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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

平成20年4月
平成20年度年間予定表 彼岸俳句三句

■4/28       「護符の会」懇親旅行
世話人会とは別の護符の会で東北三大花見名所めぐりをしてきました。角館の武家屋敷に広がる枝垂桜、弘前の桜、中尊寺と毛越寺等を見学して昨夜帰りました。今回は少人数でした。バス内も18名とこじんまりしていましたが半数は私たちのメンバーで大変よい雰囲気の中、一緒の皆さんたちとも仲良くなりよい旅行が出来ました。

実は私が角館の武家屋敷、特に枝垂桜のシーズンに的を絞って出かけたのでしたが暖冬で弘前城の桜を除いて寂しいものがありました。バスガイドさんが言っておられましたが「ゴールデンウイーク中はどうやってガイドしたらよいか頭を悩ませます」とこぼされて見えました。まぁとも角何事もなく楽しく過ごさせていただきました。

中尊寺入り口
中尊寺 金色堂を囲っていたお堂
中尊寺金色堂は意外に小さいものと感じました
(金色堂は撮影禁止)
お昼ごはん お餅を色々とアレンジされたものでした
お昼ごはんの間にツアーを離れて毛越寺(もうつうじ)へタクシーで走りました
とても素晴らしいお寺で昔の伽藍を想像すると平泉の
浄土庭園あと 伽藍があった頃は壮観だったと思います
この小山には三重塔があったそうです
北上展勝地から北上川の川下り(これもツアーを離れて)
第一泊目のホテル
花巻温泉
自室前の風景
今度は鯉のぼりの番です
ホテル前の公園では民謡大会がありました
下の写真は客席・・・まばらでした
むかし懐かしい屋台が一杯ありました
地元の人も一杯飲んで・・・ひなびていましたが暖かかったです(体感は真冬)
翌日一番の見学・・・石割桜です
盛岡の裁判所の前にありました ビックリしました
その次の見学 小岩井農園の一本桜
NHKで紹介後は凄い人出で名所になったそうです
小岩井農園は広いのでチンチン電車?に乗って一回り
色々なものを売っていました
牛肉のバーベーキュー「食べてくんせい」って言われましたが
真っ黒焦げのお肉・・・匂いだけにしました
せいろの中はホッカホカのジャガイモです
角館の武家屋敷 枝垂桜
例年の風景 今年は暖冬でもう終わっていました
角館の武家屋敷は豪雨と葉桜でがっかりでした。
追い討ちをかけるように恐ろしいほどのバスで自由食で・・によって
皆で「きりたんぽ」を頂きました。私もはじめて頂くキリタンポはとても美味しいものでした
角館武家屋敷駐車場に隣接する屋台村の様子です
このビニールハウスが休憩所
ビニールシートが敷き詰められて中々風流な気分になれそうです
角館をあとにして「田沢湖のタツコ」像
日本で3番目に透明度の高い湖であり水深も数百メートルあると言う
二泊目のお宿  大湯温泉 よい温泉でした
最終日は十和田湖周遊に出かけました
とても寒く凍えそうでした
船上より高村光雲の像を眺める(望遠)
その後 奥入瀬渓流を散策
昼食後 八甲田山系を越えて弘前へ
春は名のみの八甲田
弘前城 本丸 意外と可愛らしいです
本丸より
恐ろしい程のお店が集まっている露天商
昔あった懐かしい露天が一杯・・桜見物よりも露天見物のほうに気をとられました
何だか露天を見学に東北へ行ったような気分です
多種多様のお花見団子 ビックリです
やっと出口で外に出ました みたらし団子、焼き鳥、様々な匂いと音と
不思議な世界に弘前の桜は立派に咲いていました  平和を感謝しなくては!
護符折の会の初めての懇親旅行は無事に終えることが出来て
夕刻8時半にセントレアに到着しました。皆様お疲れ様でした。
■4/25 晴れ       植木を植える
今日は環境班の人たちの出勤日であったが一人は忌引き、一人はご不調で残り二人だけの出勤での作業となった。今日のお寺は忙しく予定も多かった。ここ数日、とても忙しく予定が埋まっていた。

