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名古屋の天気予報

平成20年5月
平成20年度年間予定表

■5/30        多忙な一日
午前午後とお参りの予定が多く一日を忙しく終えました。住職代理さんもお休みがない実情です。来月に入ったら二日ほど連休をして貰うつもりです。

環境班の方達は境内のお花の手入れや除草の仕事、色々と気を配っていただいているので草が生い始めて来て良さそうな季節になっても、凛とした境内のままでいられる。加えて初夏の花々が咲き始めている。お陰を頂いている事に感謝をします。

明日で5月ともお別れです。月日の過ぎるのは早いです。毎日を大切に過ごさないともったいないです。心がけて健康にも気を配り日々を過ごしたいです。
■5/28        藤田保健衛生大学慰霊祭
昭和47年より藤田保健衛生大学医学部の解剖御霊位の慰霊祭を5名の僧侶で執行させていただいた。盛大な法要は2時間に渡り3本の弔辞が読み上げられた。4時過ぎに全ての法要を終えお寺へ帰る。

医学部一号館の前には新たに学園の本部ビル、そして藤田学園創立者故藤田啓介先生の記念館が新設され初めて会館を訪れて見学をさせていただいた。藤田先生にはお世話になったのだが、先生のご生前のお部屋のご様子や大学草創の頃の写真等を眺めると、先生の迫力が、先生を知るものには凄まじい迫力となって迫ってくるものを感じました。

久しぶりに先生にお会いしたような思いをして大学を後にしました。いつも「湯川住職」と私を心配して頂き、私も何かにつけ先生を慕っていた。私は藤田学園の卒業ではないですが、心の中では卒業生のような懐かしさを常々持っています。私を無言で励まし続けてくださったのは、藤田先生でした。今日、記念館を訪れて改めて感謝して一日を終えました。
■5/26・7 月・火 快晴        世話人会旅行
両日に渡り、軽井沢へ世話人会旅行に出かけて来た。天候に恵まれてよい親睦旅行が出来た。朝、8時私の運転で中央道諏訪南IC経由、蓼科を通り佐久までマイクロバスを進めた。

最初に訪れたのは布引観音と言うお寺。「牛に引かれて善光寺参り」の出発地となったお寺。その後、マンズワインの工場見学をして早めにエクシブ軽井沢へチェックインする。ゆっくりとお風呂へ浸かる方、豪華なお部屋でワイワイとグラスを傾けるグループ、ホテル内を散策する人とそれぞれに楽しまれた。その後、2時間半の宴席で大変に盛り上がる。

翌日は青空に浮かぶ浅間山の麓、鬼押し出し、白糸の滝と車を進め澄んだ空気と清らかな流れを眺めて旧軽井沢。昼食後、再び蓼科経由でお寺へ帰る。毎回の事だが家のお世話人さん達はとても仲が良いので大変バスの中では雰囲気が良い。「ねぇ住職、今度は万座温泉へ行こうよ」っとリクエスト。楽しみながらお寺の行事のお手伝いを頂き私も有難い思いをさせていただく。出来る限りご要望に沿いながら世話人会の潤滑油になっていくつもりです。有難いです。
■5/24 曇り        亡父命日
梅雨も近くなってきた。本日は父の命日であった。本堂にてお参りをしてあれこれと思いをめぐらした。月日の経つのは本当に早い。

梅雨も目の前に迫ってきた。梅雨が明ければ暑い暑い夏が待っている。毎年今年こそはと思いながら求められなかった製氷機が本日入った。よくレストラン等で見る氷がゴッソリトできるあの機械。新品ではないですが35kの氷が出来ます。

お茶のお接待に水道水をチョロチョロと流しても中々冷めないお茶も今年からは氷の中に水を浸して、その中にドボンと入れてしまえばお茶も冷えると言うもの。またご来客が多いときも氷を潤沢に利用できるので、気が楽になる。暑い夏の来る前の準備。ソーメンも氷に浮かせて頂けます。夏が待ち遠しいです。
■5/23 曇/雨        琴欧州初優勝
昼過ぎより雨が酷くなってきた。一日を忙しく過ごしていた。夕刻パソコンを眺めていたら「琴欧州初優勝」の文字が目に留まった。「そうか、初優勝。良かったな」と思いニュースを心待ちにした。ヨーロッパ出身で初めての快挙であると報じられていた。

