住職備忘録
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2002〜2009
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平成25年5月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター

当寺のご近所でケアtaxを為されておられます。ご紹介を申し上げます
CareTaxiれんげ

■5/25          感激の夜   
私の学生自分の友人から電話があった。『今晩、8時頃お寺にいる?』と突然の電話があった。毎年の事ながら潮干狩りに出かけてアサリを持ってくるという。実は友人の夫君を私が紹介し、半ば私が愛のキューピットとなった間柄の友人からの電話。「いるよ〜」っと素っ気ない返事をして『夜か〜、あいつも昔から来る時は夜だったな』と彼の若い頃からの事を思い出していた。大変丈夫な友人なのです。一時期、守山区に住んでいていた頃は自転車で実家のある蒲郡のまだ先の吉良町まで平気で日帰りをしていた。まっすぐ行ってまっすぐ帰るのなら、丈夫だなで終わるのですが彼の場合は人並み外れていました。

守山区を自転車で出て、南区のお兄さん宅へ寄って、豊明の私を訪ねその後、碧南のお姉さん宅に寄って一路、吉良吉田へ行く。おそらく50km片道だけでもあると思います。実家の吉良吉田まで行くと自分で育てていたキゥイフルーツ棚を手入れしたり、収穫して再び私の家へ来るのである。お土産と言って形のいびつなキゥイフルーツを持ってきてくれた。その頃はまだキゥイフルーツが物珍しい頃であり不思議な思い出がありました。その後再び南区へ寄って守山区までの50kmを自転車で帰るのである。それも、月に2〜3回も往復するタフというか?大変丈夫な友人でありました。その彼も公務員退職後、突然の病気になり体の健康管理に注意していたのである。lそして今晩彼は、アサリと共に素晴らしいお土産を持参してくれたのであった。

私は、パジャマ姿で寺務所の机にかけて、いつも夜更けに来る彼を待っていたのでした。外で足音が聞こえるので「来た来た、いつも夜なんだから・・・」っと思いながらガラリと引き戸の音がして『こんばんは』のいつもの声がした。『おぅ、遠いところ有り難う・・・』と寺務所を出て声のする廊下の方角を見るとそこには、真っ白の制服制帽に身を包む彼の息子が立っていました。「この度、旧海軍兵学校、江田島にて幹部候補生学校に入校致します」っと薄暗い向こうに、目映いばかりの凛々しい彼の息子が立っていたのでした。

パジャマ姿の私は思わずそばまで行って硬く握手をして「そうか! そうか! 良かった。良かった。」と彼の凛々しい姿を見て思わず涙してしまいました。はたと我に返り彼らを応接間に案内しようとしました。『おぃ、アサリをどこへ持っていこうか?』と友人が私に尋ねましたが私は『アサリなんかどうでも良い・・そんなモンどかっかへ置いておけ』とつい失礼な事を言うほどにとても嬉しかったです。直ぐに私も正装に着替え彼を迎え入れて改めてお祝いを申し上げました。「愛知県で一人だけの合格であった」「将来は大変だけで江田島で青春を過ごす」等々色々と思いを私に告げてくれました。今日からは私のスマホのディスクトップの入れ替えです。本当に嬉しかった友人の来訪でした。
高徳院 応接間にて
(東郷平八郎書扁額の前にて)
 ■5/19 晴/雨          すこしダウン         
どうした事でしょうか?毎年この時期になると、ダウンしてしまいます。今日も一日、多忙であったのですが・・・午後より就床してしまいました。夕刻、檀家さんを希望して面談を、私は忘れていて飛び起きて応接をさせて頂きました。地元の方で古い方でした。私も歳をとったのか?昔の事はよく覚えておりしばしの間、楽しい会話を楽しむ事が出来ました。寺務所に行くととても楽しい物があり私の目を細めさせてくれました。夏らしい気持ちの良いお品でした。贈って下さった方はタイにて会社を興されホテルにゴルフ場に学校にと多岐に渡る事業をされておられる方からの贈り物でした。
金魚でデザインされた陶器の蚊取り線香いれ
蚊取り線香は『タイ製』・・この蚊取り線香には ヒ・ミ・ツが・・・

