住職備忘録
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2002〜2009
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平成25年10月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター

当寺のご近所でケアtaxを為されておられます。ご紹介を申し上げます
CareTaxiれんげ

■10/31 晴れ        富山県 鋳物屋さん              
昨年の相輪を制作して頂いた鋳物屋さんへ出向きました。瑜祇塔本体に安置されるべき由来のある大きな亀。

「亀?・・・?」  誰でも「亀?」っと思うと思います。私も当初は「亀?」って思いました。実は瑜祇塔という建造物又は塔は亀の上に建てられるのが大原則なのです。由緒は中国が唐と言われていた1200年前、鑑真和尚が日本来られて唐招提寺を創建された故事は有名なお話で日本歴史教科書に必ず出てくる事で有名です。また東山魁偉さんが唐招提寺襖絵に描かれた鑑真和尚逸話の構図は大変有名です。

 唐招提寺に国宝の瑜祇塔がありお釈迦様のご遺骨が祀られ切手にもなっています。瑜祇塔(ゆぎとう)は涌亀塔(ゆぎとう)とも言われ海の中から亀さんが涌き出て来てお釈迦様のご遺骨を鑑真和尚さまに届けられた事に由来します。どこの瑜祇塔へ出向かれても亀の上に建っていない瑜祇塔は全く意味がなさないのです。昨年、出入りの石屋さんにお願いをしていたのですが「いま作っています」と言われ半年も待ち、出来上がらなかった亀さんでした。はっきりと石材店に断りを入れご縁が無かったと思い改めて、ご縁とご尽力を頂いた高岡市平和合金さんへ依頼をしました。立派な企画力、行動力、想像力でやっとこの度、一部の鋳込みを終えた亀さんが出来ました。また現在工事中の、本堂唐破風の芳金金型も同時に依頼をして高岡へご挨拶に伺いました。ご縁ある企業とはこの事で大変満足のいく立派な原型が出来ました。「亀と波間」の4基セットの鋳物が今年中に納入される運びとなっています。来春早々には本堂の唐破風芳金金物と、亀さん4基が載り完成を見ます。お寺では下水道の接続工事や御砂踏みの準備、永代供養の受付やソフトウエアーの改善、耐震工事等、多くの人の創意と工夫と、お寺を気遣って下さる多くの人達に支えられて毎日を過ごしている事に、住職として本当に冥利に尽きます。「古きを忘れず、新しきに背を向けず」に感謝と努力を惜しまないように毎日を過ごします。

私が訪れるのでわざわざ組み立てて下さった亀と浪飛沫
4基 が納入されます 次回は鋳込みに私も立ち会う予定です
彩色されると下記のようになります
人がいると大きさが比較できます(原型調整の頃 本年8月頃か)
色々です 大変ですが
背負った荷物は最後まで背負うのが責任です(11/1)
■10/28 晴れ        瑜祇塔落成 一年目              
昨年の本日は瑜祇塔が落成した日でありました。多くの人に祝福され瑜祇塔が竣工を迎えて早一年。時間の過ぎる事は大変早いです。あっという間でした。瑜祇塔を作ろうと思いたったのは平成23年5月、同年10月四国薬王寺様へ不躾に設計図を拝借し沈滞ムードの設計スピードはぐんと加速しました。建設するだけではなく、自ら動き、考え、出来ない事を出来るようにし、出来る限りの能力を絞り出して昨年の本日を迎えたしだいでした。鹿児島大学の納先生の言葉『成せばなる 為さねばならぬ 何事も 為さぬは 己が為さぬなりけり』が私の励みの言葉であり日々兵学校「五省」を唱える毎日でした。体がバラバラになるくらいの思いをなした日々は輝かしく、満足と自信に満ち溢れ己が昨日のように思い出されます。

私の今後は健康に留意し、猶一層の奮励努力を致す気持ちです。言葉だけでなく、己が身の上の幸いと感謝を心にかけて日々を噛み締めて過ごそうと夕日に輝く瑜祇塔を見て、落涙の思いでした。
瑜祇塔方面より 本堂銅板・修復補強工事を遠望する
やり直し工事は新築よりも厄介です