過日、「出猩々」と言う真っ赤に染まったモミジに出会い、早速捜し求めて今日午前中に8本大きめの木が来ることになっていた。午前中は身動きが取れない私、午後から環境班に合流してその作業に入った。入ると言っても出猩々を植える場所や、重機を動かしての掘削は私の仕事であり、私が参加しないと手掘りの重作業となってしまう。

本堂南側のお地蔵様一群の中に一本、新緑に輝く参道沿いの緑色のモミジと相対を為すように二本、石庭に内に一本と植樹をしていった。植えようとする場所は、木を粉砕して細かなチップが堆積し豊かな腐葉土となっている。色々な幼虫がゴロゴロと白い体を見せてその姿を見せる。何本か植えて山中の植樹を終える。他の作業の事もあるので後の残りの出猩々は後日植えることとした。播かねば生えぬし植えなければ大きくもならない。これから先毎年、春の新緑の頃には真っ赤な葉っぱが風に吹かれて、他のモミジの新緑と呼応して目を楽しませ、梅雨に入ると緑色に変わり、秋には再び深紅の紅葉に変わる出猩々。桜と共に大切に育てて行きたいです。今日は大変に疲れました。おやすみなさい。長野では明日どのようなことになるのでしょうか?心配です。
■4/24       境内の葉っぱ
環境班の人たちはこの時期、大変です。午前中だけで下の写真のように軽トラックに一杯の落ち葉が集められます。通常落ち葉と言うと秋のように思われがちですが、楠の仲間の木々は4月中旬から5月半ばまでたくさん落葉します。竹の木々も同様に笹を落とします。春の季語に竹秋(ちくしゅう)があることを思い出すとうなずけます。

特に境内に生えているタブの木はこの時期、何度掃除をしても片っ端から落葉します。以前は毎日、竹箒とちり取を持って掃除をしました。お粗末なちり取に葉っぱを拾い上げると一輪車に積んで竹やぶに捨ててはまた掃き掃除、終わる頃に振り返れば元の木阿弥で一面の落ち葉・・・ 今ではブロワーで上手く吹き集めては短時間のうちに掃除を終えられ、軽ダンプのトラックで落ち葉はお山の竹やぶに持ってゆかれて、堆肥となります。まだまだ落ち葉は続きますね。

■4/21 晴れ       恐ろしい体験
今日はなな月参りの日。お参りを頂き法話と言える代物ではないがお話をさせていただいた。引き続き弁天寺の高橋僧正様からもご法話を頂いて午前中の予定を終えた。お彼岸にいなかった私に色々とご心配を頂き恐縮もする半日。

午後2時過ぎに半田と言う所に所用があり出かける。知多有料道路と言う高速道路がありお寺からだと約30分程でインターまで来てしまう。所用を済ませて再び高速道路にのると遥か前方より一台の小さなバイクが逆走してきた。通常有り得ない光景を冷静に判断するに少し考えて、納得が行くのに少し時間がかかった。

スピードを落としてやがて近づくそのバイクは50ccの原付であった。おじいさんが白いヒゲを生やして何だか空ろな顔して不安そうに走っている。それも中央分離帯に沿って。スグに車を側道に寄せて110番通報をする。こちらも状況をお話しするのに手間取ってしまった。お巡りさんの問い掛けに上手く答えられないのです。

その内に私の携帯電話から発する位置情報システムが警察から探知されている事に気がついた。私が説明する場所と恐らく照合をしていただいたのでしょう、とても安心をしました。

帰寺後、この携帯電話位置情報システムの事を家族に話すと「これで安心だね、110番通報して位置を特定してくれるので・・」と言う会話になりました。そりゃ、都合の悪い場合もあるかもしれませんが不都合でなければとても安心な国なんだと、改めてITによる有難さを感じました。通報も終わり心配しながら名古屋方面に向かう高速道路道すがら、対向車線ではホンの数十分ほど前に通った道で消防車から救急車まで繰り出す大事故が発生していました。

