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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

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平成21年2月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター
■ 2/27      親睦旅行
親睦旅行が急に決まった事情もあり少人数ではありましたが九州霧島と指宿の二泊三日の旅行に行きました。残席が少なく全ての世話人さんにお声がけができなかった事をお詫びします。旅の写真をアップしますのでご覧下さい。
第一日は人吉のお味噌屋さん
試食のお漬物・・・・しょっぱいです
青井阿蘇神社(国宝に最近指定されたようです)
茅葺の門
知覧の武家屋敷を散策
武家屋敷内のコーヒー店
カウンターは長持ちです
何となく分かるようなコーヒーでした
ご満悦です
激しい宴会の始まりです
島津家別邸 通称「磯庭園」
櫻島は頭が隠れていました 
磯庭園内のお屋敷見学【撮影禁止】
お茶を一服頂いて庭園邸宅の鑑賞はおしまい(別料金
テレビで見た光景・・・篤姫でお馴染みになりました
フェリーに乗って桜島へGO−
霧島神宮参拝
今晩のホテル・・・温泉はとても良かったです
熊本は米焼酎、鹿児島は芋焼酎・・・凄い品揃え
激しい宴会 第二幕
翌日は宮崎へ・・・もう桜が咲いていました
飫肥(おび)の城下町
藩校の跡
殿様のお風呂
トンネルを潜るとそこは鵜戸神宮
携帯電話を誰かが落として神官さんが拾いに行かれました
この絶壁をはしご無しで・・・こわいです
無事 携帯は落とした人に戻りました(この人、届けただけの人)
もう宮崎は春でした
私のお土産はこのお酒です
私はお酒は自宅では頂きませんので 机の上で毎日眺めます
今回の懇親旅行はお仕舞いです
■ 2/23 雨/曇      高野山日帰り
所用で高野山へ出かけた。幾つかのお寺へ出かけてお願い事や近況をお話して失礼をした。以前当寺でお手伝いを頂いた山本君(現 官長さま随行職)に大門でお会いした。お土産の赤福をお渡ししたら笑顔で答えてくれた。お寺に来た時はまだ二十台半ばであったが35になったという。私の好きな好青年である。彼の人生に幸いあれと念じて高野山を下る。

積極的に高野山のお寺とご縁を結ぶなんて思ってもいなかったのだが歳のせいか?「こんにちは」でお邪魔できるお寺が出来てうれしいです。しかしね〜、お寺も奥さんしだいです。

9時半ごろ帰着して軽く夕食をとり就床の予定。明日からチョコット世話人会の方と予定があり忙しくします。では今日はこれまでです。おやすみなさい。
■ 2/21      頗る寒いすぎる
本日はなな月参り、僧侶7名にて法要を為した。ご参詣の方々には先日本堂に入れた50型プラズマディスプレーにパソコンをつないで様々な映像や文字を書いてお話しをさせていただいた。引き続き檀家希望説明会にご参集された方々へも同様にパソコンを利用して説明会を開かせていただいた。皆さんいつもなら私の顔を眺めているのが今日は、横を向いて私の顔を見ていない。カラーの鮮明な映像や明治大正の頃のお寺、お寺の付近を眺め、皆さん感慨深げに眺めておられました。

午後は法事、七日参り等を終えて環境班が待つ作業現場に立ちました。お寺には倉庫と呼べる施設が5箇所あり以前から要らなくなったものが一番多く入ってる山頂倉庫を時間をかけて整理整頓していたのですが・・・住職に見てもらわないと・・・と言われ出かけました。大昔の書類や棄てては困るようなものが多くあれこれと再び奥に仕舞いこんで、いつの日にか整理できる日が来るように願って仕事を終えました。まぁ 殆どが力仕事ばかりです。

