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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

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平成23年11月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

■ 11/26     きれいな流れ星
午前中も予定が多くお昼からは葬儀もあり落ち着かない一日を終えました。夕食後、最近毎度になった散歩に出かけてきました。コースは毎回同じコースを歩いています。家内に頼まれた事を途中済ませ、色々と思い考えながらお寺の前まで来ました。最近は、少し筋肉が付いてきたのか足の痛い事を感じない程までになってきました。山門の裏を回り池を眺めていたその瞬間、東から北の方向に白く輝く流れ星があっという間に落ちてきました。「あっぁ、流れ星」。それはそれは燦めくとはあのことを言うほどにきれいな流れ星でした。そして以下の順に頭に色々な事が巡ってきました。

@しまった、願い事をすれば良かった
A飛行機にはぶつからなのかな?
B巨星地に墜つ
  ・・・・・・
気もそぞろで毎日を過ごす私に母の顔が浮かんできました。お母さん、元気でいて欲しいと願い明日、母を見舞う事にしました。光り輝く流れ星、今までに見た事もないそれはそれは燦めくきれいな星でした。 
■ 11/25     寒くなりました
高野山へ参詣に登りました。お山は日中でも二度ほどで大変寒かったです。いつもなら毎月墓参や奥の院をお参りするのですが大変予定が多くて二ヶ月もお参り出来ませんでした。台風十二号でお墓は大変汚れていましたが持参したブロアーで何度も清掃を施すと大変きれいになりました。お花を入れ替え玉川で取水した清浄なるお水を注ぎ込み読経をなして清々しい気持ちで納骨堂を後にしました。

納骨堂の清掃前に奥の院の御廟にて欠期の非をお詫びして様々な思いで参詣をさせて頂きました。帰路、どうしても立ち寄りさせて頂きたかった桜池院様へお邪魔させて頂き世間話を長々とさせて頂きました。人の良いのも馬鹿の内と私の事を今更ながらお話しし、親切を受けたら終生とは言わないが少なくとも迷惑だけはかけないのが人の道であり、私も受けたご恩は忘れないようにして感謝の毎日を過ごしたいですとお話しをして辞去させて頂きました。桜池院さまのご隆盛と御家内ご一統様の健やかな御生育を陰ながらお祈りさせて頂きたく存じます。

お寺では午後六時から建設業者のとの打ち合わせがあり飛んで帰ってきました。納骨堂の規模が大きいので役所との協議も色々あり予定通りに進んでいない事の報告を受けました。何なら私も一度役所へ協議の場所へ出向いて一席声を張り上げてみたいものです。

■ 11/22     大掃除
大掃除の日となった。昨日、本堂等は大凡の準備を終えていたので直ぐに清掃に入る事が出来た。持仏もお昼過ぎには終わった。私は環境班の方と山の中で山の大掃除をしていた。枯れた木々や邪魔な大木、傾いた木々チェーンソーを使って切り倒し、ユンボを使って摘み出し、樹木粉砕機でチップを作って再び山に還す。一行の文章にすると簡単だが危険で手間暇がかかり、終わった後は清々しさと一つもゴミを外部に出さない充実感でホッとします。「緑の中でのお住まいは宜しいですね」と時折事情を知らない方から言われるのですが、大変な山仕事の目立った所を処分出来た一日でした。危険と言えば今日は危険な目に遭いました。安全を十分に確かめずにトラックの荷台に載っていて振り落とされました、カーブで。背中から遠心力を伴って転げ落ち右肩を強打しました。不思議に右肩の激痛のみで事なきを得ました。右肩は元々50肩で痛かったので思いがけない衝撃と転がり具合が体には丁度良く、激痛も走りましたが、暫くしたら意外にピンピンしていました。運転していた方は驚いて飛び出てきて「普通じゃない、医者へ行った方が良い、骨が折れているかもしれないとか自分の怪我をしたときのことを忘れて私の事を心配してくれましたが、この様にパソコンをパチパチ打てるのですから何ともないと思います。明日の朝、痛かったりして??

