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平成18年9月分

葬儀場 六波羅蜜会堂のフラッシュ(動画)を作成しました
よっかたらご覧下さい。悪い目を悪くしました

■9/30       
午前午後とご来客やお砂ふみの下準備、彼岸会の備忘録、書類の整理、戒名の準備やお通夜の準備等で殆ど一日がくれてしまった。

今静かに自室のパソコンを触っている。外は虫がリンリンと鳴いている。陽の沈む時間は本当に早くなり午後6時だと言うのに外は暗い。月日の過ぎる事、あっと言う間です。

もう明日は10月です。早いものですね。この備忘録を読んでいるとあんな事もこんな事もついこの間のように思い出されますが数年前の事の場合が多い。何だか寂しい気分と残された時間を大切にしないといけないと感じています。

明日は葬儀もありまた法事の時間調整がギリギリで気忙しい一日なりそうです。良い秋の一日をお迎えください。来月もよろしく願います。
■9/29       ご来客とお見舞いの多い一日
ここ数日、お寺を空けたり所用で更新ができませんでした。数日前は恒例となっている世話人会「大日寺参詣」の為の打合せと下見を兼ねて出掛けてきた。同じコースでは飽きてしまうので毎年色々と立寄り先を考えてコースを設定している。候補地は色々あったのだが既に、秋の工場見学の予約で一杯の所。参詣当日がお休みのお昼会場、問題のあった立寄り先と今回の下見はとても疲れた。疲れたでは済まないので往復の順路を決めて満足のいくようなコース作りが出来たと思います。

お昼頃、高野山西門院さんご夫婦でお越し頂いた。当寺でお昼をご一緒して頂きあるご住職のお見舞いに、私も存じ上げている方なので、ご一緒させて頂いた、ご入院されている方は比較的お元気で時を忘れて2時間程お喋りをさせて頂いた。何だか寂しそうであったが健康をこれから注意するとご本人は仰っておられた。

「一人でいると気が滅入るがお話しできたので有り難い」と仰って頂き長座をお詫びし辞去して帰寺する。

帰寺すると岐阜のお寺の住職さんが来られていて三重県までご住職さんをお見舞いに出掛けるという。奇遇な事で、西門院住職ご夫婦さまともご面識あるご住職で、暫く応接間でコーヒーを飲んで楽しく四方山話を語らい時を忘れてしまった。高野山住職ご夫婦が辞去され高速道路途中までご一緒して車中よりお別れした。

三重のご入院ご住職さんは「病気になって本当に辛い、今度お寺に帰ったら檀家さん達にはこれまでと違った気持ちで接したい」とお話しされまた「体重も20`程減量して血圧も正常値に戻った。A1C値も正常範囲内、大変良好な数値に達したがリハビリをもう少し続けて頑張りたい」とも仰っておられた。一時は命を落とす危険性もあった事もお話しされ信仰のお陰で助かった事も吐露された。

三重県の帰り道、岐阜のご住職と『怖いですね、、お互い健康には気を付けてお酒も控えましょう』と何時にないしんみりとした雰囲気でお寺に帰りました。私の場合、本日2件の重篤な和尚さんのお見舞いに出掛けシミジミと健康の大切さ、重要性を再認識した一日でした。

以前よりの不調は大分改善されましたがこの機会にこれまで以上に体重管理と食生活、信仰の傾注に心がけたいと思う次第です。本当に健康は大切です。つくづく思いました。
■9/23       彼岸会法要
お天気が心配されていたがスッキリと晴れた天候のもと、彼岸法要は滞りなく完了した。たくさんのお詣りも主催者側としては嬉しいのだが、縁の下の世話人会の人の努力があってこその法会である。