境内では屋根屋さん、本堂では電気屋さん、お寺の中ではお参りの方と慌しく毎日を過ごしております。明日は予定が多くまた夜は宴席に出席の予定です。無理をしないで人生を送ることは難しいです。体を大切に健康に留意して毎日を過ごしています。
■ 2/19 晴/曇      頗る寒い
龍神様御堂屋根の葺き替え工事が始まりました。岐阜の平田屋根工事店さんは当寺の本堂屋根修復工事をして下さった所で前回は松井建設さんが元受で行いました。今回は直接の工事となり急いで葺き替えをお願いしました。明らかに前回の屋根瓦とは全然違う見ても丈夫そうな瓦です。そんな事を言うと先代や大工さんに叱られてしまいますが丈夫そうに見えます。何だか瓦の厚さも違うようです。「この瓦なら北海道でも割れません」と相当に寒さを意識した瓦らしい。でもそんなにうちのお寺は寒いところに在る訳ではないのですが・・・

本堂及び本坊では防犯工事が行われ6箇所の赤外線感知器が設置されました。凄い調子でベルが鳴り不審者の侵入を知らせ、また威嚇をする警報装置。順番に電話で不審情報が寺職員全員に通報されるようになっている。境内及び山中の赤外線警備装置も保守点検をしていただき夕刻作業を終えられた。

境内では環境班が龍神堂の古い瓦を集積地に集める作業を黙々とこなし、午後よりは古木の整理、参道の修復作業用の平瓦の搬出、山頂旧大工小屋の整理、と大活躍をしてくださいました。私もその中に交わり色々と指示を出して手早く作業を終えました。天気予報の通り夕刻からは寒さ一段と厳しくなり空模様も重く黒い雲が漂ってきました。夜勤の僧侶と共に本堂・持仏の赤外線センサーの鳴動とその対応を相談しました。

お寺はいま警備に非常に力を入れています。お寺の周りは二重の赤外線センサーによって感知され、感知と同時に全境内・建物の死角まで照明が同時点灯される様になっている。各部屋からは境内・建物へ直にマイクを通じて肉声で警告を伝える事ができ、加えて5台のインターネットカメラは建物の内外の死角に設置・録画がされ、リアルタイムでパソコンから眺めることが出来るようになっている。
火災に関しては、発火による炎から出る光の波長を監視する炎センサーも建物の殆どに設置されている。下手に100円ライターは使えないです。

360度左右・上下にも回ります
警報のサイレン、ベルが一斉鳴動すればお寺の以上の対応後、警察パトカー同型の赤色回転灯搭載の緊急車両が催涙スプレーと消火器、ライフゼム(空気供給マスク)を搭載して現場に駆けつけ時と場合によってはサイレン、マイクロフォンを利用する手筈となっている。火災時は、また詳細な打ち合わせと対策が月例会議で職員全員に周知されているはずである。
下の写真は過日の消火訓練の様子。

大袈裟に書いてありますが事実です。「100年兵を養うはただ一日のみの有事の備え」と言えるでしょう。いま仏像の盗難や押し込み強盗、凶悪な犯罪が多いです。出来る限りの思いつく防犯と有事の対応、取り返しの付かない事にならないように心を砕いています。地震??もちろん地震予知情報システムに一昨年から加入してあり境内建物内にいたらマイクロフォンで気象庁からの音声で怒鳴られます。早く逃げましょう!!

夜は本堂内に設置された50型プラズマディスプレーにパソコンを接続して布教や種々の説明会に利用すべくテストをしました。音はでません。ディスプレーのみですがきれいにパソコンのモニターが写り大変に私がご案内する事柄がより良くご理解いただけると想い助かると思います。今日は疲れましたので早めに休みます。明日は雨らしいので急遽月例会議は中止です。今月会議が出来そうな空いている日時は無いような気がします。ダラダラ書きました。
■ 2/17      頗る寒い
環境班の方と4名で龍神堂の瓦を整理して後日桶狭間病院との境界付近の土留め工事のために再利用するよう結索して移動した。数枚重ねた瓦は大変に重いので結ぶ紐もナイロン製の張力のあるものを使かいギュッと締める。ギリギリッと音がして瓦はキチンと縛られます。この後が大変なのです。

