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■5/31 季節外れの台風
蒸し暑い。パソコンの設定やインストールに手間をとってします。こりごりの月であった。ワードやエクセル、アウトルックを入れ終えほかのアプリケーションもボチボチ入れ始める。フラッシュメモリーを求めてこれからコマめにファイルの管理をするつもりです。でもホームページの更新まで手が回るかな??がんばろう。
今日は疲れました。もう休みます。来月もよろしくね。

■5/30 晴/曇り 風強し
台風のあおりなのか風が強い。パソコンのファイルが無傷に近い形で帰ってきた。とてもうれしいが壊れたハードディスクからどうやったらファイルを取り出せるのか不思議でならないがそんな事を考えても仕方のない。日記をサボってしまった。昨日、友人宅へふらりと出かけたら夕食をご一緒させていただいた。旧友は一杯飲んで上機嫌、息子夫婦と以前出掛けた時のデジカメの写真をスライドショーで見せていただいた。15分で失礼すると言いながら何時間居たんだろう、、帰宅したのは午前さま寸前であった。良くしてくれる家族でとても馬が合う。一杯飲んでいると娘さんがバイトから帰宅された。コントラバスを演奏してほしいと私がねだると弾いてくれた。私も触らせて頂いたが初めて触るコントラバスに感激した。私は以前からマンドリンを始めたいと思っていたが少し練習して彼女のベースで弾いてみようかな。今度あったらピアノを弾くと言ってしまった。彼女のベースでピアノが弾けたらいいが私のひくピアノは演歌ばかりだからキット嫌われるだろうな。
五月とも明日でお別れである。今年の半分がもう直ぐすると終わりかける。

■5/25 晴れ
とある会議で一日中外出する。人が集まれば集まるほど意見が多く、考えさせられることが多いと感じた一日であった。

■5/24 晴れ/曇り 亡父の23年目の命日
朝目が覚めた途端に23年前のことを思い出した。「あれから23年の日時が過ぎたんだな、色々あったな」と当時のことを思い出した。23年前、23日の夜11時ごろ「息子に会いたい」と連絡が病院の母からあった。弟と共に病院に着くと病室では父が目を大きく見開いた瞳で私を待っていた。脈を取ると弱々しく拍動をしていた。息絶え絶えで私をずっと見つめていてくれていた。「お父さん、呼吸を整えると楽になるよ、一緒に呼吸しよう」と促すとうなずき一緒に呼吸をした。母も弟もその場に辛くて居られなかったのだろう、私と二人だけだった。医師が、暫く経てから入室して人工呼吸を始めた。私は、抗がん剤と痛み止めの治療に「先生もう結構です。それよりも父の体に沢山入っている点滴の管を一刻も早く外して下さい」とお願いし医師も手を止めて室外に出るよう促された。その瞬間から全ての問い合わせから、判断、指示の全てが私の所に集中し始めた。当然といえば当然だが一言で言うと「舞台の袖から眺めていていたら、突然訳も解らずにライトの当たる舞台に立っていた」と言うのが感想であった。
未明に遺体をお寺に安置し少しの仮眠を取り通夜葬儀に臨んだ。84歳の祖母に現実を告げた。祖母の通夜のうな垂れ様にタダタダ慰めるだけしか出来なかった。その祖母が私に向って最初に発した言葉は「おっさん」と言った。此方ではどういう理由か住職の事を「おっさん」と言う。祖母に「お婆さん、おっさんはもう死んだよ」と告げると、目の不自由で小柄な祖母が「今日から貴方がおっさんだよ」と言われた。突然の祖母の言葉にその言葉の重要性が解るまでに暫く時間がかかった。
言っても仕方が無い事だがあれから23年あっという間の歳月であった。私も父のように突然倒れられても困るので健康を気にしている。そして祖母は立派な人だったな。世間で一番最初に私を住職と呼んでくれて、住職としての対応を真っ先にしてくれた祖母にも感謝したい。家内の白無垢の姿を見て喜んでくれた祖母、祖母もあと数年で23回忌だ。


■5/23 晴れ
今日は一日、八事山興正寺で愛知宗務支所の会議があった。本年度の事業計画や青年会、婦人会等の事業計画等が諮られて全員一致で承諾された。ただ中国での弘法大師渡航1200年の行事が現下のSARSの影響にて延期となった。当然といえば当然だが来春の予定と聞く。帰寺したのは暗くなっての事、一日が過ぎてしまった。泰山木の木に白い花のつぼみが付き始めだした。
南北戦争のグラント将軍が横浜に移植したのが始まりとか。当寺の泰山木も大きく子供の頃からのなじみの花だ。何とも言えないふくよかな香りと、一日で散り始めるせつなさ。花びらは船の形となり池に浮かんでいる。白い花びらを見ていると岡本敦郎さんの「白い花の咲く頃」の歌をいつも思い出す。「悲しかったあの時の白い花だよ・・」後は皆様のご想像にお任せします。あの白い花を見ると小さい時の頃から最近のことまで色々な思い出があります。咲いたらここにアップします。では、おやすみなさい。

■5/22 晴れ
パソコンのHDが壊れて未だ現在修理中である。色々と今回は考えさせられた。画像ファイルや文書ファイル等が回収できたらありがたい。現在他のパソコンにサーバーにアップしてあった物をダウンロードして更新をしている。訪れていただいた方々にお詫びを申します。対策としてフラッシュメモリーとMOを取り付けてバックアップを毎回更新をして行こうと思います。
DOSーvのサーバーが壊れたらお寺の大切なデーターも一瞬にして消えるところだった。安易に楽なものに頼っていけない。

