先月備忘録


 平成15年1月分
明けましておめでとうございます 今年もよろしく願います

■1/31 晴れ 
お葬式を済ませ後を副住職にお願いして世話人さんと名古屋へ出かける。パスポート申請であった。お昼半ばのせいかガラガラで待ち時間もほとんど無かった。ただ書き直しが数枚有りまた私が書けるだけの部分の代筆をしたので大変であった。みんなからお昼ご飯をおごって貰ってビールまで飲んでご機嫌で帰れた。
さあ明日から2月、節分間近の今日この頃、健康に心掛けて過ごさねば。来月もよろしくお付き合い願います。

■1/30 晴れ 厳寒
副住職・代理各々午後より休み、代理は明日一日お休み。松井建設名古屋支店長、設計部長来山。打ち合わせをする。夜お通夜、毎日慌ただしい。

■1/29 晴れ 凄く寒い一日だった
今日は何も無く過ごした一日。節分のお申し込みがたくさんあり御札書きで代理さんが活躍してくれていた。副住職は檀務で一日外出。みんなインフルエンザも克服して頑張っていてくれる。節分に寿司を恵方の方角に向いて頂くという風習があり今年一度世話人さんと作ってお出しする事にした。関西での風習らしく当地でも徐々に浸透しつつある。因みに昨日、名古屋に新しくできたタワーズ高島屋に出かけてお寿司のアイデアを勉強に出かけてきたら今年の恵方は「南南東」との事であった。南南東の方向は高徳院本堂を中心に考えると龍神様のお堂の方角に当たる。兎も角世話人さん方もお寿司の準備と手伝いに燃え始めて頂いているので有り難い事だ。
今朝(30日)午前5時頃寒暖計を見たら−3.4度であった。大寒とはよくも言った物だと感心すると同時に寒さに震えた。一月も残す所、数日で終わる。早くhpを更新しなくてはいけないが、明日は葬儀と世話人さんを連れてパスポート取得のご案内に出かけ星祭りの準備に追われる。出来るかな?更新・・・・

■1/28 晴れ 寒い一日
龍神様の屋根の修理が終わる。が、全面的に修繕を要するとの事で数年後を目処に「本葺瓦」に葺き直す見積もり依頼をする。また新書院の地盤沈下食い止め工事も終わった。沢山のセメントが使われた。薬剤とセメントを同時に地中の中に注入して固める工法を採った。パイルを打った上に書院を建設したのだがパイルが支持層まで達してなかった事が原因であった。私の初めて建築工事であり、何も知らずに任せておけば大丈夫と思って始めた建築であった。竣工して半年で玄関が開かなくなり数年で窓が開きづらくなって、数年前から基礎にヒビが入り出した。何度も修繕しても無駄であり大手ゼネコンに調査見積もりの依頼すると正に「糠に釘」状態の建物基礎であった(1/3程)。このままではの思いで工事を始めた。また龍神様のお堂の屋根も先代住職(亡父)が基礎工事中に他界して引き継いだ建物であった。大工さんと瓦屋さんの技術的意見の相違でやり直しをした曰く付きの部分からの雨漏りによる修繕であった。
中途半端は始めからのやり直し工事となる良い見本だ。私も若かったがいつまで経っても修繕や改修に翻弄される。他にも屋根工事は控えている。頑張ろう、後が楽できるのだから・・・


■1/27 雨一時激し
一日お寺以外の用件で名古屋へ出向く。副住職公休。代理は檀務(お寺のお勤め)。世話人さんの慰労旅行の書類の整理及び提出、申込金及び保険の手続きと色々な事に追われて夕方が来てしまった。もう世話人さん達と小旅行を含め出歩き始めて20年近くなり気心も知れてまた良い人達ばかりが集まって居おられるので新たに参加した方々も喜んで旅行に参加してくれる。
お寺の行事には自分たちでするという私の初期の考えから、大変な事は誰が見ても大変なのだからお手伝いを、不躾にお願いしてみて現在は既に40名以上の心強い組織となった。本当に有り難い組織となった。私はその代表だけれど兎も角この会にいてイヤな思いや不平等にならないように心掛けているつもりだ。ハワイは遠いが楽しみに出かけよう。だいぶ先の話だけれど・・・。

