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平成18年7月分

7/29
      梅雨明けはまだ先らしい      
一体何時になったら梅雨が明けるのだろうか?蝉は申し合わせたように一斉に鳴き始め暑さに追い打ちをかけているようだ。先日下見をしてきた白馬付近では「ひぐらし」がカナカナ・・・っと切なそうに林の木立の間から聞こえてくる。当寺境内からはアブラゼミという名前からして暑苦しそうな名前の蝉が割れんばかりの大声で終日鳴いている。夜中もだ。カナカナ・・・っと鳴く切ないヒグラシ。涼やかにも聞こえる。

今日は午前中、お詣り等で忙しくしていて午後からは京都の仏具屋さんが来られて本堂内陣荘厳の打合せと採寸にお越し頂いた。暫く歓談をして帰京された。夕刻友人を誘い外食をする。入院していて退院したばかりと言う。ここの家は円満な家で友人が入院しても息子が会社をチャンと切り盛りしてお父さんの代わりをおられる。奥さんが「みんなに育てて頂いている」と嬉しそうに仰る言葉を聞いて羨ましくも思う。カラオケに流れて一日を終えた。
7/28
      
きゅうり加持祈祷会が終わりお盆の案内も発送を昨日終了した。私はこの一週間本当に忙しく彼方此方を走り回っていた。24日は後かたづけと掃除を世話人会の方とご一緒に済ませた。ただお寺の内部の細かな事は僧職でないと分らないので最後の仕上げは私たちの出番となった。翌日25日午前中来客や境内職員さんの面接やお盆の細事の突き合わせ。午後からは母の老人施設の転居と新入所施設の諸手続で夕方まで対応に追われた。諸手続の終了と母の安んじた姿を見届けた後、唐突ではあるがその足で長野県黒部まで出掛ける。扇沢には午後9時頃の到着であった。

黒部ダムの手前、扇沢。と言うのも近日中に出掛ける世話人会小旅行、黒部ダムと白馬の下見が終わっていないし、下見の日時もこの二日間を逃したら時間がないので急遽、出掛けた。やはり下見はするもので栂池付近の山頂は気温15度程度、水芭蕉や残雪が残り春先とは言い過ぎだが服装や履き物は注意が必要なる事を確認する。栂池や八方、岩岳等の行程や起伏を考慮して栂池のロープーウエイを乗り継ぎ、白馬中腹にある自然園を見学する事として下見を完了した。黒部から立山への行程は一度出掛けた事があるので省略して帰寺する。

27日からは横浜と東京にお詣りの依頼を受けた複数のお檀家さんをお詣りに出掛ける。知り合いのお寺にも色々とお願い事や知人ともお会いして28日夜に帰寺する。外泊や外食が続くと体も辛いけれど、何だか落ちつかいない。この一週間、外出ばかりでした。
7/27
      
更新が遅くなっています。机に向う時間がないので失礼な事になっております。

新しく境内清掃の人が二人加わりこの間のきゅうり加持の片づけをして頂いた。これから暑くなりまた、暑くなるので慣れるの事も大変かと思います。少々私も留守がちであり仕事のお話を伺う事が出来ず仕舞いであるけど落ち着いたらお伺いするつもりだ。では失礼します。
■7/23      きゅうり加持祈祷会
たくさんのご参詣の方で終日賑わいました。お寺の世話人会の献身的なご奉仕で無事に大祭が終えられたと心から感謝を、改めてしております。準備、片付けは大変な作業であります。大祭当日のお手伝いも70名のお世話人さんのお手伝いがあればこそ3000名以上のご参詣者のご対応が出来るというもの。ローソク係、お茶係、かき氷・綿菓子、ほうろく灸、護符担当、パソコン担当、受付担当、厨房担当、洗い場担当、案内担当、・・・・言えば切りがないのですが無事済んで何よりでした。私が住職になった頃と比べると本当に幸せです。当日の様子をアップしますのでご笑覧下さい。

