2010〜
10 11 12 13 14 15 16 17
1 1 1
3
4 4 4
5 5 5
6 6 6
7
8
9 9
10 10 10
11 11 11
12 12 12
2002〜2009
02 03 04 05 06 07 08 09
1 1 1 1 1 1 1 1
2 2 2 2 2 2 2 2
3 3 3 3 3 3 3 3
4 4 4 4 4 4 4
5 5 5 5 5 5 5 5
6 6 6 6 6 6 6 6
7 7 7 7 7 7 7 7
8 8 8 8 8 8
9 9 9 9 9
10 10 10 10 10 10 10 10
11 11 11 11 11 11 11 11
12 12 12 12 12 12 12 12
名古屋の天気予報
-天気予報コム-

ブラウザをJavaScript対応に設定してください。

平成25年1月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター
■ 1/22 晴れ       身動きが取れない高齢者を食い物にする・・・恐い実話
昨年末、檀家のwさんが夕刻突然お寺に来られた。郵便物も返送され如何されているかと思っていた矢先であった。杖をつき膝をガクガクされて納骨堂を見に来られた。私の院内電話が鳴りwさんの来訪と用向きが伝えられた。急いで瑜祇塔へ行くと見知らぬ男性とwさんがおられた。「久し振りですねwさん。郵便物が返送されていたので・・」とお話しをすると「先日女房が亡くなりまして・・・」と意外な言葉がご本人から発せられた。奥さんが亡くなられた? すると少し控えめに同席されていた見知らぬ男性がニコニコしながら口を開き始めました。

『あなたは誰ですか?』っと尋ねると「私はwさんの友人です・・・・こうしてあちこちへ連れて行って欲しいと言われるので乗せていっているんですよ」と頭をかきながら話を続けた。「この間、奥さんが亡くなられて今日は高徳院で七日参りをして欲しいと言われたので連れてきたのです」と私に告げる。その言葉を遮るように『私は、高徳院の住職に葬儀を上げて貰いたかったのに、この人が東海市の葬儀場へ連れて行って見知らぬ尼さんにお経を上げて、戒名もつけて貰っていない』と、その自称友人に伏せ目がちに私に訴えるのでした。その瞳には「何とかして欲しい」と訴えているように思えました。「wさん」と男が言い出しました。「それを言っちゃったらお終いだろう・・・」と言い出すのでした。何がお終いなのか私には分かりませんでした。「終わった事を言い出したらお終いだろう・・」って言い出して席を離れて瑜祇塔内を落ち着かないようにウロウロし始めて直ぐにまたイスに戻りました。私は彼に問い質し始めました。

『あなたは、代理人なのですか?成年後見人なのでしょうか? その立場を証する何かをお持ちでしょうか?』と少々強い言葉でその男に問い質し始めました。「いいえ、私は○○という施設の中での友人です」と首からかけた身分証らしい物をチラリと私に見せました。『親戚?でも無いですね、代理人でも成年後見人でも何でもないんであれば申し訳ないが・・・永代供養の話や葬儀のお話しはご本人又は兄弟親戚の方とお話しをします』『折角の友人関係に水を差したら貴方も気分が悪いだろうから』と直接本人からのお話を聞く事にしました。次第に我が耳を疑う言葉が出てきました。

大凡、友人であれば車に乗せて親切にするのに立会料やら手数料と称する数十万円をwさんから引きむしる事はしない。東海市の葬儀場での葬儀も、縁も所縁もない尼さんを呼んで戒名も付けずに葬儀を上げ、最後はお骨も引き取らないで永代供養料数十万円を支払わせ、自分が連れて行った葬儀社へ葬儀代を言うがままの費用を支払わせ、立会料をむしり取りやりたい放題したい放題をして、最後に七日参りで当寺に来られ、私に救いを求めてきたのだろうが昨年末の顛末であった。