重い瓦を持ち上げて軽トラックに載せ何段かに積み上げ移動、その後に降ろすと言う最重労働が再び待っている。お寺にはPC25と言う土木重機(通称ユンボ)があり私が運転してバケット(土を入れる部分)に付属された引っ掛けに紐を繋いでフックをかけ、重い瓦を軽々と持ち上げて軽トラックに積載する。一々金具を付けたり外したりをしなくてはなりませんが持ち上げて青息吐息になることは無いです。

降ろす時も落したり瓦を割ったり、と言う事故も無く大変楽に作業が進みました。時間があるときには環境班の人たちと力を合わせてこの作業を進め、廃棄処分でどうにもならない瓦を再利用しようと頑張っています。龍神堂瓦の工事の様子は一両日中にアップします。

何だか毎日バタバタとして落ち着きがありません。私の場合落ち着いちゃったら病気になるのです、本当に。大きな水槽の中のマグロの様に口をあけ前進をしていないと溺れてしまう損な性分に自分でも時々嫌になります。それもこれも両親が大変によく働いた人達でしたので私もその姿を見て、何だか何もしていないことが悪いみたいな気分にすぐなってしまうのです。ホッとするのは、何時やらと夕暮れのカラスの鳴く声を聞いては時々自問自答しています。
■ 2/16      龍神堂の屋根替え
屋根の葺き替えを突然行う事となった。瓦の割付が元々悪く雨漏りがしていて瓦の下はかなり湿気ているとの事。お金はかかるが建物が傷んだり雨漏りしては元も子も無いのでシッカリと工事をしていただくこととなった。今回の業者さんは寺社専門の方で本堂を葺き直してくださった方でもある。毎年お寺の瓦の管理を師走にしてくださる方でもある。

なるたけ値打ちにお願いをして使えるものは使ってもらう事を了承くださった。安くしろと口だけ言うのは身勝手でもあるので私も屋根に上って屋根瓦の降ろしや土を降ろした。屋根は勾配があるので結構きつい仕事だが、少し工夫や改良をするとモット楽な仕事になるような気がするが『旦那の一時働き』を自称する上では余りゴチャゴチャ言うと周りに迷惑がかかるのでコツコツとお手伝いをした。

午後3時からは京都へ出かけ障壁画の出来具合を見てきた。佳境も過ぎて少し緩んだ気分が製作所内に漂っている。最後まで凛とした仏画を仕上げるようお願いをして午後7時半頃に帰寺する。とても疲れました。
この絵は天井付近の周りに張られます
■2/15        とても暖かい一日
午前午後と色々と予定が詰まり葬儀や県の観光事業で古戦場案内ももあっり一日を目まぐるしく過ごした。

朝、お参りが終わりお宅を辞すると目の前でこの間からの市役所の道路工事が道路一つ離れた向かいで、日曜にもかかわらず、一生懸命に工事の方々が作業をされていた。道路を横切り現場監督さんをお呼びして、当寺の色々な今回の工事の状況と先日の警察官の登場のお詫びをした。豊明市都市計画課の讒言飛語でとんだ迷惑がかかった業者の方へのご挨拶をさせていただいた。

道路工事の仕上がり方や、こちらが危惧している心配箇所を直接業者の方に伺ってホッとした。お寺の役員さんも心配して同様の事を伺っていたことも知った。

昨夜、ネットで知り合った同じ趣味の人たちが大須で会うというので、私も出かけてみた。ネットでは出席も欠席も何も言わずただ落ち合ってと思って行ったのですが・・・何方もお見えにならなかった。それらしきグループに「○○さんですか?」って尋ねたら「いいえ」と言われ場所を多分変えたのだろうと想い、遅めの夕食をとり歩き始めました。昨夜は暖かかったので少し薄着で歩るいていました。夜風に吹かれた体は冷え始めて、トイレコールが猛烈に襲ってきました。 まさか立っては・・と想い暫く歩いていたら「ラーメン250円」と言う看板が目に入りました。「トイレで250円、仕方ないな〜」とあきらめて地下にあるラーメン屋さんに下りて行き店を潜りました。

