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■4/29 葬儀場説明会
たくさんの方がお越し頂き私の説明に耳を傾けて拝聴を頂いた。ご年配の方がお集まりになると葬儀の話題が上るという。朝から午後三時まで話し詰めで一日を終わる。とても疲れたが私なりには少し少ない気がしたが何時も葬儀の説明会を催す業者の方に言わせると「盛会」と評価を頂いた。
粗品が出る訳でもなく記念品も無い、ただ真剣に聞いて頂ける人々が集まった事に関心をしたと改めて葬儀業者の方は感想を私に漏らした。
本来は説明会に私が説明をするつもりではなかったですが私の真意をたくさんの方に聞いて頂き快い疲労を味わい今日を終える。お休みなさい。

■4/28 水曜日 強風
明日は当寺の葬儀場「六波羅密会堂」の説明会だ。どれだけの方がご関心があるか・・・ 這えば立て、立てば歩けと親心。この歳になって新たな事を始めてしまった私。始めたと言うより始めざるを得ない環境が今日の自分だ。
しかし愛知葬祭の金森会長は偉い方だ。「俺は金森さんを超える」と放言し、今の私の状況に据えた某愛知葬祭の支社長。同じ系列の会社とは言え、似て非なる者の言葉は良いに付け悪いに付け忘れる事ができない。
金森会長には本当に頭が下がる。立派だ。本当に立派だ。男と生まれたらあの様な男振りが身につけられたら一人前だろうが・・・「住職、貴方が正しいと私は思う。良くやった。本当に良くやった。困った事があったら私に出来る事が有ればどんな事でも言ってくれ」と昨日私に言って下さった。この備忘録をお読みになっている方にはよく分らないと思うが。人の頭に立つ男はかく在るべし。


■4/22 木曜日
友人と浜名湖の小旅行から帰る。今日はとても大切な日であった。当寺の葬儀会館の目玉である祭壇が入る日であり少々ナーバスになっていた。朝は既に4時頃から目が覚め色々と気をもんでいた。

あれだけ念には念を入れて祭壇の高さをくどいほど確認したにもかかわらず何と30aも高い祭壇がコンテナに運ばれてきた。私はその場にいなかった。祭壇が舞台の上に乗り切らない、高さがありすぎて設置できないでいた。30aというと何ともないとお考えの向きもお有りでしょうが、1a多すぎても祭壇が収まらないのは事実。

時は昼を告げ、現場に乗り込むとその大変な状況が聞かずと知れた。言い訳というか人に都合をなすりつける業者。怒り心頭であったが敢えて口数も控えて寺へ帰り他の用を済ませ始めると担当者が謝りに来た。怒り爆発、であったが今更怒っても詮無い事。明日は徹夜で作り直して納入するそうだ。

固定の定点カメラが起動し始めた。葬儀がある時は故人の自宅の電話番号がパスワードとなりインターネット上で参列が出来るようにした。不都合でお世話になった人の告別式に都合でお参りできなかった方のための、私の考えだ。また故人のご自宅電話番号をパスワードにしたのは、見せ物のような葬儀でなく、お参りに行けない人のための操作である。無論、そのサービスを不要として頂いても構わない。

職場で海外で、病室で学校で大切な方の葬儀をリアルタイムでお参りが出来る。。。。
良かったらご覧下さい。まだ竣工していない当寺の葬儀場「六波羅密会堂」の様子がご覧になられます。

このIPカメラは少しの間だけ公開します。 http://192.168.1.201:8080


■4/20 火曜日 小雨/快晴 強風
斎場へつなぐLAN及び電話線の地中埋設工事を完了させた。手の空いた僧侶や他の方の手伝いも頂いて無事埋設した。とても疲れる仕事であり電気屋さんの苦労がよく分った。

また本堂より山頂へ向かう参道の抜本的改修工事も月曜日から開始された。出来上がると昼は森林浴の竹林の散歩道、夜は京都の高台寺付近、照明に照らされた竹林を彷彿させる趣の道ができるだろう。山中をもっと綺麗にさせなくてはならない。倒木や枯れ木が、まとめてはある物の、散乱している状態だ。

