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平成21年9月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター
■9/26        伊勢湾台風50年
酷い台風が今から50年前、このお寺も含めて東海地方を巻き込み特に名古屋市南部の風雨は言語に絶する規模だったようだ。私の明治半ば生まれの祖父はその日記に「未だかつて遭った事のない台風」と青インクで日記に記されていた事を知っている。

私は小学校に上がる前の年格好でしたがその惨劇は翌朝に目の当たりにした。お寺の山中や境内には松の大木が何本も倒れ凄い惨状を未だに覚えている。小さかった私たち兄弟は父母の手伝いをした事を覚えている。ノコギリで倒れた松を小さく言われたように切り、切り終えた松の枝を広場に引っ張って行き、ナタという小枝を払う刃物で又小さくして藁縄で縛って焚き物にした事を覚えている。その際の松のヤニの臭いは小さいながら鼻に付き未だに、松の生木を倒すとその頃の事を思い出す。ドライマティニーと言う洋酒がある。松の香り付けがしてあるカクテルを初めて頂いた時に「伊勢湾台風の臭いがする」と青年になった私は思わず思い出してしまった。

お寺の前には桶狭間古戦場があり殆どの松や杉は倒れてしまいその光景は惨憺たる惨状であり未だに残るモノクロ写真は光景をありありと証明をしている。昨日までは恐ろしくて昼中でも通るのも怖かった今川義元公墓前の道は、松の倒木と松の香り。子供ながらに未だに覚えていると言う事はそれは恐ろしいほどの台風だったと言う事が容易に想像できる。

今、窓の外では50年前の惨劇を忘れているかのごとく虫の音が寂しげに秋の夜を奏でています。災難は忘れた頃にやって来るという。何にしても天災地変には心得てタイムリーな備えが肝要ですね。
少し昔のお寺の前の写真を載せます。伊勢湾台風前の写真をご覧下さい。
昭和30年11月の頃のお寺の前の風景
伊勢湾台風で松の大木は倒壊し、名古屋市南部の方々は東部へと引っ越しされ
お寺の周りも急速に開発され現在の町へと変容していった
現在の国道一号線からお寺へ入る大正〜昭和の風景
東海道の松並木も恐らく倒壊したと思われる(高徳院絵葉書より)
■9/23 曇/晴         彼岸法要
お彼岸を迎えた。春のお彼岸からあっという間の秋のお彼岸。今年から本堂の中には120脚程の椅子を設置して立ったり座ったりのご焼香から立礼式焼香へ変更刺させて頂いた。皆さん、とてもリラックスしてお参りに参加が出来たとすこぶる好評であった。当日の様子をご案内させて頂きます
お勤め前の本堂の様子
控えのテントを準備しました
写した人の手振れでピンぼけしています
お経の始まりです
住職の挨拶
お塔婆のお渡しです
お接待の綿菓子 「懐かしいです」をご感想を頂きました
■9/20 晴れ         
お寺の予定も多く一日を終えた。朝、7時半頃お参りに車で出掛けると遠くで救急車のサイレンの音がする。丁度、信号に差し掛かり前の車の後ろについて止まった。「連休の朝から救急車とは大変だな〜」と思っていると北から南へ救急車が信号機を徐行しながらゆっくりと走り抜け「ありがとうございました。」とマイクで応えながら過ぎていった。

「ありがとう?・・・」救急車がお礼を言って信号を渡っていった。走りすぎた救急車の跡に私の車も同じ方向へ右折した。目の前には通り過ぎた救急車の走ってゆく、と同時に今度は南から北へと新たな救急車が向かって来た。初めて目にするサイレンと赤色灯を点けたすれ違い。

季節は入れ替わり、澄み渡った青空と爽やかな空気をけたたましく驚かせて走り去る救急車同士。外国では救急車は有料で、或る国では相当の高額を前払いしないと乗せてくれない国もあるという。病院に着けば玄関先で病院に診察をして貰う順番を貰うために先払いをする、又はクレジットカードや保険がなければ診療を拒否されるのが普通らしい。先日も私の友人が外国で自損事故を起こしたという。大破した車の写真を見せて貰い「日本はありがたい。外国は保険証かクレジットカードを持っていないとロクな治療をして貰えない」とこぼしていたが・・。私たちは、色々と考えや思いもあるだろうが、この立派に出来上がった救急システムや医療制度を大切に感謝しながら生活をしたいものです。

