02 03 04 05 06 07 08 09
1 1 1 1 1 1 1 1
2 2 2 2 2 2 2 2
3 3 3 3 3 3 3
4 4 4 4 4 4
5 5 5 5 5 5 5
6 6 6 6 6 6 6
7 7 7 7 7 7 7
8 8 8 8 8 8
9 9 9 9 9
10 10 10 10 10 10 10
11 11 11 11 11 11 11
12 12 12 12 12 12 12
名古屋の天気予報
-天気予報コム-

ブラウザをJavaScript対応に設定してください。

平成21年3月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター
■3/24      
京都より絵師の方が数名来られて内陣障壁画の要望事項を加筆くださった。遠方なのに時間は9時にキチンと来られて早速にお仕事にかかられました。お寺に来られる職人さんは大凡遠方でも近くてもキチンと仕事をされる方はおのずと時間もきっちりとしておられる。

いま葺き直ししてくださっている瓦屋産は岐阜の大垣から来られるが職人さんと共に朝6時に頃出発され8時過ぎには既に屋根の上である。これは富山の井波から来られた宮大工さんもドンだけ昨晩遅くてもシッカリ8時には仕事をされていた。また当寺の環境班のほとんどの方は時間前から仕事にかかられる。一番熱心な方は7時過ぎには来られて手回しの仕事をされている。

まぁ、人はそれぞれでありますがお仕事となったら相手がお見えでありお寺の事とて、嫌な事や人格に関わるような事柄も言わなくてはならない事も、言わなくてはならなくなる。誰しも嫌な事を好きで言う人はいないのだが・・・天より高いところに自分の自尊心が在る事に気が付いていない人は、これを受けれられない。その内に衝突をしてしまいます。

昔、ハイヤーは車庫を出るときからメーターを倒して出かけると伺った事がある。料金もそれなりに高いのだろう。その豪語していたハイヤー会社は今、隆盛を極めてこの不景気に鼻歌交じりで毎日忙しくしているだろうか??私の知る「京都M●タクシーはお迎え料金はいただきません、オートドアは無い、エンジンルームまでピカピカ、そして他社より恐らく3割は安い、深夜料金を取らない・・・」を15年ほど前から実行している。値段も変わらない。東京でも名古屋でも京都でも一律。

仕事も大切ですが、全てに時間にきちんとしている方は突然の訪問にも快く家の中へ通してくださり奥さんもニッコリとしてお迎えしてくださる。私も人のことは言えないけれど一応はきれいに自室もお寺もしているつもりです。えらそうな事を言いましたが今日の京都の絵師のご一行は清清しく仕事に精進しては精一杯の創意工夫をされておられるように思いました。福田巧芸社の皆さん本当に有難うございました。
■3/21      暖かい
一人でお参りにお邪魔させていただいたりまた来客が多く忙しく過ごした。

朝お境内の参りがすんで最後の台所の荒神様へ向かう途中、境内の桜が気になり眺めに出かけた。山門左側の桜は正真正銘桜色の花を付けてこれから将に咲かんとするところであった。この桜が開花すると境内の桜の春が来た事になる一番咲きの桜です。
この写真は少し古い写真で現在は太く大きくなっています。境内には3本、山中にも数本植えました。これは長野県で鉱物学者でホテル木曽路と大平長石をご経営されている方からのご寄贈の品々であり平成13年春に50本寄贈れた桜でした。

午後のお参りもほぼ終わり4時からは古戦場へ関東から観光バスで見学に来られる方々へパソコンとパネルを利用して30分ほど説明やお話をしてその後、お通夜に出かける。帰寺の後、所用で空港まで人をお送りして9時ごろやっとごはんを頂いた。何だか忙しいい一日を終えました。明日も予定があり葬儀もあります。何事も無く一日を終えたいです。
■3/20 雨/晴         春季彼岸法会 
朝のうち、雨が降っていてどんよりとした黒雲がかかっていたのだが10時ごろからは日が差し始めて法要の頃には快晴となってきた。今日は彼岸会で多くの方々にご参詣を頂き終日にぎわいました。当日の様子です。ご覧下さい。
境内も本堂も多くのご参詣の方で賑やかでした
台所もてんてこ舞いでした
今年は大白玉二個入りのぜんざい・・・暖かく好評でした
皆さん準良くお並び頂きお接待は好評でした