ところで、今日は11月11日良い夫婦のと言うらしいですね。昨年或る所へ言ったら11/11はお野菜の日の記念日ですので11/11のお野菜を買って下さいと大声で案内していた事を思い出しました。11月11日は1111が並びますので「もやし」の日だそうですね。所変われば品変わる、11/11を思い出しました。何方かへ教えてあげて下さい。もやしの日を
■ 11/21 晴強風     なな月参りの日
午前中はなな月参りの日であり、毎月の事となっているので固定のお参りの方がお越し頂いた。私と真勝院さんとで御法話をさせて頂きました。私は今際の際に美しい花や、天女が呼ぶ姿が見える臨死体験をされた方のお話と、頭の中では死を受け入れるために安楽を提供する物質が出ていると言ったお話しをしました。真勝院さんはブータン国王がお越しになられたことと、外国からの要人が来るとロクな事がない日本に、心休まる方が見えた事をお話し下さいました。

午後からは大掃除の明日の為に本堂内の荘厳具を外部に移設して段取りよく大掃除を終えられるように準備をしました。移動をしてから大掃除かかるよりもさっと大掃除にかかれるように昨年から行っています。大掃除は毎年同じ事をするのでマニュアルが作ってありその通りに行えば誰でも出来るようにしています。ただ、すっぽかしをしたり好い加減にすると折角の労力も無駄になりますし、後からやり直しが出てきます。私の目もチャンと見ていないようで見ていますのでしっかりと一年の、少し早いですが、清掃をまだ暖かい内に行いたいです。
■11/20 晴強風       寒くなりました

現在、建設が進められている塔の名前は瑜祇塔(ゆぎとう)と呼び正式名称は、堅い呼び方になりますが「金剛峰楼閣瑜祇塔」(こんごうぶろうかくゆぎとう)と呼ばれます。高徳院の本山である高野山の本山名「金剛峰寺」の名前の由緒がこの塔の根源から発せられています。下段の四角の部分は金剛界の理の世界を示し、上部円筒の厨子部分を一切を包摂する胎蔵界を象徴しているそうです。自然の中から私どもは生まれ誕生し、自然の理の中に活かされている事を思うとこの塔の意味も理と智を思う教えの象徴のように思われます。

 飛鳥時代からの始まる仏教伽藍建築は、各地に伽藍が建設されました。伽藍の最も特徴的な堂字が塔であり、古くから仏教の象徴としてその存在を際立たせていました。 その塔の原型が瑜祇塔であり、一重の屋根と円筒形の厨子(ずし)、そして屋根の上に聾える五本の相輪が特徴です。 古式ゆかしい塔は、高徳院の緑に浮かぶように建設を予定しております。
 塔の原型で、古いスタイルでありながら、円筒形の厨子と空に張り出す屋根には蒼天を貫く五本の九輪、白と紅色の彩色された建物は、この地に新な印象を与え、密教の神秘的な香りと、いのちの力強さを遠望する多くの方に元気と生き生きとした思いを発揮すると思います。
■ 11/19     建設予定建物の完成予想図
建築会社から今度建設する建物の完成予想図をパソコンで送信頂いた。建物全体の総28メートル有るのでかなりボリュームがあります。四国23番薬王寺様の図面をそのままお借りして設計をしていたので細かい所まで私が気を遣わなくても良く、一日も早い各種官庁の申請書類も下りるのを待つばかりです。留守中、保健所の方がお見えになり建設会社の方と打ち合わせをして下さいました。中高層の建物で、この種の建物の前例がないので役所も書類審査に時間がかかるかも知れないと設計会社の方は私に実情を説明下さった。起工式、上棟式、竣工式と今後の準備もある。毎年の行事の準備や開催もある。健康に気をつけて毎日を過ごしたいです。
■ 11/18    遠来より帰る
この二日間、遠方に出かけていた。17日午後より宇治の平等院近くにある墓園を見学に出かけ夕刻お寺に戻りその足で新横浜へ出かけた。翌朝東京町田市の墓園にも出かけて墓園事情の色々を参考にさせて頂いた。現代の墓園事情は今後のお寺の管理や維持に関する大切なものであり大変参考になりました。そして午後から東北新幹線に乗り宇都宮の樹木農園へ出かけました。宇都宮は新幹線で1時間ほどの距離でしたが車内は往復とも満席に近い状況でした。私の乗った新幹線は総二階建列車でしたがどの列車も大変賑わっていました。東海道山陽新幹線よりも混雑しているように思いました。