夜9時ごろか、ガランと誰もいないラーメン屋さん。「いらっしゃい」と女性の声。オヤジさんも「いらっしゃい」と言う。「ラーメンお願いします」とお願いをしてトイレを聞くと外の突き当りと言う。店を出てトイレまでの両側には「空室」の張り紙と夜逃げをしたのか?什器備品が外に運び出されてひどい有様であった。トイレに入り「しまったな、トイレがあるのなら」と思いつつ再びラーメン屋の席に着く。子供がテレビを見ている。こちらも少し酔っ払っている。

「ぼく〜、何年生?」って聞くと「・・・・」。亭主が「何年生だ?」って子供に言う。「三年生」っとこちらを見て答えた。「よく250円でラーメン出しているね」っと尋ねると「そうでも書かなきゃ誰も来てくれませんよ」とあきらめ半分の笑顔の中にも疲れている雰囲気が読み取れる。奥さんが「はい、おみず」っと少しタドタドしくコップを出す。「家の女房はミャンマー人ですよ」と亭主さんが尋ねもしない事を話す。

「そうですか、私の父も昔のビルマのラングーンで通訳をしていました。マンダレーにもいたと言っていました。チッタゴンはご存知ですか?」と言うと「そうですか」と余りうれしくない様な雰囲気。「ドクター・ボースとかチャンドラ・ウーセンをご存知ですか? 私の父は閣僚の奥さん方の護衛官兼、通訳をしていたのですよ」と言っても何となく分からないようであった。つたない英語でその内容を伝えるとやっと「あ〜そうなんですか」っと初めて理解したような40歳前後の奥さん。「夕暮れ時、賛美歌を歌って穏やかに過ごすラングーンの町は良い町だと亡父は言っていました」と伝えると「ビルマの人は余り日本人が好きではありません」とドキッとする返事に少し酔いもさめました。

無邪気にテレビを見るお子さん、必死に働くご主人、割り箸を紙の封に入れる奥さん、外は誰も往来する人気は無く、空室の張り紙が並ぶ中の唯一のお店。出来上がったラーメンを頂きながら明るく振舞い、あほな事を言って食べる私。250円のラーメンのためにこんなに遅くそして子供を抱えて必死に働く外国のお嫁さん。不況の中、身を潜めるように陽の入らない地下のラーメン屋さん。そのご苦労を思えば思うほど私の心は揺れてその気持が痛いほど自分の痛さとして感じてしまいました。「ご馳走さん、お勘定」って言って「250円です、アリガトございます」。1000円を置いて「お釣りはいいですよ」の言葉が精一杯でした。

地下から上る階段を一歩一歩踏みながら、テレビを見ていた子供さんのことが気になり、また機会を見つけてあのラーメン屋さんを訪ねようと思いました。春の宵と言ってもまだ二月、この寒さが世間の冷たさと想い家路を急ぎました。布団の中であの家族のことを思い再び熱いものを頬に感じてしまいました。(涙)
■ 2/14      
予定が多く午前午後と忙しくさせていただいた。今日はバレンタインデー。チョコ難民に例年属する私に可愛いチョコが届きました。先年、お母さんが亡くなれて寂しい思いをされている小学校の生徒さんから今日、法事の席で皆様に配られました。普通であること、何気ない生活が如何に大切かを会食の席で話題となりました。

私は啄木の歌「君に似し 姿を街に見る時の 心踊りを哀れと思え さり気なく言いし言葉も さり気なく君も聞きつらむ ただそれだけの事 別れ来て 恋しくありにし 君にしあるかな ・・・」とうろ覚えの詩を披露させていただいて宴席となった。そこで亡き奥さんが残された幼い娘さんからのチョコレート。とても嬉しかったです。


ごごより七日参りをお寺にてさせて頂く。可愛い娘さんがお見えでさよならをすると笑顔で答えてくれた。ところがこの娘さん、般若心経のなんとTシャツを着ていた。とても珍しいのでパチリと一枚デジカメに収まっていただきました。
ぼくのTシャツには字が一杯書いていありますよ〜
いいだろーーーー
どおぉ だい? 僕の般若心経のシャツ・・・
今日は良い日でした 天気もよく最高でしたよ
僕もポーズを決めて ハイ パチリです・・・


