先月備忘録


 平成16年6 月分
梅雨空に 咲いて明るし 桐の花

■6/27 
梅雨の不安定な空模様。天気が定まらない。佐賀県で竜巻が起った。テレビの映像だと相当の被害が出ている。ビニールシートを屋根にかけて応急の処置をされている。天災は突然やってくる。
イラクでは同時テロが頻発して安定した日々を過ごしがたいようだ。昔、安全と水はタダと国内でよく言われて久しかったが今では日本国内も物騒な世の中となった。それにつけても時々見るテレビ番組はどうしてあの様に地に足が着かない事ばかりを放映するのだろう・・・松本サリン事件もあれから既に10年を迎え被害者のお一人がマスコミの姿勢を批判されたが、考えさせる報道を求めたい。

■6/24 お休みの日
久し振りに岐阜の友人のお寺へお参りに出かけて遊ばせて頂いた。時の経つのも忘れて四方山話に花が咲いた。このお寺の住職は弟の仲人さんであるので久し振りに一度お会いしたく電話を差し上げるといつもの元気な声で歓待のご返事を頂いた。明日は小泉副住職の最後の出勤日。9年間ご苦労様でした。


■6/22 台風一過の晴天
新車のマイクロバスでボランティアの方々とドライブに出かけた。行き先はマイクロバスの中で決めると言う正に思いつきの小ドライブ。で、行き先は信州南木曾温泉となり一同大喜びであった。所が名古屋高速道路が事故で一時間の渋滞を過ぎてもスムースに動かない。そこで青空を眺めながら知多半島方面に行き先を変える事を提案すると、一同賛成。結局何処でも良いのだ。
源実朝が亡くなった野間の大坊。海老せんべいの里。お魚市場、等々をぐるりと周り4時頃お寺に帰着した。天気も良くみんな大喜びで楽しく半日を過ごす事が出来有り難かったです。婦人部の方々もこれを楽しみに元気でお寺のお手伝いをして欲しいです。みんなとても喜んで頂いて良かったです。
マイクロバスで世話人さんをお連れしてドライブに行っていた時、住職代理と新任のマルちゃん(丸山君、愛知龍光院副住職)が台風で荒れていた境内山中を清掃職員さんと清掃をして頂き汗を流し頂いた。後ろ髪を引かれる気持ちでマイクロを運転していた私は帰着早々ビアガーデンに誘った。無論清掃職員さんもお誘いしたのだがニコッと笑って「今度お願いします」と私の突然の誘いを笑顔でかわした。で3人でビアガーデンへ出かける事とした。
実は最近ビアホールに私は凝っている。凝るとスグにビアホールの色々な人達と顔見知りになる。何時も炭を起こして入れてくれるバイトの子、ビアガーデンの受付のお姉ちゃん、コックさん、極めつけは楽しく盛り上げてくれるアメリカ人のシンガー。名前は知らないが歌いながら私の側まで来る。目が合うとアゴを上げて合図をくれる。こちらは鼻を下げて返事をする。アサヒ本生、キリン一番搾り、えびすビール、黒ビール、白黒ビールを混ぜたハーフ&ハーフと言う聞き慣れないビール。夕暮れ時、青空を眺め沈む夕日に目を遣りながら交わす会話は楽しい物だ。お腹も膨れビールももう入らない。で、エレベーターに乗って1F迄降りるとそこには件のアメリカ人シンガーが白い歯を見せてこちらに近寄ってくる。こちらも白い歯を見せて一言二言言葉を交わし、お互い片手を出してすれ違いざまにお互い片手で双方の手を打つ。パンという。住職代理が「住職、ここの顔ですね・・」ビアガーデンで顔になるつもりはないが顔見知にはなっているようだ。
この間も同じビアガーデン(気に入ったら他には行かない)で5人ばかりで飲んで楽しく騒いでいたら翌日の朝刊に載っていたらしい。知らないでいる私に家内から「お父さん、新聞に○○さんと○○さんとみんなで写っているよ」っとワザワザ電話をくれた。娘が「お母さん、お父さん何回ビアガーデンに行くんだろう?」と尋ねたらしい。家内曰く「飽きるまで行くよ」と娘に返事をしたらしい。
何でも気に入ると飽きるまでする私の性格、言われると成る程と思う。飽きるまで・・・・