■1/26 サイバーテロでパソコンダウン
パソコンもダウンしたが、私もウイルスでダウンした。熱が出て節々が痛くトウトウ休んでしまった。土日は忙しかったが仕方がない。でも早めに休んだのが奏功したのか、夕方には元気になり夜、と或る理事会には出席できた。
一昨日葬儀をした方は洋服仕立て人の中で最高の方だった。NHKニュースで放映される政界、財界の方より特命で背広、礼服等を仕立てていた方だった。職人として最高潮の時、飲酒運転の若者によってその明々と燃える灯は一陣の風によって消えてしまった。大変立派なご子息達の姿を見ると亡くなられた方の無念さが伝わってくる。「和尚さん 悲しいです」と言われて「残念ですね」と言うほか無かった。無念さ溢れて気が遠くなりそうな奥さん、静かに語るご子息の姿を見て自分の23年前を振り返り出た言葉は「今自分ができる最善の事を考えて毎日をお過し下さい」としか言いようがなかった。事実私も23年前はそうだったが誰でもそうであるとは言い切れない。しかし掛ける言葉も見つからない程の事であった。

■1/23 雨/晴れ 寒風
何だか多忙な一日であった。午後より世話人会のハワイ旅行の合同説明会。旅行申込書にそれぞれ名前や住所を書いて頂くのだがローマ字で自分の名前を書く段になると難しいの連呼。行く前から大騒ぎ。午後1時より始めた説明会も午後3時30分でやっと終了。参加者は既に飛行機に半分乗っているような感じでした。
土産の準備、集合と解散の話、まだまだ詰めなくてはならない事がいっぱいある。最近パソコンに向き合う時間が多いのか目が悪くなってきた。自分で思うのだが依存症になっている。少し考えないとね・・・

■1/22 晴れ 寒い
梅が咲いていた。知らなかったが可憐な蕾がポツンポツンと枝に小さなつぼみを付けて陽を浴びていた。子供の頃を思い出しながら坂道を上った。足にシモヤケができると母は何時もゴザ(ワラで編んだ粗末な敷物)の上に私たち兄弟を並べて「お陽さんにアンヨを見て貰おうね」と言って日向ぼっこをさせた。周りには風よけを作り私たち兄弟だけの別荘が出来上がった。不思議に寒いのですが暖かい思い出があります。明治のヨーグルトを食べさせてくれるのですがお菓子に馴染みの無かった私たちはこの酸っぱさがとてもイヤでした。でもお菓子なんか食べた事がなかったので、不味いながら美味しい美味しいと不思議な事を言いながら食べた記憶です。その頃のヨーグルトは瓶に入っていて、紙の蓋が異様に大きいのが思い出です。真っ青な空に白い雲と梅の花。梅の花を見て遠い昔を思い出した。母を見舞っていないな。明日は友引で愛知宗務支所下の会議、午後は世話人さんの会議、夜はお通夜、少し休みたい。

■1/21 晴れ なな月参りの日
沢山の方々がお詣りに来られた。唱礼付中曲理趣三昧(しょうれいつきちゅうきょくりしゅざんまい)と言う法要を執行した。このお経は大勢の僧侶がお経に節を付け作法に則り歩いて読経するものです。これは晴れの法会とか本山の大きな行事で往々に行われますが、頻度は希です。私が主唱して西暦2000年正月21日から色々な声明を入れて行っております。少なくとも私の寺で毎月出仕しているお坊さんが集まれば、どんな所でも例え明日でも完璧な法会ができます。散華という花びらを撒く声明、対揚と言う声明に合わせて起居する動作も完全です。ただ細かい所はまだまだですが、今年の師走の頃になると恐らく完璧になるでしょう。
9時から始まった法会は10時30分頃に終了、法話をして今年から始まった写経会と会場を移した。写経は畭野住職代理が執行して盛況に終わる。有り難い話である。お詣りされた方々は「福袋」を下げてお帰りに鳴られた。この福袋には買ってきた物は何も入っていません。お供えして頂いた物を小分けして本尊様へのお下がりとして皆様に喜んで頂き福を回して頂く事が願いで既に10年以上になるかな。どうか来月も皆様お詣り下さい。
勝村建設、新書院の地盤改良工事開始、竜神堂屋根改修工事開始、バタバタが始まる。追われ追われて歳を取りホッとすると病院なんだろうな。
病院で思い出したが徳島のお寺さんの優秀な中学3年の子供さんがご病気になられた。私に大学病院脳外科教授へよろしく頼んで欲しいとの連絡があった。早速病院に連絡して然るべく調整をお願いしておいた。この子供さんは既に一度手術をして再発で親御さんも思いあまっての事であった。直接には存じ上げない方だが直に電話を頂くとその切迫してくる様子が受話器から伝わってくる。快癒を願い、元気に登校する姿を親御さんに見せてあげたい。少々不満や不足を言っていては罰が当たる。お大師様と同行二人、必ず快癒し立派な青年になる事を念じます。