当日の受付風景
きゅうりに名前と歳をお書き頂き受付へ
本堂へお詣り下さい
本堂でのお詣り お詣り後のお加持
境内でのパソコン受付 御朱印所
ほうろく灸の風景 暖かいお灸の熱が頭の中心に
気持ち良いです
たくさんのご参詣がありました お守りは如何ですか?
葉書忘れの受付と新規受付
お寺のサーバーから直結です
初めての試み・・・好評でした
綿菓子とかき氷
龍神堂へのお詣り
土用丑と言えば「うなぎ」ですね  お寺では精進の「うなぎ小椀」をお出ししました
山芋と豆腐を海苔に付けて揚げる・・・うなぎの感触が好評でした
大好評でした かき氷に綿菓子はいかが??
住職さん、トッテモ忙しいですねって
担当世話人さんのお話
大木「タブの木」の下での
綿菓子とかき氷
(担当世話人さんも上手になりました)
7/21
      手伝いの方が来て下さった      
お世話になっている業者の方達がカッパを着て色々と23日に迫った祭礼外部の準備や看板類を作って下さった。昼過ぎからは少し晴れ間も出始めて段取りもはかどった。明日は世話人会の人達がお手伝いにお越しになって頂く。天気も良さそうだという予報。準備だけは順調に済ませたい。

明日はお寺で2件の法事と会食がある。外部での法事やお詣りも多く僧侶達も準備に立ち会って用意を進める事が難しい。私の不安は募るばかり。今年のきゅうり祭の準備程、心落ち着かない準備はない。気疲れして睡眠不足で身体も不調気味。気分転換を図ってっと思うが・・・
7/20
      続、心落ち着かない日      
昨日のホンの晴れ間の一時、23日に迫った準備を僧侶や寺務方全員で行なった。テントの立ち上げ、倉庫からの持ち運びの品々を搬入、パイプイスの積み上げ等・・・晴れれば暑い炎天の下、ほぼ大がかりな事柄は済ませてしまった。

明日21日再集合をかけた男性世話人会の当面の用はなくなったので22日の最終準備に天候回復を望むばかりだ。祭礼当日の雨天は参詣の方がとても可愛そうだ。遠来を重いキュウリの数本も持参されてお詣りされる姿を見るといてもたってもいられなくなる。曇り空で不足は申しませんので何卒お天気を順和に願いたい。

今日、名古屋港湾会館にて表彰を受けてきた。海事功労賞を頂戴した。久し振りに頂く賞状に嬉しいやらはずかしいやらで同じく受賞者同士で「何もしていないのにね・・」なんて言いながら頂きました。記念撮影までして頂き心はお祭の事なんぞドッカヘ飛んでいってしまいました。会館を出るとまた雨降り・・逃げる訳には行かない。22日午後2時頃より準備のスパートに入る事となる。
7/19       心落ち着かない日      
祭礼の準備をしようとしても雨で結局出来ず仕舞い。世話人会のお手伝いも順延となり何も外部の準備が出来ていないので心穏やかでない。当寺の天気如何よりも行事だけは済ませなければならないので気を揉む。

午後より婦人部の方に御札の準備をしていただく。夕刻より私の主催の「多武峰の会食会」を名古屋にて行なう。楽しい一時に色々な話題が出てあっと言う間に時間が過ぎてしまった。元大学長、弁護士、大学病院管理部長、筆頭法類住職、私、家内、娘との7名で会食。世の中広いようで狭い物とつくづく感じて帰寺する。
7/17       半日ゆっくりと休養
朝、日がさして太陽も少し拝む事が出来た。朝のお勤めをさせて頂き半日ほど休養をとった。休養と言うと聞こえが良いが単に布団を被って寝ただけ。お昼過ぎに目を覚ます。とてもよく休む事が出来て体も頭もスッキリした。

住職代理が枕経から帰ってきて報告を受け戒名をお付けして寺務所に座っていると小学校時の友人が尋ねてきてくれた。「あぁ、懐かしいなー。ここの廊下で寝袋に包まって寝たな。お父さんに『ええ加減にせんか!』っと叱られたよ」と友人は笑う。彼は学力優秀で東大にでも入っていたかと思っていたが・・・。

この間、葬儀をして初盆や忌明けの相談に来られた。頭の良さは昔と変わっていないのが凄いなと思った。宇宙の話、中国の話、今の日本の話、お互いの若かった頃の思い出話・・・・一時間ほどの時間がすぐに経ってしまった。