■2/11 晴⇒雨        建国記念日
昨年から感じることがあるのです。高速道路を走るのですが平日にもかかわらず大型トラックや商用車の少ない事に驚かされる。いったい何処へ行ってしまったのかと思う。世界同時不況の影響の根深さが見て取れます。

大企業は数千人から数万人のレイオフを発表。家族を含めれば人数分を乗じた人の数が路頭に迷い、消費は冷え込み購買環境は構造的なスパイラル状態に陥る事は容易に想像がつく。本当に困ったことである。日本の国債も国民の貯蓄率の高さによってその価値も保証されるのだろうが・・・ここに来て貯蓄率も急激に悪くなっていると言う。しかし対ドルでは円高化状態。アメリカよりはマシが今の円高と言えるのでしょうね。

かんぽの宿もグリーンピア問題も雇用促進事業もともかく、でたらめ事業のヤリタイ放題が今の現況を作った。私が良く知る北海道大沼のグリーンピアは正に今のオリックスが入札?して落とした「かんぽの宿」と全く同じ事を4〜5年前に地元の町とある企業と顔役代議士とで分け分けした事を地元で伺った事があった。その時はまさかと思いましたが・・・恐ろしくモット酷い話はここのグリーンピア大沼が開設される前、誘致合戦に明け暮れて正に「酒池肉林」の狂宴の場所に知らずに出入りしていた私は今の報道を見て「なるほど」と思いを新たにしました。坪単価100円も満たない土地が坪数万円にも跳ね上がりジャブジャブと会社員が天引きされた保険料が突っ込まれて「ハイ赤字」。酷すぎます。

何の事は無い、大昔から税金や保険金と言う千変万化できる黄金の山の奪い合いを政官財で出来レースを無責任に行ってきたことがその問題の根源。まぁ、人は上見りゃ限り無し・・・人の欲望は本当に切りが無いです。私は思うのです。人として生まれて何事か為して人と喜びを分かち合い、自分を出さず、熱い想いを常に抱いて、嫌なことを言わず、コツコツと毎日を暮らし、時には羽目を外し人らしく生きてゆくことの素晴らしさ、歴史を振り返って読み返して欲しいものです。先日の篤姫で小松帯刀清廉(こまつたてわききよかど)が今わの際に「素晴らしい人生だった。様々な事を為しえ、色々な人と知りえて、本当に素晴らしい人生であった」っと語ったシーンは私は恐らく生涯、忘れることの出来ないセリフになりました。

27歳で薩摩藩の家老に抜擢され下級武士であった大久保や西郷を世に出し、農民からも武士からも篤い信頼の想いを寄せられ若くしてこの世を去った小松殿。いま島津斉彬や小松帯刀、西郷、坂本竜馬、吉田松陰の様なパワーと先見性、価値観を備えた傑物が世に現れない、それが大変残念です。なーんだか大きなことを言いました。
■ 2/10 晴れ      
所用のため数日お寺を空けていました。帰寺途中、京都へ立ち寄り件の本堂障壁画の製作途中を拝見してきました。
今日の作業所はとても穏やかな雰囲気 私が行くと絵筆を止めさせてしまう
心静かな仏様の世界・・・ありがたい事です
製作途中の本堂上部障壁画
お寺に帰ると環境班の人たちがまだ作業をしてくださっていた。龍神様のお堂の屋根替え工事のための作業をされていた。突然の工事のため色々と経費を抑えるため高価でまだ使えそうな瓦は降ろして再利用を瓦屋さんにお願いをしている。その作業をして下さっていたのです。まだ降ろしきれていない瓦を再度指示を出して次回の作業として帰宅されました。

日が暮れて当直僧侶より来客の案内があった。何方かと思えば豊明幹部交番のお巡りさん2名がお越しになられていた。用件は豊明市都市計画課が進める「道路工事部分にお寺の軽トラックが駐車している。」「トラック所有者が明示されている不思議な駐車の仕方」「道路業者から都市計画課へ連絡、市役所から警察に苦情として処理、よって経緯を伺いたい」との内容でした。