■1/20 晴れ 明日は僧侶10名での法要
日記も少しサボるとスグに「こんなに書いていないのか」とその間隔を反省をする羽目になる。学校と言う所へ行きだしてから卒業し、結婚して葬式を出して色々あってこの歳になるまでに2年も日記を書いた事がなiい。亡父は26年間几帳面に書いていたが・・・。 いや書いた事はあっても頻繁には書かなかった。と言う事は、ずぼらだったと言う事になる。しかしhpを開設していて良かったのは日記を書き始めて、書かないと苦になり始めだした事だ。
明日はなな月参り。福引きもありまた、写経も今月21日より始める事となった。ホームページ等で案内はしてはいません。先回の月例会議で徐々に様子を見ながら始めて行き、対応を見ながら進めるという議事になったのでボチボチと始める事となった。そんな折り、不思議に他の会場からも写経の指導依頼があり、始めだすと常に騒がしくなるのが私らしい始まりだ。写経は、気持ちが清々しくなる事は請け合いである。私も何度か書いたがハッキリ言って記憶力も増し、達成感も他には比べ物にはならない。当寺住職代理が写経の専門である。
節分の豆撒き「申込み受付」をしておりますので、余所へ行かずに当寺で願います。当寺の豆撒きは「福は内」だけです。そもそも鬼は「良い鬼と悪い鬼がいる」、人でも細菌でも毒でも使いようによっては薬にもなる。で有るが故に私住職は、鬼を十把一絡げにせずに「福は内」のみで豆を撒きます。案外居ないようで居るのが人の心の中の鬼かも知れませんネ。これに気づけば「福は内」onlyで済みますね。

■1/18 雨のち晴れ
今日は忙しかった。午前中にお葬式を上げお昼から結婚式に出かけてきた。落差のある一日を過ごした。結婚されたのは友人のご子息。一席打ってお話をしてきた。私の結婚式での祝辞は何時も決めてある。海東青(かいとうせい)という中国満州族の冬の鷹狩りの話をワンパターンにしている。この話は、シベリアから下ってきた鷹が人間に捕まり、10日で人間と心を通じ合わせ狩りをして、春節の頃、鷹は大空に羽ばたき水温んだ農地に人は帰るお話です。所が今日の司会者は新郎を紹介する時「出会った時もアメ、ディズニーランドへ行っても雨や嵐でパレードも見た事もない、海に行ってもアメ、スキーに行ったら吹雪、新郎は正真正銘のアメ男」と紹介した。実はアメ男が不思議な老婆にあって傘を買い求めどんどん出世して行く、面白い話を知っていてその話に変更しようかと躊躇し始めた時、新郎新婦のお色直しに入った。「次は私か」「ドキドキ・・」としていると酒やビールが注がれどんどん調子に乗って飲んでいる内に新郎新婦入場、指名となった。結局「海東青」の話をして結んだ。雨降り男の出世話を聞きたい人は私を結婚式に呼んで下さい。今日のように万障を繰り合わせて一席打ちます。
宴も結びになる頃、新郎新婦両家の代表を務める友人の一言一句、自分に置き換え何となくジンと来た。「幾山河 越え去りゆかば 寂しさの 果てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」、人生は終わりのない旅なんだなとシミジミと自問し帰途についた。帰寺後酔って居間のソファーでウトウトしていたら某外科医院の先生から「護国之寺、行ってきたの?ボクは5回行っているよ」と元気な声。本当に先生は寺好きだ。「吉田観音も何遍も行っているよ。あそこは11面観音だよ」。敢えて言わないが本当に何処かのお寺の息子に生れ変わる事、疑いの余地無し! 人身受けがたし(人間に生まれ変わる事は難しい)。遇い難きき仏法に遭う事更に難しい。その中でお寺に生まれる事は善根の宿す所、さあ先生どうする? でも先生のような人が居てくれないと困るしな・・・