明日は男性世話人会のメンバーで大祭の準備をするつもりだがこの矢来の雨の音を聞くと明日は無理か?明日は葬儀、世話人会祭礼準備、夕刻は私が主催する『多武峰(とうのみね)の会』の会食会がある。本日、半日ほどゴロゴロしていて本当に良かった。
■7/16 曇り       蒸した一日
梅雨が明ければ暑いし、明けなければ蒸し暑い。普段と変わらない日曜日を過ごす。団扇は全て書上げたが少し足らないような気がしたので追加でもう1000枚、樹脂製ではあるけど、発注した。20日頃に到着するのでもう一仕事が出来た。

夕刻より僧侶内での打合せ会議を開ききゅうり加持の段取りの再見直しをした。境内での屋外作業予定日18日に葬儀が出来て僧侶の手伝いが出来なくなったので急遽男性世話人会の出動をお願いする事となった。皆さん快くご都合のつく方はお手伝いを頂ける事となった。有り難い事です。字面だけで有り難いのでなく本当に感謝する。

初盆の方へのご案内状を発送したのでお盆の行事への問い合せも増えてきた。月末には棚経のご連絡状も発送予定だ。混乱しないように寺務方が余裕を持って対応できるよう、案内状の発送も気を付けなくてはならない。気の休まらない日々が暫く続く。
7/15       酷暑+蒸し暑さ
チラリとセミが声を上げていた。暑い。一言。

午前中色々とお詣りを済ませて午後は久し振りにお詣り大好き先生のご機嫌伺いも兼ねてお詣りに出掛けた。玄関から良く冷房が効いていて気持ちが良い。「おおぉ、おっさんが来てくれた」と先生が奥さんに声をかける。仏壇は三階にあるのでエレベーターのボタンを押すと「チョットおっさん待ってて」と奥から何やら持ってこられた。久し振りのご無沙汰のお詫びを申し述べお詣りを済ませる。振り向いて挨拶をすると色々とお話が始まった。

来月に善光寺へお詣りに行くという。良くお話を伺うと善光寺は三箇所あり甲斐、信濃、飯田だと言う。恥ずかしい話しだが私はよく知らない。先生はこの道40年のお詣りの達人。こちらは紺屋の白袴で何も知らない。善光寺の細かい境内地図を広げて見せて頂くととても参考になる箇所があり感想を述べると、上げると言われてコピーを頂いた。

奥さんがニコニコされながらお茶のお代わりを持ってこられて「私は付いて回るだけでよく分らないのよ」と仰られる。あそこのお寺、あっちのお寺と全くお医者さんではあるが、お寺の先達さんだか分らないくらいのお寺に通じられている。

私が「このお寺の院号は良いですね」というと「僕の院号は『医道院』だよ」とご自身で既に勝手に決めている。「むむ、、、医道院ね、昔は薬師さんが医者に値するので『薬王院』では?」と言うと「僕は医の方だよ」ニッコリ笑って既成事実としてもう決めておられる。

引き続き彼方此方のお寺のお話を伺う。先生はキッとこれは知らないだろうと「先生、湖東三山巡礼とは違う湖南三山のご存じですか?」と尋ねるとニッコリ笑って「それは去年の秋に出来た新しい霊場、もう2回行ったよ」っと勝ち誇ったように、鼻の穴を大きくして笑って奥からパンフレットを持ってこられた。実は弟から良い霊場が出来たから一度お詣りに行ったらと勧められた出来たてホヤホヤの霊場。このお詣り大好き先生は既に2回も参詣に出掛けてきているという。

「僕はもう80歳だよ。足腰が弱ったので・・」と仰った。私が「目が遠くなった、治らないかね?」とお尋ねすると「あぁ、治らんね」と言われ大きなルーペを持ってきて更にお詣りのお話を伺った。暑い暑い夏の午後、涼やかな先生とのお話をさせて頂き気が付いたら一時間程が経っていた。
7/14       酷暑と言うべき暑さ
ここ名古屋は真夏の暑さ、、、35度を当地では観測したという。梅雨明け前ではあるが大変な蒸し暑さでありました。午前中幾つかのお詣りを済ませてきゅうり加持祈祷会の準備を精力的に進める。団扇を記念品に一軒一本を差し上げる事となっていて染筆を進めなければならない。色々な文字を筆で書く。昨年の残りを除いて今年だけで2000枚の団扇を書く事になる。既に1000本以上を書上げたが未だ道半ばという雰囲気。