初優勝の対戦は安馬、長身を生かしてあっと言う間に勝負を決めてしまった。相撲が終わり頭を結い直してもらってインタビューに答えていた。

「勝ちを決めた土俵の下でどのような思いをされましたか?」
「苦労したことが思い出されました」と嬉しそうに答えられていた。会場にはお父様が観戦にお越しなられていて息子の優勝に両手を上げて喜びを表し、控え室では親子の力強い抱擁を眺めると、眺めている私も熱いものを感じた。

何でも苦労して辛抱して、諦めずにコツコツする事が大切だな、
と改めて感じました。明日は千秋楽、勝ち名乗りを上げて結びにして欲しいですね。来場所は名古屋です。生まれてこの方、まだ一度も相撲を観戦したことはありません。でも一度見てみたいです。
■5/23        月例会議
少しボンヤリをしているとすぐに一週間が過ぎてしまう。今日は月例会議の日。季節が春から初夏、梅雨と環境に対応が必要な頃となるので色々と打ち合わせをした。議事録ももう相当に出来上がっているので、例年の議事録を眺め、先月の決まった事柄をコピペしたりして議事録を作っていく。なんでも積み重ねだなと思います。

友人の娘さんが今秋に結婚するとわざわざ報告に来てくれた。岡山での予定だ。小さい頃から知っている娘さん。もうそんな年頃になったんだと思えば、友人よりも私のほうが寂しい気分になる。「おめでとう」「よかったなー」と心からお祝いを述べさせてもらい出席の返事をさせていただいた。彼も一抹の寂しさはあると思う。しかしなー、独り立ちして新たな人生を開く娘を、誇りに、頼もしく送ってやってくれよな。寂しかったら慰めてあげるから。祝ってやってくれ。でも、私もその番が来たときは慰めて欲しいよ。お互い歳になったもんだ。寂しい・・・・
■5/18
      多忙な一日
殆ど一日中、お参りや他の予定で忙しくしていました。日曜のせいか?参詣の方も多くまた法事の方たちも多くお見えであり賑やかでした。

「住職!トイレがきれいだね。金かけているね。スゴイ、きれいだった」とある法事の方が褒めて下さった。法事に参列した人たちも「お寺のトイレじゃないみたい」とか「銀座のデパートのトイレよりもきれいよ」とか色々と褒めてくださいました。「この建物の中で一番きれいなところはここなのですよ」と少し鼻の穴を大きくして自慢をしてしまいました。

トイレを改修する時「ホースで洗えるトイレ」との要望が月例会議で出ました。自慢ではないですが私一人が拭き取り式のトイレを押し通しました。「粗相があったら私が掃除をする」と言って意を通してもらいましたが・・・以前に比べ比較に成らない程に皆さんの心がけは、きれいに使ってくださっています。一番汚いところを一番きれいで清潔で明るい場所にと思って造ったトイレ。大好評を久しぶりに褒めてもらいとても嬉しかったです。

明日も忙しく午前中は予定が色々とあります。今日は私の当直の番です。新しい週がまた始まります。天気が下り坂、梅雨も目の前に迫っていますね。もう一年の半分の足音を聞く頃となってきます。
■5/16        
早朝、境内のお参りに出かけるといつもの事ながらポタポタと彼方此方から音がする。ポタポタと。タケノコが大きく育ってぐんぐん伸びてくると毎朝、竹の皮の間から水滴が落ちる音です。竹の幹に伝わってサラサラっと勢いよく流れる露もあれば、竹の皮の先からポタポタと落ちる露もある。

お寺のお山は落ち葉やその堆積化した腐葉土で木々には住み易い環境を呈している。大地の水いっぱいをすってスクスク育つ竹。後数年でもっと竹を増やして京都嵯峨野の竹林のような本堂裏手の散策道を整備する計画を持っている。竹を増やしたらろくな事がないと言う事は私も知っている。それは竹林を放置した場合のお話で、私は放置するつもりは更々ない。