■1/16 岐阜 護国之寺へ参詣
何時もホームページで感心してネットサーフしているお寺に我慢できずにお詣りかたがたお邪魔してしまった。丁度岐阜城を真っ正面に据える高台にそのお寺はあった。何も連絡もせずに来意を告げると快く迎えて頂いてお抹茶や美味しいお菓子をお出し頂いてご夫婦で歓待して頂いた。奥様は明るい方で精進料理をされているそうで毎日とてもお忙しくされて見えられられました。「楽しんで精進料理をお出しさせて頂いている」とお話し頂いた。当寺の世話人さんも一度お連れして会食をさせて頂きたいと思った。でご住職は私よりも7歳も年長なのに私よりも若々しく見え少し恥ずかしかった。パソコン歴は流石に長く私と比べた自分に恥じ入るばかりで、ご親切に参考となるスクリプトの本までお貸し頂いた。大変古く由緒有るお寺でした。長良川と金華山とが一望できる正に「山紫水明」を独り占めで居るようなロケーションでした。奥の院に参りますと多宝塔があり古さを感じ入りました。此処に納骨堂を建設中でドーム型のパゴダを竣工させるべく篤く豊富を語られました。
毎年3月21日12時に昇る太陽の光を計算された場所から納骨堂内大日如来へ導き、プリズムで反射させて館内の遺骨や位牌を照らし先祖に春を告げる内容だそうでした。素晴らしいご計画、改めてご住職の行動力に敬服をした次第でした。
帰りは岐阜市関市にある吉田観音(きったかんのん)新長谷寺(しんちょうこくじ)へ参詣の後お寺へ帰寺しました。
今日はそんな所でしたが、帰ると葬儀が2件入っていた。

■1/15 寒い
久し振りに某医院の先生の新築の家へお詣りに出かけた。この先生は子供の頃からお世話になっている先生です。非常に優しい先生で、以前私が亡父の運転手で先生宅の玄関先で父の出てくるのを待っている所へ往診から帰った先生が私に声をかけて、父と奥様がお話ししている所まで案内して頂いてお茶をよばれた事もあった。また入院でお世話になった時、カップラーメンのそばに置いてあった「空海の風景」という本を見つけてニコニコしながら「ラーメンくうかい?」と明るく言っているような先生でもある。その先生はお詣りが大好きで奥さんと暇を見つけては愛車でお寺・神社巡りをしている。御朱印帳が今日見ただけで47冊。一冊100ページ。4700カ所をお詣りしている計算になる。実は恐い話もある。これだけお詣りをしていると下手な住職や神主さんと比べ物にならないくらいの知識量がある。そして何よりもお寺や神社の本当の姿を承知されておられる。「住職 私が知恵を授けてあげる」「えっ?」「住職は中京競馬場の馬頭観音さんに競馬開催時にお詣りに行くでしょ?」「はい あの馬頭観音石像は高徳院の石仏ですから」「そしたらモット都合が良い」「何で?」「馬は絶対に人を踏まないでしょ?」「そうなんですか?」「えっ知らないの?」「・・・・」「だから馬頭観音さんの御札で交通安全の御札を作り車に貼ると事故が避けられる。どう?名案でしょ?」「うんそれは良い考えだ」とまあそんな具合の会話を私がお詣りに行くとショッチュウしてくれる。「で、先生、その御札は幾らで売ればいいのですか」「あはは。。。それは住職が決めてよ」だって。
「先生そんなに沢山のお寺へお詣りに出かけたら、来世はその御朱印帳の何処かのお寺に生れ変わるよ」「ウン分かった、ボクは高徳院の住職に生れ変わるよ」  「そうか。では私住職は先生の子孫としてこの外科病院の息子に生れ変われます。でも勉強するのイヤだからな」「来世はお互いに入れ替わりですか?」なんて大笑いして何年経つだろうか。いまも昔も先生は変わらないし今でも私を大切にしてくれる。先生、何時までも元気でいて下さい。

