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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

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平成20年1月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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■ 1/31       星祭の準備
昨日と本日で星祭の大凡の準備を終えさせていただきました。準備は色々とあり多くのお世話人さんの手分けしての準備。例えば福笹の用意でも400本もあります。この笹には七福神と御札、鈴をつけると計9個のお品をくくることは大変です。トテモお寺だけでは出来ません。そして本日は花餅を作りました。あっと言う間に柳の木々には紅白お花が咲き乱れて、本当に春を迎えた気分になれました。

思ったほどの時間を取らなかったので「今からバスでどこかへ行こう!」と私が誘うと皆大賛成で浜名湖へぶらりと春を求めて出かけました。総勢17名。賑やかでした。水面に輝く日の光は柔らかく何となく春の趣が、寒の中にも感じることが出来ました。

夕方帰寺してより急いで明日に迫った合同世話人会の打ち合わせ資料の仕上げに取り組んでいます。昨年の資料に種々の改良点や変更点を加えれば出来上がりです。といっても既に9割はもう出来上がっているので差ほどに気にしていませんが・・・でもやはり気にはなりました。2月3日、名古屋地方は天気が少し心配です。何とかよい天気であって欲しいです。

もうすっかり体も癒えましたが中々自由な時間が出来ません。歯医者さんにも大阪の先生からご紹介を受けながらもままになりません。いや、色々と多くの人に良くして下さって貰っていますので本当に感謝をしております。ありがたいです。
■1/27        寒い一日
色々と不調が続き備忘録の更新もままになりませんでした。昨日の土曜日からやっと腰痛も消散し、風邪も少し咳を残して全快しました。こんなにしぶとく長引き、複合的な病気に酷い目に遭ったのは初めてでした。

腰痛の最後は熱田区波寄町にある「なみよせ治療院」の先生のマッサージで一日で回復してしまいました。もうソロソロ治る頃で有ったのかもしれませんが、治療後翌日少しの痛みを残してほぼ全快と言うまでに快癒しました。年末から先週の木曜日まではふすまの敷居をまたぐのも辛かった痛さから開放されやっと通常の生活に戻ることができました。

日曜日で法事が7件、葬儀一件、他の予定もあり多忙でした。恐る恐る一日を過ごさせて頂きましたが元気で夕方を迎えることができてホッとしております。お布団の中に入る前に「今日一日ありがとうございました、明日もよろしく願います」と手を合わせて普通に休むことのでき幸せな夜を迎え、健康の大切さを改めて実感させていただきました。あと少しで星祭です。今以上の健康を得るように心がけて毎日を暮らさせていただきます。
■1/20        
ここ暫く備忘録を更新できないでいました。年越しの腰痛に酷い風邪と精神的な負荷で昨日今日と起きる事が出来ませんでした。

明日はなな月参りの日です。今年初めてのお大師様のご命日にも当たります。多くのお寺様も法会にご参集くださいます。何が何でも元気に過ごさせていただきます。
■1/13        寒い一日
毎朝お参りに来られる方が最近見えないです。少し前に「住職、ちょっと入院するから」と私に告げた。いつも午前5時半ごろに参詣をされて見えるのですが少し心配です。

夕刻、いつもお世話になっているご夫婦が息子さんを伴われて来訪して下さった。数年前には寺の祭礼のときにもお手伝いを頂いた少年は、今年成人式を迎える立派にご成長されてみえた。今オーストラリアで仕事をしながら色々と勉強をされて見えるとご本人からお話を伺った。日本では大学に行かずに色々とアルバイトをしてお小遣いを貯めオーストラリアに出かけた事や、バイト先での様々なお話を伺い、彼の体から放つ青年の輝きを感じ、トテモ頼もしく思えました。

控えめで素直、優しさ溢れる好青年であり、お話を伺いながら涙が出そうな程に嬉しさを感じた。また暫くすると往復のオープンチケットのみを手にオーストラリアに帰るという。