山門が出来る前、掃き掃除から解放されるようにアスファルト舗装を駐車場へ施した。なんと綺麗にしたら汚い物がより一層目立つようになった記憶がある。綺麗にする事は周りも含めて綺麗にする必要がある。お寺の夢も夢の又夢にせずに出来る事からどんどんと実行に移していかなければならない。

ねばならない!有るべきだ!のセリフを口にする私はやはり強迫観念が強いのだろう。余りよい性格ではない、残念だが。。

本日、婦人会の方のお札折り。楽しそうにお越しになった。有り難うございました。何もせずにほったらかしだけれども、勝手知ったる自分のお寺。自分たちでお茶を入れお菓子を食べ手弁当のお昼で、楽しそうに一日を過ごして頂いた。有り難うございました。。。明日はななつき参り、何人お越しになるのだろうか?


■4/18 日曜日
一昨日より右の人差し指をカミソリで切ってしまって不自由を味わっている。パソコンを打つ時もいつもの調子が出ない。今日は持ち込みパーティーを昨年秋に約束して今日となった。私は法事等で午前中少しで抜けて帰った頃はみんなでタケノコを掘っていた。私がタケノコパーティーをすると言い出してみんな楽しみに来てくれた。総勢15名の賑やかな会であった。
初めてタケノコを掘った人から上手に掘る人まで色々だった。最高傑作はタケノコのホイール焼きである。ほりたてのタケノコをアルミホイールで巻いて火にかけ、上から覆いをする。焦げて少し煙が出始めジュージューと白い湯気が出始めると「いただきます」の頃合いだ。ホカホカのタケノコを包丁で切り中身を再度取り分けて醤油で食べる・・・・とても美味しく「これを食べたのは初めて!」と一同大喜びをして頂いた。実は私も何かの雑誌で黒こげになったタケノコを見て、思いつきで試みた料理であった。料理と言うより焼き芋感覚で。この焼きタケノコは堀たてを恐らく、焼かないと美味しくないだろうな・・・(独り言)

 少し手間取り午後一時からの会食が始まり夕方4時頃には終了した。盛会であり春の好日に良い一時を得られた。パソコン調子悪い。


■4/17 土曜日
葬儀場も相当出来上がってきたがまだ外構工事が残っている。電気の仕事も打ち合わせがうまくいっていないので私が監督みたいにあ〜だぁ、こ〜だぁと現場で怒っている。あの現場へ何度一日往復するやら・・・ タケノコのかわいい顔を見ながら上り下りする自分、色々な思い出この山を登ったな〜と思い出す事が多い。平成2年4月史料館竣工の時、ブラームス第一番第4楽章のフィナーレを耳にして涙を流しながら下った坂道、その史料館を閉鎖しなくてはならなかった今、感慨が新ただ。
 いい人と言うより誠実な人が私の周りに居て下さるので、幸せだ。

■4/16 金曜日
とある方と半年ほど前にご一緒するお約束をして一週間ほどお寺をあけていました。更新が出来なくてすみませんでした。お寺に帰ってきて境内を見ると緑が濃くなっていて一回り木々が大きくなっているような感じを受けました。
山中に入るとタケノコを折って放置している痛ましい光景を目の当たりにする。食せば美味しく育てば凛々しく、春夏秋冬の清潔感と清々しさを醸してくれる竹・・・・かわいそうな事は止めて欲しい。でも昔から悪戯されていたな〜・・・・何が面白いんだろう。