■6/21 台風通過
強烈な風と雨・・・お昼過ぎからはあちこちで倒木が境内で見られた。横殴りの雨の中21日のお参りに来て頂いた方々。本当に感謝します。またお寺さんもたくさんお見え頂感謝します。
お昼よりお盆の準備に入る。副住職が退職したので今まで大凡彼にお願いをしていた事を全て私が元のように準備すれば良いだけなのだが、ブランクを少し感じる。気だるい台風独特のしめった雰囲気。気分も滅入るような中、確認や調整をしながらお盆参りの準備が始る。いつもより早めに切り上げて台風の後かたづけを少しして今日を終える。
明日は婦人部の方々がお越しになられ護符折りをしていただくこととなっている。その後マイクロバスの初乗車でどこかへ出かける事となっている。何処へ行こうか未だに迷っている・・・


■6/20 マイクロバス到着
斎場で使うマイクロバスが来た。新車の香りが漂うマイクロバス。排出ガス規制のクリアーしたバスであり軽油独特のあの嫌な臭いがない。但し私は本来日産のシビリアンを望んでいた。望む理由は第一にガソリンである。ガソリンで有れば排出ガス規制の将来の規制が軽油と違い、相当長い間乗れるはずである。それと騒音である。ガソリン車を試乗したがとても静かで掘れてしまった。そして値段も安く提供されている。何故買ったか?? それはどのマイクロバスも同じだろうと勝手に想い求めるのなら質の良い物を思いこんで注文ししてしまった。所が他のメーカーから最新で発売開始となったマイクロバスのお話を頂いた時は既に注文書に署名捺印をして仕舞った後の祭であった。注文の取り消しをスグにしたのだが結局バスは工場で生産され始めておりキャンセルは効かなかった。
でも今日来たバスは、縁有ってお寺へ来たマイクロバスである。大切に乗って色々な方の便宜のために働いて頂いて喜んでもらえるように大切に扱いたい。何でも縁でしょうね。お寺に来たからには大切にします。
何歳の頃だっただろうか、将来大型免許が要るかも知れないと自分の小遣いで取った大型免許。あの頃はボンネット型のボロトラックで教習をした。メーターは左右にブラブラ揺れて読み切れない。面白いトラックであった。それよりも自動車免許も親に内緒で自動車学校へ入学書類を提出し、ばれて大目玉を食らった。でもそれも小遣いの貯めた自費で取得した。軽トラックもユンボも農薬の噴霧器も、草刈り機も全部自分の小遣いを貯めて求めた。いつも「最初」は独りぼっちであった。藤田学園創立者故藤田啓介先生も、愛知葬祭の金森会長も最初は独りぼっちだった。棺桶を買いに行っても「売って上げたいけど売れない」と断られたと私に話してくれた。私は葬儀社を始めるつもりはない。葬儀をされる喪主に喜んでいただくことのみを考えての今。何時か理解される日が来る事を信じて明日、御大師様の日を迎える事とする。


■6/17 
色々な事が突然起った。先ず副住職が急な都合で退職した。本当に突然であり困り果てた。本人もきゅうり加持やお盆が来るので申し訳ないと涙声で詫びてはくれるが致し方ない事情であり25日を以て退職とする。有給も何もなく働いて頂いたので今現在はお休み扱いとした。ご苦労様でした9年間。本当にご苦労さまでした。檀信徒の方も一様に驚き残念がっていた。丁度その日はお世話になっているお寺様方をお連れしてビアホールで暑気払いをする日でもありビールを飲んでも美味しくも何ともなかった。
しかし以前より私が何かをお世話をして頂いた方にビアホールでコッソリと事情を話しお勤めを依頼した所一つ返事で副住職の仕事の後任が決まりホッとした。口数も少なく無駄な事も言わないので存在感がある人である。「一度奥さんにもご両親様にも相談を」と進めたがど前々から私の意向を感じていたらしく、家族全員も「お話があると良い」と相談をして頂いたみたいで有り難い運びとなった。

 例年世話人会の夏期慰安場所をエクシブ白浜となり急遽現地の下見と立ち寄りヵ所から帰寺した所、小泉前副住職と新任の僧侶が仲良く寺務所で談話していた。当然双方顔なじみでありお互いに快くお話が出来たそうで、私もホッとした。小泉前副住職の前途に幸いあれ。


■6/11 高野山同期会
毎年全国彼方此方で同門の同期会が催され今年は倉敷で行われた。はじめて訪れた倉敷の町はとても落ち着きのある町であった。と言っても町並みが保存されている場所のみで他の都市とそんなに変わらない。町並み保存地区はまるで時代劇のセットそのもので情緒ある酒屋さんや旅館、美術館等があり魅力ある町でした。倉敷の駅で旅館の場所と町並みの事を尋ねていったのでその情緒に触れる事が出来た。旅館に着くと既にいつもの面々が既にビールを飲んでいた。尋ねると車で来た人、タクシーで来た人、とマチマチで町並み保存された景観を味わった人は僅かであった。着いた途端に遠方で亡くなられた方の一報が入りスグに来て欲しいとの電話であった。事情を話し代理に枕経へ行って頂く。何となくあわただしい。