宇都宮ではモミジを実際に見て求める事を以前から思っていましたので念願が叶いました。鈴鹿の農園社長から電話連絡をして頂き駅まで宇都宮の農園主が迎えに来て下さっていました。広い広い農園をたくさんお持ちであり色々な大木の木々もありました。私は気に入ったモミジを数本予約しました。
夕刻東京へ戻り、最終の新幹線で名古屋へ帰りました。東京駅を出て寝てしまい「只今定刻通り三河安城を過ぎました」と車内アナウンスを聞いて驚いて目を覚ましました。一眠りしたら・・と言う言葉を思い出しながら名古屋へ降り立ちました

赤の発色がよいモミジ
大杯(おおさかずき)と言うなりのモミジ
■ 11/15    薪ストーブ設置
二〜三日すると寒波が押し寄せるという。震えるようになってストーブを準備するのも辛いので今日、時間のある方々と準備をしました。薪も運び込んで火を付けるばかりになっています。「おはよう」っとストーブに挨拶をしました。これから三月半ばまでお世話になる薪ストーブ。考えてみれば大変な贅沢です。私にとっては厄介で面倒なストーブですが、環境にもお寺へも費用の面でも大変に優しい暖房装置であり有りがたいです。

明日は月例会議、葬儀、色々と予定が入っています。色々な事柄にも私の判断を求められます。頭がどうにかなりそうですが、何とか切り抜けていこうと思います。歳をとったせいか、以前は何とも思わずに出来た事も、難しくなり実行力も衰えていると自分ながら思います。何事にも興味を抱き整理しながら事を進める事が大変好きだった私でしたが、如何せん老化と言う言葉の前には無力になっています。
■ 11/10    世話人会旅行より帰る
7日から三泊四日で萩・津和野・尾道の旅行から帰りました。総勢18名の旅行でした。雨の心配もせず、皆さん終始笑顔と冗談でバスの中も船の中も、旅館の中でも楽しく過ごす事が出来ました。旅行会社のツアーに団体で申し込んで行くので幹事としては気は楽ですが、やはり気はそれなりに遣いますのでお寺へ帰ってからはドット疲れが出ました。今回で何十回も出かけいる懇親旅行。様子をご覧下さい。
名古屋駅前に全員集合 バスに乗って泉大津まで移動です
15000tのフェリーで新下関まで出発です 船の中は大きなホテルのようです
私と檀家さんの奥さん 皆さん、一等船室です
新門司港へは午前6時到着 七時半下船 バスが待っていました
新門司から下関へ
長州藩が関門海峡に設置した「長州砲」と呼ばれる大砲のレプリカ。
当時、関門海峡に来襲した英・米・蘭・仏連合艦隊に対しても使われたという大砲のレプリカ
向こうは九州 こちらは下関
赤間神社・・・元々は阿弥陀寺というお寺で
明治の廃仏毀釈で今は神社となっている
廃仏毀釈で損害を受けたお寺はたくさんあり、神社は苦しい説明を余儀なくされている
有名は耳無し芳一にここで会うとは思いませんでした
壇ノ浦での平氏側のお墓が境内に散在されていたのを集めたという平家側のお墓
この前で夜な夜な平家物語を芳一は語ったと言うお話しは有名ですね
秋吉台と秋芳洞
トンネルをくぐると鍾乳洞が延々と広がる大変広い鍾乳洞の中に川が流れていました
一泊目は船中泊で二泊目にお世話になったホテル
長州湯元温泉・・・とてもよい温泉でした
一泊目の宴会・・・・楽しい宴会となりました
三人の方の誕生会を同時に行いました   おめでとう!!
翌日は長州「萩」を尋ねました   田中義一氏出生の地
萩きっての豪商の旧家「菊屋」家を見学しました
地元の方だそうです
高杉晋作、伊藤博文、田中義一、たくさんの明治維新の歴史に名を残す
人々がこの町内から多く輩出した伝統の町はもう一度尋ねたいです
吉田松陰・・松陰神社と松下村塾

松下村塾・・・・若くして安政の大獄の露と消えた吉田松陰先生
私の好きな歌を三種 記します

・かくすれば かくなるものと知りつつも やむにやまれぬ 大和魂

・親思う こころの勝る 親心 今日のおとずれ 何と聞かん
(亡父が好んで口ずさんでいました)

