■1/28
晴れ  乾燥した日が続く
今年は花粉が数十倍と飛散するという。アレルギーをお持ちの方はとても大変と思います。薬を飲むと眠くなる。マスクをして眼鏡をして外出しなくてはならない。本当に困る季節が目前に来ている。幸い私は花粉症がないので安心はしているのですが何時罹るかも知れないと思うと怖くなる。

一昨年花粉症で困っていたお寺の人へ粉のお茶を差し上げた所、とても喜ばれた。飲んでスグに効果が現れ鼻水も目のかゆさも軽減したと喜ばれた。名前は「十四山茶」と少し聞き慣れない名前である。耳かき程の粉をお湯に入れて飲むと翌日はかなり辛さが軽減され明るい顔をしていた。ご参考になれば幸いです。
知り合いに蕎麦アレルギーの人もおられます。蕎麦の粉が空中に舞っているだけで気管支が狭まり窒息状態になってしまう。顔はバンバンに膨れ始め目は細くなり顔色は青くなり始める。恐ろしい事となる。緊急に病院へ搬送して気管支拡張剤の点滴等を施して貰わないと最悪の事態となる。

お蕎麦が大好物だった人の話です。今でも腹一杯蕎麦を食べたいと言う。我慢して何時も冷や麦を食べている。その冷や麦を食べる時も「蕎麦と一緒に湯がいていませんね?」っと尋ねてから店に入るくらいの用心深さ。

花粉症が酷くならないように、罹らないように心がけたいです。明日は丸チャンが寒修行の御嶽山から帰ってくる。当てにして明日を迎えよう。
■1/27
晴れ  
朝より枕経、法事で楽しく会話をさせて頂き、お昼前にお参りをすませた。葬儀での案内と言うより助言をさせて頂き耳を傾けて頂いた。
午後よりは自分の部屋の大掃除をした。不要の物や着ない物、本や雑貨など何時も勿体ないで取っておいたが家族の部屋替えを私が宣言したので、家族それぞれのの大移動が始る。その為には掃除と不要品の整理が絶対条件となる。子供たちも全て高校も終えるので気分を新たにする為の移動。精力はいるが新しい空気が生まれ始まりが訪れるような気分でもある。
■1/26
晴れ  
 友人と夜の名古屋へ出かけた。「何処へ行こうか?」「そうだね、お父さん預かり所、でも行くか」と言う事でいつもの楽しい飲み屋さんに出かけた。今年初めて行くのでお店の方らか「お久しぶり」と明るく返事をしてくれた。いるいるお父さんが一杯、楽しそうに語らい笑い飛ばし歌を歌っている。
隣の二人組に声をかけると楽しそうに返事をくれた。「俺たち昨日も来たんだよ」「へー、所で古チャン来た?」「昨日の晩来ていたよ」「会っていないのでまた来たらよろしくね」なんて馴染みの会話を続ける。

私は暖かいウーロン茶、連れも同じ物を飲みながら数曲歌い、替え歌を歌って大笑いして過ごす内に、新たなお父さんがぞろぞろ入ってきた。さあ帰ろうと席を立つと隣のお父さん二人も立ち始めた。友人に小声で「何でこんなに来るんだろう?」っと顔を見合わせる。キット懐メロが不思議に馴染み客層がのんきなお父さんばかりだからキット人を呼ぶのだろう。