御印「高野槙」は好評でありました。テントの中での受付けも何事もなく終わり大変ホッとしております。昨夜は目が覚めてなかなかやすむ事ができなかったです。接待のぼた餅も例年以上の売れ行き。高野槙も頼んだ以上に数量が多かったのでしょうか?、計算しても余分が出ています。次回の本山布教師布教会に粗品としてお渡しする予定。しかし、前夜は槙の不足を心配して休む事ができなかったのか?大変眠いです。
今日の様子をアップしますのでご覧下さい。
本堂入り口付近 本堂の様子
焼香の様子 ご焼香を待つ方達
塔婆は下記のように列びました お名前をお呼びします
受付けは忙しい でも今年は世話人さんが大活躍
例年になく順調に進んだ
御印受付け お渡しする御印
『高野槙』
準備が大変です 熨斗を付けます
へーこれが御印「高野槙」ですか
本坊内「持仏」と本坊待合室
世話人さんのお陰で直ぐに現状復帰
本坊の屏風の間
ご法事等の会食に使われる
本堂もスッキリ現況復帰
明日は日曜日。最近は皆さんイスが大好評です。
■9/22       お彼岸の最終準備  
午後より境内にテント一張りを建てて高野槙引換所を設置。看板類等もよく分かるように明示する。受付けでの混乱を避けるために引換券を作る。例年の秋期彼岸と一つ行事が増えた法要。混乱無く終われば幸いなのだが・・・

長野県のホテル木曽路中村社長さんと久し振りにお会いする。「今度はエステの専用会場を作りました」と目を輝かせてお話を頂いた。益々盛んなお話を伺うと愚痴なぞ零してはおられない。明日は天気になると良いな。

以前から探していた時計を求めた。亡父が大切に使っていた腕時計。時計の6時の所に小さい円状の上に秒針が回るお品。探すのをあきらめていたお品に出会った。今頃の時計は色々な針が付いていて良く理解できない。父の時計は既に何処かに消えてしまい懐かしく思っていた時計に出会う事ができ、亡父に会ったような気分に今なっている。これもお彼岸の巡り合わせなんでしょうかね??
■9/21       賑やかな日々  
午前中、なな月参り。法会が終わり私のお話と続き10時半頃に終了する。引き続き世話人会女性部の方々がお越し頂き、お彼岸の準備や掃除、特にトイレ掃除の粉塵除去掃除を心を込めて行なって頂いた。見違えるように本堂や本坊等のタタミがきれいになり輝いて見えるようなる。

台所も掃除は一通り行なったのだがとても細かい所まで目が届かなかった。今日の掃除で大変きれいになり本当に感謝する。
お昼ご飯を挟んで突貫掃除と、高野槙お印の準備を完了させてくださった。あっと言う間の手際の良さに驚く。 世話人会の人達が「この御印頂いたらキッと喜ばれるわよ」っと口々に感想をお話し頂いた。

小休止時、「悠仁親王殿下は槙が御印だけど・・・貴方のは?」っと悪戯っぽっく皆さんに尋ねた。「そんなの無いよね」と言うので「貴方は何月生?」と私が尋ねた。

「私は8月だよ」と答えられた。

「それじゃ、ヒマワリだ、ひまわり娘だ!園まり、中尾ミエ、伊藤ユカリだ」っと私が言うと皆さん大爆笑。

「貴方は何月?」っと尋ねると

「私は5月!」

「それじゃーー、菖蒲だな」っとこんな調子で色々なお花の名前が出てきた。

1月「水仙」、2月「梅」、3月「桜」、4月「枝垂れ桜」、5月「菖蒲」、8月「ヒマワリ」、9月「曼珠沙華」、12月「??」忘れてしまった。ともかく誕生月で皆さんの御印が決まった。

「よーーっし、今日のhpに載せます。御印の花の隣に皆さんの写真を載せて更新しますよ」と言うとお腹のそこから大笑いして楽しい一時を過ごしました。因みに私の御印は梅でした。

午後2時半頃終了しましたが数名残って世間話に花を咲かせる・・・・良い一日を過ごしました。当日23日は男性世話人さんのお手伝いも頂いてお彼岸を迎える準備の手筈となっています。組織というか大勢の力は、心強い物がありますね。感謝します。
■9/20       彼岸法会の記念品の試作 

