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■3/31 月
夕方より友人の快気祝いをする事になり名古屋へ繰り出した。発起人は私であったため好きな所で好きなような快気祝いをする事が出来た。和食の会席を6人でワイワイガヤガヤで楽しく食べた。そして二次会は繁華街へ、とあるその筋の先生にお願いして日頃の憂さを発散してきた。こんなにサンバやラテンの音楽で疲れる物とは歳を感じてしまった。歳と言うより体力を作っていない自分の怠慢に情けなく思ってしまった。
楽しく飲んで楽しく叫んで楽しく騒いで景気を上げて快気祝いを盛り上げたつもりだったのだが・・・・・知らぬ間に「病気だったご本人」は、気が付いたら終電車のために帰宅していた。
残った我々は「あれじゃ又病気になるよな」と陰口を言い始めだしたが・・・。我々こそは病気にならないようにと、勝手な言い訳で楽しんできました。
■3/30 日曜日 晴れ温暖
いつもの日曜日らしくバタバタと過ごす。副住職が先日お詣りに出かけた時とある家でお詣りの袋を見せて欲しいと言われ見て貰ったそうであった。本日お詣りの時に使って欲しいと檀家さんの方がワザワザ3個も持参して頂いた。寸法どりもチャンとしてあるのでお揃いの念珠袋が揃った。有り難い事である。気がなければ考えもして貰えない事である。感謝する。
朝、デジカメで写した境内の写真を何枚か紹介します。
■3/29 土曜日 晴れ
本日夕方、高校の時の友人が突然お詣りに来られた。女性である。彼女のご両親のお骨をお預かりしている関係で時折お詣りに来られてはいた。生憎何時もお会いできなかったので今日は上がってお茶でもと勧め二人でゆっくりと昔話をした。お詣りに来る動機は同じく高校の時の友人がお寿司屋さんをしていてその折り、私の話が出て参詣を思い付いたそうです。
彼女は高校の時一輪の百合の如くの雰囲気を持つ女性で今でもその面影を持っている。私が後年公園を散歩していたらイヌの散歩で同じく公園に折られたご本人に声を掛け一〜二度お話をした事を私は覚えていても彼女は何も覚えていなかった。
同じく同級生の方と彼女は結婚をした折り、ラブレターが代筆であった事を悔しそうに私に話していて一時、昔にタイムスリップしたようなリフレッシュされた様な感じであった。今度は他の友人を連れて来訪を告げられも、ちろん快諾をした。その友人も倶楽部の同窓生であり当寺に何度か来たそうであった。
きれいな人は何時までもその魅力を輝けるが如く光彩を放たれている。彼女もスッキリしたと笑みを浮かべて帰寺された。今度は何時来るのであろうか、御尊父様の命日が待ち遠しい・・・何と言う事か!(再反省)
■3/28 金曜日
清掃職員さんとインターネットケーブルの埋設のやり直し工事をする。私が昨年、枝垂れ桜を三本頂き境内に植える時、ミニユンボで埋設の配線を損傷してしまったからだ。今から16年間に電話線、電灯線、パソコン線の三種類の埋設をした。私の記憶では2種類のフレキシブル菅を埋設したつもりだったが三種類の埋設をしていた。何故埋設のやり直しをしたかというとプロバイダーを変えるため設定を色々としていた。アドバイスによりサーバーも他のサーバーに変更する事を助言受けた。変更する事により院内での日報管理や業務管理、伝言やメモ等もホットメールで遣り取りでき(無料で)大変好都合になるからである。一々顔を見なくてもまた、出先からでもそれぞれのパソコンにそれぞれのオーダーを指示する事により一層に確実な伝言が可能となる。もちろん経過は携帯電話へメールとして各自に届くので瞬時に仕事の経過や進み具合が分かる。何もそこまでとと言われるかも知れない。
聞けば進んでいるように聞こえるが「紙に書く事」がキーボードに変わり、手渡して、読んでもらって、確認してもらい、その結果が瞬時に分かるという事は、パソコンの長所である。実際にそれが始まると良さを十分に理解が出来ると思う。
さて今日写した桜の写真をアップさせて頂きます。とてもきれいな桜色の桜です。明日から天気が良かったらチョクチョクアップさせて頂きます。