・呼び出しの 声待つ外に今の世に 待つべき事の なかりけるかな
(藤田啓介先生藤田学園医学部認可時の心境を語って下さる折の歌)
津和野の風景
錦帯橋へ
川の氾濫で橋が流される事に懲りた藩主が考えた橋の形
安芸の宮島・・・鳥居の下の様子   ホテル前の桟橋からご案内頂きました
皆さん初めての経験でビックリ、私もビックリでした
最後の夜の晩餐会
宮島行きのフェリー乗り場 たくさんのフェリーが行き交っていました
厳島神社到着
不思議な写真ですが宮島とフランス モンサンミッシェルは姉妹都市とか
船乗り場にポスターが掲げられていました
尾道へ・・・千光寺とロープウエイ
尾道にはたくさんのお寺がありました。 泉涌寺門跡を務められている御自坊「浄土寺」
千光寺山頂からの眺め 文学の道を下る
石の上の丸い玉・・・遠くから光るので千光寺と名付けられたとか
真言宗単立寺院
帰りは岡山駅からグリーン車で帰りました。
お疲れ様でした。また行きましょう。世話人会旅行今年何度目の旅行だったんだろうか?
お寺には午後9時に到着でした。尾道、萩はもう一度出かけたいです。
■ 11/5    色々とありました
朝から多くの予定があり一日、少々風邪気味もあり、体力の消耗を感じながら一日を終えました。私はお寺でご法事を上げられた方々には50インチのディスプレーでお寺の今昔や、この地の風景の劇的な移り変わり、歴史を印した絵葉書等、普段では見た事もない昔の映像を説明しながら思い出深いご法事になられるようにお話しをさせて頂いている。人それぞれですが殆どの方が興味をお持ちになられて質問や、笑ったりうなづいたりでとても充実した時を共有しております。今日も有る方の法事が終わり、件の如くパソコンを駆使して面白おかしくお話しをしていました。法事の間は、静かに下を向いていた方々が頭を上げ、目を輝かせ、うなずく面々を目の当たりにすると、私の鼻の穴も少々大きくなります。

今日も彼方此方、飛び飛びのお話しも終えて焼香炉を取り替えようとしている私の背後から、と或る方が声をかけて下さいました。 一枚の名刺を頂きました。○○大学教授をされている名刺でした。先生は「私は最近、桶狭間合戦に興味がありとても今日のお話しは面白かった」と感想を述べて下さった。私は「もっと時間があったら様々な観点からの説明が出来たのですが・・・」と再び合戦のお話をしようとすると「今から食事で・・それより本を書かれたら如何ですか」と予期せぬ言葉が返ってきました。一瞬躊躇して「私は字を読むのが大嫌いですので・・」とヤンワリ出版のお話しをかわしました。私は趣味のパソコンで史料や映像、様々な方の考えをコピペしたり出品されている写真を購入してるだけなので出版まではとても無理です。

毎度の事ですが法事が終わり笑顔で本堂や持仏から帰られるお姿を見ると大変私も嬉しいです。京都からは今回の建設の内装設備受注に三人の方がお見えでした。色々と私の難題をメモして下さってなるべく期待に添えるようなったら、私もご縁有った方に感謝申し上げたいです。お土産に頂いたお品は、グツグツ煮て頂くのも勿体ないほどのお品を頂きました。帰りがけに「ホームページに書いてはってな〜」っと元気な声をかけてもらいました。本来なら土曜日であり家で寛がれる中を、堺や京都からお越し頂いて恐縮至極です。

日に日に日照は短くなり寒くなり始めた11月、季節の入れ替わりに体を上手く馴染ませて冬を迎えたいです。お休みなさい。
■11/3 曇り       御砂踏み浄衣加持
今年で24回目の法会となりました。昭和62年11月8日四国善通寺法主故蓮生善鰲ヌ下のお奨めと、ご紹介を頂いた故水谷繁治から全ての御砂を譲り受けて始められた法要でした。朝九時過ぎから多くの方がお参りに来られ、当時のお世話人さんや僧侶もお手伝いを頂いて無事に一日を終えました。様子を少しアップしますのでご覧下さい。
88カ所のお参り
観音霊場のお参りの様子
本堂でのお参り
台所での準備の様子
お接待の白玉ぜんざい
赤・・・幸福 白・・・白寿 緑・・・ヨモギで健康 黄・・・財運
ようこそお参り下さいました