本日到着した「高野槙」を早速利用して彼岸法要にお出しする悠仁親王殿下御印のお品を作る。とてもよい仕上がりに内心ホッとした。明日は婦人部の方がお見えになり清掃と御印を作っていただくこととなっている。準備は余りする必要は無いのだがお出しする上には、些かの手抜きもあってはならいので丁寧にお作りして当日のお参りの方へお出ししたい。

彼岸法会お申し込みの方へお配りする
悠仁親王殿下御印  高野槙
写真をクリックください
当寺は、明治39年大正天皇(皇太子時代)
昭和16年竹田宮、三笠宮両殿下ご参詣を頂いております
この高野槙は高野山金剛峰寺より直接本日到着したお品です
(高野山西門院さんのお陰です)


■9/19       境内の剪定をする   
延び延びになっていた境内の植木の剪定をする。足場の悪い所とそうでない所を選んで先ずは足場の良いところの庭木を手入れする。久し振りに行うので結構しんどい。見る見る丸く刈り込まれ形が出てくる。

境内清掃の方が私の後を追うように剪定屑をトラックに集積する。大よそ2時間ほどであったか、足場の良い庭木はサッパリとした。後は足場をかけて大変なところを剪定するのみとした。お寺の庭には沢山のサツキやツツジがきれいに刈り込まれている。今の形になったのは私と弟で暇があったときにコツコツと二人で剪定をチョキチョキとノンビリ刈り込んでいて今の形となった。素人のするにわか庭師仕事。楽しくもありハードな物でもある。

高野山から電話があり大昔にお寺で寝食を共にした方が奥様とご一緒に来られる電話があった。色々な世間話に花も咲くであろう来られる日を楽しみにした。

お彼岸の準備の中で急に私が思い立った事があった。今月の皇室での慶事、悠仁親王殿下の御印が『高野槙』に決定された事に因み、お彼岸法要の記念品に高野槙一枝を差し上げようと決め、早速高野山からの電話の相手にご無理を言った。ご案内状を早速作り上げて午前中に投函をなした。当寺は高野山が本山であり高野槙は本山の霊木としても有名。

その高野槙をお彼岸中日法要の記念品として差し上げ、お墓や仏壇、床の間のお花に添えて慶事を共に祝い、お彼岸の報告をご先祖に願いたい一心で思いつきました。思いつけば即実行で少々時間と高野槙の在庫には苦慮しましたが、当寺の檀家さんたちはお喜びになられると思います。

お腹の調子は徐々にだが回復基調にある。なんだったんだろう??
■9/18       台風回避
午前午後と忙しくした。トイレの故障の原因が判明した。まさかの事だったらしいがトイレのシャワーリモコンが隣と同じ周波数設定がその原因だった。流す指示を与えると同時に流れてしまうので水量が減る。その為に水洗が出来ないとの結論になった。 しかし、お寺の水回りは全て加圧されているのでこの様なトラブルはない筈なのだけど。

トイレ機器を設定する時に最新の品を設定した。トイレタンクのない物を特に依頼した。これは見栄えも良いしトイレ周りもスッキリする。が、細い水道管では同時に水を使うと水が流れない事も説明を受け、台所で使用している加圧の水を使う事でOKの回答を貰った。さてややこしい事になるのか?