■3/19 晴れ      暖かい
朝より屋根屋さんが工事に来られて龍神堂のかわら工事を賑やかにされていた。また先日来より庭師さんがお寺の境内の木々を移植され、庭の松も立派に剪定をして下さいました。すっかり松も明るく軽やかになりました。
また明日となった春季彼岸法要の会場準備の追い込みを行いました。明日は雨模様と言うのでテントまで出してご不自由のかからないようできるだけの事はしました。またご焼香の会場も今までの座って焼香する方式から立礼の焼香方法へと変更をしました。御接待の会場もほぼ完成して明日を待つばかりになりました。色々とありましたがやっとここまで来ました。昨年は酷いめまいに襲われて入院を余儀なくされ住職になって初めて彼岸法要を欠席しました。「あぁー、あれから一年経つんだな」っと今思うと色々なことが思い出されます。たった一年じゃないかと言うかもしれませんが私にとって見れば病気になるほどの事や、今迄を一変させる事、本堂が見違えるようなった等を思うとやはり毎月毎月が飛んで過ぎてゆくようであります。明日は天気になってほしいです。
本堂内部の様子
御接待会場
テントを二張り設置しイスも100脚ほど出しました

■3/18 晴れ      暖かい
早朝朝のお勤めの後に高野山へ参詣に出かけた。朝10頃に高野山へ到着した。実はお金を全然持っていなくて途中コーヒーを頂こうとしてマクドナルドへ入ったのですが財布を持ち合わせない事を思い出して何も注文せずに出てきました。コンビニエンスストアーで早速お金を出勤しましたが・・・このコンビニを捜すだけでお大変でした。

高野山のある方にお会いして「本当に助かりました。有難うございました」とお礼を申し述べた。昨日彼の実家のお寺にもご挨拶に伺い暖かいお迎えを頂いた事を申し述べ改めて御礼を申し述べました。その後、御廟へ参詣して「有難うございました。未だに見捨てられず良い方を御差し向けていただき感謝申し上げます」と丁寧に読経を済ませました。その後高野山奥の院のお寺の墓地に参りました。風のせいか?ひどく汚れていたので時間をかけて丁寧に掃除をして御廟同様読経を済ませてました。この写真は掃除を済ませ春の陽を気持よさそうに輝くお寺のお墓です。

その後、大変遅い昼食を頂きました。最後に、少しご厚誼があり暫く遠ざかっていたお寺にお邪魔をしてご無沙汰をお詫びして急ぎお寺へ帰って来ました。途中眠くなり少しのつもりが寝過ごしてしまい夕刻7時からのお約束の時間を越えてしまった。実は夜にお人とお会いする約束となっていて30分ほど遅れて会場へ到着しました。ともかくお疲れ様でしたでした。
■3/17 晴れ      雪柳が満開
気分がガラリと変わるくらいに楽になり始めた。いつものお医者さんに訳を話して処方をして頂いた。「うちの父にも相談して住職の手の届かない場所を代わって貰ったら・・」と躊躇いがちにも優しく言ってくださったのが本当に嬉しかった。嬉しいのと不安とはシーソーではないです。一緒に不安と嬉しさが同居しているところにこの病気の特色があるみたいだ。

先日面接した僧侶は来月半ばからお寺へ来てくださる運びとなっている。今日は午後2時ごろにお寺を出発して長野県松本市まで出かけて先方のお寺のご住職、副住職さんにお会いさせて頂き2時間ほど親しく歓談をさせて頂いた。ご兄弟とも羨ましい好青年であり久しく感じることの出来なかった清々しさが、私の不安と言うか黄砂のような鬱陶しい思いを吹き飛ばしてくださった。松本の山の中のお寺はひっそりとして人の気配すらない夜道を駐車場まで送って下さった。先方のお寺様の暖かさに深く頭を下げて辞去してきました。

松本豊科の夜空は満点の星が煌き、遠くには白馬や鹿島槍、唐松の銀嶺が『良かったなー』と私に語りかけているように思えました。何だかプロポーズをしに彼女の実家に出かけた早春の宵の映画の1シーンみたいでした。先ほど帰りましたが全然疲れていません。本堂の仏様は私を見捨てはしなかったと思います。感謝の一言でした。
■3/13      本堂障壁画完成
気分を変えるために数日出ていた。知り合いの方の許を訪ねて数日滞在してきた。夜は近くの居酒屋さんで地元の方も混じって多いにも上がって晴々はしたのですが・・・矢張り風邪を引いたみたいな無性に寂しいと言うのか今一つ元気に欠けます。

