■9月30日 台風一過の晴天
弟のお寺、播磨の国、大日寺へお参りに出かける。半ば恒例化した大日寺詣ではことして4回目となった。例年は最初の日に大日寺へ出かけて鳴門のエクシブへお寺の役員さん方と懇親を深める事となっていた。所が台風21号のお陰で今年は大いに予定が狂った。
29日、大阪市内を通過するにお天気は晴れていて風もない。本当に台風が接近しているのか感じる事が出来ない程の天候であった。しかし台風が接近しているのは事実であり直接大日寺へ行くのをあきらめてホテルへ直行した。
風波強まり鳴門大橋を通過して鳴門インター出口を出る時には既に通行止めとなっていてUターンする車が交差していた。余りに早くホテルにはいるのも如何かと思い途中の魚屋さんに立ち寄った。お店の中で目に入ったのは大きなヒラメであった。早速私はヒラメを二匹刺身にして貰いその場で世話人さん達に食して頂いた。美味しい、甘い、ぷりぷりと色々な感想が聞かれた。
バスはエクシブ鳴門に到着し夕食の宴会時間まで時間があり各お部屋でくつろいで頂いた。私もあちこちのお部屋を除き四方山話をうかがって楽しい一時を過ごさせて頂いた。お待ちかねの宴会は近年になく盛り上がり本当に楽しかった。時折暴風が吹き付ける窓に顔を向けてもマイクは離さずに誰彼無く、楽しい親睦会を過ごす事が出来た。
翌日は快晴の中、大日寺を回り参詣を済ませて境内でお食事をとりお寺へ帰った。バスの中では「台湾だ、バリだ、ニュージーランドだ、カナダだ」と次回の海外旅行の希望地が述べられた。既に10月は何処かへ行く事となり私の運転で出かける事となっている。みんな元気で有り難い。留守中葬儀があり明日も葬儀だ。留守の僧侶方有り難うございました。詳細の写真は来月と言っても明日以降にアップします。
■9月27日 雨 酷い雨
六波羅蜜会堂で葬儀を終えた方々より本当に感謝の言葉を頂いて感激である。「母が喜んでくれた」「本当にお借りできるのか?」等の言葉を聞くと本当に開設して良かったと思った。
当寺では、当寺でご縁有る方々には最善を尽くして喜んでいただく事に心を砕き、再度認識を新たにした。何時も一視同仁、等しくご対応をして粗相の無いように勤めたい。しかし自分の事はナカナカ理解が出来ない。自分の背中を見た人はいないと同じで「たぶんこんな背中だろう」で生きている私。少なくも人の背中をアレコレ言うのは思い上がりと承知して、こころ豊かに毎日を過ごしたい。
パソコンのプログラマーの方がお越し頂きお寺の管理ソフトを手直しして頂いた。昭和58年頃からのお付き合いで、パソコンに触り始めて早、20年を経過した。今ではお寺の全てがDOSで管理されている。外部には一切繋がっていない。そして院内ではLANが走り同じ資料を同時に各所で平等に閲覧でき、問い合わせや返答にもなるべく困らないように施してある。私は住職を始めた時よりお寺での連絡の密と均衡化を計って今まで来た。いま20年以上も前からの準備が現在、私たちを側面から援助してくれている。
■9月26日日曜日
私は休日を取って他所へ出かけてきた。お寺は六波羅蜜会堂で縁故の方の通夜を受ける。そうこうしているとまた六波羅蜜会堂での葬儀の依頼が入る。ゆっくりも出来ない。葬儀屋さんが倒れないように祈るばかりだ。しかしお寺にも色々ある物と改めて思う。詳しくは書けないが本当に考えさせられる。
私はコツコツとお参りを依頼される方への軸足を大切にお寺を護っていきたい。そして喜んで頂けるように心がけて過ごしたい。
■9月23日 秋期彼岸法会
好天に恵まれて本当に沢山のご参詣の方々をお迎えして盛大にお勤めする事が出来た。法会後定番のお接待である赤福餅をお食べ頂いた。法要終了後、檀家になりたいとご希望をお寄せ頂いた方々が2軒あった。又六波羅蜜会堂での会館説明にも何軒かの方々が向われたみたいで説明に当たったみどり葬祭の人達も何だか忙しそうであった。
私が住職になった頃は、今の様子を想像も出来なかった。突然の父の他界でどうやったらお寺の生活が出来るか暗中模索の毎日でともかく考えつく事を出来る限りを全力で尽くして今日まで来た。とは言え家内の失業保険で食いつなぎ上も下のない生活を続けてきた。今あるのは両親のお陰である事は言うまでもないが、現在お世話頂く多くのお世話人様やご縁有ってご厚誼を頂いた方々のお陰でもある。
「今日彼岸、菩提の種を蒔く日かな」と蕪村は詠んだらしい。感謝という気持ちで仲良く世間の人達と過ごしていきたい。健康、お陰さま、有り難うを何時も心に・・・・スグ忘れてしまうけど
■9月21日 なな月参り