「土地はお寺の土地」「警察の方が車の撤去を望むのであればすぐに応じます」とご返事をさせて頂き今回市役所都市計画課の心無い経緯をお話した。巡査が恐縮しながら「もう一つ質問をして良いですか?あの公安委員会が建てた止まれの看板はお寺に承諾を得られているのでしょうか?」。「誰が見ても道路ですし事故もあっては困りますのでその事は忘れてください」と返事をして夕暮れの薄暗い境内に二人の姿は制服と共に消えて行きました。腹立たしい事をまたもされた。お巡りさんも気の毒である。豊明市都市計画課は寺の土地であることを承知で交番に駐車苦情を出し、それとも知らずに巡査二名がその迷惑を蒙ったのである。工事着工の承諾を得るためのインチキ補償案を提示して一旦工事が始まれば作ったモン勝ちの行政、市役所の大変辛い立場は分からないではない。しかし寺を騙してお役所仕事で千秋楽を迎えさせる事は私が許さない。全く今の私は「弁慶のいない牛若丸」状態です。
■ 2/6 晴れ      
気分を変えるため高山へ出かけてきました。昨日の15:00お寺を出て高速道路を走り高山の温泉でゆっくりしてきました。時々出かける場所で何となくホッとします。北アルプスは雲に隠れて何も見えませんでした。早朝は何となくそのシルエットを眺める事が出来ました。朝食後、名古屋へ帰り何時も行く袋専門店へ出かけて来年の節分のための品物を少し眺めてきました。

午後より豊明市商工会主催の観光事業で桶狭間古戦場の説明を小一時間行いご参集の方々にご説明をさせていただきました。この事業は来年度から行うという観光事業の下調べと言う事らしく熱心に私の話を聞いて下さいました。観光は通りすがりの人にサービスで色々とお話しをして「」フーーん」で帰られる、人の善意を当てにした事業であり公官庁の観光事業の実績作りにただ協力しているだけです。私が予てから言っている観光事業とは「観光客誘致に税金を投入して集客を為し、地元の商工事業が活性化され再び市税としての環流が無ければ観光事業ではない」と何時も言っているのだが・・・。

観光客とバスが来るだけなら、道路とトイレと駐車場に公費が投入され、それにつき合わされる慈善関係者はゴミ拾い、苦情受付が発生するのみ。「ただ人が来た」だけでは観光事業の継続はならない。この環流システムの構築と地元の協力がなければ一切前には進まない。協力を得るには観光資源の発掘と経済効果が両輪になり税金という力で初めて前に進む力学はご理解を頂けると思います。さてさて、ここの町の観光事業はどうなる事やら・・・  

わたしは亡父以降、独力で観光事業を行った事がある。平成元年から平成6年までの短い期間であったが約8万人前後の方の誘致を行った実績があり、当寺の精進料理は62000人の人に提供した実績があります。観光事業の裏には多くの口利き屋からブローカー、旅行代金をだまし取るために設立した代理店や色々な人がうごめいています。また大手の旅行代理店も恐ろしい人が多いです。

かつて若かりし頃の私はその裏表を見聞して早々にその土俵から降りたので再度の観光事業の敬って遠ざからせて頂きます。豊明市役所主導であれば私はあまり関りたくないです。
■ 2/4 晴れ      お詫び
備忘録を更新できな程の精神的ダメージを豊明市から受けてきて、加えて年明け早々、心無い対応に私の心は踏み躙られ暫く起き上がるのにも時間が掛かりました。

 寸鉄人を刺す、ではないですがお人好しの私の行為に、豊明市役所都市計画課及び市長からの回答書類は「とどめを刺す」かの信義誠実を踏み躙る厚顔無恥な対応に酷く落ち込まされました。

節分会の対応に追われ企画書や指示書を作り盛大にしなくてはならない私の心にぽっかりと穴が空き、何事にも一生懸命な私は集中力を喪失し考えがまとまりませんでした。でもそれでは私を信じて付いて来て下さる50名の世話人会の方には申し訳なくそれなりに懸命で過ごしてきました。