竹林の理想的な状態は陽射しの良く入る状態、丁度傘を差して人が歩いても竹が通行に邪魔にならない間隔が良しとされているという。今のお寺の竹藪には竹がやや密集している。雑木も多い。昨今までは倒木も転がっていた。環境班及びお寺の僧侶全員が徐々にではあったが倒木を全て搬出した。これは結構厳しい作業であった。倒木は水分を吸っているので重い。集積しても焼却するわけには行かない。自治体も取り合ってくれない。仕方ないのでまとめて置いていたら雨露のお陰で朽ち果てて、最後には立派な堆肥となってホカホカの土に帰ってしまった。

この堆肥を桜や紅葉、色々な木々の表土に水分発散を防ぐために施肥をした。この施肥の中にはバケツに一杯になるくらいのある昆虫の幼虫が転がっていた。如何に豊かな堆肥となったか知れる。

竹林の倒木を整理した後は枯れ木、傾いた雑木等を取り除きまた、枯れた竹も相当に処分した。直径30センチくらい迄の木々は粉砕器で粉状にして再び元のお山に返す。竹藪は日の差す明るく清潔な竹藪に戻り始めた。と共にタケノコ泥棒に目を付けられる羽目になりここ数年、竹の新陳代謝が遅れ気味であった。今年は赤色警報機やインターネットカメラ、ネット等でタケノコを確りと護ったので立派な竹がグングンと伸びてきた。

そして小雨が降っているくらいにタケノコの露がボロボロと音を立てて本堂を取り巻いてくれている。環境班、僧侶方でお寺の環境を整えてのお陰で、自然が守られている。竹を間引いてもっと素直な竹林に仕上げて参詣の方々の目と心を癒す場所になって貰えれば私の思いも叶うと言う事です。
■5/15        
中国四川省での大地震の惨状が日増しにその被害の大きさが判明し始め、正に目を覆うような状況が連日報道されています。死者も桁外れの凄さに驚くばかり。ただ火災での災害は報道で見る限りは見あたらない。阪神大震災でのテレビでの光景はあちこちから立ち上る煙と炎の多さが思い出される。

中国四川省地震の復旧をしようにもあまりにも広範囲であり、生活基盤を支える道路や鉄道等が十分でないのでしょうか?助けを求める人達の場所へ向かうにも徒歩で向かう事を思うと双方がいらいらする事は容易に想像が付くような気がします。

内陸地奥深く、少数民族の方達が多くお住まいになっている中国国内でも豊かでない場所での復旧作業。世界中からの救援の声、平和の祭典も何処かへ飛んで行ってしまってそれどころではない憂慮される国情。一日でも早い被災者への救済を望むばかりです。
■5/11
晴れ       寒い一日
不謹慎な思いでありますが、最近独居でお亡くなりになる方が本当に多くなりました。お身内がお有りなのにお一人でお亡くなりになり数日数週間後に気がつくという不幸な事が多い。

それとお墓の建墓をしない方や、お墓自体の行く末を案じている方も多くなりました。本当にここ数年で劇的にお墓の事情や高齢化社会の問題が如実に顕現し始めたように思えます。お墓を持たない、お墓の行く末を心配する、自分の事は自分でかたづけておくは、子や子孫が当てに出来ないと言う証左になります。どうしてそんな惨めな関係になりつつあるのか??私なりに思ってみました。

私の知る現実社会は余り周りの事を気にしない、気に掛けない生活環境を良しとする雰囲気があるように思えます。気にしてもらうのも迷惑で、気に掛けない無関心が気楽で自分の事が良しであれば他はどんな風でも構わない、と言う構図が知らず知らずに家庭の中までしかりと入り込み、日本人の文化を相当に変質させたように思えます。

家族の中での親子の対立や兄弟げんかは自己確立の上での必須な要素だと思います。しかしその根幹には、行儀良く、善悪の判断があり、長幼の序を重んじ、国民としての自覚がその基盤となっていたと思います。その土台に自分たちがある事を忘れ、自己にのみの考えを中心に移して社会生活を行えば、他人の事、地域の事、周り近所の事、家庭内の事も何もかもが考えの片隅に留め置かれる事が無くなるのは当然と言えば当然でしょうか?