敬老の日であり母を見舞う。何時までも長生きをして私の心の支えとなって欲しい。母には申し訳ないのだが、ただ生きていてくれさえすればそれでどんなにか私が安心できるか・・・・私は今、お腹が痛い。腹痛を訴えてから既に3kgも体重が減ってしまった。ベッドでやすみながら思う事は少年の頃のガキ大将だった頃の腹痛、真夏の未明のあの激痛に似ているせいか、思い出ばかりがあたまに出てくる。

皺くちゃになった手を見ると「お婆さん、この手はよく働いた手だね」とそっと撫でても余り関心を示してくれない。だけども、暖かい母の手のぬくもりを今、頂けるという事、私は幸せ。一日でも長生きして母のお陰を、母から頂きたい。私の元気の源となって。お母さん、何時までも長生きして欲しいです。
■9/17 晴/曇       
午前午後と忙しくしておりました。トイレが大変好評を頂き有難かったです。「ホテルみたい」とか「新しい香りがする」「温かみのある清潔で明るいトイレ」等々の好評を頂いた。

午後一度トイレの水が流れなかったらしいが暫くすると流れてきれいになっていますと報告を受けホッとする。お腹の不調は相変わらずで困っています。何が原因だろうか??大事にならなければいいのだが・・・
■9/16            本坊 トイレ 竣工
午前中、午後3時半頃まで就床。朝のお勤め時も不調であり就床を余儀なくされた。午後3時過ぎに建設会社とのトイレの引き渡しに立ち会う。見違える程のトイレとなり本当に有り難い。今後は大切に清潔に利用し欲しい。
写真をアップしますのでご覧下さい。
酷暑の頃、8/17解体作業開始
以前は外部からも廊下からも入れたトイレ(男女兼用だった)
トイレの正面 廊下からしか出入りできない
全自動手洗い 拭上式トイレ
蓋の開閉、水洗も全自動
もちろんシャワートイレ
ご年配の方へも配慮しました
以前のお風呂、結構な大風呂で一度に大人5人くらい入浴できました
利用頻度を考え、シャワーのみのお風呂となりました。
主としてお寺で働く人達が利用対象となります
■9/15            枝垂れ桜の枝を切る
午前中、ある人から電話を境内受付が頂く。お寺の道路沿いに植わっている数本の枝垂れ桜が通行の人の頭に当たるので切って欲しいと言われたと、言いにくそうな電話だという。春には通行の人の頭を撫でて目を楽しませてくれる桜も、秋風の頃になると邪魔になるのだろうか? 実際に歩くとそんなに気にはならない。かえって街路樹の枝張りの方が邪魔なような気がする。

境内清掃の人達が小休止している輪に入り『枝垂れ桜の枝切り』を依頼した。皆さん一様に「そんな!」っと声を出された。「仕方ない、枝をすこう」と責任者の方が言われ伸びた枝をトラックで出掛けて切る事となった。私は自分が植えた桜なので見るに忍びなく『お詣り大好き先生』の病院へお詣りに出掛けて暫くして帰ってきた。枝切りを頼んだ事も忘れて他事をしていた。お寺を頻繁に出入りするのだが桜の事は忘れていた。

夕刻思い出して見に行くと境内清掃の人達の優しさが感じられる枝の切り方を見て心温まる想いがした。確かに切ってある。しかし余程の大男が通らない限り枝垂れ桜の枝は頭に当たらないように剪定がなされていた。春になるとまた伸びる枝の事を考えると心が痛む。伸びて他人様にご迷惑をかける事はいけないが、辛い気持ちでもある。暫く桜を眺めて忘れていた自分の携帯メールをチェックすると、枝垂れ桜の枝打ちをお願いされた(させられた)方からお礼の電話があった旨のメールを確認した。お電話して下さった方は存じ上げており大変良い方である。お気遣いに感謝したい。そして来年も立派に桜が咲いて欲しい物だ。

平成15春の枝垂れ桜
■9/14            久し振りの晴れ間
午前中お詣り。午前11時より地元の歴史探訪クラブの講演会。お話を一時間程する。午後からガスヒートポンプエアコンの修理。色々な方がお見えになって様々なお話を伺う。

夕刻、旧友が娘さんを連れてお越しになった。色々話しを1時間程して帰られる。トイレ工事もあと一日で終了となる。本当にきれいになった。明日くらいに写真をアップしますのでご覧下さい。