海軍兵学校の五省の誓いに「気力に欠くるなかりしか」とあり気分をシッカリさせねばと思いつつもありますが・・・「弛んどる、しっかりせんか〜!!」と母がいたら怒られるのだけど・・・辛いものは辛いのですよ、トホホ。留守中のお葬儀の方には申し訳なかったのですが失礼をさせていただいた。もう少しで良くなるんじゃないかと思い、こんな日もあるから好きなようにしたらと自分に言い聞かせています。

そうそう、本堂内をご紹介します。絵師の方、すいません。大変満足の行く思いにいますが私が元気が無いので、今一つお寺では盛り上がっていません。私が元気なったらとんでもなく盛り上がると思います。すいません、あと少しです。ホンと辛いです。二枚の写真を一枚にする方法さえ忘れてしまいました。
■3/8          
午前中のご法事時にとんでもない事が起きてしまいました。本坊と本堂でお参りを行っている時でした。突然防犯ベルが鳴り出してしまい、私は飛び上がって驚いてしまいました。本坊で忌明けのお経を上げておられた僧侶もご遺族も同様かと思いました。赤外線防犯装置を建物の重要なところへ設置して以上があるときはベルがなり携帯電話に異常個所を報知するシステムが何故??

お経は止まり気を利かせてくださった御遺族が事務所へ飛んで行って停止ボタンを押してやっと止まりました。私もお経の途中でしたが居ても立っても居られず本堂を出た途端、鳴動が止まりました。廊下から本堂前を見ると団体で参詣に来られた一団が本堂脇の所からこちらを眺めながら石段を下ってゆきました。

『そうか、建物の影になる場所のセンサーをこの一団が覗きに行って通り過ぎ、警報ベルが一斉に鳴ったんだ』と最近設置したばかりのセンサーとベルとの分離をスッカリ考慮していなかった事に気が付きました。既設赤外線センサーは境内の外周と内周を二重で見張り、一週間ほど前に仏像窃盗や不審者の侵入を防ぐために本坊及び本堂内の限られた場所の赤外線センサー・ベルを増設したのです。所が全てのセンサーが人を感知したら一斉に鳴動する事が今日の失態につながりました。無論、建物影や屋根伝いはセンサーが切ってありません。そこを通り過ぎて一斉鳴動したのが原因でした。

『住職!お経の途中からでいいよ・・・』これを言われてもオロオロする私は心が落ち着きませんでした。「じゃ、お言葉に甘えて途中から・・」と返事をすると本堂では一堂大爆笑。この大爆笑に何だかホッとしました。お経が終ってこの間落札した大型ディスプレーにパソコンを繋いで色々とお寺の行事や歴史等をお話してすっかり場は和みました。葬儀ができたので枕経に出かける旨を話して失礼をしました。

夕刻は東京か40名ほどの観光客が来られてパソコンと大型ディスプレーを利用して古戦場のお話をしました。昨夜は疲れていたのか風邪だったのか知りませんが力が出ず午後よりはダウンしていました。今も何となく力も元気も出ませんが『こんな日もあるから心配するな』っと自分に言い聞かせ『忙しくてダメなら一人で頑張らずに事情を話してお休みさせていただけばよいじゃないか』と自分を諭して早めに休ませて頂きました。これほど忙しいのですが一人僧侶が職を辞するので私ひとりになってしまいます。これから先を思うと気が滅入るのが主原因です。工事も役所も仕事も準備も段取りもとうとう私一人となってしまいますが・・・元々一人で頑張ってきたので元に戻るだけです。戻れないのは若さだけです。早めに就床します。明日良い事ある様に祈って休みます。母だけは一日も長生きをして私の心の支えとなっていてほしいです。同じ空気を吸っているだけで本当に心の安心があります。元気でいてください、お母さん。
■3/7      強風と寒い
何だか力が出ない。不思議な気分の落ち込み・・・絵のせいか? 瓦のせいか? 都市計画街路のでたらめのせいか? 色々な事せいか? 力が出ない。そんな日もあると自分に言い聞かせているのですが・・・頭も少し痛いです。