■10/24        高野山参詣              
台風が来るという。今月28日からは来月にせまった御砂踏みの準備があり高野山のお詣りに本日出かけて参詣と掃除を済ませてきた。高野山は晴れていて風もさほどに吹いていなかった。ただ奥の院は強風により杉の枯れ枝が多くいつものきれいな奥の院ではなかった。こんな汚れた奥の院を見るとやはり、何事もなく過ごす事がいかに大変かがよく分かったような気がしました。写真を掲載しますのでご覧下さい。
奥の院の清流 玉川  何だか春のような輝きでした
奥の院参道は強風で汚れていました。
お墓も杉の枯れ枝だらけでした
雨を予想していたので助かりました
来年で建墓 10年 ほぼ毎月1回は来ているので来年で
120回と言う事です。以前は一月に数回来ていましたのでもっとかも知れません。
■10/22               
本日は私の予定が入っていなかったので久しぶりに土方の工事をしました。朝、環境班の人に「今日は私は時間があるので石積み工事をしよう」と三名を誘い早速工事を始めました。一昨年、瑜祇塔予定地の整地を同じメンバーでしていると色々な石がゴロゴロと出てきました。置き場所に困まりトン袋と言う重量のある物を入れる袋をたくさん持っていたので大昔の石材を収容していました。それを利用して石垣を作り始めました。お寺にはユンボが2台、トラック三台があり、退職した経験豊かな人がいますのですぐに工事は始まりました。

邪魔をするわけではないのですが、本堂屋根工事のレッカーがブンブンと唸る横で私たちの石垣工事が始まりました。再び、私の思いつきで11時過ぎ「おぃ、ウナギを食べに行こう」と言い出してウナギ屋に行ったら「定休日」で近くのしゃぶしゃぶ屋に出かけてビール三本を呑みしゃぶしゃぶ7人前を4人で食べて午後一時に帰りました。再び、石垣工事が始まり他の場所へも石垣を作ろうと言い出して「よぅし」で他の場所にも出来しました。まぁ、素人なりに出来上がりましたが、石は重く、手作業は大変でしたが満足しております。
この石垣は10年程前に半日でお寺の僧侶と作った石階段
だれも、私たちが作った何で思わないでしょうね
本日、半日で積み上げた工事途中の石垣です  見栄えはちょっとですが用を為せばよいのです
第二弾 の石垣
素人なりにきれいでしょう

「上手い事行きましたね」っとお寺の職員さんが私に声をかけました

「一夜城ってありましたが・・」 「ここは半日石垣ですね」

っと答えました。他の三名はまだやり足らないようでしたが
台風がせまっているというので今日の仕事を終えました。

土方仕事はとても面白いです。


本堂屋根 銅板葺き 下地材の赤松
やり直し工事は新築よりももっと面倒で人出も必要になります

平成9年 もう本堂の工事を終えたつもりでしたが

残念の一言です

■10/17               
何事もないように朝を迎え、世間は海の向こうから聞こえる悲鳴と危機を、さほどにマスコミは取り上げようとはしなかった。まぁ、報道は既に倫理?秩序?の櫛でとかれて何事もなく一日を終えられるこの国は、幸福でしょうか?地震や原発はあれほど取り上げるのですが・・・

今日も下水道工事、本堂・本坊の耐震工事、銅板葺き本堂工事とお寺には多くの職人さんが働いておられました。檀家の元建設専門職方もヘルメットをかぶり監督をして頂いております。本坊では来年のお盆の準備を黙々として頂いております。今日は私独りでお詣りやお通夜、煩雑な諸事をこなして一日を終えました。お昼はお手伝いさんと一緒に休職弁当をとりながら一時、お笑いをしてホッとしております。一日中「住職」「住職」「住職」・・・・と呼ばれたり、尋ねられたりするのも後何年かと思うと、今を大切に生きなくてはならないと思います。夕刻、京都の仏具屋さんから電話があり「何とかならへんか?」と相談を受ける。たぶんの故備忘録を見ているので明日にでも来るかも知れない。恐々として待つ事とします。
■10/15        世話人会 体操教室              
以前はデューク更家さんの歩行教室をお寺で催していました。お寺が負担をしてお世話人さんの健康保持を目的として行っていました。ただ、色々と有り途中で沙汰止みとなってしまいました。数ヶ月前から体操教室を再度催して月二回のストレッチをしております。私も参加するつもりでしたが諸般で参加できませんでした。本日、少し時間があいたのでジュースと紙コップを持って六波羅蜜会堂へ出かけて様子を見ながら参加しました。10分ほどしたら来客があり本坊へ帰りました。その世の事です。