彼方此方に行き来すると寒暖のせいでしょうか?クシャミや体がだるくなったりで身体はまだ夏仕立てにはなっていないようです。色々とする事が多く気分が落ち着きません。毎年の事なのですが手抜かりを想うと落ち着く事は難しいです。

字を書いていると気分が良くなる。筆を持って書いていると何かしら気分が落ち着く。筆ペンとは違う筆の味わいは矢張り、便利だけでは無い良さを改めて感じた。好きな文字では「縁」「平安」「無事」「寶」「浄心」「感謝」・・・色々な文字を書く。お使い下さる方に少しでも喜んで貰おうと書いている。

あと少しで7/23土用丑の日が来る。あと一息です。それと今年から「延命うどん」から「精進うなぎ小椀」をお接待に出させて貰う。土用丑は「うなぎ」を頂き夏を乗り越えると言います。お寺はまさか本物のウナギをお出しする訳にはいきません。「精進」と言って殺生をした品を頂く事は戒律により厳禁されています。

そこで精進料理の「うなぎ」をお出しする事となりました。大変手間の掛かる事ですが、豆腐と山芋をよく混ぜてお海苔に付けて揚げるとウナギそっくりに出来上がります。タレを付けて頂くとウナギドンブリそっくりになります。今年から変わるお接待。多くの方にご参詣を頂きたい。
7/13       深夜の電話
若い頃は何でもなかった事がとても辛いことになることもあります。

最近よく葬儀の電話が真夜中に入ります。以前は夜中に度重なる電話を貰っても頭の回転は寝ぼける事はなかったです。電話を取って返事をして起きたり休んだりして一日が始っても大して苦ではなかったような気がします。

ここの所、老化が進んだのか、性根が弛んできたのかとても身体がついてきてくれない。昔の繰り言を言っても仕方ないが朝のお勤めを欠礼してしまった。何だか寂しい気分です。少し早いですが今日の備忘録となってしましました。
7/10       
お盆の事務最終確認業務を完了。後は事務処理を施して配送となる。毎年お盆参りの順番をパソコンで管理しているが事務処理を怠っていたために一日中この作業の確認と付け合わせ、初盆の確認をして一日を終えた。案内に間違いがあっては失礼なるので大変に気を遣う。

梅雨のせいか体が何となくだるくて眠い。湿気もあるので鬱陶しい気分である。パソコンのソフトの問題でソフトハウスに電話を入れて色々と質問や確認をすると、20年以上お付き合いのあるSEさんの声が、何だか元気ない。御殿場に住んでいる彼、「梅雨で曇り空や湿気が多く気分が重い、何だか引きこもっている」と返事された。

「何処かへ出掛けて気分転換をしたら・・」と外出を勧めると「独りで行っても詰らないので誰か紹介してくれたら出掛けます」と返事をくれた。「そりゃそうだろう・・・独りじゃね」。電話口から照れ笑いする彼の声が聞こえてホッとした。

もうすぐに真っ白い雲が紺碧の空に浮かび盛んな夏がやって来る。サッパリしたものを食べて気分を整えよう。お寺のお通夜に今から出掛けます。一日を終える。
■7/9       とても忙しい一日を終える
今日一日、事故も粗相も無く無事終えられた事を感謝する。朝より大変ではありましたが何事もなく葬儀も法事も終えられてホッとした。明日はあるお寺のお通夜に向う。

本日、午後2時より世話人全体会議を行なう。資料を詳細に作っていて良かった。もし作っていなくてこの忙しさだったら会議にはならなかったと想う。ともかく疲れましたので休ませて頂きます。有り難うございました。
7/8            
今日は一日気が休まらない一日を過ごしました。明日はご法事が多くあるのですが葬儀が数件あり時間と僧侶のやり繰りで本当に気をもみました。就中、当寺でお参りを担当している方のおばあちゃまがお昼過ぎにご逝去され午後からも時間調整と僧侶の調整に本当に気を配りました。