何とか一日を終えましたが明日が少し心配です。タフだった私の体力も段々と下り坂です。今日も知り合いが来られて色々なお願い事を伺いお互いに歳相応の話題が出来るな〜なんて想いながらお話をしていました。気分を変えたらよくなるのでしょうか??チョッと気分が重いです。
■3/5〜6 晴/.雨      暖かい
何だか一日が飛んで過ぎるようです。お参りがすんで車に帰ると電話に着信履歴ありで早速お寺に電話すると三時半にお約束の方のことをすっかり忘れていた。急ぎ帰る寸前に同行された方の友人の方から「住職、今何処?」っと電話がかかる。私の携帯はオート着信になっているので車を運転中でもすぐに取れる。「いまお寺の下です」と返事をして急ぎ応接間に入る。暫くの世間話の後に本題に入る。その後、明日の本堂での内部工事の木材を私のできる範囲で切断して軽トラックに載せておく。

夕刻、京都へ出かける。本堂内障壁画最終検査の為です。京都には20時ごろに到着して宿に入る。お風呂を頂いて簡単の夕食の後、布団に入る。翌朝起きる外は雨、それも結構強い。お寺の龍神堂の屋根葺きの事が気になり始めるがここは京都。ゆっくり目の朝食後、市内へと走るがトンでもない大渋滞で大幅に先方さんに着くのが遅れた。最終的には色々と指摘をして再度細部を見直して最終の納入を待つこととした。
製作所内の出来上がった障壁画
もう暫くすると本堂内に納められ仏様の荘厳な世界が広がります
お寺では婦人部の方たちが来られて本堂内壁工事で埃だらけになった内部を掃除していて下さった。実は午後より先日の突然行った懇親旅行の写真を見る会を予定していた。掃除をして下さったきれいな本堂内で、私が映してきたばかりのデジカメの上記の写真や今までの懇親旅行の写真を眺めて皆さん楽しそうでした。仲が良いことはトテモうれしい事でした。

竜神様の屋根は私が心配したとおりで雨が瓦の隙間から柱に伝わり少々問題がありました。早速このことを指摘すると、岐阜から飛んで来て真っ暗な境内で養生をして「すいませんでした、月曜も雨と言うことらしいのでシッカリ養生しておきました」と平身低頭で辞去のご挨拶来られました。かつて本坊の屋根修理をした名古屋中区瓦町のビルと看板だけやけに目に付く不遜な瓦屋とは大違いでした。そうそう、ここの瓦屋は鬼瓦をたった二本のステンレスの細い針金で留めていたのでもう少しで下りの瓦ごと雪崩のように落ちる寸前でした。今回の屋根瓦屋さんに見ていただいたら「さびて切れていた」と錆びて切れた針金二本を見せていただきました。元受の建築会社に電話して下請けの瓦町の会社にやり直しを申し出ているところです。本当に嫌な事を言うのは気がめいります。しかし新品の瓦を葺いてもらって10年も経たないうちにこのような事では困ります。もうあの瓦屋さんとは関りたくないのですが仕方ないです。困りました。
■ 3/2      
三月に入りお彼岸の準備のため沢山の印刷物を印刷した。封筒から返信ハガキ、墓地管理量のプリントアウト、タックシールのプリントを含め10種類くらいの印刷物の原稿を作り校正を済ませて印刷にかける。

それぞれ内容ごとに印刷され中には多色刷りの印刷もあり二度手間にもなる。そして紙折が待っている。今は紙折り機で全て済ませるので本当に楽です。あとは世話人さんや事務の方にお願いをして完了する。毎年のことである。境内では龍神堂の屋根替えの工事がもたついている。天気が思わしくなく遅々として進まない。瓦屋さんも大変憂鬱そうな気分である事は何となく分かる。

環境班の人には龍神堂瓦の廃材利用で土手の修復工事や、来る来週に迫った仏画の障壁画搬入の下地つくり、墓地清掃、ナラ枯れの大木の伐採作業、山中参道の道路工事と目白押しに仕事がある。そういえば除草作業やタケノコ保護柵工事もある。私も一生懸命にお手伝いをするつもりである。

私も住職としてお参りや来客、維持管理や事務の仕事もある。『お寺ってそんなに忙しいの?』って聞かれそうですが私が落ち着いてボーっと過ごす事ができないのが主因であることは間違いないです。問題のお寺の下の道路もほぼ完成。立派になって通りやすくなり信号も付いて理想的な道路となりました。しかし市役所はウンともスンとも言ってこないです。道路さえ出来れば後は知らん顔の様子を決め込む積りでいるのでしょうが・・そんなこんなの毎日をバタバタと過ごしています。明日は大変寒いい雪も降るかもしれないと言っています。
『東京で見る雪はこれが最後・・』なんているかの歌を思い出すかもしれません。