すっかり涼しくなりあれほど暑かった季節もすっかりと入れ替わりました。窓の外では虫の音が寂しそうに鳴いています。夕方も6時ともなれば暗くなります。もうじきお彼岸法要の日も参ります。元気に毎日を暮らせることをありがたいと感じてこの備忘録を書いております。お休みなさい。
■9/16 晴れ        評議員・世話人会懇親会食会
お彼岸も間近に迫り色々と予定が入り忙しくしている。今日は天気が良かったので予てより準備していたバーベキュー大会を突然行った。厚岸の岩牡蠣、根室のタラバガニや味付けのお肉、サンマ、お野菜等々盛りだくさんで楽しく愉快に過ごさせて頂いた。宴もたけなわになると色々な歌が出てき始めた。「私は元予科練だったから予科練の歌を歌う」とか「わしゃ、九州だから炭坑節」「郡上出身、不肖私、郡上節を歌います」「私は『月がとっても青いから』を歌うわ」っと本当に楽しい4時間があっという間に過ぎてしまいました。
「来年はこの枝垂れ桜の満開の時にしよう」「この桜は環境班が手塩にかけているので絶対に素晴らしい桜が咲くぞ」とかみなさん、本当にお寺のことを気にかけて頂いているお話が出るとこちらもとてもうれしく感謝の気持ちで一杯になります。
お酒があるね 一杯飲もう
私は今日は「焼き物係」
貴様と俺とは同期の桜〜!!ぁぁぁぁ !!
月が出た出たぁ 月がでたぁ〜 三池炭鉱に月が出たぁ〜
■9/14        火災訓練実施
火災訓練を実施した。先師墓前の広場は数百坪ほどあり周りは緑に囲まれていて火を大規模に焚いても目にとまらない。煙は出るがこちらの都合で火災訓練をさせて頂いた。まず月例会議を開き今月と来月のおおよその通達を行い、火災訓練の実施の要領と諸留意点を伝えて実施に移った。

お寺には首からかけるストラップに公官庁御用達の笛とパニックボタン装着されていて僧侶以外は何時も携帯を指示されている。広い境内に各自がそのストラップを首にかけて5カ所ほどに散らばりパニックボタンと笛を吹く。笛は聞こえるがパニックボタンの電波が、電池の衰弱もあるの?か、届くところ、届かないところに分かれた。導入当初は境内至る所にでも鳴動したので早速、電池の取り替えを指示した。お寺の山頂には巨大な水槽があり消防ポンプで汲み出しても1日はかかるほどの貯水タンクからエンジンポンプを作動させ、消防ホースを設置して放水を他方へ散水しながら、万が一の火災に備えて火災訓練は実施された。
実際の映像です
笛を吹きパニックボタンを押し初期消火に努める
終了後は水で徹底消火を行い終えた

笛を吹き、粉消火器を使用し、投擲消火剤を投げ入れて2度ほど比較的大きな炎を上げての消火訓練となった。やはり最後は消防ポンプから勢い良く飛び出る水の消火力にはかなわない。しっかりと訓練ができて「やっぱり初期消火は粉消火器だ」「複数本の消火器がいる」「自家用消防車には5本消火器を積もう」と色々な言葉が出ました。毎回感じることですが、万が一に備えて訓練することの重要さを全員が痛感した半日でした。
■9/10        今度は書院庫裡の屋根替え工事
カラーベストと言う屋根材は耐用年数が7年から10年と言われていた。書院は既に昭和57年、庫裏は昭和61年とっくに耐用年数が経てしまっていた。今年、龍神堂の2月頃に吹き替えたばかりなのに今度は同時に2棟の屋根替えをしなくてはならなくなった。既に屋根替えを奨められて数年が経ていた。

何時も私が強風発生器「ブロアー」で屋根の樋を清掃しては雨降りに対応していた。落葉は知らぬうちにハラハラと落ちてきて気が付けばゴッソリとたまっている。それをブロアーで吹き飛ばす。火箸や火挟みでつまんでも一向に仕事は捗らないので私が考えついた最っも効率の良い清掃法です。

突然の大雨で樋が詰まると私はカッパを着て屋根に上ります。落ちないように慎重に足元を見ながら彼方此方の樋や桝を見て詰まった箇所のゴミを取り除き排水を復旧させるのですが・・・どうも屋根の様子がおかしく今秋から屋根替えを始めることになりました。今度の屋根は瓦ではなく断熱効果と耐久性を備えた最新の瓦材を葺くことになりました。発泡スチロールの厚さは10センチ弱有りその上にセラミックが瓦として載せられている。

