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平成19年12月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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■12/31       除夜の鐘
たくさんの方のお参りを頂きました。詳細の写真は元旦の備忘録に載せます。

来年もどうかよろしく願います。
■12/30       高野山へ
ここのところ多忙で備忘録の更新がままになりませんでした。神奈川県逗子市に所用で出かけたのですが渋滞と、高速道路の事故の影響をまともに受け何かと噂になっていた帰省ラッシュを初めて味わう。

高野山へのお参りが少し滞っていたので日曜日午後より出かけ遅くに帰る。真っ暗な奥の院廟前にて手を合わせ様々な事を黙想しながら読経をする。手がかじかみ吐く息は白く凛とした空気は精気に満ちて身も心もピンとして帰る事が出来た。明日は除夜の鐘。来年、良い年でありたいです。一年間有り難うございました。
■12/22       久しぶりの雨
朝より雨が降りふと、懐かしい気分になた。最近全く雨が降っていない。カラカラ天気で少し心配していたが、まとまった雨となり正に、乾天に慈雨と字面通りの雨であった。

今日は冬至。一日で日が一番短い一日。これから再び日が長くなる。日照時間が短いと気分も行動も制限されてしまい、北欧等では冬期鬱病なる日照時間に起因する気分の病気もある。やはりお日様をしっかり浴びる事が大切と思います。

お風呂に入りながら湯船に浮くユズを眺め、握ったり放したりするとユズの香りがお風呂に広がり気分も癒されます。ゆず湯を頂きゆったりとした気分になれました。またカボチャを頂く事も冬至の日の習慣ですね。まぁ、色々と講釈は後から付くものですが先人の習慣はほのぼのとしています。

今年もあと僅かです。気忙しさが先に立ち落ち着きませんが、穏やかに着実に毎日を過ごしたいです。
■12/21       目の回る一日
朝より目の回る忙しい一日であった。朝九時より七月参りのお参り僧侶8名で法要を行う。他の僧侶と共に法話を30分ほどして終了する。世話人会女性部の方々がお見えになって星祭りの準備を整えてくれ、その指導と要領を説明する。焦るので上手く説明が出来ない。男性世話人会のお一人も来て下さって細かい指導をして下さり助かった。お昼過ぎには全て終わったとの事。

11時より檀家希望の説明会を行う。馴染みがないのか出席者は少なかった。説明は45分ほどで終わり、会館等は関連会社の人にお願いをして葬儀に向かう。

その葬儀の前に約束した事を済ませる。それは一年間お世話になった環境班の人たちへの会食会の準備でであった。今、ナラ枯れの伐採した木々をドラム缶で焼却している。この木材は暖炉の薪となる煙も少なく香りも良い、何と言っても火力が凄い事に着目して私が、カニ鍋をすると言い出してそのお世話するつもりを忘れていた。既にドラム缶の中は良い調子に火が回っている。が、鍋を置く台が無い。周りを見てもそれらしき物がない。私はお墓の前のグレーチングを外してきて鍋を掛けようとした時、環境班の一人が私が持参したカニの足を何本かグレーチングに置いてあぶり出した。大きな鍋や野菜も切ってくれていたので「後は頼むぞ」っと言い残して葬儀場へ走る。

13時より葬儀を行い帰寺する。夕刻6時より評議委員会の資料の整理と印刷をする。大凡の資料は出来上がっているのだが再度の確認をして初七日に出かける。

葬儀場で初七日のお経を終えて後にするその時、檀家さんからお通夜の連絡を頂く。無理を言って20時からの御通夜にしていただき段取りをつける。寺に帰ると評議委員会間近となりパニック寸前であった。指示をしていなかったので会議の準備が十分でなく怒ってしまう。

評議委員会を定時に開催、審議を進めて了承を得て後、最後の議案である今年度事業計画と次年度事業計画案は少しの訂正を頂いて終了とした。宴席を中座して御通夜に走る。101歳のおばあさん。ついこの間も101歳のお婆さんの葬儀をしたばかり。その後、あるお寺の子供さんへクリスマスのデコレーションケーキを届けて9時過ぎにお寺へ帰る。