胃痛の事をあちこちで心配頂いた。見ていないようでこのhpをご覧になって頂いている。心がけて健康に留意します。
■9/13             
養生をしても腹痛は良くならない。今お腹の周りはホカロンが数枚貼ってポカポカしている。でも繰り返す腹痛は、痛みこそ弱まるも、良くならない。もう暫く様子を見よう。

朝の日の昇るのが遅くなり秋の気配を思う。お彼岸も目の前に控えている。お彼岸の頃になると日の入り日の出と一日の日照時間は加速度的に短くなる。それまで腹痛を何とかせねばならない。満足は健康から得られると今月の言葉に載せている張本人が・・・早く休みます。
■9/10       不調
昨夜、東京の友人の来訪あり。名古屋にて会食。その後は何時ものカラオケに出かけ帰宅する。朝より不調。就業困難にて就床する。今夜は会食会のお誘いがるにもかかわらずドタキャンの電話を入れる。ご結婚のご紹介をさせて頂いた縁で、未来の新郎新婦が一席設けてくださると10日ほど前から言われていてOKのご返事をさせていたいていたのに・・・・我慢してドタキャンの無いように養生をしてたのだが。朝のうちにご辞退を申し上げた。

お寺では表の方がざわざわと忙しそうだ。エアコンのおともブンブンと羽の音を立てている。子供の頃、「お母さん、おなか痛いよ」っ言って目を覚ましたあの痛みに似ている。或る病院にいったら「胃痙攣」と言われた。胃が悪いと言われ胃薬を飲んだ事もあった。

久し振りの同じような傷み、ここ数日続いている。ご無理を言って入院をするか、温泉につかり少し様子を見るか?兎も角、胃痛がひどい。酷いときには息も出来ないほどになる。人様から比べるとノンビリしている積もりなのだが。そのうち治ると思います。
■9/8      忙しい       
未だに胃がキリキリと傷み我慢出来ないほどに痛いが寝ているほどでもない、がとても痛い。午前中、月例会議をも催す。昨年の議事録を見るとやはり8月は議事録が無かった。忙しいので開くことが出来なかったことが分かる。

火災の予知、発見、対処、等を繰り返し周知徹底する。お彼岸の用意、道具類の移設搬入整理、境内整備の意見交換、諸注意等をして解散する。トイレの改修工事で埃が大掛かりに出なくなった様子なので全員で一斉に現状復帰をする。綺麗になった廊下や台所に行く事が出来て爽やかな気分になれた。

午後は世話人会婦人部のお手伝い、台所の一斉水洗い、私はユンボに乗って落ち葉等の整理整頓をする。ユンボに乗っていると見知らぬ人が近寄ってこられた。良く見ると檀家さんで驚いた様子で「こんな事もするんですか」と目を丸くして話しかけられた。電話で応接室にご案内する事を指示してユンボを降り、庫裏で衣に着替えて応接室に向かう。

用件は「戒名をつけてほしい」とご夫婦で来られた。世界的に有名な地元の自動車電装部品会社の元専務さんである。お墓も立てたいと言われ「一度高野山へ出かけて、鎌倉時代から現代までのお墓を眺めてお考えをまとめたら」とお話をする。戒名の事は暫く考えてお付けする。ここまでは良かったのだが墓石の事になった。

「お墓の前には『眠る』と住職の字を彫ってほしい」と言われた。有難い話ではありますが・・・はたと困った。本当に困った。どうしよう・・・「一度高野山へ行かれて、鎌倉時代から現代までのお墓がありますので・・・」とお墓の関心を他の方へご案内させていただいた。それでも住職自筆の『眠る』をご希望なら・・困った事になるが・・・お受けしようと心に決めました。嬉しくもあり頭をひねる話でもありましたが、内心は嬉しいです。