 お店を出たのが夜の9時、凍てつく街を後に駅に向う途中、またお寺から携帯電話が鳴った。
のんきなお父さん・・・ 青春を懐かしみ盛り上がる
真ん中のお父さん! こっち見て!
■1/25
晴れ  
午前・午後と葬儀を済ませる。明日からは丸チャンが御嶽山へ寒修行に出かける。住職代理と二人で慌ただしくお参りをしなくてはならない。お寺の僧侶は御経ばかりでなく実践として寒修行をしなくてはならない。とは言え風邪を引かずにシッカリとお参りをして欲しい。
葬儀を上げた方より大変な感謝の言葉を頂く。六波羅蜜会堂を利用して貰う殆どの方と言うより全員よりお褒めを頂く。有り難い事だ。私は当寺の斎場を利用してくれた方へ輪袈裟を差し上げている。丸くなって首に掛ける袈裟の事。元々は糞雑衣(ふんぞうえ)と言ってトイレの時にお尻を拭く布で、捨てられた布を集めて古代のインド僧が袈裟と利用し始めた事に由来する。
輪袈裟にはお寺の山号と寺号が刺繍されている。この由緒をお話しして一家の仏様を主として祭る方へ手渡しをしてシッカリとお祭りして頂くようにお願いをする。
私がお参りに行く時は大凡の方はこの輪袈裟を着衣してお参りして貰っている事に誇りを感じる。輪袈裟を作って良かったと思う。

それにしても忙しくて今月の月例会議が未だに招集できない。
■1/24
晴れ  東京日帰り出張
昨夜遅く東京到着。朝、朝食を頂いていると葬儀の依頼が入る。今日は丸チャンがお休み。全てをキャンセルしてお通夜にとんぼ返りをしなくてはならないかも知れない。しかしせっかく来たのだし。
慌ただしく丸チャンのお寺へ電話すると夕刻必ず伺いますとの返事を頂き、住職代理と時間の調整を済ませてホッとする。日本青年会館にて会議とセミナーがあり終了後、知人と待ち合わせをして車に乗る。事情を話すと駅まで送ってくれた。車中の短い時間に色々な話をして名古屋へ帰る。疲れた。
セミナーに来られた講師のお寺様方のお話はとても参考になったし次回のセミナーも是非伺ってお寺の事業の参考にしたい。
■1/23
晴れ  
午前・午後と夕方まで落ち着かないでバタバタして一日を終える。葬儀を終えられた方より「六波羅蜜会堂」の事を大変喜んでくださった。昨日も言葉にならないくらいの感謝とお褒めの言葉を頂いた。有り難い話で、本当に嬉しく感じた。
明日は東京へ日帰りで出かけなくてはならない。住職代理にお通夜に行って頂き丸チャンはお休み。何だか忙しい。
節分も間近に迫ってきているので手抜かりの内容に進めたい。他のhpも今手がけているので結構忙しい。
■1/22
晴れ  多忙な一日
午前中法事から夕方まで落ち着かないでバタバタして一日を終える。
母の見舞いに夕刻出かけてきた。私の顔を見ると嬉しそうに手を振ってくれた。少し落ち着かないのか彼方此方をキョロキョロとする。お婆さん、何か欲しい物はない?っと尋ねると「ご飯が食べたい」と私に返事をしてくれた。母の友人の亡くなった事や知り合いの事を話しても余り関心を示さなかった。
 「お婆さん、桜をまた見たいね」っと言うと「うん」と返事をしてくれた。元気な頃、桜を二人で見ていて私が「お母さん、来年も二人でこの桜を見ようね」っと言うと「有り難う」と私の横顔を眺めてくれた。もう一度「有り難う」っと言ってくれた。今母に桜の事を言っても「うん」としか言ってくれない。寂しいけど同じ空気を吸って会話が僅かながらも出来る事が私にはとても幸せだ。
夢の中で母が元気に私に返事をしてくれる。もう一度元気で明るい母の言葉を聞きたいけど難しいだろう。でも良い、私と話を知れくれるから。何時までも居て欲しい。いつまでも
■1/21
晴れ  なな月参りの日
今年初めてなな月参りの日。福引きもあるので多くの方がお越し頂いた。その後法事や、葬儀、来客と一日をバタバタと過ごした。夕刻はお通夜に住職代理が行ってくれる。
今日は雪が降ると行っていたが朝起きても雪一つ無かったので拍子抜けした。明日も朝から忙しいく全僧侶が時間刻みで動く。交通事故だけには気を付けて欲しい。
■1/19
晴れ  吹き出した話
久し振りに運動に出かけた。健康が大切と思い通い始めて数年になるがマメに出かけるか、というとそうでもない。インストラクターの方より「お久しぶり」っと言われると照れくさい。