健康だから走っても疲れないのでしょうね。腰が少しいたのは運動不足と認識をしている。師走は気ぜわしい。交通事故やその他諸々の災難は避けたい。穏やかに年末年始を迎えて来年一年を健やかに過ごしたい。
■12/18       にわか水道屋
数週間前より境内の大玄関付近から水が浸みだして境内の1/4がビチャビチャになっている。その付近では以前も水が浸みだして暫くしたら止まった経緯があった。環境班の方達とその原因を探るべく調査をしていた。ある人は山の浸みた水だ、いや下水だ、水道の水だと色々と意見が出た。

臭くはないので下水という線は消えた。山の水と言うけどここ数週間、雨らしい雨は降っていない。と言う事は山の水でもない。一度付近を探ろうと言う事になり掘り始めた。実は10日ほど前にも私が試掘をして下水管や浄水管を掘り当てたのだが水は一向に浸みだしていない。

子供の頃の記憶を辿ってみると本坊よりの土手側にも水道管を敷設した記憶が何となくある。土手が濡れているふきんを掘ってもらうのだが水は相変わらず出てくる。再度ユンボを持ってきて慎重に掘り始める事数分で「あった」と一声。でも水は浸みだしていない。「もう少し掘り進むよ」と私が言ってユンボを操る事数分で「あったぞ、水漏れ箇所が!」の声に一同満面の笑みであった。しかし治す事がでいないので知り合いの水道屋さんに来てもらって水は漏水しなくなった。止水栓を見に行くとあれほど勢いよく回っていたメーターもぴたりと止まっていた。

この水道管は16ミリという大昔の水道管であった。今の時勢では20ミリか13ミリが主流であると言う。「しかし良く見付けたね」と水道屋さんがほめてくれた。すっかり日が暮れた境内、グチャニグチャになった周りを見ても安堵の気持ちで眺めると、サッパリしたような気分になれた。

夕刻より星祭りの印刷物や諸準備をして深夜就床する。一年も余す所、あと僅か。早いものだ。
■12/16      
午前午後とお参りの予定を終え来年度の世話人会会議の企画委員会を開いた。大仰に聞こえるが世話人会を開くに当たりその元となる企画を決める必要があり今回の企画委員会の開催となった。

目下の急務は星祭りの準備であり先回の問題点の洗い出しや、改善の方策を色々とご審議いただいた。来春の節分を迎える世話人会の打ち合わせ資料を再調整して起こす事となった。

毎日が飛ぶように過ぎていく。寒くもなってきた。風なぞ引かぬように気を引き締め、感謝の日々を過ごしたい。
■12/15       寒い      
昨夜は遠くま散歩を行った。少しさぼり気味であった散歩を再び始めだした。人の足はたいしたものでボチボチ歩いていると相当の距離を知らぬ間に歩いてしまう。お昼に同じ道を歩くと「えらい距離を歩いているのだね」と改めて関心をしてしまう。

朝より予定があり一日、忙しくしていた。明日は星祭りの企画委員会を開催する。世話人会の中から私が任命した数名の方で星祭りの企画書を起こす謂わば、会議の前の会議を行うつもり。夕方の予定であるが実りある会議にしたい。この企画委員会の内容が次回開催される世話人会のたたき台となる。準備も色々である。21日は評議委員会の開催があり来年度の事業計画と今年の事業報告を報告しまた、諸問題の審議を得る事とする。

明日は住職ご氏名の法事がある。 長野県から山芋を手配して天ぷらを準備している、一杯飲んで欲しいと言われている。ここまで言われたら行きますが・・・体は一つ。嬉しいのですが難しい事でもあります。本当は嬉しいのですが・・・・・

環境班より鉄のくさびを作って欲しいとの要望があり木材で作った模型を友人の鉄工場へ持参した。扉も閉まっていてどうした事かとチャイムを鳴らすと二階から「インフルエンザに罹っているのでここから聞く」と言って顔色の悪い顔をして私の要望を聞いてくれた。ナラ枯れで倒したコナラの木を薪にしたいと私が要望を言ったら鉄のくさびの要望となった。山仕事の経験をこのお寺でも生かして下さるのである。「住職、チェーンソーで削ってくさびを入れたら簡単に割れる」と教えてくれた。私も以前は薪割りをした事があった。薪割りは大変。でも環境班の方より色々な知恵を授けていただき「なるほど」と感心する事ばかり。とても良い勉強になる。