■1/14 晴れ 
何となく日記を書かないと悪いような気がして書き始めた。みんなから面白いと言われるが、私の日々はそんなに面白い物でもない。色々と考えたり工夫をしたりして毎日を暮らすと楽しい反面、追われるような気にもなる。私は貧乏性であまり良い性格でもないと自分では思っている。久し振りにほかのホームページを見ているとホームページ上で動きを与えてアニメーションを見る具合のソフトを、久し振りに当hpインデックス(最初のページ)に入れてみた。今頃になって「今年もよろしく」ではないが、少し動きがあると楽しい。ただパソコンの古いのやらプラグインという動画を見るソフトがパソコンに入っていないと、ダウンロードに時間がかかったり見られない。まぁ いいか。
8秒というのがインターネットでは大切なんだそうです。待ち受けのタイムリミットが8秒という事らしい。この間友人から年賀状で写真が送られてきたが、恐ろしくダウンロードスのに時間がかかった。パソコンが壊れたかと思うぐらいに待った。他のメールも同じく順番待ちで・・・。人は8秒しか待ってくれないのかな? 有る方が言っていた。ユカタン半島に隕石が落ちて恐竜時代の終焉を迎えた。インターネットはその第二の隕石だと言った。そしてDog year 人間の一年がイヌには7年スピードだそうです。パソコンの進化はドッグイヤー以上のスピードで進化し続けると言う訳。私はあまり進化していない。私は8秒待てるのか? ご飯はスグ食べたい、何でもかんでもスグしたい。訳の分からない自分が二人体の中に居るのかな?

■1/11 晴れ 紙芝居
紙芝居に老人ホームへ出かける。私たちが到着して3階へのぼるとそこには50名程の方達が待っておられました。そして私たちの姿を見て「何でお寺が来ているんだ?」と小声が聞こえました。不吉な感じがしているのか? 私たちもその言葉を言われると、何となくイヤな感じではあった。今日の予定を告げて法話を始める時、お寺の名前も何も告げなかったので「高徳院から来ました」と告げました。そしたら「湯川さんですね?」と確認の返事を求められてビックリしました。そしたら隣の女性を何処かで見たことが有る事に気が付き「そういえば隣の女性の方は○○さんですね?」と尋ねても知らん顔。「まぁ良いか」で、お釈迦様の法話を15分程して頂き、本日のメインイベント「紙芝居」が始まりました。
 今迄の経験で行くと「な〜ぁんだ紙芝居か」と大方は多寡をくくって聞き始めますが知らぬ内に、顔つきが話のストーリーに合わせて変わり始めます。老人は概して無口で反応が少ない。こちらから「ハイ!拍手」と言うと「パチパチ」でバタンと止まる。笑う人も少ない。5本程読んだ所で時間が来たので「また次回も来て紙芝居を聞きたい人は?」と尋ねたら殆どの人が「は〜ぃ」と手を挙げてくれた。「うん うん反応が出てきた」で挨拶をして帰り支度を始める。エレベーターには見送りに来てくれて手まで振って下さいました。その中には先程の見覚えのあるお婆さんもいました。やはり私のよく知っている檀家さんでした。帰途、車中で「みんな、分かっているんでしょうかね?」と住職代理が私に尋ねた。私は「笑ってくれたり、分かったりしている人は此処に入所するはずがないでしょ」と言うと苦笑していた。帰寺して副住職に一連の流れを話してあの不思議なお婆さんの話をした。そしたら副住職曰く「ああ あのお婆さんは、殆ど耳がとても遠くて・・・」。う〜ん「納得!」そういえばかなり遠かった」 笑い話と言えば笑い話だが、エレベーターにお送りに来て頂いたという事は「分かっているんだ」と思うと可愛そうにも思えてくる。