その後、世話人会婦人部の方と四方山話や、11月に湯布院温泉に行きたいというようなお話をして玄関までお見送りする。午前午後と緊急入院の依頼を受け受け入れ先を見つけて夕刻には入院完了をする。一日、色んな事がありました。胃が痛いのは終日ズーーット、今でも痛いです。家内が買ってきた腹巻を巻いて、ばたばたの一日を終える。
■9/7      胃カメラを飲む       
実は数日前から胃がキリキリと傷み我慢出来ないほどに痛み出した。朝のお勤めを終えて暫く就床をする。午前中にある施設のお参りがあるので丸山僧正と二人でお参りに出かけ、その後胃腸科専門病院へ行く。

「朝からなにも食べずに参りました」と先生に伝えると「と言うことは胃カメラを飲むつもり??」と聞かれる。午前の診察終了ちょっと前に入る。2人しか人はいない。先生も面倒がらずに胃カメラの用意をしてくださった。この病院の先生も良く知っているが検査技師の老先生も良く知っている。この検査技師の先生はチョッと女性っぽい先生で「あら、住職さんどうしたの?」といつも待合で待っていると声をかけてくれる。

私が診察室にいても待合にいても姿が見えないので「もう辞めたのかな?」なんて思いながら喉は麻酔のドロリとした溶液で、咽ながら麻酔の効きを待っていた。胃は痛い。チリチリと痛い。待つこと10分。ドロリとした物を吐き出しうがいをするとまた咽ぶ。喉は完全に麻痺しているので上手く飲み込みが出来ないでいると「検査室へどうぞ」と促されて検査室にはいる。

とその時、「はい、今日は。肩や腕にお注射しますよ。はーぁい」と言って例の検査技師が現れた。「まだいるんだ」と思いながら「いやぁ、久し振りですね」と言うと「はぁい」と返事をくれる。「ハイ、横になってね」と声がかかる。看護婦さんが枕や体を固定する補助具を当ててくれると「ドンだけ反っても倒れても大丈夫よ」と何やらこの先を暗澹とさせる言葉を優しくかけてくれる。「一度、胃カメラ飲んだからまぁ良いか」でベッドで横になる。

「はい、いきますよ」っと院長。喉に胃カメラがあたりグッグッと食道に入ってきた。「はぁーーい、ヨイショーォ、ヨイショーォ」 「フムフム、うんうん」・・・私の目の前で黒いファイバースコープを先生の横で入れたり出したりの補助をしている。検査は長かったような短かったようなで一通りを終え管は抜かれた。

今のファイバースコープは胃の中へ空気の出し入れも手元で簡単に出来、先生の手際も良かった。ベッドに座り正気を取り戻し周りに目をやると先生は録画画像を眺め、例の先生はマウスピースや管を洗浄していた。先生は診察室へ、私はベッドで一休みしていると洗浄を終えた先生が「六波羅蜜会堂はどうなの?」「今は忙しいの?」なんて側に寄って来て声をかけてくれる。実はこの先生は以前、化粧をしていて口紅や軽いオシロイ、眉も書いていた。寄る年並みには勝てずに今はしていない。

診察室で診断の説明を受ける。「潰瘍やまずい物は一つも無いが・・・気をつけてください」と言われ頓服を貰って帰寺する。胃は、今でも痛い。チリチリとみぞおち付近から胃全体が痛い。胃を暖めて時間のあるうちは就床していた。お寺もお寺なりに心配事や困った事もあるんです。考えても仕方ない事もありますが役員さんや世話人さん達が居て下さるので本当に心強いです。明日は月例会議。会議の準備もまだしていない。明日、朝勤行を終えたら準備しよう。あぁー胃が痛い。
■9/6 晴/雨      紀子様男子ご出産        
朝からテレビでは全てに近い番組がご出産一色で報道がなされていた。私は「こんな朝早くから」っと我が目を疑った。昨夜から日章旗を準備して皇位継承で男子ご出産なら掲揚を準備していた。テレビでは分娩室にご入室され、今か今かとご誕生を待つ緊張感が走っていた。