数日前、wさんの成年後見人を称する税理士から電話を頂いてwさんの事と永代供養の事の問い合わせを頂いた。私も身構えてお話し伺い理屈が通り、wさんの意向が反映された電話の内容を確認できたので、今までの経緯を踏まえて対処させて頂いた。今回の場合、自分であちこちに出歩けない身動きが取れない高齢者、施設に入っている高齢者に、恐らく言葉巧みに近寄り『友人』関係をソフトに作り上げ、次第に財産から現預金、一切を巻き上げて吸い取るところが無くなったら、友人からあかの他人に豹変する恐ろしい現実を目の当たりに体験しました。うかつな事は電話でも書面でも、面談でも出来ません。しっかりと相手が本人なのか、如何に本人確認をするのか・・・・個人情報のあり方を、改めて再確認させられました。当寺は相当に個人情報の管理を徹底させており迂闊な電話や問い合わせには身構えているつもりでありますが・・・お寺という世間では扱いが大切にされている弱みをつけ込んでくる、トンでもない輩からも、檀家さんにしても信者さんにしても永代供養者にしても身構えて対処しなくてはならないとつくづく思い知らされました。本当に酷い、語るに落ちる人生を真顔で生きて、人の生き血を平気で吸い上げる「友人」に注意しなくてはなりません。

『私は○○さんの友人だけど、お墓は何処ですか?』と尋ねられたら当寺は「個人情報保護法にてお墓があるとも無いとも言えません」と答えるしか無いです。骨肉の争いや刑事や民事での関係人に対し、お寺は参詣人だけでは対処しきれない事柄に、迂闊な情報を流す事が出来ないのです。恐ろしい世の中です。
■ 1/19 晴れ       恐ろしい取材予約
突然私の携帯電話が鳴りました。電話の主はお寺の受付からだった。「もしもし、住職ですか?。雑誌社からの取材要請が来ていますが受けてもよろしいでしょうか?」との内容であり別に違和感を受けるような内容ではありませんでした。「何処の雑誌社ですか?」っと尋ねると「○○画報」と言う雑誌社と言う。○○画報?どこかで聞いたような雑誌社・・・・よく分からない出版社の名前。当寺には色々な雑誌社からの取材や写真、録画された映像資料等の再使用や転載・貸し出し等の許諾がFAXで依頼される事が時々あります。その場合は、許諾書面に捺印欄があり細かく記載が為されている事が殆どで、最終的には担当者からの電話確認がある。肖像権?著作権?色々な場合を想定して慎重に取り扱われるのだが今回の場合は、少し様子が変である。直感的に私の臭覚が稼動し始めてきました。

「取材をする方は有名な元○○をしていた方で、是非お話を伺いたい・・・」・・・・○○をしていた有名な方が何で?私と面談をして記事を得たいのかが胡散臭いきっかけであった。再度、お寺に電話をして「少し確かめて欲しいのですが・・広告料とか掲載料とかが発生するのでしょうか? もし無料であっても面談時間は10分以内でお願いしたい旨を告げて欲しい」と確かめの電話を依頼しました。暫くするとお寺からメールが来て「費用が発生するそうですので断りました」とホッとした文面が私の携帯に届きました。良い程に喋らせて、持ち上げるだけ持ち上げて、写真を撮ってその場でDTP(Desk Top publishing  机上印刷)・・・パソコン等でその場で生原稿をリアルタイムで作り上げて「断るに断れない雰囲気」を作り上げて「雑誌掲載?十万円也」を請求するつもりであったのでしょう。そりゃ、褒められ、持ち上げられ、原稿にするばかりの寸前のパソコン画面を見せられ、有名人が「それでは、よ・ろ・し・く」と言われたら・・・・多分断れないでしょうから、早めに気が付いて良かったです。