タイは仏教国であります。仏教徒は仏様との約束、戒律を守る事が義務づけされています。

【戒律を守らない線香】 → 蚊取り線香→火を付ける→煙が出る→蚊が死ぬ  →殺生の戒律を破る
【戒律を遵守する線香】 → 蚊取り線香→火を付ける→煙が出る→蚊を追っ払う→殺生の戒律をギリギリで守る

キ○チョールはタイで頑張っているんですね。手前の蚊取り線香はキ○チョールで他は不明ですが、夏らしい贈り物に大変微笑ましく、気持ちも軽く嬉しくなりました。 エェ?キ○チョール・・・・正しくはキ○チョーですね。でも、私の周りでは皆さん、キ○チョールって言っています。
■5/16          切ないアジサイの事   
環境班の方々がお寺の庭木の手入れやアジサイの水遣りをして頂いている。私も手伝ったり、飛び込みでお手伝いをする。先日の事でした。とても日差しの強い日でアジサイの事が心配になりました。案の定、アジサイは元気がありません。新しく来た1.2tのトラックに1.0tの雨水をくみ上げて撒水をしていました。トラックの荷台から撒水をしていましたが物の陰になったりしてお水が十分に行き渡らないアジサイもあります。私がトラックの荷台から降りて『あっちだ、こっちだ』と指さしながら水遣りをしてた時です。
下の写真を見て下さい
ばっさりと茎の全てを切り落としたアジサイ
挿し木にするつもりだったのでしょうか?
私も環境班の人も、暑さ寒さも忘れて清掃や水遣り、植物の生長を願い祈る様に肥料を与えて、初夏の日差しの中で水遣りをしている時に発見した無惨なアジサイの茎の姿です。今年植えたばかりの840株のアジサイの一株だけでしたが、とても残念な気持ちで悲しかったです。亡父が存命の頃にこんな事がありました。そのころのお寺は低木の松山であり、父は緑化事業の関連か?愛知県から松の苗木をたくさん頂きました。寒い冬の頃でしたが父から「冬の捨て松と言って、穴さえ掘って植えれば根付く松だ。お前ら植えてこい」と私たち兄弟に指示があり高校生の頃、田植えの様に松を植えた事がありました。数年後、知らぬ間に成長した松を眺めながら、これまた父から命じられセメント袋にゴミを収集して風呂焚きのたき付けに拾ってくる事を命じられ、兄弟二人で無駄話をして山を歩いていると父にであいました。父はある男をとがめていました。その男は私たちが数年前に植えた松を勝手に枝を切り、袋に入れていたのです。

亡父は私たちに言っていました。『無断で寺の松を盗って門松にして、正月早々、何が目出度い』と・・・この度のアジサイ一株の幹を挿し木にするために持っていく。そして数年後、どんな気分でアジサイの花を眺めているんだろうと。櫻もアジサイもハナミズキもしだれ桃も「誰かが植えなければ花咲かない」事は、多分幹を持っていった人は承知している。だから持っていったんだろう・・・植えた私や、酷暑極寒を厭わずに世話する環境班の人はとても悲しい。病人は自己が病気である事に気づく事が大切、人の目を楽しませる物を断りも無く持っていく善悪の見境のない『花が大好きさん』は私は大嫌いです。
■5/15          高野山参詣    
母の忌明けを目前に、高野山へお参りに行っていなかったので追福のお参りと毎月の参詣をさせて頂いた。快晴の日和と先々月とは全く違う、冬から春へと衣替えをした高野山のお参りであった。ウグイスが優しく無き吹く風も爽やか。ふと今から40年も前の事を昨日の様に思い出して、僧侶としてこの世に送り出して頂いたお寺を第1番にお参りをさせて頂きました。毎月の様にお参りをさせて頂いてはいますが、ウグイスの声と春風、お昼間近の来訪で久しぶりに嗅ぐお寺独特のお昼のおかずの香り。18歳の私を思い出しては鮮やかに残る記憶の軌跡を辿ってお寺の中を彷徨いたしました。青春時代の新鮮な思い出を感謝してあとにしました。奥の院へ参詣して読経を成しました。その後お寺の納骨堂の清掃、お花の取り替え、香華を改めてお参りして遅めの昼食となりました。先ほど、夕刻8時過ぎにお寺に到着しました。今日の様子です。
寶壽院 大玄関
本堂の内部 70名で読経した思い出の本堂です
毎日くぐった本堂への回廊
台所に祀られる荒神様
荒神様脇に祀られる息子たちの護摩札
私たちの護摩札 古ぼけてしまいました
この門を出て初めて僧侶の門発ちをしました
今日の奥の院 高徳院墓所
最近はイスに座ってお参りをします
■5/7          やっと暖かくなる    
世間は連休が明け社会が再び動き出した感じであり、毎年ですが私は連休明けが待ち遠しいです。私自身は連休はないですが世間が動いている方が何だか落ち着きます。今日は環境班の人たちがお寺のシンボルでもある大木「タブの木」の根本付近に養生用の施工をして頂きました。このタブの木は明治39年10月奥保鞏(おくやすたか)陸軍元帥が植えられた記念樹で大変大きくなりました。ただ多くのお参りの方や境内への車の踏圧(とうあつ)で地表が岩の様に硬くなり空気や水分、栄養が行き渡らなくなって現在木が弱っている様に思えます。また私の夢の中へもこの巨木が「地表に穴を開けて空気を通してくれ」と、嘘の様な話ですが、夢枕に立つのです。それも一度や二度ではありません。昨日、少し遠くのホームセンターへ別件で出かけて、透水管なる畑の暗渠配水管が目にとまりました。太さは10pあり長さは30mで土中の水を排水する目的で作られたホースでした。私はこのホースを1メートルに切り分けて30本を作り「タブの木」の周りに深さ1メートルに20本ほど埋め込めば、土中へ酸素を行き渡らせ水分を補充させ、肥料を土中深くまで何度も施肥できると直感しました。