その雰囲気をテレビで感じ、ヨシ!っとばかりに、私は寺の者と二人で日章旗を山門裏に持ち出して準備を始めた。そこへ境内受付さんが通りかかり「えぇー?今日は旗日ですか?」と聞かれる。少し説明をすると「なる程」と頷いて頂いた。

日章旗を結んだ竹竿をよく見ると長さがちんちくりんであり、再度本堂縁の下から埃だらけの竹竿を取り出し、ぬれ雑巾で拭き上げて取り替えた。取り替えながら携帯サイトでご誕生を検索する。日章旗は「赤の組ヒモ」で結ぶのだが、思いつきで紅白の力綱に替えて何時でも縛れるように満を持していた。

再度携帯電話でニュースを確かめる。まだご誕生前だ。とその時、あたまの上からポツリポツリと雨が降ってきた。「何時お生まれになるのだろうか?」と私が独り言を言うと「ほんの五分十分で出産が終わるとテレビで言っておられましたよ」と相棒が言う。二人で山門軒下に移り空を眺めて「このまま待つんだよな、早くお生まれになればいいのにな」と私が言うと「ええ、そうですね。私も10時に歯医者の予約があるんで」と相棒が言う。「予約ね・・・」 「あそこの歯医者はすごく込むんだろ?」と私が紹介した歯医者の近況がお互いの話題となった。「腕が良いから」とか言っていると携帯が鳴る。「男子の方のご出産ですよ」と家内から電話があった。

「よし、でかした。行くぞ!」っと相棒を伴って山門に高々と日の丸を掲げてお祝いの意を表しさせて頂き、何となく嬉しい気分となった。良かった良かったで一日を終える。

10時頃、来客の方から「山門あがってきたら紅白のヒモで日の丸が掲揚されていたが、男子ご出産ですか?」と尋ねられ「そうです」と応えた。「ずーーっと此処まで車で名古屋から来たけど一軒も日の丸が建っていなかった」と感想を述べられておられた。他人様はどうか知らないけど私は私なりに日の丸を掲揚してお祝いさせて頂いた。

一昨日、高野山参詣の車中で、本堂内々陣の宮殿、壁、諸仏像、納骨位牌棚等の修繕修復及び新調を京都福田工巧社へ発注した。これらに先立つ事、初夏の頃本堂内陣の莊厳も完了した。現在は本坊トイレの大規模修復中である。宮様ご誕生の良い記念となる。重ねて父の27回忌。私が72歳の時、宮様はご成人される。ともかく良いご縁を頂けた事を感謝する。
■9/5      高野山参詣から帰寺する   
昨日夕方より高野山へ急に参詣に出かける。山頂は18℃、涼しい。hpを更新し損ねて消えてしまったので参詣のみを記す。
■9/4      残暑強力        
午前中私はお寺の残務をしていた。電話が鳴り「はい高徳院です」と言うと「○○です。住職!元気ないね」と開口一声。わたしのhpを何時も見ていてくれる人である。

「元気だよ」と言うと「そう良かった」と返事。次回の法事の時間の確認であった。自分のhpであるので何を書いても構わないのだけど・・元気が消沈する内容は書かない方が良いのだろうけど・・・たまには愚痴もこぼしたい。

境内植木の剪定が残っている。秋のお彼岸の準備もあと封緘だけでお終い。秋期世話人会の旅行の準備も完了。あとは実行のみ。張り切っています。調子が良いと又転けるので注意します。しかし暑いです名古屋は。
■9/2         
午前中ご法事等があり忙しくした。

夕方より知人のお寺の季節外れの盆踊りに出掛ける。毎年の事であるが諸準備は大変。と思いきや何時も当寺の祭礼にお手伝いに来られていた若手のグループがおられた。驚いて尋ねた所、私の知人である盆踊り主催の住職に依頼されたという。

当寺の色々な祭礼手伝いのお礼にと、ビヤガーデンで打ち上げに私が懇親の一席を時折設けさせて頂いている。今夏8月、初めて知人の住職も誘って、お手伝いグループと懇親をさせて頂いた折りに盆踊りの手伝いを依頼されたのであろう。大変結構な事である。