評議委員会、役員会等の諸氏はこの事態を憤りと共に「お寺」と言う立場を考えると世間一般で争うような事を想定して慎重な助言もいただいておりました。そんな中で突然の予定が多くあり心身ともに、本来なら溌剌としている私が、酷く深く底なしのような落ち込みをしておりました。まぁ、弁解になりますがそんなこんなで備忘録も止まっていましたがまた再開をさせて頂きます。

本日は星祭を終えたら訪れる予定にしていた本堂障壁画の作業所に赴き製作途中の絵を拝見に行きました。とても素晴らしい仕上がり具合と私の構想が具現化が着実に行われていることに大変満足をして帰りました。素人の私で言うのも憚りますがこの絵をお願いし始めて自分の絵に対する眼力が増したような気がしました。

自分の言葉で「絵の具が乗っていない」「仏様に人間が描いた跡、手垢を残さない」「立体でも平面でもない、仏様の世界」等を発してしまいました。有り難い事にこの様なド素人の田舎住職の言葉に一々耳を貸してくださって素直に聞き届けていただき、その言葉を周りに伝えて制作が進んでいる工房は私が最も好む雰囲気です。私の知るところ、了見の狭い割には自尊心が月よりも高いところに在る自惚れ田舎絵師にはこの様な謙虚な思いは耳垢の一かけらも無いのが私の知るところです。

帝国ホテルの村上総料理長は大変ご苦労をされて総料理長にご就任されました。今も昔も変わらないのかもしれませんが矢張り職人は自分の仕事の出来不出来が自分のサラリーや出世に関わるので創造的、独創的なことは自分の体の中の金庫に隠してしまって一人、ほくそ笑んでは嫌みったらしい気持で創造的世界に居座っているのは何処の世界も同じかもしれません。先輩のコックさんの味を真似しようとしても教えてくださらない。お客さんの皿に付いたソースの味を指で舐め、残したお肉の味を覚え色々とご苦労をされて昭和39年10月、東京オリンピックでバイキング料理をはじめとする、この世界での画期的、創造的、効率的な料理手法が世に帝国ホテルの村上シェフの名前を世に知らしめたことは有名なお話です。

その村上シェフはご自信が若い頃にご苦労された事を回顧してなんとご自身がお創りになられた料理の全ての調理法を全て公開してより良いお料理を若い調理人さんにも意地悪を受けなくても分かるようにされたそうです。この事はよく考えればフランス料理の普及発展に繋がり最終的には頂く私どもが幸せに頂くことが出来ると言うことになるのです。

水溜り、ため池、湖、そして大海・・・人の心の広さ、大きさ、深さを例えればそれぞれに違います。人には、大きな事は言わないことですが、大きな夢や叶わない思いは持つことが大切だと思います。しかし、大きな夢が叶った時、水溜りで明けても暮れても人に踏まれた事ばかりを思い出して、恨み辛みで大海になっていてば、所詮水溜りと全く変わりは無いのです。

郡書類従を世に出した江戸時代の盲目の天才歴史家、塙保己一は「世に名を挙げ功成すには神仏の冥助無しには残せない」と自らの書に認められている。若き塙保己一は盲目なるが故に版木屋(印刷屋)さんで鼻緒一つで辱めを受けても、幕府から郡書類従を世に出す折、この版木屋さんで出版を特に依頼し、版木主人は後年その事実を知る事となった。 水溜りの人生から大海に出た保己一は、その水溜りの人生の辛酸を忘れなかったので、現在でも、歴史文献学者や多くの研究者、小説家に利用され頻繁に出展書籍として現在に至っている。実はこの本の名前は亡父が文献研究であちこちの図書館を巡り私によく口ずさんでいた本の名前であった。

森田さん、急ぎません。急がせません。お彼岸にも間に合わなくても結構です。自分の納得の行く、踏ん切りがつくまでじっくりと書いてその後絵筆を置いてください。味噌もお酒も醸造一つです。
腹立たしい毎日を送る中、私の心の中に一陣の涼風が吹きぬけ一時爽やかな気分となり、
近い内に市役所へ出陣する前の水杯を注いで下さったような思いです。