「若いうちは様々なことを体験して色々な人の出会いを得てほしい。自然と体から出てくる人柄に、多くの人から可愛がってもらえるように過ごしてほしい」と数日すると渡豪する、優しくも頼もしい好青年を夕暮れの境内にお見送りをさせて頂きました。何だか心も気持ちも清清しく軽くなった気持ちを久々に味あわせて頂き彼の来訪に感謝申し上げます。良い一日を終えました。
■ 1/11       仁義礼智信
人の価値観は夫々と今、つくづく思い知らされています。慶應義塾大学を創設された福沢諭吉先生の有名な諭吉訓に「世の中でもっとも惨めな事は人としての教養の無いことである」と書かれてあります。人としての教養の無いとは事の善悪の見境がつかない、自分さえ良ければ他はどうでも良い、といった類の人のことでしょうか?

私も今まで様々な人と出会い色々と良くして頂いて今があると常平生に思い暮らさせていただいています。この諭吉翁の言葉の中に「世の中で一番尊いことは人のために奉仕して決して恩に着せないことである」とも書かれています。そして「世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情を持つことである」とも書かれています。しかしこの世の中には色々な方がお見えであります。

「己の欲せざること、人に施すこと無かれ」今の世の中は福澤翁の言葉を生かし実践するにはシッカリと相手を見て、取るに足りる人か否かを見極めて後に、この言葉を噛みしめる事かと今更ながら思い悩んでおります。相手の立場が立派な肩書きの人でも凄い経歴の人でも、みじめな人か否かを見極める眼力がこの歳になって今更ながら恥じ入っております。それは自分もみじめな人だったとの証明にもなることなのでしょうか?仁義礼智信。古い言葉ですが大切な言葉のような気がします。
■ 1/10       
腰痛は変わり映えしないようです。

ところで朝、何気なくテレビをつけてぼんやりと見ていました。NHKの教育テレビ。小学校の子供さんたちの国語の授業でした。内容は「です・ます」の用法を色々と分かりやすく伝えるものでした。内容を少しここに書かせていただきます。

「吾輩は猫である。まだ名前は無い」を「です・ます」で書き改めるとどうなるか?
「我輩は猫です。まだ名前はありません」とテレビで教室の子供達が答える。

そしてその結果を道行く大人たちに見て頂きその感想を述べるものでした。原文を見て「何だか偉そうに聞こえる」とかですます文に変換すると「『まだ名前はありませんって名前付けてよ』って感じで親しみがわく」等々色々な感想を聞くことが出来ました。この番組を見て私のこの備忘録も「です・ます」が少なく断定的な言い回しに偏っているとハタと気がつきました。時代がかった言い回しと言うか。そんな気分になりこれからはこの備忘録のみならず、毎日の言葉使いも文章も相当に気をつけて過ごして行かなければならないと思いました。下の1/9分の備忘録文も読んでいて自分の至らない事に、正に汗顔の思いです。色々と心当たりもあります。小学校国語のテレビ授業を見て気がついたことでした。
■ 1/9       
実は年末に水道の漏水工事をしました。境内は一万坪、漏水箇所を見付けるのは大変な労力と根気のいる作業、どなたでも容易にご想像をしていただけると思います。

昨年師走の半ばに水道メーターが再びクルクルとひどく回り始め漏水を水道メーター検針員の方からお教えいただきました。早速漏水箇所の発見を水道局にお願いするも年明けだと仰られ、回るメーターを見ると「そうですか」と中々言い辛いものでした。水道屋さんも、年末で駆けつける事が難しいとのご返事をいただきました。そこで私が環境班の方達と漏水箇所を見付ける事にして作業を開始しましした。

よく見ると境内の1/4の部分が水浸しでキラキラと光っていたので、大凡の中りを付けて掘り始め、数時間後、幸いにも漏水箇所を発見し修理を施し漏水は止まりました。が、数時間後に私は竹の杖をついて廊下を歩く羽目に。多分、日ごろ使わない筋肉を使ったのと、徐々に忍び寄っている老化が拍車を掛けたのか酷い痛みに声も出ませんでした。歯医者さんで頂いたお薬、飲み残しのロキ●ニンを飲んで翌日は杖無しで歩けるようにはなりました。