■1/10 晴れ 月例会議
今年初めての月例会議が催された。時間を30分オーバーして終わる。終始能動的且つ建設的意見が内容の精度を上げていく。人にはそれぞれの考えや対処の相異がある。責任感有る意見には、対案若しくは提案を、発言の中に秘めていてる反面、自信に溢れる内容は、自信の大きさにともない経過を慎重に注意深く考察する労も比例して多くなる傾向だ。月例会議を始めて何年になるのか。会議の目的は、日々お寺全体の職員のコンセンサスの理解と徹底である。方向性を見つけ意見の対立から整合性有る実行に移す事を目的として私が開催を提唱、現在有る。協調を乱すのは意見の対立ではなく感情の対立になっては困る。少しでもお寺が良くなったらの一心だ。明日は老人ホームでの紙芝居に午後から出かける。所で私も老人のような失敗を今日してしまった。何と口臭防止のブレスケアーが机の上にあった。点眼薬の様な入れ物であった。でボンヤリして目薬を入れてから失敗に気が付き直ちに洗眼をした。大事に至らずホッとしたが疲れているのか歳なのか。悔しくて堪らない。・・・・

■1/9 晴れ 寒い
本日実弟のお寺、大日寺へ出かけて年頭の挨拶に伺った。お昼に大変なご馳走を頂き恐縮して帰寺する。新幹線の時間が無くパソコンで時間と目的駅を入力して飛び乗った新幹線は各駅停車の新幹線。時間を有効に使わないとダメだ。実弟の子供も今年からピカピカの一年生。私の子供達は高校生、可愛くて仕方ないだろうな。私ももう一度、餅のような子供と過ごしても見たい。ご両親もご健在で安心する。親代わりで出かけた日帰り新幹線の旅、実弟の奥さんの値打ちを再度認識し直し、女房冥利に弟の幸運さに安心して帰ってきた。明日は月例会議。議題を整理して明日に備えよう。

■1/7 晴れ 寒い
細川たかしショーに招待されて劇場まで出かけた。芝居と歌の舞台を拝見するのは久し振りだった。友人も誘ってあったので計4名で午後3時まで劇場にいた。細川たかしのショーは何度か見ている。何時も、誘って下さる方がありお言葉に甘えて伺った。晴れやかな舞台に暫し年末年始の疲れを癒す。帰りに焼き芋を買い明日母を見舞うつもりだ。瓦屋さんから電話があり再度修繕工事が始まる。する事ばかりだ。

■1/4 晴れ 寒い
母を見舞う。大好きな焼き芋を持って行った。お芋が大きいので半分だけと思っていたら全部食べてしまい、食べ終わってからでも「美味しい、美味しい」の連呼であった。そんなに美味しいのかな?茨城のお芋であった。「誰が焼き芋を焼いてくれた?」と尋ねられたので「お婆さんのお母さんが来て『ミー(母の名前は「みどり」)に持っていって食べさせてやってくれ』と言っていたイモだよ」とデタラメの冗談を言った。「そうか〜、親はいつまでたっても親だ、有り難い。よろしゅう 言っておいてくれ」と言っていた。こちらも母からそんな言葉が出るとは思って居もいなかった。老母の頭の中には自分の母親が笑顔でいてくれるのだろう。私には目の前に母がいてくれる。「お母さん、明日もイモを持っていくからね」と約束をして外に出たら真っ暗だった。父の恩は山よりも高く、母の慈しみは海よりも深い。
ところで今月、お世話になっている老人ホームで2回目の紙芝居をする事になっている。私はアチコチで紙芝居をしているが結構好評である。一番面白かったのは精神病院での出来事だった。「鱒と老人」という十和田湖の鱒のお話。住職「池を見つめていると小さな鱒がイッパイ帰って来ました」。患者さん「和尚さん!」 「はい」 「私 鮭の方が好き」 なんて言われて大笑いした事があった。「どうして鮭が良いの?」って尋ねたら「鮭のムニエルは美味しいモン」だって。「そうだね 和尚さんも大好きだよ」 「良かった」 ・・・ 新美南吉「手袋を買いに」、「舌切り雀」「目だらけ」「化けモン屋敷」「磯おんな」等々イッパイ読んでいて何回も来ていると、段々好みがハッキリしてくる。表情というか反応が違う。「さて今日は何を読もうか?」っと尋ねると癒し系の紙芝居が大受けする。「お化け話」「恐い恐い話」は誰もリクエストしない。同じ話を延々とする。今月の老人ホームでは少し大きめの絵の紙芝居を作って行こうと思う。悲しい事は母がいて私の紙芝居を見てはくれているが、聞いていな。これが息子として少々残念だ。因みに紙芝居は30本程持っている。来世は紙芝居屋かな。