えぇ??「やけに詳しいな??」「一度以前に引っかかった??」・・・・想像におまかせしますが・・・知り合いが引っかかって酷い目にあった話を相当以前に聞いた事があり偶々覚えていたのでよかったです。彼らは、色々な名簿を持っているらしく手当たり次第に引っかけてくるそうです。次回はその引っかけ仕事に従事して、やっとの思いで足を洗って逃げてきた人のお話をします。この方も偶々知り合った人で、これも酷いお話しであり世の中、そこまでするかのお話しです。キーワードは、ガムテープ、名簿、固定電話、が全てを語っています。あぁ 恐い。想像できますか??
■ 1/16 晴れ       とても寒かった高野山・・・暖かい挨拶
今年初めて高野山へ参詣をしました。墓参用のお花屋さんに伺い「お婆さん元気?」っと尋ねると娘さんが顔を曇らせて・・・「昨年10月になくなりました」とポツリとお話しを頂きました。いつも元気なお婆さんでしたが会えないと寂しい気分になりました。『仏壇に手を合わせる時には一本線香を上げておいて下さい』とお話しをしてお別れしました。雪の高野山、今年一番の寒さとかで零下10℃まで下がったと、いつもでかける食堂の方が仰ってお見えでした。「いやぁ〜一番寒い時に来はったんねんな〜」と和歌山弁で一言。今年もよろしくと言ってお昼ご飯を頂きました。

毎回、高野山に向かったら一番最初に弘法大師がお祀りされている奥の院の御廟へ真っ先にお参りをさせて頂きます。日差しはあるのですが吐く息は真っ白で風もありましたのでとても寒く感じました。石の通路の至る所は凍り付いて転んでは大変です。注意しながらゆっくりと歩みます。水掛地蔵様の前でお参りをして奥の院の橋を渡りました。奥の院には三箇所の橋があり最後の橋が無明の橋と言われる橋です。橋のたもとで手を合わせて霊域の御廟(大規模なお墓)へ入ります。その橋の上で東洋人であろう2人の男女が無明の橋の下に流れる小川(正式には玉川)、清く澄んですぐそばでは寒中でも水を浴びて修行する場所、その橋の上から携帯で写真を写そうとしていました。橋の端には「写真撮影禁止」と書いてあり私は心の中では「あの字が読めないのか?」と日本人と思って少し面白くなく思っていました。側では掃除の方達が除雪や雪で折れた枝を掃除していました。

私がその橋に一歩足を踏み込んだその時、除雪の男性が「No photo!!(写真ダメ)」っと二回、英語で注意をしました。振り向いたその東洋人男女は「Oh sorry sorry. Thank you(すいません、注意してありがとう)」と返事をしました。私は、まさか「ありがとう」と言う言葉が掃除の男性に返るとは思ってもいませんでした。

以前、今から数年前、30人程を引率して同じ場所を目指して御廟を歩いていました。皆さん賑やかな人達で私も楽しそうに会話を為してあちこちを案内していました。御廟の前には灯籠堂という施設があり階段を登らなければなりませんでした。その麓には四国88箇所霊場を一回りできる石柱があります。私も皆さんとその石柱を一回りしていると見知らぬ男性から私に「ここは脱帽の場所だから指示をしたら」と引率する中の数人が帽子をかぶっている事を注意されました。注意された場所は杉木立が林立し苔むした墓石が多くある場所で高野山でも一番人通りの多い場所。それを制するように、大木札には「脱帽」と墨蹟鮮やかに書かれていました。人通りは多く一度では何を言っておられるか聞き取れませんでした。「えぇ??何でしょうか?」と私。彼は「ここは脱帽と書いてある」と衣姿の私に注意を促しました。隣の奥さんは「もういい。言わなくても言いよ」と男性の執拗さを制止していました。