一応の運動を済ましてプールに入った。最初は冷たいのだけれど段々と体が慣れてくると気持ちが良くなる。何度も往復して運動を終了する。シャワーを浴びて休息室で水を飲んで、壁のチラシを読んでいたら隣のご婦人達のお話が耳に入ってきた。

「私ね、ずーっとプールを続けてきて順調に体重も落ちてきたのよ」
「そう、良かったね」
「うん、所がさ、この間医者へ行って体脂肪見て貰ったら、夏よりも増えているのよ!」
「へーそうなの!」
「でぇ、医者に聞いたら『あんた、冷たい所にいないか?』って聞かれたのよ」
「それで?」
「冬は冷たいけど、おかしいな?チャンと運動もしているのに」と言うと
「医者は『プールに長く入ると太るよ』っと言うのよ」
「ふーん」
っと会話を側で聞いてしまった。

極寒の海にいる動物を思い出し思わず吹き出しそうになってしまったがぐっと我慢してお寺で話したら大笑いになった。
呉々も冬のプールは短めにした方が良いです。
■1/18
晴れ    
今日は女性世話人会のお手伝いがあり楽しそうにお話をしておられました。「住職さん、私たちこれからもお手伝いをさせ頂いても宜しいでしょうか。仕事もはかどってする仕事もあればいいのですが・・・」っと耳を疑うような事を尋ねられた。「お札も相当に折ったし福豆も入れたし何か仕事をしたくても・・・」が心配の元であった。私は「仕事があっても無くても毎月第一と第三の火曜日は手弁当でお寺へ遊びに来てください」と返事をすると、みんな大変喜んでくれた。私も嬉しかった。お寺がみんなの寄り合いの場所になっている事に誇りを感じます。
そうこうしていると「住職さん、中部新国際空港を見たいな」と暗にドライブに連れて行って欲しいリクエストがあった。「よし、今から行こう」っと行ってマイクロバスで出かけた。しかし行く先は全く違う長島温泉となった。結局何処でも良いのだった。みんな、揃ってあちこちに行き楽しく過ごす事が何よりの楽しみとなっている。私もそんな気持ちを想い計らって良い関係を何時までも続けたい。
マイクロバス中で「台湾へ行こう、湯布院へ行こう」と色々な楽しみを私にぶつける。「よっしゃ、よっしゃ」で一日を終えた。
■1/17
晴れ    
暫くの間、備忘録を失礼しました。メールを頂いた方にはご心配をお掛けしました。また本日から再開しますのでよろしく願います。 ○| ̄|_
明日は女性世話人さんがご参集してボランティアをしていただけることとなっております。節分も近くおマメを袋に入れて頂こうと思っています。何時も有り難うございます。風邪はすっかり良くなり元気でお参りに出かけさせて頂いております。
■1/9
晴れ 寒い一日   
普段の日曜日と同じで僧侶は一日法事やお参りをさせて頂いた。ご祈祷もこの時期の合格祈願が多い。
日に日にスマトラ沖の地震の被害が大きくなる。地震発生から2〜3日はこれで良いのかと思うくらいマスコミも静かだった。年の瀬という時期が遅らせたのか災害の重大性の予断が、私が思うに相当遅れたと思う。
今一番大切なのは、救援物資や緊急に必要とする援助を平等に配布する事が第一と思われる。色々な国々は様々な思惑で援助を開始している。すでに援助を受ける国々の通貨は、援助の為の換金で一儲けする人間の餌食となりるるあるし、子供の人身売買という理解できない事を思い付く人もいるという。
 しかし改めて思えば、明日の自国と考えれば今の国境を越えた援助、国連の役割を十分に発揮して、今後の国際援助のあり方の手本となって欲しい。幸か不幸か日本では法案が通っていたので自衛隊が出動可能であったが・・・考えると二進も三進もいかない国になっていたのかも知れないこの国。