■4/6 火曜日
午前中セキュリティーハウス赤外線防犯装置の打ち合わせをする。同時にセコムのフレームチェッカーの修理をする。お互いライバル同士であり少し意識的に動いていた。婦人の方々がお越しになってキュウリ祭の護符を折りに8名ほどお越しになった。楽しそうにお話をしながらボランティアをされて頂く姿が清々しい。
そうこうしている所に友人の親子がやってきて依頼されていたエクシブ浜名湖の宿泊案内はがきを手渡す。今作っている斎場を見て頂き帰りにタケノコ堀をして返って頂いた。彼らは人の立場や心配事が深く察する事が出来る親子だ。こんな友人をもてた私は幸せだ。何が深く察する事が出来るかというと掘ったタケノコを私が用意したバケツに入れた。私は途中から来客で竹藪から離れた。バタバタして廊下から境内を見るとその親子は境内の受付に一言挨拶をして自分の上着をそのバケツから被せてタケノコが見えないようにされて車に向かわれた。アホな親子はこれ見よがしにタケノコを自慢げにさげて帰るだろうが友人は穏やかに帰られた。「どうだ ここの住職と俺とは違うんだ!」「何だ誰でも竹の掘って良いんだ」なんて私も思われても嫌だ。彼の心遣いを部屋にいた娘と家内に話すと娘も黙って聞いてくれた。

その後、本堂にて葬儀を執行。その後、桶狭間病院と打ち合わせの電話。午後一時より先日の沖縄旅行のビデオ上映会を執行する。既に人数は15名を超えだした。当寺の50インチ投影式テレビに笑いながら歓声を上げて見入るお世話人様。そこへ家内が桜を見せに母を老人保健施設より連れてきた。久し振り顔見知りの人々に母は大変満足そうであった。桜を見せて上げたいなと内心思っていただけに母の顔が見られて心より嬉しかった。家内にも心からお礼を言いたい。有り難う。

その後、電話や二進も三進もいかないお墓の相談事や、来客が続き母や世話人さん方とゆっくりテレビも見る事が出来なかった。皆さんがお帰りになる頃、葬儀の方がご挨拶に見えた。

「住職、あの葬儀。本堂で棺一つの葬儀。本当の葬儀をしたような気がする母は幸せだ。本当に有り難うございました」「そうだね。工場のような斎場で葬儀をするより本堂で棺桶一つで上げた方がズット気が利いているし私も嬉しい」とお互い心が通じる気がしてトテモ嬉しかった。本当に嬉しかった。喪主の家は貧乏ではない。子供二人は医者をしている。ご本人も親戚筋もみんな私と仲が良い。大好きなお家だ。事情があってと言うより世間には穏やかに葬儀を済ませたい意向で進めた棺一つの葬儀。カラスが鳴き梵鐘が時を告げお参りの人が立てた線香の煙が本堂にユルリと流れ込む、その中の葬儀・・・そういえばウグイスが今年は鳴かなかったな・・・

母も帰り清掃職員さんと夕刻立ち話をしながら一日を終える。マイクロバスを購入する決心を決める。

■4/5 月曜日
早朝4時電話が鳴った。夜勤受付者は夢の中か?なかなか電話に出ない。私が電話をとると「今亡くなりました」と聞き覚えのある方からの電話。早速連絡先を伺い元々決められていた葬儀社へ連絡をする。ところが葬儀担当者から「住職、連絡が取れません。」「えっ!とれない?」で私は自分のメモした電話番号を自分でかけ直したがやはり全然通じない。三重県の市民病院でお亡くなりになり葬儀屋さんからの連絡を待つとの事で伝えた電話が通じない。 私は伝え間違えたのか?いても立っておられずに第二名神湾岸道を桑名までひた走りした。朝5時過ぎ、伊勢湾の方向が黎明を告げて一日が始ろうとしていた。私の友人の医者の名前が書いてある大きな病院の玄関をくぐり、やっとたどり着くと力無く座っておられた○○さん。私の顔を見て驚いたとともに安堵の顔も見えた。「住職来てくれたの?すみません」「いやぁ 私が電話番号を聞き間違えたのか葬儀屋さんにも○○さんにも迷惑を掛けてはすまないので来ました」と一言言って電話番号をうかがうと全くあっている。病院の待合いでいたので電話が通じなかったのだ。