嘆くのは簡単ですが、より良い環境にする糸口を見付けなければ何もならない嘆き節だけになってしまいます。眼を転じて中国を見れば儒教発祥の地である事はもとより孔子や孟子を産んだ思想の国でもあった。中国の文化大革命の影響を受けた今の人々は何をしても正義はこちらであり、少々の悪い事をしても国を愛した事であれば罪はないと言う信条で成長した人々で溢れている。今の中国の人々との討論番組を見ていると見事に愛国無罪の教育の成果が鮮明に発言に現れ、教育が影響が理解できる。これは等しく金太郎飴のごとき回答を聞くと、正直予想はしているが、ため息が出る。これは作られた土台、愛国無罪と言う教育で形成された土台があるので、何を議論しても無駄と言う事になってしまう。愛国教育も行き過ぎる実例にもなると私は理解している。己の欲せざる事人に施す事なかれは中国の思想家の有名な言葉である。

独居死の事もお墓の事も、自然に対する畏敬の念を持ち、円満な家庭や地域を創造するには、一朝一夕では済まない時間と教育環境が必要となるであろう事が、おぼろげながら頷けるような気分であります。とりわけ教育の在り方が最重要な課題に思えます。精神のバックボーンがしっかりしないと幽霊みたいな国民になりかねませんね。ちょっと筆が走りすぎました。
■5/10        
とても寒い。先日の月例会議でストーブの清掃と収蔵、扇風機の交換の打ち合わせをしたのだったが、こんな日もあるのですね。今日も本堂でご法事がありましたが、片付けていないストーブのお陰でほの温かかったです。法要後、参詣の方とお茶を頂きながら歓談をさせていただきましたが客間もほんのりと暖かいと気持ちも和みました。

昨夜から今朝にかけてよく電話が鳴り予定が色々と入りました。月曜日には既に予定があったのですが。少し睡眠不足です。明日は雨の一日だそうです。お寺の予定もあり少し大変です。夏の祭礼の準備や世話人会の予定行事の準備、印刷物の校正等が始まりました。祭礼が終わればお盆が来ます。本当に一年があっと言う間に過ぎてしまいます。そして一生が過ぎていくのですね。

今年は境内の土壌改良を春先から積極的に行ってきたせいでしょうか?境内ど真ん中の「タブの木」が素晴らしく成長して一回り大きくなったような気がします。昨年から植え始めてきた枝垂桜の木々や古木となった木々も大変元気に盛り返してきました。

あっと言う間の一生のうちに咲かせたい木々のために肥料を上げて、その成果が半年で目を見張るように出てきたことはとても嬉しいです。何でも結果が出ると本当に嬉しいものです。この調子であと10年も経つとキット素晴らしい木々に囲まれたお寺になると確信をしています。天気の良い日に法事はしたいけれど、雨は降って貰わないと木々も生長しません。明日も何事も無い一日であって欲しいです。おやすみなさい。
■5/7        野球のナイトゲームを見る
「ナゴヤドームのナイターを見に行かない?」っと誘われ出かけてきました。野球を見るために球場へ出掛けたのはこれで4回目になります。ナゴヤドームが出来てからは2回目になり久しぶりのナイターの雰囲気を味させていただいた。

応援も昔と変わり楽しい応援になり、大声を出して日ごろのストレスを発散させるには良いようにも思えました。ところで野球のほうは10対3だったかで中日が勝ちました。タイムリーなヒット、バットが折れること2度もあり凄い野球に大満足させていただきました。

今回のような楽しい野球を見て応援団の人や選手達の一生懸命な姿を見ているとまた行きたくなります。日ごろの思いを忘れて楽しい一時を過ごして10時ごろに帰りました。日ごろ野球のラジオ番組を聞くと「うるさいなー」なんて思っていましたが「いまはどっちが勝っているんだろうか?相手は?」なんて興味がわいてきます。やはり楽しいと言うことが有ると言うことは良い事ですね。
■5/5 小雨        
夕刻、友人が潮干狩りに行き貝をいっぱい持ってきてくれた。私はすぐに忘れてしまうのだが、毎年この頃になるといつも持ってきてくれる。彼は海沿いの実家があり潮干狩りに何度も誘われたが一度も行ったことが無い。貝の獲れる場所をよく心得ていて若い頃には大量に獲って来た貝を自慢げに見せては美味しい貝を下さった。