ここのところの年末年始の多忙や体を冷やしたせいか再び急に腰痛が出てきて昨日、檀家の整形外科医の先生を訪ねて受診をさせて頂いた。薬を飲むも・・・しきりに老化という言葉が頭にこびりつく。私は学生時代は運動部にも所属し体には多少なりと自信があったのですが・・・。歯医者さんには40年間、歯痛で通った事はなかった。視力も両眼1.5。歯医者さんからもお医者さんからも良い体をしてると良くほめられました。ここ数年は自己の健康を考えて歩いたりして運動もしてきました。しかし寄る歳には・・・つくづく考えさせられました。
昨日のお医者さんに言わせると、遠回しに運動のし過ぎをやんわりと言われた。これからは過度な事を控えて運動を続け、体重ももっと真剣になって減量に努め、健康を大切にしていきたいと思う。ともかく標準体重を目標に気長に運動をします。
■1/6        
日の沈むのが少し遅くなって来たような気がする。正月気分も明日からはいつもの様子に変わる。車も人の流れも変わり大変賑やかになると思う。しかし景気は今年を切っ掛けに大きく沈み込むような気がする。何も出来ないし何もしないようにしている事が良いような気がする。

原油が100ドルを突破して隣の国ではGDPが発表のGDPよりも上回っているという活況。資源も生産物も一気に需要と供給が増し、世界で求められる物は全て中国やインドに行ってしまい、細々と仕上がった品々は人件費の前にひれ伏し、追い打ちを掛けるような原材料高。これでは太刀打ちできる企業も余程の技術力を持たない限り失速経済になってしまう。普通、経済状況が悪くなると円も安くなるのが円高が進んでいる。輸出企業はこれまた大変だ。今まで120円で売れた物が同じ品で108円くらいとなり、原材料費は円高が進んでも仕入れ値段は倍も三倍もなっている。

企業は疲れ、所得は減り、益々の厳しい日本国内となるような気がする。資源のある国例えば、ロシア。あのルーブル危機の時には1ルーブル100円もしていたのが1円にも値しないほどに経済が荒廃した。いまクレムリンにはロシアの3年分国家予算が現金であるという。またある国では資源を求めて武器を輸出して資源を争奪している、それも最貧国の足元を見て。世界中は日本のあのバブルの後始末と断末魔を側聞して対応をしている。戦争に負けそれを引きずり、再び外交で負けている日本。4等国であった明治維新の日本はその後、世界の一等国に仲間入りを果たした。その折は、欧米の国際法の規範を元に欧米流の外国手腕を手本というか恫喝で国力を付けて一等国となった。しかし所詮は植民地主義という資源の山分けの構図から弾かれると世界を相手に戦争を起こし再び4等国になってしまった。多額の戦後賠償を背負いながらも西側諸国の一員となり戦火を交える事もなくまた、世銀から融資を受け再び一等国になり得た。

功罪はあるにしても再び一等国になっても所詮、資源を持たない悲しい身の定め、親方の言いなりとなって鉄砲玉人生の末路はやはり、外交で相当にフック、アッパー、ボディパンチを受けてスタミナも切れてきている。一体誰がこの国の将来を明るい物にしてくれるのか? 改革を実行して経済を発展させる思いつきで始めたのなら最後まで弱肉強食で進めないと腰砕けとなった国家は、美味しい所だけ食われてしまう。今年一年、穏やかに過ごしたい物だ。
■ 1/4       名古屋へ行く
お正月を迎えて初めてお寺をでる。行き先は名古屋駅付近の繁華街。恐ろしいほどの人出でありどこへ行っても黒山の人出であった。地下へ行ってもデパートへ行っても、レストラン街へ行っても行列。お昼ごはんはパンとコーヒーを買ってそこらの椅子に座って食事を済ませる。