お寺たりとも同じで、常に問題意識を持ち、改良と工夫を重ね常に軸足をお参りに来られる方々や、檀家さんの思いに軸足を置いて考えなければいけないとも思う。
この間の評議委員会の余談で「災害時にお寺の役割を考えよう」と言う話も出た。お寺が潰れなければ建物も残る。現在当寺には、ユンボ、発電機、緊急貯水タンク(5t)、チェーンソー数台、ダンプ、電動ウインチ、遠距離トランシーバー8台等々災害時には大活躍する品々が既に現在倉庫にある。しかしタダあっても仕方がない。以下に効率よく災害に資するかが問題と思う。
打合せのない人が100人いるより連絡の密な5人の集団の方が機能的だ。
今春の評議委員会や責任役員会で、災害時の緊急対処と被災者への対応のマニュアル作りを私は提起するつもりだ。このhpも利用すれば被災者への掲示板を創立させると情報も整理しやすくなるだろう。
■1/8
晴れ  とても寒い
風邪が酷くなり受診した。
午後より枕経に出かける。昨年10月にお婆ちゃまの三回忌をさせて頂き、お寺の応接間で楽しく会話したのに・・・・

故人は日本画家で私に二曲一双の天女の屏風絵を贈呈してくださった。また平成四年、楠会堂別館(現、雲上楠会堂愛昇殿)の竣工時には「つくし咲く山桃の絵」を記念贈呈してくださった。屏風も山桃も大作の絵で双方とも院展や東京都知事賞を受賞した作品でありました。
「本堂の天井も絵天井に」とか「長谷寺の国宝版木で刷った当寺の両界曼陀羅に着色したら」と色々提案をしてくださった。優しいタッチの日本画の一つも私の寝室に掛けさせて頂いている。
枕経に出かけると、安置されているお部屋には贈呈してくださった作品の小振りの作品がお部屋に飾られていた。大作ばかりをお寺に寄付してくださったんだな〜と改めて感謝をした。私の事を何時も「住職」と呼ばずに「方丈様」とこの地方ではあまり使わない尊称で呼んで頂き、私も嬉しかった。寺の中でも私を「住職」と呼ばずに「方丈と呼んで欲しいな」と心の中で密かに思っていた事もあった。「方丈様」っとにこやかな笑顔はもうお会いできないと思うと残念でならない。
遺言で六波羅蜜会堂で社葬形式の葬儀となる。ご冥福をお祈りします。
■1/7
晴れ  高野山へ日帰りで墓参に出かける
お正月に本山墓所へお参り行っていなかったので急遽日帰りでお参りに出かけてきた。山頂は雪も少しあり夕暮れ時のお参りであったのでとても寒かった。奥の院の雪を踏みしめて危うく滑りそうにもなった。
杉の枝が折れてお墓の上にのり、人の気配もない奥の院はとても寒かった。お寺を開創された先師の御霊や墓所に眠っておられる諸霊位のお参りを心を込めて読経させて頂いた。お山に登る途中、陽が雲間より差し込んできた。天台の円珍僧正が「・・花坂上る 今日のうれしさ・・・」と詠まれたがこの歳になって初めて「今日のうれしさを」を何となく味わえたようであった。

風邪気味で天理の山から下りる時に耳が全然聞こえなくなり、富田林付近で耳の通りが戻り、再度高野山から下ったら耳の聞こえが悪くなった。耳抜きをして鼓膜をひっくり返す試みをするのだが上手く行かない。
全日空のパイロットの友人が「下手すると医者行きだぞ」と言っていたが一時は、車を止めて何処か医者に行こうかと思う程、耳が痛かった。