今回の屋根材の利点は、古い屋根材を剥がして投棄することなくその上から直接に葺くことができる。隙間には圧縮空気で液状の糊材が隅々まで入り込んでは直ぐに堅く形成を為して旧屋根材と発泡スチロールを隙間無く強力接着をするという、新たな工法だそうです。朝より10名以上の人が屋根の上に載ってミーティングや説明をしている。聞くところによると、開発メーカー・技術指導者・何カ所かの屋根やさん、そして当方の屋根やさんも来られて、作業が開始されていた。11月始めくらいまでバタバタと屋根工事が行われる。

今年は龍神堂屋根替え、本堂障壁画完成、続けて書院、庫裏の屋根替えと出費が続く頭の痛い秋を迎える。或る名古屋の米屋さんが言っていた言葉を思い出して始める決心を付けました。「屋根は天気の良い日に工事をするモンだ」と・・・・本当にその通りと思い、工事に取りかかりました。

実は本当に頭の痛いのは本坊の屋根を平成11年頃に全て吹き替えたばかりなのに名古屋市中区瓦町、瓦の本まで出す有名な瓦屋、「坪○利○郎商店」いい加減な工事に憤りと不誠実な対応に悲しく思っています。元請けを通じて鬼瓦の施工の手抜きと針金の断線を提示して説明を求めても梨の礫の知らぬ顔。「屋根の上でお会いしましょう」の私の言葉が伝わっているのか否か。会いたくもないがこの工事が終えたら会わざるを得ないでしょう、残念で嫌ですが。
断熱材がセラミック瓦の下に分厚く見える 音も断熱も相当に変わると思う
糊料を圧縮空気で瓦の隙間に流し込むとすぐに固化して粘度を発揮するという
■9/5        世話人旅行会から帰る
昨年は万座温泉へ出掛けましたが今年は北海道、奥尻島と江差松前を回る三泊四日の懇親旅行でした。江差の北に瀬棚漁港という港があり往路一時間半、復路は江差までの二時間半の船旅に恐る恐るついて行きましたが、舳先には波切り不動様がお見えだったのか?航路を安全に、波風たてずに快適な船旅が出来ました。奥尻島はウニがおいしい事で有名、温泉も素晴らしい温泉で皆さん大満足の懇親旅行が出来ました。天候に恵まれ良い思い出となりました。
久しぶりの飛行機 皆さんニコニコ 総勢二〇名 一路千歳空港へ
千歳空港はご覧の通りの快晴 ヒンヤリとした清々しさがありました
超高級ホテル キロロリゾートへ 
中々ビールが来ない!! 激しい宴会の始まりです
翌朝5時頃のホテルの全景
朝食会場でのバイキング
積丹半島のローソク岩
神威岬(カムイミサキ)にて
とてもきれいな海でした
旧日本海軍の電波塔
かたわらに可愛く咲く「とりかぶと」
積丹半島の窓岩
トイレ休憩で入った公園・・この辺りには弁慶や義経の伝説が一杯あった
瀬棚港の三杉岩
お昼ご飯は民宿 海の家
お昼からボリューム満点でした
江差に向かう港町 瀬棚港
元は礼文利尻に就航していたフェリー 荒天時は落差5mの大揺れとなると
添乗員・ガイドから相当脅されていたが・・・
奥尻島が見えたぞ〜!!
下船すると
奥尻キャラクター ウニ丸君が出迎えて下さった
奥尻島のシンボル 釣り鐘岩
津波記念館 奥尻島海峡は2000mの海溝で隔てられ数度の津波被害を受けているとのこと
会館内部での説明
津波の起きた同日にはこの凹部に日が沈むという
奥尻島唯一のホテル 「緑館」さん
夕食のバイキング 20名の団体は何処へ行ってもワイワイガヤガヤでした
復路もウニ丸君は律儀にお見送りに来て下さいました
さよなら 奥尻島 もう一度来る事あるかな〜
江差港へ 到着
江差横山家 昔はニシン 今はにしん蕎麦 旧家でした
江差→松前へ
松前城にて
松前は昔より桜の名所 ここの名物を見つけて頂きました
桜の花びらの入っているアイスクリーム とても高価でした
松前より函館へ(結構距離があります)
函館元町界隈を40分ほど散策しましたが・・・時間が無かったです
少し雨がぱらつきました
夕食は函館大沼プリンスホテル宴会場にて ハーフバイキング?
翌日のトラピスチヌ女子修道院見学
五稜郭見学、午前11時発の飛行機で名古屋へ 少し時間が足らなかったです
お世話人様方 お疲れ様でした 皆さんとても楽しかった仰って頂きうれしかったです
これからもお寺の強い味方となってお力添えを願いますね。