パソコンをしながら腕や肘が油を差したみたいに滑らかに動く自分に気が付きました。初めは「あれ?何でだろう?」って不思議に思いましたが、今日の体操が効いたと実感しました。それ以外に思い当たるふしがないのです。次回からは必ず参加をして加齢による硬縮を少しでも和らげ、お寺に尽くせるよう運動をしようと思います。そして、毎週運動をした方がよいと思います。たった一回の運動でしたが、私には大変効果があったように思いました。
■10/13               
平成23年7月だったか、アメリカの経済危機が叫ばれ「崖っぷちの危機」と言われた時がありました。金融機関の人達は「アメリカが転んだら全世界がメチャクチャになるので、そのような事はあり得ない」と一様に言っておられた。マスコミは新聞にはホンの僅かに、テレビニュースも取り上げていなかったと思いました。そして再び、今月17日にアメリカの出と入りの帳尻が合わなく日が訪れようとしているらしいです。以前読んだ本に「どの様な強国でも大金持ちでもままにならない物がある。それは相場だ」と。世界中が持ちつ持たれつ、弱みが強みであり、強みが弱みでもある世界の都合。

私は思うのですが○○コール依存症の国「手が震え禁断症状が出るから『もう一杯だけ飲ましてくれ』と今までの借金も忘れて酒屋や家で暴れているようにしか思えないのです。依存症の根元は病気である事が自覚できずに「呑む事」、国では「借金返済の見込みもないのに、自分でお金を刷り続けて借金を全世界に擦り付ける」事に何とか終止符を打てる勇気と知恵を編み出さなければ何時かは身を滅ぼす時が来るように思えて仕方がないのです。日本も借金が1000兆円もあるという。アメリカの新たに必要とするお金は1600兆円、一体米国の正味の借金は幾らあるのでしょうか?

日本が日露戦争をするために外債を発行したそうです。その頃の日本では、タオル生地を生産して輸出する程度の国力で、ロシア相手の戦費捻出の国債に出資する投資家はなく、ロシア発行の外債の金利よりも高い金利でも買う人はなかったそうです。所が予想もしなかった旅順陥落と日本海海戦勝利で相場は日本投資で外債が飛ぶように売れたそうです。今月17日、上手く米国が『もう一杯』飲めたらひとまず、手の震えや禁断症状は止まるのでしょうが、依存症には変わりなく、日本も追随の道を選ぶのでしょう。リスクは隣国の大国も何時起きてもおかしくない地下銀行の破綻に発する経済破綻。西にも大きなリスクを背負っている日本。どちらにせよ、日本の総資産から国の借金を引いてもまだ黒字の日本の円は、超円高に向かうような気がします。鴨川の水、賽の目、今も昔も算数だけでは経済や外交は出来ないでしょうが・・・連休明けはどうなる事やら。私はお米や当分の食料品を求めるのがせめてもの、私なりの出来る事のように思われます。
■10/10        昭和39年も良い日だった       
私が10歳の時、東京オリンピックがあった日です。大変清々しい一日でした。
今年も前日は雲の多い日でしたが10月10日は特異日の快晴。気持ちも清々しく浮かれて何処かへ行きたい気分でした。
生活排水と雨水を分けて下水道管へつなぐ工事
お寺は12000坪ありますので大変です
裏も表も、新設も旧設も、延々と続きます。そしてあちこちで思わぬ難儀に出会いますね。
■10/07 曇り        消火訓練・月例会議       
最近、備忘録更新が遅れ気味であります。仕事も多くの人が覚えて下さったので私は、文句だけを言うようになるのと、人を当てにするようになってきて少し気が緩みがちです。若い頃のように何でもかんでも頭と口を出して細々言わなくても済むようになった証拠ですが、私の老化と共に緊張の糸も今までのように休みがない状況から徐々に休みを要求するよう、気持ちが勝手に楽な方に動き始めているような気がします。でも、布団で休む時、お詣りに出かけている時、様々な場合に「シッカリせんと!」と自分に言い聞かせています。

今日は月例会議は来月院内行事打ち合わせ、年末年始に掛けての暫定的予定説明、年末清掃の段取り等を打ち合わせ致しました。職員からは種々の要望や意見があり建設的且つ情報共有が諮られた議事でした。その後、火災訓練、瑜祇塔内免震工事、午後からは瑜祇塔横に寺務所と法要二会場併設の新寺務所建設打合せ会議を行いました。まぁ、大変です。お寺もその都度その都度、今後を予想しながら困らないような施設拡充が必要となります。
消防署に事前連絡後、9時45分頃から開始されました
火災現場の様子を判断、火元の確認、風向き調査・・・・これを確実に判断して消火器を2本使えば
相当の火災は消えるはずです。
風下に立って、炎の頭に消火器を掛けたら小火も大火全焼となります。。
炭酸ガス消火器・・・粉末消火器・・・投擲型消火器
特性を示し、工夫を説明して実際に消火器で消火する事が一番大切です。
頭で考え、頭で行動し、頭で周りを判断する。
何も考えない行動は、何もしない方がまだましです。