住職代理がお通夜を複数件数お勤めいただき私は私でお通夜をお勤めさせていただい。私のお通夜終了後枕経に出仕させていただいてお悔やみに出かけさせていただいた。明日一日、何事も無く過ごせられたらホッとすると思います。

今年春先に当寺でご葬儀をされた方が引越しされた。お寺を紹介してほしいと言われご紹介させていただいた。紹介先のお寺さんは私とそんなに親しい方ではないのだが・・・・ご紹介させていただいた喪主の親族より私へ「もうあの住職の顔も見たくない」と電話があり、遠来ではあるがお世話してほしいとの依頼があった。最近同類の事を複数回私は経験した。

電話をしても用件が通じなかったり返事がまったく無いお寺、親族の欠点をあからさまに言われたとか・・・・ご紹介して辛い思いをしております。夫々のお寺には各々のご都合があると思います。誰を中心に重きを置いているかがこの場合のポイントと思います。

私は常々思うのです。お寺の僧侶は家々のお仏壇にあるご先祖やご霊位をご供養させていただき施主様やご親戚にご安心をして差し上げる事がもっとも大切と考えております。施主様はそれ以上の事は望みもしなければ気が付きもしないと思います。お寺の僧侶は思い上がっても、一つ別格な存在だとも思い上がらないことが一番だと思います。

多くの人は尊称で呼んだり大切にご対応をしてくださります。それは世間でそういう扱いをするべきと言うコンセンサスがある証だと思います。それに図に乗って色々としたり顔や偉そうな事は厳に慎むように心がけることが、世間での存在価値を崩さない事と、私は思います。

一体何を望まれ、その気持ちを斟酌して満足頂くように心がけ、足らな過ぎず我を通さすぎず一つの社会の歯車として回る事を心がければいい物を・・・・・悟りと世渡りは背反するものか??・・・私は背反しないと思う。明日は何事も無く過ごすことを心から望むばかりだ。
7/7       キュウリの加持の準備     
今朝も早朝からお詣りの電話あり。午前中葬儀を済ませて大祭の準備を始める。時間に追われ、しなくてはならない事から手を付けている。

今日の一日を列挙すると午前4時過ぎに葬儀の電話、5時より毎朝の朝勤行、6時より枕経、朝食、10時葬儀、11時より祭礼の為の土工作業、昼食、土工作業、14時境内清掃の方の手伝い要請、16時ユンボに乗り落ち葉の収拾と清掃、17時電力会社の方との打合せ、その間に初七日、お詣り、応答や初七日の各指示等々であった。細かい事を書けばもっとあるが・・・

今更始まった訳ではないですが、誤字脱字や意味が分らない文章を書いている。時間が無くて煮え詰まって居るんだろうか? アップして読み返しては何度も修正を加えている。ここの所に来て睡眠不足が、頭に追い打ちをかけているようにも思える。

備忘録で失礼をしていると思いますが、お許し下さい。長文を書かない事と力まない事と反省しています。
7/6      
今朝も早朝からお詣りの電話があり、お昼前頃には頭がフラフラしてきた。起床が2時間程早くなるだけなのですが・・・気持ち的な物でしょうか? 例えばお昼寝、午後2時頃から休んで5時頃起きると(長すぎるが)良く寝たように思える。反対に午前2時休んで午前5時の起きると睡眠不足を感じる。気の持ちようと言うが体は太陽と月の織りなす体内時計にどうも重きを置いているようだ。

テポドン等のミサイルが近隣を飛び交っている。国際社会や政治、マスコミ、経済はかの国の動向に注目しているが・・・・・しかし毎日の私たちの生活に緊張感を感じている人は余り居ないように思える。世情は何時もと変わらない穏やかな日々のように目に映る。

あのミサイルが間違って発射した場所に戻って落ちれば、冗談ではないが、更に大事になると思う。もし現実に日本の地に着弾したら、スズメバチの巣から飛び出したハチの大群の如くの空恐ろしい大騒動になるだろう。それは色々な意味で日本の将来が本当の意味で独立国家としての尊厳を取り戻す機会を与えられるのかも知れない。平和ボケという惰眠を貪って太平天国の世にいる私たちはどんな行動をするだろうか?考えるだけでも空恐ろしい。

