる建物にする事が、精一杯の目標だ。先行き不透明で不安な将来・・・時代はお寺にも変革を求め始めている事を感じるのは私だけだろうか?? 私達ちが、この先を安寧で慎ましく生き、安心して先祖の供養を続ける事ができ、残される子孫も「これで安心だ」の言葉を如何に残させられるかがとても大切となります。
その為にはお寺がその負託に応えるように、私の考えを軸足に「供養」する双方の立場、お寺と喪主との関係に立ち戻る事がとても大切と思い始めました。考え始めて既に5年の歳月が過ぎ、一連の葬儀をされる方が冷静に立って過ごす事の出来る斎場を考えてきました。

 斎場建設で、建設費、設備費、葬具一式(棺等消耗品を除く)の費用回収を私は一切考えていないのです。これは本堂を建て仏具を入れるのと同じ感覚です。無論今までと同じく寄付も負担もなく独力で進めてきました。 ただ水道光熱費と維持費、積立金、清掃代行費の4万円は必要と考えております。24尺(7.2m)の祭壇、全国で4〜5台程の出荷実績があり、納入をされた葬儀社斎場でも満足に利用する機会は年に数度しかないそうです。何故ならば、当該葬儀社の祭壇料が高額(中年サラリーマンの平均年収程度)なので、一年に数度と言う祭壇が、当寺信徒会館内に設置される予定でおります(発注済)。信徒会館での葬儀費用は「自分たちの飲み食い」と「お布施」「火葬費・交通費」「頒布品」を除いた費用を普通の平均的サラリーマンの一ヶ月分の給与の範囲を、私が費用設定にしております。

 大切な会館運営は、運営委員会(評議員)で葬儀社を認定し上記の費用で代行して頂き、運営委員会が公明正大な運営を諮り評議会から経た案件を「総代会、責任役員会」で審議、住職の決済で完了するという幾つものチェック機能を課しております。これは私の提案であり、『サラリーマン一ヶ月の給与』程度の葬儀費用外の余分な費用を新たに乗じさせたくないためのチェック機能です。無論、お布施に余分なお金を加えるなんぞは、宗教家としての志も自尊心もかなぐり捨てる事となります。

 今日、葬儀の事務をしている人がこぼしていた。「この世界に入って、一体お寺さんは何を考えているか分らなくなった」と私に話されたのが、私にこの葬儀場を始めさせる大きな動機となった事を、この方は改めて認識させてくれた。この先、色々な問題も解決しなくてはならないし、デッドロックも出てくるだろうが10人の評論家に好かれるより万の人の利益にかないたい。

■2/1 とうとう50の歳となった
歳をブツブツ言うと罰が当たる。今日は節分の豆まきをしました。本来は2月3日ですが今年から役員会で節分前の日曜日に決定され本日となりました。本堂に入りきれない程の方々がお見えになり豆まきが終わるのに相当の時間を要しました。また昨年より恵方巻きと言う巻き寿司を世話人会婦人部でお願いして巻いて頂き、今年も大好評でした。
今年は本当の多くの方々がお参り頂き大声で「福は内」と唱えて豆をまいて頂きました。住職私は本当に幸せです。大変な事はみんな世話人佐が喜んでお手伝いをして頂きます。家内は今日は一日私用で不在でも何の事故もなく終える事が出来ました。私とてお葬儀もあり法事も4件程有っても何も問題なくお寺の運営が出来る、本当に幸せです。
お寺は、住職、僧侶、責任役員会、総代会、評議委員会、運営委員会と幾つかの会を設けて(これから設けいる会もある)運営をしている。うまく機能しているしみんなが自分の事のように働いていただくことが有りがたい。
当寺に出入りして頂く檀家さん達はみんな本当に自分の家のように楽しんで来ていただくことがとても私は嬉しいし、宝です。