きれいなピンクの桜 山門付近の桜
■3/17 木曜日
桜がチラホラ咲き出した。花は人の心を楽しませてくれる。それも色々な種類の色や花の形で。私は黄色の花が好きです。黄色は何か元気にさせてくれるような色合いに見えます。
赤やピンクも好きですが黄色が何となく好きです。
■3/26 水曜日
朝より住職代理はお詣りに出かける。私はお彼岸の残務整理をする。本日、電話機の入替え工事を始める。phsも境内で使えるようにし取り扱いも簡便で電話機の基本を備えている品に変えた。
今迄の電話は不思議にドアフォンも電話の呼び出し音も同じ、外線を取ろうにも取れない。保留と転送がごちゃ混ぜ等々他にもあるが近代過ぎた電話機で寺の職員一同全員が閉口をしていた。流石に私には電話機の事は誰も愚痴をこぼさなかったが、私自身が我慢が出来なかった。今日からスムーズに電話が使える事を期待したい。
松井建設名古屋支店長、桶狭間病院事務長来訪、石新電気冷蔵庫搬入、電話機総入れ替え業者。
■3/23 日曜日
昨日より副住職は休暇に入る。代理と二人で法事やお詣りを済ませる。いつもの忙しい日曜日でもあった。
春陽一刻値千金・・・・毎年この時期、お寺には独特の香りがする。まさに花が咲き揃う寸前の自然の香りです。何と表現したらよいか分かりません。大地の臭いがするのです。もうそろそろタケノコも頭を出始める準備をしていると思います。何だか心も春めいてきて走り出したいような気になります。まだ元気が残っている証拠なのでしょう。
■3/22 土曜日
米軍とイラク軍との戦争状態が激しさを増し連日テレビ等でその映像が放映されている。世界的規模での戦争回避、民族間の対立の仲裁、解決のために設立された国連の役割は超大国及び軍事独裁国家には無力化している様に見える。
大体第一次世界大戦の反省から国際連盟が創立され提唱したのはアメリカだった。しかしその後の植民地政策は衰えるどころか日本も含め膨れあがる一方であった。植民地政策は利のある所に集中して中東、アフリカ等がその最大被害国であった。利権争奪戦の結果、中東問題やアフリカでの内戦等が激化し政治的対立はアジアの南北対立、西欧の東西冷戦構造が戦後現れた。
一体人間は何時まで神仏より人に与えられた叡智を利用できるようになるのであろうか?人は何度同じ過ちを繰り返し、無限に続く流血の惨事、絶望と悲嘆と飢えと貧困を、まるで因果の如く解脱もなく繰り返すのだろうか?
この世に生を受ける時から、より良い種を残すため、猛烈な生殖の競争に打ち勝ち、人生もより良い人生を得るために競争をくぐり抜けてくる。初めから競争がある事を考えるとここから抜け出る事は生命を否定する事にもなる。しかし生きなくてはならない。人良く生きれば「あの人は良い人」「あの人はお人好し」と称される。「人の良いのもバカの内」でバカがイヤなら猛烈な生存競争を勝ち抜けばよいのだろうか?納得行く人生なんかあるはずもないが、少なくとも。
生まれ生まれ生の始めを知らず、死に死んで死の終わりに冥らし・・・
■3/21 なな月参り及び彼岸法要の日
沢山の参詣の方がお見えであった。天気も快晴無風であり寺のお世話人さんも活躍をして頂きまた何時も乍らの僧侶の方たちもお手伝いを頂き無事に終える事が出来ました。
午後2時よりハワイで撮影をさせて頂いたデジカメ写真の鑑賞会と写真申込の会を開いた。みんな楽しかった事を思いでしてはあの写真この写真とハシャイで注文をされていた。
「今度は何処へ行くのですか?」と尋ねられ答えに窮しましたが、いずれどこかへ又行くのでしょう。皆さん元気です。有り難い事です。
■3/20 所用でお寺を空けていた
17日横浜で葬儀に列席する。沢山のお詣りがあり故人の無念さを思う残念でならない。午後より横浜市内と東京新小岩へ所用を済ませるため出かけた。普段名古屋で電車に乗るとトテモ不便に感じるが関東一円は色々と交通手段を知っていると便利である。引き続き山口県へ出かけ先程帰寺した。とても疲れた。本来ならお彼岸を過ぎて済ませたい用事であったが色々な事が重って出かける事となった。春は、新幹線からも眺めたが、間近に来ている。