何事もなく穏やかに普通の日々が続く事が如何に難しいかという事でしょう。何もない事が大切なんですね。
7/5      お祭の準備をして頂く
昨日うって変わって大雨の一日。昨日突然の小旅行で皆さん大変喜んで頂いた。早くからお寺に来て準備をしてお祭の準備をして頂いた。総勢十名以上見えると想いましたが皆さん熱心にお寺の仕事をして頂きました。

作業をされる場所からは笑い声と楽しいお喋りの声しか聞こえていない、そんな雰囲気。時々私が見に行くと色々なお菓子を食べているらしく、机の上はカラフルであった。

お花を種からポットに植えて水をかけ双葉が出るのを楽しみにしているのだが、この時期雑草もグングンと生えてくる。いったいどれがお花であり、どれが雑草が見分けがつかない。きれいに咲き誇って色鮮やかに目を楽しませてくれる花々。新しく真夏に咲こうとするこれからの若葉。花は良い物です。

早朝3時頃に葬儀の連絡があり一日中走り回り頭がフラフラしていた。少し昼寝をしたら(持たないので)大分楽になった。私の得意芸は5分の瞬間爆睡。眠くて倒れそうな場合、コンクリートの上でも板の間の上でも土間の上でも簡単に寝てしまう事ができる。ウトウトとしてハッと気が付くと頭がスッキリして体が軽くなる。車を運転して眠くなると同じように仮眠を取る。

家内が言うに「羨ましい」と何時も言われる。自分でも有り難いと想う。年々体力の衰えを感じるがまだこの芸は褪せない。寝られる事自体が有り難いです。若い頃は肩が凝るなんて考えも出来なかったですが春先から肩の痛いのが痛切に分るようなりました。年ですね。
7/4      護符折りの人達と・・・
最近は梅雨のせいで雨が多い。ジトジトして不快でもある。本日は婦人世話人会の人達が護符折りに来られた。毎月第一・三の火曜日が護符折りの日となっている。それぞれ弁当を持って来られ世間話や面白いお話をしながら楽しそうに一日を過ごす。端で見ていても楽しそうな雰囲気がこちらまで伝わる。案外、入りにくそうに思えるが誰一人親分風を吹かせたり、したり顔をされる人は居ないのでとても雰囲気が良い。

天気も快晴であったので「皆さん、おはようございます。明日は天気が悪いらしいので何処かへドライブに行きましょうか?」と尋ねると「大賛成!」でドライブに出掛けました。どこへ行くともなくマイクロバスに乗り向った先は・・・伊吹山であった。伊吹山登山の途中に燃料が乏しいのを知って下山して再度登り直す。

下界は30度の気温であるが標高1200mの伊吹山山頂は24℃くらいであっただろうか、吹く風も清々しく皆さん「良い所へ連れてきて貰った」っと思いがけないドライブに喜んでお見えであった。夕方4時半にお寺へ着いて解散となった。バスの中ではお菓子やどら焼きまでもが後や横から回ってくるし、笑い声も絶えない。「みんなで揃って出掛けるから楽しいんだよね」と誰かが言っている声がする、他方では「牧歌の里にもう一度行きたいね、立山黒部にはいつ頃行くの?」っと私を誘うように次回の小旅行を楽しみにされて見える。

「明日もう一度来てお寺の仕事を一日しますね」っと皆さん言われ帰宅された。チョットした心配りに皆さんチャンと応えて下さる、私は幸せ者です。私もあの様な老後が来ると良いなと想います。

7/3      密教的である事と谷町衆(※1) 下部参照
日曜日、夕刻高野山へ向かった。夏季大祭きゅうり加持祈祷会のお札を本山のお札屋さんに打ち合わせの必要が出来て急に出かけた。月曜日、印刷所にて打ち合わせを済ませ奥の院御廟及び、墓所をお参りをすませる。いつものお参りの途中では顔馴染みとなったお花屋さんを尋ねた。

休日だったらしく半開きの開き戸、奥さんが一人で掃除をされていたが、気安くお供えの花を作ってくださった。ふと壁に貼られている一枚のポスターが目にとまった。『高野山大学創立120周年記念平成18年秋巡業大相撲高野山場所』とタイトルがあった。