お寺の仕事は座ってお経ばかりではない。作務と言って掃除や日常の掃除をお寺の人間が先頭を切って行う事が、毎日の生活の中で要求されている。ただボンヤリと掃除すればいいかというと考えて行わなければならない。良い経験は自分で得る事もあるが、他人からも教えていただく機会も大切。次回の薪割りは私が先頭を切って・・・??がんばります。
■12/14 曇/晴             
今日は久しぶりに私一人でお参りや事務仕事、来客の応対等を行った。年末まで済ませてしまいたい事柄が多くあり気ぜわしいのが師走らしくて良いようにも思えるが・・・年賀状、年回忌案内状、打合会の資料等色々である。

下水なのか上水道なのか?漏水の箇所があり水漏れの原因が掴めない。年越しをして下水工事をしたくはない。お寺もこれほど広いと何処がどうだか大変維持管理の痛い所である。境内清掃班の人たちが落ち葉の掃除をせっせとして下さっている。掃いても集めても帰宅した後は元の木阿弥で、落ち葉だらけ。愚痴を言っても仕方がないので掃除を心がけるしかない。

明日は土曜日。来週の土日まで予定がいろいろとある。評議委員会や世話人会の打ち合わせ、来年度の事業計画の策定、盛りだくさんである。風邪を引かぬようにして毎日を送りたいです。
■12/9      予定の多い日
段々と寒くなり始め気ぜわしくもなって来た。年末年始の準備や節分会の準備や資料の整理、法事等の案内状のパソコンでのプリントアウト。色々と忙しない仕事が続く。

午前午後とお参りが多くまたご会食をされての方も昨日も本日もありお寺は賑やかだった。明日は来客が多く朝より時間の調整が必要となる。母もお見舞いに行かなくてはならない。葬儀もある。弱音を吐くようだが頭の中で上手く整理がつかないと自分で今思う。だいぶ油が切れてきてくたびれている事が自分でも感じられる。

定年と言う言葉がある。私が子供の頃、定年は55歳ごろと記憶している。今では食糧事情が良くなり以前の定年適齢期と体力は以前と比べ物にならない。しかし頭の回転は、私に限れば何だか限界のような気がし始めている最近です。特に感じるのがこのパソコンでのタイピング。以前の正確さ、速さは比べること自体が悲しい。眼も老眼が入りショボショボする。

耳順と言う60歳を迎える言葉がある。人の言葉が素直に聞く事ができて、自分の話すことが自然の言葉として人の心に沁みていく事が出来る歳と理解している。本当の耳順をあと10年足らずで迎えるに当たり、穏やかな送り方に心掛けているつもりです。26歳で父を亡くして60歳なんて想像もつかなかったですが・・・耳順を心掛けていきます。
■12/7       散々な日         
今日一日色々なことがありました。午前9時より月例会議。大掃除や年末年始の進捗状況の報告や来年に向けた会議であった。会議の資料を作成中に、夜間当直より下水の水漏れ事故の報告を受けた。月例会議後に本堂と本坊の大掃除の予定であったのだが・・明日は土曜日。色々と会食や予定もある。一応の議事進行書類を作成し足早に会議を終える。

境内に出て汚水水漏れの箇所に立ち修理を施す。マンホールを開け異常個所を見つけるもお寺の山から漏れ出す清水ではないかと思慮された。汚水管に細いビニールパイプを入れて押したり入れたりを繰り返す。水道管と汚水管を記すパイプを埋設箇所に立てて昼過ぎに修復を終えた。

次は本堂の大掃除。所が午前中の汚水管の作業で知らずに右大腿部の筋肉を痛め歩く事も自由にならないようになってしまった。午後3時から歯医者さんへ行きクリーニングと歯の治療を施し母の転院の手続きを行い、夕刻は予定があり気がついたらお寺の中を竹の杖に寄り掛かりながら廊下を歩いていた。