■1/3 曇り 
昨夜薬まで飲んだのは良かったんだが、夜友人と5人で新年会をする。バファリンも効いてきて頭痛も無くなり胃の調子も良くなった。話に花が咲いたが午後9時半には帰寺できた。早めに休んで体も元気である。当寺の三ヶ日の内、元旦と二日目がお詣りが多い。今日はお休みを副住職がしている(明日と連休)、来週は代理が連休をとる。私はその内にととる。昨日の備忘録を読んだらアホな事を書いている。ショパンにお詫びをしなくてはならない。今年、檀家さんとハワイに行く事になっている。今からその準備を始めよう。この備忘録を読んで行きたい人があったら申し出て下さい。但し私と関わりのある方でしたらOKです。みんなが「住職が行くから」と言って私を出汁にしてどうも家を出るようだ。別に私が言い出した訳ではない。親睦旅行に出かけた宴席での盛り上がりの果ての「ハワイ旅行」。私も出汁になれるような人間になれたかと思うと喜んで良いのやら「微妙〜」な感じ。住職代理が一生懸命働いてくれている。

■1/2 晴れ 少し風有り
沢山のうれしい言葉を頂いた。「実は以前、寺子屋サマースクールで娘がお世話になりました。今はもう25歳になりました。一泊二日のスクールでのお陰で般若心経が読めるようになり未だに喜んでおらります。」と声をかけて頂いたご夫婦がお見えでした。また現在チューリッヒで染色体の研究をしている方が声をかけてくれました。「25年ぶりに高徳院に来た。ここはボクの思い出の場所なんです。」と喜んで話しかけて頂いた。他にも沢山の方々と新年の挨拶と言うより四方山話をテントの中でしました。夕方は今度結婚するカップルが私を訪ねに来ました。こんなうれしい正月、来年はもっと楽しい正月にしよう。
ところで昨夜、面白い番組を見た。アインシュタインとモーツアルト、どちらが天才かと言うお話だった。ご覧になった方も多いと思います。アインシュタインは一般相対性理論を発表した天才であり、ご存じモーツアルトは沢山の作品を残した天才である。アインシュタインの相対性理論はアインシュタイン以外の人間にも発見されるであろう発見だった。しかしモーツアルトにしてもバッハにしても彼らがいなければ作品は残らない。どちらが天才かという事だ。皆さんは如何思われますか?? 誰彼に関わらず思考する側と観察される側の普遍的存在の関わり方で成立する大発見、世に天才と認められその一瞬は、知識や努力、生涯をかけ少年のような好奇心と猛烈な探求から生まれる一瞬ではあるが、誰かが何れかは見いだす発見、しかしモーツアルトの音楽は彼の存在無くして作品の存在もない。しかし両方とも天才の出現を見なくては世に業績は残らない。でもどちらが天才か??昨年のノーベル賞受賞小柴教授の元旦の質問、さて心は??
テントの中でお酒を飲み過ぎ頭が痛い、、風邪か飲み過ぎか、、バファリンと胃腸薬を服して早めに休む。


■1/1  晴れ 穏やかな元日
昨夜の除夜の鐘にはビックリするくらいの人が来られました。また初詣には一日中ひっきりなしにお詣りがあり職員一同元旦より大活躍をして貰いました。500個 鐘餅は1時間足らずで全部無くなりました。
11時45分より開始 竹杯をお取り下さい
竹筒をあぶってお酒を暖める 一献どうぞ
沢山のお詣りの方 御寄進頂いた方への粗品