有難い国の制度、安全であること、自由であることに本当に感謝をして、この国の制度をもっと大切に暮らしたいものです。本当につくづく感謝した一日でした。
■4/20
快晴       お世話人会 総会・懇親会
今日はお寺の総会を開催した。夕刻、タケノコを掘って焼きタケノコを作りお弁当を頂きながら、今年の事業計画を発表して一年の計画を紹介した。懇親会ではお酒もすすみとても楽しく8時半頃まで過ごすことができた。

総勢50名が一堂に会して愉快に過ごす姿は壮観でした。親睦旅行のお話しも出たり、日々お寺でお仕事をしてくださる方たちの紹介、世話人会で活躍してくださる方たちの紹介等、全ての方を紹介は出来ませんでしたが本当に楽しく愉快のうちに過ごすことができました。これからも宜しく願いますと言う気持ちで一杯でした。
■4/18       聖火リレー・・・善光寺辞退
このニュースを見て正直ほっとしました。私も以前、伊豆山のお寺を道場として早大のお手伝いの下、チベットのデプン寺と言うお寺の僧侶から灌頂を受けた事がありました。

穏やかな雰囲気の中、通訳を交えて交わされる一つ一つの言葉は大切な思いが伝わってきたことを思い出し、大凡日本の今ある儀式としての灌頂とは趣を異にしていた事をはっきりと覚えております。灌頂を受けることは戒律を守る事が絶対命題となり今言われている、その灌頂を施す方である戒師であるダライラマ師が諸悪の元凶という事は、絶対にありえない事なのです。

この度の善光寺の英断はとても勇気もいれば種々の思いもお有りだったと思いますがとも角、同じお寺の人間としてほっとしております。しかし私のようなものでも自由にhpを起こす事が出来て、ネットに自由な事が書け、自分の思いの一端を心配することなく記す自由を本当に感謝したい。
■4/15       漁師さんのお話
「海の底は去年から一変した」と興奮気味にお話をして下さった顔見知りの漁師さんのお話をさせていただきます。彼とは年に数度お会いする機会があります。昨年はお会いする機会が無くご無沙汰をしていた。

時折ひらめやサザエを持ってきてくださる方なのですが「海の様子が変わった」とのお話に「どのように変わったのですか」と質問をすると「海底の様子がガラリと変わった。雪が少なく水の入れ代わりが減ったので獲れる魚、例えば鯛なんかもう獲れ始めていいものがぜんぜん獲れない。魚のえさも様子が変わり魚の姿が見えなくなった」と嘆きともとれるお話であった。原因はと伺うと「キット地球温暖化かのせいで環境が変わったせいでしか考えられん」とキッパリと断じた。「閏年は昔から不漁と言ったもの。海の底の暦は旧暦がピッタリ当てはまって来た。魚屋をしていても売る魚が無い。漁に出ても獲る魚がいないでは、漁師も困るが食べる人が一番と困るだろ」とお嘆きになっていた。

ここにも地球温暖化の影響がもろに出始めている。世界各国で将来的に食糧不足が叫ばれているが足元の魚が既に少なく取り合いとなっている。何にしても自給自足にシフトを移し、国益を大切にして、顔色を眺め車だけ売れればいいような国にして欲しくないものだ。もう目の前に食糧不足や水不足が迫っている現実を今日初めて聞かされました。
■4/14       高野山参詣する
昨年年末より滞っていた高野山参詣をさせて頂く。4ヶ月ぶりのお墓は枯れ葉と杉枝が落ちてお掃除に1時間ほどもかかる酷さであった。奥の院の上流域でいつもお水を頂きそのお水を花筒や掃除のお水に使わせて頂いている。周りの枯れ枝や落ち葉を熊手で掃き集め、細部の落ち葉はブロワーで吹き集めてた。墓石の側面を拭き上げ石畳のタタキを水洗いしてやっと清々しくなった。どのお花屋さんも月曜日はお休みのようでお花のないお墓参りになってしまった。