何だか最近、詰まらない事に振り回され、後味の悪いことが多い。まぁ歳のせいもあるだろうが穏やかにこの年末年始を送り、新しい年にはリセットされた元の私の生活を望むばかりだ。しかし体力の衰えは人と比べて少し早すぎるような気がする。
■12/4       関係僧侶との忘年会         
一年間、当寺の諸行事に色々とお世話頂いたお寺の方々との忘年会を行った。いつも会う方々なのだが忘年会の席はいつものお顔と違うような気がした。

「一年を終えたな」とか「一年は早かったな」とか様々な気分がテーブルの上に漂い、乾杯するグラスも嬉しいやら色々な思いで一杯のように思えた。今年の忘年会は洋食で行った。いつもは名古屋へ繰り出し掘り炬燵のある席で楽しく飲むが、今年限りでお店を一旦たたむお店で行った。ここのお店は思い出のお店。毎年本山からお越しになられる布教師さんの長年の会食場であり、息子や娘の得道式(僧侶になる事)の直会(なおらい)の場所であり、父の17回忌の会食場でもあった。

「乾杯!」で始まり一年の色々な出来事が話題となった。諸氏にも色々な一年の出来事が話に出て一次会を楽しく終えた。二次会は近所でカラオケに興じて10時にはお寺へ帰る事が出来た。まずまずの忘年会。何がまずまずかと言うと「夜10時に帰る事が出来た」事がまずまずであった。楽しく親睦を図り11時に就床できたらまずまずですね。
■12/2      予定の多い日
午前・午後と予定が多かった。一番最後の方は先日葬儀をされた方であった。私は生憎都合でご葬儀の導師をお勤めできず住職代理にお願いをした経緯があった。

久しぶりにお会いする喪主さんご夫婦は開口一番「この間はお世話になりました。住職がいなかったので寂しかった。今日はあえて本当に嬉しい」と言ってくださった。私も非礼をお詫びして久方ぶりに会うご夫婦と、本来のご相談の内容ではないことに話の中心がずれてしまった。都合ついでに明日になっている二七日のお参りをさせて頂きたい、要は明日のお参りを今日に変更できないかと私がお願いをした。

ご夫婦は快くご承諾を得てお寺の持仏堂内でお預かりしているお骨とお位牌をお出ししてお参りをさせていただいた。お経が終わりご挨拶をすると喪主さんは涙を流されて「有難う、住職。ほんとうに嬉しかった」っと下を向いたまま私にお礼の言葉を言って深々と頭を下げてくれた。きれいな奥さんも、何を思ったのかしんみりしてお礼を述べてお寺を後にされた。

「住職、長生きしてくれよな」と帰り際に私に言葉を投げかけてくれた。「他人の事を心配するよりも自分こそ、健康でいてくれよな。お互い健康で行こう」と言い別れた。送る姿を眺めながら「自分のお経であれほど喜んでもらう、他の人にも時々言われる『住職のお経は有り難い』という言葉。自分もこの歳になって良い和尚になれたのかな?っと思いながら一日を終えた。明日は雨模様。雨上がり後は強い寒波が来るそうだ。おやすみなさい。
■12/                
朝より忙しく一日の予定を送りました。もう師走ですね。お参りに出かけると「とうとう師走ですね」と先に言われる。早い物です。

夕方から平成20年度事業計画書と平成19年度事業報告書のまとめを起こしている。備忘録や記憶の定かでないところ、議事録等を眺めながら一年を振り返っていると本当に早く過ぎていく。事業の内容も多くの世話人さんの意見やお手伝いでより良くなっているが「あれ?もうそんなに経ったの?」と思うくらい一年一年が早く過ぎていくのを実感する。

明日は予定が結構詰まっている。来客の予定もあり師走らしい一日なるのかと思う。忙しいので母のお見舞いに足が少し遠のいている。行って何か美味しい物を食べてもらったり楽しい話をして笑ったりして一時を過ごす事が、今の母には叶わないけどは、ベッドの傍らで座って居られる自分が幸せであり一日も長くいて欲しいばかりだ。もっと早くに気がついて最新の治療を施す事が出来たならと悔やまれてならない。どこの親でもそうだろうが、苦労ばかりをかけさせて、少しは楽しい思いをして欲しかったと思われてならない。