また今日は故藤田啓介先生の命日でもありお参りの方が午後からお越しになられた。毎年お参りされる方。境内からお位牌に向われてお参りされる方、色々である。去る者は日にもって疎く、来る者は日にもって新し・・・中国の故事を思い出す。


■6/6 古戦場祭当日
昨日とうって変わって朝よりの雨、時より雨脚も強まりどうなるかと思った。しかし午後10時30分頃よりは雨も上がり、晴れ間こそ見えなかったが、ハイキングの方々もお見えになられ始めた。当寺がお接待で用意したかき氷も全て無くなってしまった。少し寒く雨模様の朝、恨めしく思った空からは雨がその後落ちなかった。主催者側も判断に苦しんだで有ろう、呼び物の武者行列は中止となり残念を思った方も多かっただろうと思う。天候を恨めしく思っても文句は言えない。
恒例のお茶会も穏やかに終了して多くの方々に服して頂いた。大過なく終わった事が一番だ。


■6/5 古戦場祭初日
五月晴れの天気がお祭りを祝うように晴れ渡った。墓前祭、霊前祭を執り行い明日からのお祭りが始る。今日一日反省する事が多かった。災いは口より出でて身に及ぶと自分書いて、今日はイヤな思いを自分でしてしまった。イカン!イカン。私はオッチョコチョイで何時もあとから悔やんでしまう。反省だ。


■6/3 木曜日
また悲劇が起ってしまった。小学生同士チャットの内容からの殺人事件。この事は少なからずパソコンを触ってインターネットをされた方なら、相手が見えない事を良い事にデタラメや自己中心的な事を書き、多くの方がイヤな思いをされた事があるのは私だけではないだろう。以前にも当寺で稚児行列を催した所、その事に関して自分の秘匿性を良い事に酷い書き込みをされた事があった。私としては他のお寺以上の施設を準備して細心の注意を払い行った事を酷く言われ相当に参った事があった。
自分を名乗らずに人の悪しき点を指摘する事は簡単だ。時として無責任と言えるほどである。大人でもカッカとする掲示板やチャットの内容。簡単に自分の事を秘して書き込め、相手を特定したらキーボードと同じ感覚でバーチャルな結果を現実と認識できなかったんだろうか?

テレビを見ても「自分の子供を抱きしめて・・」とか「家族での会話を」に出てくる親の姿は他人事の風に映るのは私だけだろうか。私の母も父も全力で子供を怒り或いは護り、或いは多くを語ってくれた。子供は我が儘で自分中心であるのは当然と思う。だが私たち子供の頃は、両親又は世間の環境の中でそれを許してもらえないで、まるで目をつむりながら林の中をぐるぐる回るようにして、頭を打った事、転んだ事を学んで大人になる。
林も山もない、親の愛情も社会の厳しさも経験していない、そんな中でパソコン相手に育ってきた子供は、木々や倒木に出会って転んだ事もケガした事もない。経験がないのでしょう、一旦当たったケガに自分の感情の振幅が収まらなかったんだろう。

お参りに行っても家の中にいる家族がまるで他人の集まりのような家族が少なくない。同居の他人・・・恐ろしい現実が身近にもある。今年も寺子屋サマースクールを開催して何とか一助にしよう。


■6/2  水曜
昨日、高野山へお婆さんのお骨を納めに出かけてきた。改葬を決心して墓前で誓った事は祖母の残したお二人の子供さんのお墓にお婆さんのお骨を合祀するとお約束をしたからだ。実は高野山へは5月31日、月が変わらない内にと、急いで出かけた。鬱蒼と茂る奥の院の杉木立を眺めながら今から70年ほどの前のお母さんのお骨を私が合祀させて頂いた。雨のポツリポツリと頭を打つ。
急いで車に乗り込み神戸まで出かける途中、葬儀場への葬儀の依頼が入った。お寺に連絡をして神戸に宿泊、翌日岡山まで所用を済ませて昨日の夜、クタクタで帰る。岡山よりお寺まで420km。本当に疲れた。むかし一日600km走った事があったがやはり歳である。何回もドライブインに入り30分以上の休息を取りお寺にたどり着く。
件の葬儀の件、葬儀場は300人ほどの通夜の御会葬が有ったらしく熱気が伝わってきた。認可葬儀社とともに殆どボランティアに近い私たちの行動をお互いに励まし合いながら初めての仕事に、意気を感じて言葉を交わす。本日、無事葬儀を終え本当にホッとする。