昨日、環境班の人たちにお願いして管をノコギリで1mに切断して本日、穴掘り機で土中に埋設をしました。まだ蓋が足りませんので土嚢袋を被せてありますが少なくとも土中には酸素が表面積分に比例して行き渡り始め水分も施肥も可能となりました。数ヶ月かかると思いますが愛知県に二本しかない亜熱帯性植物で線香の湖料ともなるお寺に縁の深い巨木が元気になる事を念じております。明日も引き続き作業をして施肥も完了させようと思っています。アジサイ、源平しだれ花桃、色々と手入れも大変ですが元気にお寺の緑が深くなり目を楽しませてくれる事を夢見ております。今日の作業です。
前方の大きな木が「タブの木」 明治39年10月 奥保鞏陸軍元帥お手植え(当寺本尊名「高貴徳王殿」と扁額も揮毫され現存します)
穴を掘る機械と蛇腹の様な筒(筒の表面には無数の穴が開いている)
小さい穴を開けてから 12センチの穴を掘り 10pの筒を埋めます
なかなか 硬いので最後は手作業・・・・大変疲れる仕事です
巨木のタブの木が元気なる事を念じます
(そばでアジサイが応援をしてくれています)
■ 5/6 晴れ          振り替え休日 
今年のGWは大変多忙でした。昨年の今頃は瑜祇塔の工事と、諸業者さんとの打ち合わせや私一人でお寺を切り盛りしていたのでクタクタになっていた頃でした。GW明け後、二週間ほど何も一切しない。図面もパソコンも何もしない期間を設けて久しぶりに様々な読書をしたり一切を忘れて中庭でノンビリと時間を過ごしていた事を思い出します。 振り返るとMS-DOSで構成された当寺の院内LANからwindowsへ載せ替える打ち合わせをしている事を思い出すと、目前に迫った祭礼やお盆に上手く乗せられない事を思うと、心臓が止まる思いです。全てが手作業を思うと・・・運が良かったと思います。

今年のGWは予定が多く詰まっている中、ご葬儀も連日有り運良く滞りなく済ませる事が出来た事に安堵をしております。多くの人に助けられ周りの方々の気にかけて下さる思いが、何事もない日々を送らさせていただいてくることに感謝をするほか無いです。目前に古戦場祭りやキュウリ加持、お盆に様々な行事があり準備やチェックを行いたいです。そうそう、840本のアジサイは毎日の水遣りと環境班の人たちの思いやりで順調に育っています。数年後には千本を超すアジサイがお寺の山々を飾ると思います。