ともあれ霊安室までご一緒してその後、本堂でお会いする事でお別れしてお寺に帰ったのが午前7時20分頃であった。9時まで仮眠をとるも全然寝られなかった。9時より土曜日の議事で可決された事案の伝達を弁護士事務所及び事業者へ連絡すると何と信頼していた事務長が辞職していた。話が振り出しに戻るのか事業者の代表は感覚が麻痺しているのか??何も言ってこない。不思議な話と感じている所へ松井建設が工事の打ち合わせにお越しになった。無論お約束ではあったが簡単に終わらずお昼過ぎまでかかった。その間にお亡くなりになられた方との打ち合わせ。午後1時頃高野山へ出かけて所用と墓参を済ませて先ほどお寺へ帰ってきた。

昨夜も遅くまで仕事をしていて疲れているのだろうが、体がチャンと機能している。気が張っているのだろう。パソコンなんぞ止めてとっとと早く寝ればよいものを・・・。「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」・・・まだ50歳だ。頑張ろう。


■4/3 土曜日
責任役員会・総代会・評議委員会を執行する。いろいろと難儀な議題を各方面からのご意見を頂き心強くして審議を終わる。皆さん本当に有り難うございました。次回は4月24日です。

次回は婦人部の方々もお越し頂いて新しい斎場の内覧と慰労の会食会を催す事とした。初夏のおもむきがただよい始める季節となる事だろう。


■4/2 金曜日 
午前9時過ぎまでは大雨だったがカラリとした快晴となった。午前中消防計画書を提出するために資料を探す。結構面倒な手続きだ。そしてセキュリティー会社の方と赤外線センサーの打ち合わせをする。
午後より祭壇屋さんと納品の打ち合わせ。斎場の石張り工事と天井工事の打ち合わせ。昼前に少しダウンして休んでいたがゆっくりとは出来なかった。夕刻まで来客。
明日は評議委員会及び総代会だ。議題も少しややこしい物もある。気の休まらない毎日だ。

桜は満開を迎えこれから咲く八重桜は、深紅のつぼみをほころばせ始めた。春爛漫だ。明日は地元の先生の花見。私も参加したいが少し忙しいので・・・・

■4/1 ソメイヨシノは満開 八重桜はこれから
一昨日よりお世話になった方と小旅行をご一緒させて頂いた。総勢6名で春の二日間を過ごさせて頂いた。新年度もありバタバタ過ごしているとこれまた大変難儀な依頼事や相談事が帰寺した私を待ち受けていた。詳しくは書けないですが「思いも望みもしない事」に関わらなくてはならないのか嫌になってくる。顧問弁護士さん経由で内容の返事をする事とした。夕刻来客の最中に、友人から会食の誘いを受け、二つ返事で花冷えのする夜の街へお互い夫婦連れで繰り出した。繰り出したとは言え彼も正月から一日も休みもなく働いているらしく、私もバテ気味で二次会に打って出るだけの体力は残っていなかった。久し振りの彼の休暇と分かり話も弾んだ。名古屋の有名なホテルで腕を振るい、こだわりの野菜を使った料理は逸品であった。それよりもオーナーシェフの自信に溢れた顔つきが印象に残った。

人に夢を与える方が曇った顔や眉間にシワを寄せ、料理の講釈を伺ってもダメだ。むかし親しくなったホテルオー○ラ名古屋の萩原シェフは未だに忘れられない方となっている。現在は東京のホテルオー○ラで活躍をされているという。笑顔でわざわざテーブルまで来られて色々な料理にまつわるお話を元気よく、歯切れ良くご紹介をして頂き、彼の料理を頂いた。勇気ある料理、唸らせる料理・・・色々お話を伺ったが「なるほど!うぅんんん・・・成る程!」っと云う物をお出しして頂いた。
幾ら良い物をお出ししても夢や感情のこもっていない物はアカンですな。愛知葬祭の金森会長さんが仰っておられた「本物の時代からホントの時代に変わりつつある」と言う言葉が帰りの車中で耳に付いて何度も聞こえてきた春の宵でした。