ともあれ、21時30分にはお寺に帰れた。早く休ませて頂こう。。。
■1/6 雲/雨  風邪が酷くなる
風邪が酷くなる。一日養生をしているがダメだ。どうしてこんなに風邪を引きやすくなっているのだろう??乾燥している部屋にいると喉がカラカラになる。噴霧器をネットオークションで求めて数台利用している。加湿器がかかっていると安心する。体が湿っぽい。足も手も湿気ている。寝てもグッスリ寝られない。暖かくするとほんのり汗が出る。少し脱ぐとぶるっと寒気が走り背中が冷え冷えする。養命酒でも飲もうか?
■1/5 晴れ 寒い一日   
娘の中高の成人式が名古屋のホテルであった。私は行けなかったので家内が朝から美容院や着付に走り、祖母のお見舞いをかねて孫娘の振り袖姿を見せに連れて行った。初めはどうも分らなかったみたいだが分ると涙を流して手を握り、喜んでくれた。
その様子を伝える電話が家内から私にはいると、今までバタバタしていた自分の気持ちが急に嬉しいというのか、寂しいというのか、心の中で言いようのない思いが込み上げてきた。

 「今からお婆さん、成人式に行って来るよ」「そうかい、早お行っておいで」っと人様に迷惑を掛けないで来た母は、娘に成人式に遅れないようにと、言ってくれたそうだ。・・・・・・・

着物姿の娘は今までの子供とは違い、私が思うに立派に成人した姿であった。寂しくもあり嬉しくもある。この子の行く末に幸いあれと念じられずにはいられなかった。「子を持って初めて知る親の恩」今日程、母の言葉と娘の姿に目頭が熱くなった。この先、健康で過ごす事がこの子らと母と、お寺と家族の為と、思いを新たにしました。おめでとう、我が娘!
■1/4
雲lり 時折パラパラと雨が降る
昨日もインドネシアの津波で邦人が100名以上行方が不明と書いたが実際に連絡の取れない方々が600人以上もおられる。アメリカ人は5000名以上もおられるという。危機管理と言うが遭難されたご家族には本当に同情する。正に危機的な状況で現地へ行かれても、手の施しようが無いというのが実情だろう。当寺も本山からの指示を得て何かしらさせて頂く所存です。

危機的状況と言えば何処かのサイトで日本の財政の危機的状況を数字で示されていた事を思い出した。その一文を無断でコピペ(コピー&ペースト)すれば驚きの内容がお分かり頂けるだろう。そのタイトルは「平成16年日本の家計簿」と言う表題が付いている。
原文は

<収入>
世帯月収・・・・・手取り39万円(ボーナス分もならしている)
-------------------------------------------- 
収入合計・・・・・・39万円(a)

<支出>
家計費・・・・・・・・41万円
ローン返済・・・・・・15万円
田舎への仕送り・・・・14万円
-------------------------------------------- 
支出合計・・・・・・70万円(b)

a−b=39万円−70万円=
▲31万円
不足分・・・借金(=赤字国債)

<ローン残高>
日本のローン残高・・・・
5000万円

借金を借金で返す、典型的な自転車操業状態。国債の利息1時間小学校が1校建ち、1日分でロケット2台作れるほど
手取り月平均39万円なら、会社員であれば、税込年収でだいたい580万円。これを前提にするなら、民間の銀行で住宅ローンであれば、現在なら、最大貸しても3270万円。5000万円のローンは明らかに借りすぎ。借金は無担保のローン6割が赤字国債)。さらに悪いことに国債だけでなく平成166月末の段階で、政府短期保証債合計、729兆円超。国民1人あたり570万円の借金

以上原文を載せました。しかしまだ悪い事に、年金保険の将来し払うべき金額、政府の支払い義務のある費用は一切入っていない。当然貰えると当てにしている人達は、試算の視野外である。
津波は突然やってくるが、この負債は確か昭和41年頃に国債を発行し始めた時からの積もりに積もり、莫大なエネルギーを蓄えた大津波とも言える。金融大津波は国債の返済が滞った時、デフォルト(債務不履行)で発する大津波。円と国債の暴落が世界中の金融を根底よりひっくり返りトンでもないハイパーインフレがやってくる。あまりピント来ないかも知れないが現実に国債の償還する原資が無ければ借金は債務不履行に陥り破産する。破産すると債権者が突然押し寄せて来る。 私の家は貯蓄はあっても国には貸しがないので困らない・・・かも知れない。が、虎の子の預貯金は猛烈なハイパーインフレに煽られて大根一本100万円の世となれば何の価値もない「円」となる。この津波を起こさせないように通貨当局は努力している。
東海地震も叫ばれて久しいがモット身近に津波が忍び寄っているように思える。では自分だけ津波に遭わない方法は、有る事はあるだろうが、それは亡国の徒となる方法しかない。