■3/16 日 法事等でバタバタ
ご厚誼を得ていた住職の通夜並びに葬儀に今から出かける。二日ほど日記を休みます。昨日お詣り大好き先生が病院の物故者慰霊祭をなされた。久し振りにお元気なご様子であった。私の日記をご覧になられた様子で「もう風邪は良いの?」と尋ねられた「肺炎と気管支炎になりました」「そうか気管支肺炎か」「そんな病気あるんですね」と改めて風邪の酷さを知った。先生は大変な信仰家で何十年と開院記念日に慰霊祭をされて見えた。色々な世間話は若先生がよくご存じであり「良く何でもご存じですね」と感心すると老先生は「もう僕よりも息子の方が何でも知っている」と嬉しそうな悲しそうな顔をしてお話しされていた。私も早くそうなりたい気分で先生のお詣りのお話を聞き入りました。
「僕の話、書いたら」と言われましたが初めから書くつもりで先生の話を楽しみにしていたのが本当のところでした。先生、今度風邪引いたら今度は先生の所で診て頂いて気管支肺炎にならないようにします。その折りはよろしく・・・・
■3/13 晴れ 少し暖かい
暖かい日差しを見ると春を感じるが廊下で人と応対をすると寒さを感じる。月例会議の日。お彼岸の予定を相談する。先月は月例会議が出来なかったので何だか今一つ調子が出なかった。星祭りの反省、お彼岸の順義、環境整備、等の議題が出て色々と議事が進んだ。その後葬儀。午後よりパソコン設定の調子をチェックする。夕方より市長の立会演説がある。今日は久し振りに青年会の人達とイッパイ飲みに行くことになっている。本当に名古屋の夜に出掛けるのは久し振りである。でも明日は忙しいので早く帰らなくてはならない。
■3/12 晴れ
10:00市役所及び古戦場祭り関係団体との打ち合わせ、今年も盛大に古戦場祭りをされるそうだ。午後より電話機の入れ替えの打ち合わせをする。夕方リゾートトラストのかた来山。終日平穏。お彼岸の塔婆の準備が始まる。副住職は寺務処理。パソコンのシステムが少しエラーが出ている。早速ソフトハウスに連絡を入れて手直しを始めた。ハワイへ行ったせいか気分も楽になり風邪も良くなったが少し体重が増えてしまった。減量に心掛けよう。
今日お昼に来訪された方は健康に勤めて心掛けていた方で私も感心をしていた方であった。毎日運動ジムに5年間も通い健康食品を食し酒もタバコもしない。贅沢もしない。「○○さん、もう薬飲まなくて良いよ」と医者にまで言われて喜んでいた。私が彼を見かけなくなったのは、心筋梗塞で倒れ今は心不全を患っておられると私に告げて初めてその理由に気が付いた。健康は自分に贈る最大のプレゼントと言う事は「贈る事が出来る」と言う事である。贈っているつもりでも贈れなかった。健康を維持する事は難しい事ですね。
亡父は数十年に渡り毎朝6時30分にNHK体操をテレビを見ながら運動をしていた。台風情報で体操番組が流れると放送局に電話するほどのファンでもあった。酒もタバコもやらない。夜は7時半から10時頃までライフワークの調べ物。規則正しい生活の見本みたいな父であった。加えて医者好きで私が乗せて出掛けるのも憚るほどの病院通いをしていた。むろん何処も悪くはないのである。しかし病魔は父を襲い今年で23年を過ぎようとしている。
お寺の先輩もボツボツ亡くなり始めている。その亡くなったある方が、私が18歳の時に、「湯川君、昔や将来がどんなに良くても、今が良くなければ何にもならない」と言う事を私に告げた事があった。健康を思うと今の健康を持続する事に心掛けよう。
■3/11 火曜 とても寒い
あっと言う間に日時が過ぎる。朝から不思議な方がお見えになった。占いというか霊験があるというのかこのお寺を見に来られた。私には詳しく話はしなかったが住職代理や副住職には色々と霊験を示しておられる様子であった。
午後より母を見舞う。弟も明日日帰りで母を見舞うようだ。久し振りに見る母は徐々に出はあるが老化が進んでいるようにも見える。お寺で数日過ごしても良いが私のような酷い風邪を引き肺炎にでもなったら大変である。母には何時までも元気でいて欲しい。