不思議な事に今日は奥さんが何だか忙しそうに「これ貝、今獲ってきたのよ。お父さん車の中にいるの。」 「え?車の中??」 「うん、娘のフィアンセと今いるの」「ええ、そりゃ良かった」「11月初旬ごろの予定 空けといてね」「わかった、オヤジにオメデトウト伝えておいてね」「うん、わかった」で奥さんは小雨の中、小走りに車へと戻られた。

夕食には彼の獲って来たアサリが酒蒸しにされて出てきた。この間の師崎の漁師さんにもらったわかめと一緒に出されてきたアサリ。毎年の事ながらトテモ美味しい。独身の頃からの彼とのお付き合い。毎年もらう潮干狩りのアサリ。今頃友人は、娘のフィアンセと、奥さんの実家でニコニコしながら一杯飲んでいるんだろう。最近ポツポツと友人の子供さんの結婚式に誘われる。あぁ、そのような年頃になったんですね。とも角、幸せ一杯の彼にお祝いを申したい。 
■5/4
晴れ       
連休の中日、道路も空いていて走りやすいです。昨夜から親戚の方がお孫さんをお連れしてお城めぐりにお越しになられていた。昨夜は遠来の子供さんに家族でささやかなおもてなしをさせていただいた。小学校六年生の可愛らしい女の子。目をパチクリさせながら初めて訪れたお寺に少し戸惑い気味であった。

名古屋城を見学してお寺に来られた。これまでに和歌山城、大阪城を見学したそうで、今回は名古屋城が見たかったと言う。名古屋城といわれても子供の折に遠足で一度出掛けたことはあったが遠い昔の思い出だけであり何処の駅で降りたらいいかも分からない。次回は姫路城を訪ねて見たいと言う。

朝一緒に朝ごはんを食べていてフット思い出したお城の名前、当寺の近所に岡崎城というお城がある。私的には名古屋城よりも遥かにお城らしい佇まい、矢作川沿いに広がる緑地がお城をグルリト囲み心地よい環境は、お奨めするに憚らないと思いお勧めした。岡崎城は松平元康(後の徳川家康)の居城であり城下町としても東海道の宿としても栄えた街。我ながらよい場所を思いついたと熱心にお奨めした。時間があれば車でご案内させてもらっても良かったのだが色々と予定が入っていたのでかなわなかった。

連休もあと少しで終わろうとしています。明日は子供の日。小さい頃、母に金太郎さんの置物を出してもらいチマキと柏餅を食べて薫風のそよぐお寺の空気を未だに覚えている。もう帰らない子供の頃の思い出。明日は母をお見舞いに必ず出かけて皺だらけの手を握ってこようと思います。
■5/2        
午前午後と予定の多い日でした。ガソリンの値上げが一斉に行われてついこの間の値段が嘘のようです。所得税、住民税、固定資産税、消費税、年金保険、揮発油税、重量税、・・・思いついたように創設された多くの税金がありその目的の通り使われていたら問題は無いのですが・・・大変です。

実生活で目に見えて直接的に「安くなったな」と初めて感じたこの一ヶ月の減税。ガソリン業者さんは本来のガソリンを売るよりも税金を代理で徴収しているタックス・スタンドと名称を変えても不思議でない業種に思えます。法律で定められているので遵守するのは当然と言えば当然ですが・・・でも安くなればとても嬉しいです。

世界経済の発展で今までの陽の当たらなかった地域にまでその恩恵が行き渡るにつれて食糧危機や資源の争奪が行われ物価に反映して、徐々に生活は厳しさを増しております。税の徴収、業界への税の還元、先生の組織票と役人の天下り先の確保、この失速経済構成要因の連鎖を本当に断ち切れるか?

どのような組織の運営にしても、予算執行の軸足を何に中心を置くかで目的が全く変わってしまう。税金の種類を新たに創設して足らないものは、お代官様が取り上げに来る事を発想の根源としているようでは租庸調の頃と変わらない構造になる。いま私の母は施設でお世話になっている。年金以外の所得が無いのに税を徴収されている。年金は納めて物でありそれをまた取り戻しに来る発想自体、前時代的と言わざるを得ない。もういい加減にして欲しい。