「脱帽?」・・・・その様子を見ていた引率される人達が「なんだ?何て言っているんだ?」と私に尋ねてきました。「皆さん、ここは脱帽の場所だそうですので帽子を取って下さい」と当て擦りみたいに私が大きな声で全員に指示をしました。そうすると、同じ仲間の女性が「あぁ恐わぁ」っと一声あげ非常に気まずい思いをしました。注意をした本人は「僧侶だから聞くだろう」と言う安心感から言葉を発しただろうし、本当の事とは言え、要らぬ世話を焼かれた張本人達は「なんで、お前に・・・」があっただろうし。今頃まで私が覚えているのはその一件を数年経っても「根に持っていた」証になります。でも

「Oh sorry sorry. Thank you」の一声をそばで聞いていて全く恥ずかしくなりました。本当に恥ずかしい気持ちで御廟の橋を渡り、数年前からイヤな思い出であった物が全く違った新たな思いに代われる事が出来ました。こんど、自分が人から、本当の事を言われたら素直な気持ちで「すいません。気をつけます」そして「ありがとう」と軽く言える事が出来るという気持ちを確信しました。大昔にある外国のホテルのレストランで朝食を頂いていた時、テーブルの側には「Do not feed(餌をやらないで)」と注意書きがありました。子供が喜ぶだろうとスズメにパンくずをボロボロと与えていたら白髪の老婦人から「Don't feed. Are you OK?」と睨まれた事がありました。「だまれババァ」ぐらいにしか思っていませんでしたが今から考えると恥ずかしさ一杯です。新年早々、高野山奥の院で本当に清々しい気分で参詣を終える事が出来ました。頭の上からは降り積もった杉の枝から落雪がありましたが、寒さも何処かへと飛んで行ってしまいました。高野山参詣の写真です。
雪の奥の院参道(以下の写真は撮影不問の場所です)
坂道を滑らないように登ります
花筒は凍っているのでお花を立て掛けて線香ロウソクを灯して読経をしました
外気は零下の寒さ。日差しがあるので明るく感じました
■ 1/11 晴れ
昨年の今頃はお寺の行事と瑜祇塔の工事の準備で東奔西走、寒さも感じないくらいに動き回っていた。不思議なご縁や目に見えないお陰を頂いて、今もそうであるが、導かれている物があります。先日の事であります。昨年の今頃を思い出しながら東海北陸道を高山を目指して車を走らせていました。『そうだったな〜、高岡の鋳物屋さんにはお世話になったな〜。あの時のあの方の決断を頂かなければ、真の瑜祇塔は出来ていなかったな〜』と感慨を新たにしていました。一度、感謝のご挨拶にと思いめぐらしていると当の社長さんからの電話を頂いた。明日、お寺を訪ねて北陸の名産を持参したいとの電話であった。事情を話すと翌日、高山に来てくださるという。

翌朝、宿泊先を訪ねてくださった社長さんと朝食を共にしました。一時間の時間があっという間に過ぎてしまい彼を駐車場まで見送りました。何度も握手をして感謝のお礼を申し上げ、大変で辛かった事をお互いに乗り越えてきた言葉では表しようのない気持ちが、握手の暖かさとなって伝わってきました。人は歳を重ねると前を見ず、後ろを振り向いては人生を歩むと言うらしいです。私は後ろを振り向く事はあっても、人様のご縁や冥助に感謝する事はしても『昔は良かった』なんて、言わないようにしようと思いました。

今日は京都の仏具屋さんも本堂の仏具の修理に来てくださいました。30年近いご厚誼を頂いている仏具屋さんです。ご縁を大切にしたいです。感謝。
■ 1/9 晴れ
明けましておめでとうございます。 今頃、明けましておめでとうもありませんが、備忘録を新年早々から更新しない年は無かったですが今年は遅くなってしまいました。どうか今年もよろしくお願いをします。しまし、新しいOSは私には合いません。

除夜の鐘の風景です。毎年年ごとにお参りの方が若返っています。若い方の参詣に大変嬉しく思っています。
平成24年12月31日の様子です
今年は沢山のお参りがありました
ふと見上げれば皓々としたお月様が寒天に輝いていました
今年一年 どうかよろしく願います