起こりもしない物を、ワザワザ探して心配する程、愚かな事はないけど、津波も地震もチャンと用心をする事にこした事はないと思う。しかし金融大津波は相当にうねりだしているように思えて仕方ないのは私だけだろうか?「もう私たちは、孫のクレジットカードまで使い果たした」と橋本前総理が言った言葉を思い出す。


■1/3 晴れ 乾燥した一日
風邪もすっかいり良くなり一日を過ごす。正月三が日も今日は殆ど参詣もなく静かな一日であった。忙しくしているのでまだ一歩もお寺から出ていない。何となく正月の浮かれた気分の世間を味わいたいのだが果たして、正月気分の世間であろうか??
 津波の被害で緊急に180万人分の食料が必要という。伝染病が蔓延し始め追い打ちをかけるように、現地で日本人の被災され行方不明になっている方々も未だ100名以上に上ると言う。他人事のように思えるが、被災して既に一週間、これが飛行機事故やハイジャック、テロで有ればこの様な悠長な対応を果たしてマスコミはするだろうか??
安否情報はどうしているのだろうか?
本当に津波の被害に遭われた方々にはお気の毒としか言いようがない。その中で象に乗っていた観光客が、象の直感で助けられたという。津波が発生した時に騒ぎだし、程の無くして落ち着いたがその後、高地を目指して走り出し津波の被害を免れたという。鎖につながれた象はその鎖を引きちぎって山の上に爆走したという。
また、動物は一斉にいなくなり猫一匹たりとも被災地にはいなくなったという。人間が開発し計画的に自然を管理していてその恩恵に私たちも浴していても、動物が本来持ち合わせる直感は既に退化して無くなっているのだろう 
退化は数十年は数百年では起こりえないだろう。きっと人に火を使わせた時より神が取り上げたのだろうか?

■1/2 晴れ 風邪でダウン    
とうとう風邪をこじらせてダウンしてしまった。毎年2日にご祈願に来られる方も5日に変更をして頂いた。今夜はお通夜もある。住職代理に替わって貰ってまたこれから休みます。新年早々失礼しました。
             
■1/1 晴れ 元旦    
平成17年の元旦は穏やかな始まりであった。昨夜の除夜の鐘には多くの方々がご参詣においでになられた。私は声がかれてしまって風邪を酷く引いていた。しかし元日も除夜の鐘も寝ている訳にも行かず走り回っていた。
「去年より少しお参りが少ないかな?」っと巡回の警察官の方が仰って見えた。世話人さん方は「今年は多い」っと言う。まあ取り敢えず鐘餅が残らなかったし盛況で終えられたのでホッとした。除夜の鐘の写真を数枚アップします。
11時45分頃から多くの方々が
ご参詣を去れた
龍神様のお堂の前の
かがり火で暖を取って頂く
本堂前の献香台 お線香の点火は
清浄火より受けて火を付ける
受付ではお札やおみくじが
一番人気です
この中には強力な石油ストーブが
設置され休息所となっている
「甘酒」と「さーたーゆ」と言うお飲物。「さーたーゆ」は馴染みがないがお奨めすると
子供以外殆どの方は「珍しくておいしい」「甘いけどあとくちが良い」と
お年寄りも若い方も、男女を問わず不思議に大好評であった。
世界遺産である沖縄「今帰仁(なきじん)城」の入り口でサトウキビから煮詰めた
シロップです。一度飲んでこれはキット良いと思いつき今年はさーたーゆを
お出ししました。来年も是非お参り下さいね。