相撲?? 巡業?? なんだこりゃ??聖なる本山高野山で相撲のトーナメント?? 一体何でそんなことが行われるのか?? 私も相撲は好きだが・・・

しかし確か高野山大学では目下、全国に寄付金を、本山も含め半ば、強制的に求めている最中である。と言うのも、故松下幸之助翁がお一人で寄進した松下講堂の老朽化が著しく進み、再建を勧めている筈なの最中に??   『寄付が集まり過ぎたんでは?』と後から来られた何方かが言われた。

総本山金剛峰寺は当寺の本山である。その本山が経営する高野山大学・高野山高校は宗門の学園である。その本山も今、伽藍の入り口に大きな門「中門」を再建し始めている。

その門は10年がかりで数十億円程と言う気の遠くなる費用で建立する事業が宗議会で可決された。可決された後の昨年、支所から役員会で結果報告を聞かされた。事業計画の詳細も工事費の明細も設計図もパースらしきものも一切報告は無く、寄付を各寺院に申し渡された。ボトムアップではなくトップダウンの宗議会議決の報告や審議の過程を、昨年初夏の役員会で問いただしたのは不思議ではあるけど、私だけであった。他の寺院の役員は無反応と言うか、無関心であり、地方寺院への説明義務の欠如や多くの意見を反映されない議決に私は釈然としなかった。

今高野山大学は学部の閉鎖、学生数の減少によりその存続自体が大変い危惧されている。また高校では痛ましい事件が数ヶ月前にあったばかりであった。そんな時期に、寄付を集めて集まりすぎていたのか?相撲巡業は何の意味があるのだろうか?

比較する訳ではないが、私のお寺の近所に藤田学園と言う医科大学がある。草創のころから当寺と深いご縁がある大学である。10年ほど前であろうか?ご懇意にして頂いた藤田学園創設者藤田啓介先生は開学25周年事業を、記憶が定かではないが平成元年であっただろうか?行われた。 大学病院に隣接する場所に医療スタッフ館十数階建てを記念事業として竣工させ、大学病院大玄関天井には春日型の厨子に不空羂索観音を祭られて大変立派な法会をなされ私が導師をさせていただいた。盛大な記念式典が開かれ私の乾杯発声で立派な医療スタッフ館は竣工した。夕刻、英国女王陛下近衛軍楽隊の演奏会でその祝典は最高潮となっていた。様々な講演会や催され未だに昨日のごとく思い出される。私が34歳の時であった。

宗門大学の記念事業が巡業相撲”高野山場所”、どなたの?発案で、相撲事業費は幾ら必要となるのだろうか? 寄付を求められて出された方々は、剰余金であれ何であれ、記念事業の相撲巡業をどの様な感慨をお持ちになられているのだろうか?

宗門学園の運営は理事会で決定されるのが通常だ。理事長や理事は本山の重鎮、影響をまともに受ける学校法人。つまり本山サイドの意向が色濃く反映された”高野山場所”と言う事になる。そして、これから数十億の中門再建を全国の寺院に求めていく、執行部は引継ぎ事項とは言えど同類の寄付金収集を地方寺院に求めていくだろう。私が暗澹たる気持ちになるのも読者にはお分かり頂けると想う。  

私事で恐縮だが、私も木造で八脚門を昭和62年に竣工させた。文化財保護審議会審議委員で東工大藤岡通夫氏に設計監修を願い、加賀藩拝領大工で現代の名工に叙せられた宮大工さんに棟梁を御願いし、樹齢2600年の台湾檜の節の全く無い材質、それも芯を避けた最高品質の檜で、設計施工を上場の松井建設に依頼して31歳の時竣工させた。チラリと聞いた中門の規模を、私がザッと積算しても数十億の予算組は摩訶不思議な数字で、奇怪至極に感じられる。寄附にしても、私が自分の寺の山門を建設した時の寄附の任意寄附であり、数字を示して割算的発想でお金を求めた事は私の人生で一度もない。

 数週間前、愛知宗務支所からにお寺に本山経由で分厚い書類が届いた。中身は、各檀家さんのところへ出向いて寄付を集めてほしいのであろう「領収証の束」であった。その領収証の一枚一枚の行き先が、我々のような下々のお寺を通じて檀家さんへとその負担を求めさせて行く、前時代的思考の上に平然と遂行される事業。