高野山の修業時代から大変お世話になっていた横浜赤門東福寺住職が亡くなられた訃報が入った。50代半ばの逝去に驚く。葬儀に出掛ける予定を段取りする。
そうこうしている次にお世話になっている名古屋のお寺の火災の報が知らされた。驚きで言葉もない。本当に言葉もない。彼は好青年でこれからという時に。今から火事見舞いに出掛ける事とする。
■3/9 ハワイより帰寺する
寺の行事での世話頂く世話人さん達の希望でハワイ旅行から帰寺する。同時多発テロのお陰で出国、入国、現地ハワイ諸島での空港での検査が厳重になっていた。ベルト、上着は言うに及ばずショルダーや鞄、名刺入れの隙間、カードとカードの間まで調べられた。徹底的とはあの事であった。離島間の往復も全てホノルル経由で毎度毎度の手荷物検査。お陰でホテルチェックアウトは夜も明け切らぬ真っ暗闇で出発、搭乗して飛行機が動き出すと少し明るくなった東方を確認できるという状況であった。しかし旅行は我が19名のメンバーは元気溌剌、楽しく漫遊の旅を続ける事が出来た。
鯨の遠望、楽しいハイキング、ガーデンパーティ、船上パーティー、渓谷への訪問等々沢山の思い出と共に今度行く場所まで色々と候補が挙がるまでに至った楽しい旅であった。とある奥さんが「住職さん、わたし今迄にこんな楽しい旅はした事がない」と言ってくれた。またある方は「今度も是非声を掛けて下さい」と念を押された。また他の同行の方々もよりも「うちのお寺もこういう旅行をして欲しいな」と何人かの人に声を掛けられた。その旅行の写真を下に掲載しますのでご覧下さい。
■3/3 桃の節句
高野山真言宗管長さん(総本山金剛峰寺座主)の披露宴が名古屋のホテルでなされた。昨日心配していた料理も大変美味しくとても満足できる料理内容であった。同席の方も食べきれないと喜んで頂いた。久し振りにお会いする方も多く懐かしい場所でもあった。夕刻より外出。
挨拶される管長猊下 記念の花束 一同乾杯
■3/2 日曜日 晴れ
日曜日で全員が忙しくする。未だに声が出にくい。お詣り大好き先生に昔、喫茶店で出会った事があった。「先生喉が痛いが風邪かな?」「お経をあげたり、学校の先生、警察官は喉を痛めるんだよ」「・・・」「だから喉が痛いんだよ」の答えに「ふーーん」と思った事があったが今思うに「本当だった」と今頃思う。今日は忙しくて昼ご飯を食べるのを忘れていた。
明日は高野山金剛峰寺の管長様が就任後初めて名古屋へお越しになられる。その祝賀会が名古屋のとあるホテルである。私は他の方とご一緒に出席をする。100名を超えるパーティーでどんな風の内容か何も分からない。ご馳走を楽しみに出掛けるがキッと何も出ないで、やたらビールばかり注いだり注がれたりの宴会なのだろうな。私はまぁ良いとしても誰かを誘って行く事を要請されておりお一人数万円を払ってのお誘いでお粗末な事であったらどうしよう?? 同道の方は上場会社の役員であるがキッと私よりも練れているので「こんなモンですよ」と逆になだめられたりして・・でもご馳走は食べたいな。
管長猊下 高野山総門
■3/1 雨
今日は法事もありバタバタする。明日も忙しい。体調を崩していたので色んな方と会っていなかった。久しく会う方ばかりであった。「風邪の方は良いのですか」と同じ事ばかりを聞かれる。「ハイ、鼻声と咳を残すのみです」とこれまた同じく答える。
私の年格好の時の病気の話をしてくれる方や、今飲んでいる薬の話までして頂ける。有り難いと思う。最近全然行っていないスポーツにもう少ししたら出掛けよう。体調をよくして毎日健康であるように心掛けて出掛ける事とする。
夕刻、イスの張替を頼んでいた業者さんから新しくなったイスが運び込まれた。新品同様になってきた。職人さんの技術に感謝する。その内に写真で紹介をします。本当に新品になってきたイスを見ると嬉しい物です。何と御歳33年目のイスです。捨てるばかりか修繕した永く愛用しよう。今度張り替える時は何時だろう?