高野山山頂はこれから桜が開花する雰囲気であった。春の訪れと共に多くの観光バスが山頂を目指し、世界遺産を尋ねる外国の旅行者も大勢お見えでした。今を去る事30年前にお世話になっていたお寺の山門をくぐり「ここだけは昔のままだなー」って思いに振り返り「ここの坂道を何度も掃除したよな」って若かりし頃の事を思い出しました。

今私の友人のお寺のご子息がここのお寺でお世話になっている。実は彼の顔が見たくて山門を潜ったのだが・・・住み易く何でも聞いて貰えるお家からキッパリと別れて今、ここで慣れない修行をしている彼の事を思うと、山門を背にして家路につきました。光陰矢のごとし、本当に自分の事のように思い出されました。
■4/12       驚いた川柳・・・
驚きの新聞記事を昨日初めて知った。その新聞は朝日新聞に掲載されてた川柳でした。折りしもお彼岸の御中日、三月二十日の朝刊にその川柳は掲載されていた。

私はこの備忘録で政治的なことや排他的な事を避けて来た積りであったが今回ばかりは腸が煮えくり返る思い出この備忘録を書かせてもらいます。

「五輪前 どうにも邪魔な 生き仏」と言う川柳を掲載するか否かは新聞社の判断にゆだねられる。1000万人のチベット人殺戮と侵略の犠牲となって未だに侵略を受けているチベット族の精神的な主柱であるダライラマ師を「どうにも邪魔な生き仏」と掲載許可した無神経な判断には、殆ど新聞に目を通さない私も悲しさと共に怒りを覚える。許せない気持ちで一杯だ。

こそ泥が逃げ回るようにして行われている聖火リレーのあの姿を新華社通信は「大成功、暖かく迎え入れられた」と論評し「中国の発展を妬む輩の策動」と断じた。ダライラマ師が扇動し組織的、計画的暴動と言うなら何故にチベットの僧侶は素手でいるのだろうか?チベット人が酷い目に遭い続けているこの最中のこの川柳。撰者の気持ちが分からない。

私の受験の頃は「天声人語」やここの社説を読む事も重要な受験勉強の一つであった。色々とお考えや、詠み人の思いもお有りであっただろうと思います。このニュースは世界で行われている人権運動、チベットやウイグル、ダルフールで行われている野蛮極まりない人間性無視、民族浄化に毅然として、反対の意思を示す思いに、朝日新聞が平気で掲載した事に憤りを覚えます。

五輪とは人種による肌の5色が一つに結ばれ、共にスポーツを通じて平和に寄与する、勝つことに意義があるのではなく参加する事に意義があると小学校の折、習ったことを覚えている。昭和39年東京オリンピックでの聖火リレーは未だにこの眼に焼きついている。感動したし、開会式での胸の高まりはこの田舎町のお寺の一室でテレビに噛り付いていた子供の私にも熱い物が込み上げてきた。

こそ泥聖火リレーや、世界中からバッシングを受けながらのオリンピック。その問題の根源の一つでもあるチベット、憤怒を戒める戒律を重んじ世間に非暴力を訴え続けるダラ・イラマ師を「どうにも邪魔な生き仏」と全国紙に載せた朝日新聞。本当に残念でならない。他意あって平気で掲載されたなら、マスコミの風上にもおけない御用新聞としかおもえない。
■4/11       月例会議
快晴、風が強く桜の花も風に舞っていました。月例会議を開いて色々な行事や予定の打ち合わせをいたしました。議事録を起こす作業も待っております。最近では議事録の大凡を私が作成して気がついたところを事務方で訂正して原本としています。忘れっぽいので月例会議議事録はとても大切なものとなっています。