■5/11 雨
雨雨の雨が多い。その割にタケノコが出ない。今年は不作なのかどうなのか?友人に贈ると言って贈る事が出来ないでいる。他の人も欲しいと言われるが差し上げるに至らない。
パソコンの夕方より更新をする。知っているつもりで忘れてしまい、触っている内にだんだん慣れてくる事もある。ピアノと同じで引いていないと覚えているつもりのものが動かなくなる。せっぱ詰まって人に尋ね、触っている内に思い出すという浅はかな自分の能力に寂しさを感じる。

■5/10 爽やかな一日
午後よりパソコンの修理に出かけたらスグに修理して頂いた。「その道に知れる者はやんごとなき者なり」徒然草の一文を思い出した。ただパソコンが古いので対応が時代について行かれなくてあと一歩で使えない。でもインターネットするくらいなら十分。
明日は日曜日、一日が飛んでいくようだ。

■5/8/9 高野山参り
バス一台で高野山へお詣りに出かけた。初日は大変な雨の中を突いてのお詣りであった。山頂はとても寒く凍える程であり早めに宿坊に入る。翌日は朝より快晴であったが冷え込みも厳しく外気温は2度Cで吐く息も真っ白でありました。朝食の後、奥の院御廟へお詣りに出かけて灯籠堂を団体参詣者一同で雑巾掛けをしてご奉仕活動をさせて頂いた。昨年まではお詣りであり見物でもあった団体参詣が今年より、参加型への団体参拝に変わりました。事前に本山等へお願いを致しまた愛知県のお寺のご子息で奥の院にお勤めのお方にもお力添えを頂き無事終了をさせて頂きました。
雑巾を持って灯籠堂の欄干等を拭き上げ黒くなった水を入替えては綺麗に清掃を済ませることが出来参加者一同は大変感激をされて喜ばれました。使用したぞきんは自宅の仏間や仏壇の清掃等にご利用頂きまして、お大師様のご加護を頂けるよう日々使うことを皆さん心に刻まれて奉仕活動を終えました。昼食の後、シャクナゲに彩られた本山をあとに夕方無事帰寺出来ました。来年もまた御参加頂き多くの方が喜んで頂けるように心掛けたいです。
初日雨に降られていました そしてとても寒かったです
朝は快晴 朝のお勤めの風景
見事なシャクナゲ 天然記念物の石楠花(しゃくなげ)
不思議に何時もよるお菓子屋さん クロユリを紹介されてパチリ


■5/7 小雨
竹藪の清掃が一日延長されて終了する。暑苦しく生え放題の竹藪が見違える程に成ってサッパリした。この二日間、職人さん達は大変だったと思います。私も他の僧侶も手伝って竹藪に入り竹を伐採して汗を流しましたがとても疲れて翌日は筋肉痛に見舞われました。

■5/4 日曜日 快晴
朝、門前に出て明後日の竹藪の清掃の計画と指示書を業者さんに提示するために山門の廻りで立っていた。そしたら火災感知器であるフレームチェッカーの炎関知部分の先端が外れかかり修理を依頼した。スグに修理に来てくれてた。当寺は火災感知器が多く設置されているので担当者を山門階段上に案内して破損箇所を指示して色々話をしていた。そしたらパチパチと何処かで手を拍つ音がした。私と担当者がその音の方向を見ると何と車の中から当寺の山門の方向に手を合わせて合唱して頭を下げて立ち去る車を拝見した。以前にも当寺の山門の方向に向かって手を合わせて行かれる方々がを何度か拝見した。身の引き締まる思いをした。当然と言えば当然のだが僧侶、僧職にかかる期待を考えると、社会の負託に応えられるように心掛けなくてはならない。

■5/3  土曜日 快晴 暑くなってきた
何もなくただぶらりと一日を過ごす。副住職休み。山中にてタケノコが一本も生えていない。淋しい限りです。この様な事態は初めてです。明日は日曜日。少し忙しいだけ。私はヒマになると病気になる人間です。忙しく何かをしていないとダメな性分。自分でも悪い性格をしていると思う。


■5/1 寒い一日 快晴
境内受付のパソコンが不調で色々試してみたが交換となった。始めてwindowsに接しホームページを立ち上げ試行錯誤を繰り返し、気が付いたらウイルスに感染(駆除済)して長年この素人パソコン住職に付き合ってくれたディスクトップでした。再度修理に出して再度お付き合い頂けるように修理に出してみる事とする。
昨日、電線工事の途中ハシゴから落ちた方が足首の骨折との報を受ける。心配というか予期していた事が現実の事となり心苦しい。早い快癒を望む。が境内のパソコンも、参詣者の保安のための機器も放って置く訳にも行かず慌ただしい一日となった。取り敢えず境内の連絡網の欠陥となってはいけないので早速ソーテックのノートPCを設置。立ち上げて明日よりスグに稼働できるようにして置いた。

本堂裏の保安機器の最終工事はこちらでする事として明日最終工事を私たちでする事とする。盲点というか目に届かない所に人が通るとセンサーで自動的に映像が映るようになっている。しかも複数台数のパソコンで同時にそしてURLを入力すれば何処からでも様子がリアルタイムで情報が入手できる。
今日も本堂裏の山の中で手を泥だらけにして植木やタケノコを掘っている怪しげな人を発見。近づき「どうかされましたか?」と尋ねると「私たちは何も悪い事はしていません」と尋ねもしない事を返事する。
大難が小難、小難が無難、怒るのではなく何気なく尋ねてお帰りを願う事が大切である。