突然家内が私を呼ぶ。振り向けば友人夫婦が名古屋の大混雑するエレベーターの上のほうでニコニコしている。慌てて下るエレベーターを一生懸命上って「狭いね」って笑って年頭の挨拶を交わす。彼らも何か用がある様でもない風体であった。私達も何か用があるわけでない。私達は一階へ、彼らは上階へとお別れをした。久しぶりに出かけた人ごみの繁華街。ちょっと疲れました。
■ 1/3       旧友来たる
葬儀を終えて境内参道をトボトボと歩いていたら井戸端から「オイ」っと声がする。見れば良く肥えた中年の男が立っている。「おぅ!○○じゃないか」と声を掛けるとニッコリ笑って「いやぁー、久しぶりだ。中学の頃にチョコチョコ来た以来だ」と感慨深げに辺りを眺めて感想を私に漏らした。「良く来てくれた、まぁ上がってくれ」と応接間に通した。

「いやぁ、さすが世界の高徳院」とアホな冗談を言う。彼は警察官で暫くの間は白バイにも乗っていた。以前も電車の中でバッタリ出会った事がある。お互い酒臭い息をしてニコニコしながら話をして家路を急いだ事もあった。「お互い人生の半分どころか下り坂を暫く過ぎたな」と言うと「俺はころがっとる」と言う。趣味の話や健康の話、老後の話をして帰られた。嬉しかった。中学の頃は田んぼに入って積んであったワラの束を投げ合って翌日、先生にこっぴどく怒られた事や、土砂降りの雨の中、白バイ隊志願のために練習している彼と出会い、一言二言声を掛けた事、柔道で投げ飛ばされて大笑いした事、色々な事が思い出される歳となってしまった。

帰り際に「お互い健康でいような」っと彼が言うので「おぅ!、お互いにな!」っと声を掛けて別れる。お互い歳かっこの良い挨拶が不思議に言葉として出てしまいますね。
■ 1/1 晴れ
明けましておめでとうございます。今年もどうか宜しく願います。

昨夜の除夜の鐘、及び初詣の方は多くのご参拝を頂きました。境内に立っていると「あけましておめでとう」と声を掛けてくれる。こちらも「おめでとうございます」と挨拶をする。境内は見る見るうちに鐘を撞く人で一杯になっていくる。今年からは甘酒をぜんざいに変更して準備を進めさせてもらった。

以前この備忘録で紹介をした「かまど」が役に立った。薪を入れて火をつけるとすぐに火が回った。釜の扱いを知らない人が扱うとひびが入るので、適当な所で炭を入れて火力を一定にする。火さえ立てば何でも同じではない。ぜんざいを湯煎しながらお出しする。好評であった。その様子↓  このかまどは二口で昭和30年製の新品のお品。古道具屋さんにお願いをして分けてもらった品です。重いのでお寺のユンボで据え付けをします。とても雰囲気があり好評でした。



暫くすると「おめでとうございます」とご家族でお越しになられたご一家の方から年始のご挨拶を受けた。「私はタバコをやめたんです」と一言。「それは結構」。 「時の経つのは早いものですね」と言うと「娘です」と三人のお嬢さんを紹介された。もうこんな大きな娘さんが三人もいるとは思いもしなかった。紹介を受ける時「ちょっと待った!僕がお姉さん、妹さんの順番を当てます」と言って、2回も外してしまいました。「残念です、私が姉でこの子が真ん中で最後が妹です」と紹介をしていただきました。「うぅむ、サッパリ分からんな」と一言。「hpに載せるからね見てね」と言って写真を一枚撮りました。かわいい三姉妹デーっす。パチリ↓


元旦からお参りが有り私が二七日のお参りに出かけさせていただいた。とてもかわいい女の子の子供さんがいて何かと世話をやいて下さいました。私が帰ろうとすると「はい」っとサブレのお菓子を持ってきてくれました。小さい子供さんがいるお家には太陽のような明るさがあり、ほほえましい思いをさせていただきました。

さてお寺も正月と言ってはおられません。正月早々から色々な予定が入ってきてました。事故の無いよう、故障の無いよう、人様に迷惑のかからないように気をつけて新しい年を始めたいと思います。今年もよろしくお願いします。