お昼から初めて生コンを依頼してお寺の池のコンクリートを補修した。環境班にコンクリの量を尋ねると0.5立米程あれば大丈夫との返事。月例会議の席でコンクリート屋さんに依頼の電話をしたのですが・・・外出先の私の携帯がなり「生コン屋さんが5立米持って来た」と電話があった。10倍の量は不要ではあるが・・・結局痛みわけで2.5立米分をお寺で負担をした。何せ素人の私が注文をするのだからキット私の頼み方が悪かったのでしょう。

池のコンクリートが岩や土手の重量と、時々の地震の揺れで壁面が割れていて久しかったのですが・・綺麗に修復されて雨がまた降れば満々と水が満たされると思います。今までは雨が降ってもスグに水がぬけてしまい空池状態でした。まぁ、空池にしておいた理由は他にありますが、これで境内の樹木に散水できる水源地が確保できたのは今日の収穫でした。

花冷えでしょうか? 朝方は寒いですのでお風邪を召さないようにお気をつけ下さい。
■4/8       香典返し詐欺
今朝テレビニュースを見ていたらビックリする出来事が紹介されていました。それはお通夜やご葬儀の折に頂く粗供養品の詐取の事件でありました。世も末です。紹介されていた事件は北陸地方での出来事でした。

一般に葬儀やお通夜の折にはお悔やみとしてご香典、ご霊前等をお包みして葬儀場の受付へお渡しをします。通常であれば後日の忌明け法要頃に香典のご返礼として気持ちばかりのお品をお返しとして、故人の親交のあった方へご挨拶としてお贈りするのが平均的な習俗となっています。

最近では「即返し」と称してお通夜又は告別式の受付にてご香典を頂いた折に、忌明けの品としてその場で香典返しを終える家が多いようです。これは香典返しで粗相があって失礼があってはならない、後日の繁忙を考えて葬儀の折に便宜的に済ませる事に由来をしているように思慮されます。お品を配る方もお見えですが最近ではカタログで必要とするお品を択んでいただいたり、商品券をお配りする方もお見えです。

今朝、テレビで紹介されたのは香典袋に5円玉を厚紙に留め入れて葬儀受付へ持参し忌明けの品を頂く、頂くや否や告別式会場を背にしてさっさと外へ出てしまう。それも大勢で来られるそうです。世も末です。嘆かわしいと言うか、形振り構っている余裕が無いのでしょうか?それにしても酷すぎるように思えます。

先日の入院生活で或る本を読みました。人間は生まれてから成人するまでに色々と経験をつんで人としての弁えを備える事が大切。そのステップを紹介する文章を目にしました。簡単に記します。

生まれて初めて感じる感覚が「快・不快」だそうです。オムツが濡jれて不快、替えて貰って快。お乳を飲んで満足、足らなくて不満、そして喜んだり怒ったりだそうです。年齢とともに伴ってくるのが「損・得」を心得るそうです。怒って損する、知らぬ顔して得をする、騙して得をする、喜んで満足を感じる・・・色々だそうです。人はここからが大切だとその書には記してありました。それは

善悪を知ると言う事。快不快、満不満、喜怒、損得、、、今の日本には損得だけでしか判断をしない人が多すぎると記してありました。「即返し詐欺」、、人間の根底にあるエゴイスティックな醜さを、最も辛く悲しい最期のお別れの会場で会った事も話した事も無い相手に、恐ろしい性を剥き出しにする心根、非情さにため息をつかざるを得ませんでした。酷い話です。善悪で考えれば誰にでも判断のつく事柄。思えば名誉心も信義も情緒も無い、損得一辺倒の人の為せる術としてしか理解できません。何だか頭が変になりそうです。
■4/6        多忙
やっと体が元に戻り、日常の生活に支障の無い体に戻ることが出来ました。今回の入院騒ぎで健康のありがたさを、日々少しの心がけを疎かにしないように注意します。

今日は色々と予定が多くお寺を出たり入ったりしました。お墓や境内、本坊内でお会いする方々から色々とご心配の声を頂き、申し訳の無い気持ちで一杯でした。境内ではお花見の方や地元議員さんの宴席等があり一日中お寺は賑やかでした。

夕方はお通夜があり慌しい一日を終えさせていただきました。