これほどまでに地方のお寺の負担を当てにする事業であれば、何故ボトムアップの審議を諮り、事業計画を広く明示して地方寺院の理解を得て、喜んで寄付できる環境の整えるべきであったように思える。事前に時間をかけて説明がなされ、協力体制を大凡整えてからの事業であれば理解がされる。要はコンセンサス形成無しの性急さが、この私が知る限られた世界には蔓延している。因みに私は愛知宗務支所の副支所長だが、殆ど知らないし説明責任も果たせないままの情けなさである。

聖武天皇発願の東大寺大仏鋳造及び建設は誰も見向きもしなかったという。行基の民衆に対する接し方を学んだ聖武天皇は行基を迎え、自ら石を運び始め土工の先頭に立って竣工の慶事を迎えたという。遠く天竺からも多くの僧侶が出席された。雅楽で奏でられ「迦陵頻伽(がりょうびんが)」は仏典では極楽浄土に住む鳥で、鳴き声がことのほか美しく妙であると伝えられている。東大寺落慶時はこの雅楽が流れ大仏殿からは様々な散華がなされと想像できます。雅楽には伽陵頻の舞があり鳥の翼を背に負い、天冠をつけた童舞で佛の供養の法会などで演じられます。

『中門が出来たらどんな記念行事があるんでしょうかね?』と問われ返答に窮した。想像するだけで私の気分や考えが後ろ向きに為らざるを得ない。当寺の檀家さんに寄附の御願いをするにも、説明できる資料が未だに送られてこない。私住職自体も何も理解も出来ないし、説明も出来ない。

私が変なのであろうか??気がおかしくなりそうだ。


※1 【たにまち】たにまち
『沖田総司・暗殺剣』(加野厚志著・廣済堂文庫)に出てくる言葉。

《たにまち》とは力士の後援者のこと。大金を手中にした大坂商人らは、天王寺近くの高台に豪邸を建て、上り調子の相撲取りを後援することで財力を世間に示した。そうした豪商たちの住む本宅が《谷町》にあったので、いつしか力士の後援者たちを《たにまち》と呼ぶようになった。新選組局長の芹沢鴨をはじめ、平山五郎、斉藤一、永倉新八、山南敬介、野口健司、島田魁ら選抜された隊士と、総司が大坂に遠征した際、芹沢らは、大坂相撲の力士たちと喧嘩をし、その悪名を高めることになる。

7/1      時折強い雨が降る
昨夜は評議委員会が開催され種々の審議を頂いた。19時〜21時頃閉会とした。夏のお祭、現況報告、依頼寺院の話し等が出て種々の意見が出て有意義な時間を過ごす。議事録をチャンと残さないと前回の議事の内容が不詳となってしまう。3月の議事録を作成し忘れていたので冷や冷やで今回の審議となった。(汗)

本日はお詣り事が多く一日を忙しくして過ごした。しかし右のかかとが未だに痛く辛い物がある。足を引いて歩く姿を見られると「どうしの?」って聞かれる。忘れる時もあるのだが痛い。

夜、今夏キュウリ祭の世話人打合会資料を作成していると友人の夫君から電話を頂く。「住職の知り合いの○○さんお店に来ているから・・・来ない??」 「はい、スグ行きます」でパソコンを切って出掛ける。お店の前のドアに手をかけると「誰か故郷を想わざる」を○○さんが歌う声がする。ドアを開けると楽しそうにマイクを握る○○さん。そして友人夫婦。2時間程歌を歌い○○さんにおごって貰ってしまった。

お店を後にしようとすると夫君が「住職、お腹空いていない?」と聞いて下さった。空いているようないないような・・・同級生がやっている寿司屋で一つまみする事となった。寿司屋のカウンターには中学の同級生、座敷には高校の同級生がいた。私は全然気が付かずにしていると色々と話しかけてきて名前を伺うと記憶はしている。が、顔がみんな老け込んでいるので十代の頃の記憶が蘇らない。まぁ、良いかでその頃の思い出話に花を少し咲かせて帰る。ここでは夫君がお金を払って貰ってしまった。

どうしよう、まぁいいか。長いお付き合いだ。また何処かでおごる事としよう。布団に入ったのは12時を回っていた。