今年の彼のお寺の盆踊りは例年と違い午後8時で終了であった。近隣へのご配慮で短縮され午後9時には大方の片づけが終わった。私も片づけやゴミ拾い等をしてなるべく現状復帰に努めさせて頂いた。当寺のお手伝い若手グループも骨身惜しまず活動をして下さった。

片付け終了後、打ち上げを毎年する。多くの方々が座敷に上がってビールを抜き乾杯のコップを持っているというのに、当寺のお手伝いグループは様子も分からないのか薄暗い境内に立っている。私が飛び出ていって、皆さんお部屋にあがって貰い辛うじて乾杯の席に列んで貰えた。と言うより立ったままで・・・端で見ていて気の毒であった。

知人の住職は、当寺祭礼の折り手伝をお呼びして来て頂いている方である。当寺の世話人会若手の縁で知り合い、私の設けた慰労のビヤガーデンの席で、知人の住職はたらふくビールを飲んで挙げ句の果てに、当寺のお手伝い若手のグループを自分のお寺の盆踊りにチャッカリ昼過ぎから夜半まで準備後かたづけまでさせておいて、古参の人たちと乾杯とは。別のどなたと付き合おうとお手伝いを頂こうと構わないが・・・・・私だったら一言「この間、誘って頂いて知り合ったお宅のお寺の方に今度の盆踊り、お手伝い頂きますので」くらいの事は私だったら言う。

盆踊りの案内葉書を頂いて出掛ければ、顔と顔が会って「どうして此処にいるの?」なんてアッと驚くような事は、私だったらしない。この度、客殿を建てるという。だから「高徳院さん、モットお手伝いさせて下さい」と顔が会う度に請願を受ける。わたしは、もう縁を切りたいと今心の中で思っている。これ以上書くと自分が惨めになるので置筆したい。
■9/1 曇/晴           お彼岸の準備を始める。
午前中葬儀、他お詣りに数件あがらさせて頂き新しい月を迎える。秋期恒例となってしまった本山布教師さんのプロフィールがヤット来た。お彼岸のご案内封筒に同封させて頂くお品の原稿だ。

トイレの工事も壁の工事に入り形も段々とつき始めてきた。電気屋さん、大工さん、水道屋さん、色々な方が入り込んで、周りは誇りとゴミだらけです。きたなくはないのですが、細かい埃があちこちに飛散している家の中にいると居心地が悪くもあり、かと言って逃避する場所もないので我慢している。

夏は毎年の事なのですが7月から8月お盆まで休みもなく全員が、体力消耗に悩まされて何とか乗り切ります。お盆が終わると気力がしぼんでしまいます。hpの更新も分かってはいるのですが・・・新しい月の初めからはリフレッシュした気持ちで取り組みたいです。

とは言え、お彼岸の準備は殆どお盆が終わってからの間に済ませてありますので、あとは印刷と封筒入れと封緘です。世話人会の婦人部の方達が既に9/5来訪の予定になっていますので心強いです。お盆が終われば、本山布教師さんのお迎えで10月、10月はお砂踏みの準備で終わり、11月を迎える。12月は大掃除と除夜の鐘。頻繁に開催される月例会議と評議委員会議、その間に世話人会の親睦旅行が複数回予定されている。予定に追われて今年を終える。また歳を取る。嬉しくもあり悲しくもある。歳を取るのと体力の衰えが。もう少し穏やかなというか老境を迎える心構えを構築しないと・・・。この間、実弟が子供を連れて夏休みを沖縄で過ごしたという。彼は旅行先でツアーに申込みアクアラングを着けて水中10m迄潜り自慢話を聞かせてくれた。双子の弟だが元気だ。私も真似して潜ってみたら溺れるかも知れないな。静かに年末を迎える心構えの方が大切ですね。