六波羅蜜会堂をご利用頂いた方々より大変な謝意を頂いた。遠来のご親族からは「こんな立派な祭壇を見た事もないが、詳しく聞いてモットビックリした」と大変お喜びを頂いた。またお参りに来られた方々からは、お世話頂くみどり葬祭へも多くの問い合わせや相談ともある言う。これほど喜ばれるとトテモ嬉しい。共通して言われる事は「会館に心配りがなされ、暖かみが伝わる」「大変立派な祭壇で送る事が出来て仏も幸せ」という言葉が多く聞かれる。
私はこれからも、困り果てて葬儀をする方々の気持ちと立場に立って、お寺が出来る最善と、会館の清潔と快適、最大限出来る事を心がけて行くつもりだ。
ただ残念な事が一つあった。それは書けない。危うく会館の機能が止まり他の施設へも影響を及ぼしかねない人為的な出来事が一つあった。
この葬儀場「六波羅密会堂」を設立するにあたり、私の真意と実情を聞けば誰でも肯ける事情でこの会館が創建された経緯を、私は当寺役員及び評議委員会委員諸氏以外には話もしていない。またお話ししても詮無い事でありみじめな事である。只、六波羅密会堂は高徳院責任役員会の了承と評議委員会の審議を経て開館を迎え、運営の審議まで頂いている議決事案であり、住職の恣意的、独善的な葬儀場であれば役員も評議委員も誰も承諾もしなければ審議にも入れない。それ相応の事情と経緯が理解され同意を頂き、愛知葬祭会長の承諾も頂き今日ある事だけは胸を張りたい。
■9月19日
大勢の会食があり一日中バタバタとする。60名の法事と会食である。これだけの大人数だと会場の設営や準備も少し大変になるが当寺では高野山に長年おられて修行を積んだ僧侶が3名いるし受付方も大変当てになるので心静かに準備を済ませることが出来たが、でも60人となるとやはり気はもむ。本堂で法事の後墓地へ納骨。会食と終わってみればあっという間でしたが、皆さん喜んで頂いてお帰り頂いたのが何よりでした。
昨夜、テレビを見ていてとても眠くなり午後6時30分頃「もう寝たら」と言われ自室で布団の中で眠りこけていた。ぐわぁ〜と鐘の音が耳に入ってきた。ふと気がつくと汗をかいて寝ている私しがあった。とても熱い。「鐘の音??何時だろう」と思いつつ眠りこけた事を思い出した。「まさか午後9時じゃあるまい。じゃ何時だろうと恐る恐る時計を見ると何と午後の9時。これには参った。一度眠りから醒めると寝直す事がとても難しい。結局は午前2時過ぎまで起きていた。布団の中は不快ななので眠くなるまで本やパソコンをしていたが段々と目が覚める。諦めかけて布団に入って時を眺めたら2時過ぎ。今度は携帯電話をいじり出す。しなくても良いのにテトリスをすると余計に目が醒める。携帯を枕元に置き布団をかぶる。寝返りを打つ。落ち着かないでいる内に知らずに寝込んで朝方目が覚めた。
目覚めは余り気持ちの良い物ではなかった。で、今日は多忙であり体がフワフワした。
今晩は早く寝よう、途中で目が覚めない時刻を見計らって。
■9月18日 多忙の一日
朝メールをチェックすると六波羅蜜会堂での葬儀依頼をした方からのメールがあった。お大事になさって下さい。
最近、寺務所で変な音がする。「カチャ、カチャ」っとガラスと叩く音のような妙な音。何かなと振り向くと鳥がぶつかっていた。今でもそうだけど時折、鳥がお寺の建物の中に入り込み出られなくなる事がある。それも春先に多い。
何だか嬉しくなって鳥を逃がして上げようと廊下に出るとそこには鳥がいない。おかしいな、出て行ったのかなと思いながらまた机に向うと同じように「カチャ、カチャ」っという音。仕方ないなと又出ると何処かへ行ってしまう。又机に向うと「カチャ、カチャ」っと言う。一体どうなっているんだろう、果たして鳥なのかと音の出る方を振り向き注意深く見ると四十雀が右から左に、左から右にとガラスをつつきながら遊んでいる。
丁度建物の前にはヒメリンゴの枝があり遊びに来ては面白がってガラスと突いている事が分った。人も鳥も同じだけど愛嬌のある鳥は可愛い物。じっと見ていると楽しそうに突いては何処かへ行ってしまう。そして忘れた頃に又来る。覚えているんだろう。
ヒョッとすると何かのお使いで私に何かを訴えているんだろうか?? 昔、動物が何かを察知して飼い主に訴えるのだが肝心の飼い主は「微笑んでいる」場面を見た事がある。鳥が私に何かを訴えているのなら、お知らせであれば良い事だけにして欲しいな。鳥は飛んでいってしまうので後を追いかけようもない・・・・
■9月17日 遠方で葬儀
遠方から葬儀の依頼があり本夕方帰寺する。100歳の方だ。帰ると時間がロスするので昨夜は宿泊をした。枕が違うとやや寝にくい。歳を取ったのか疲れていないのかぐっすりと眠りにつく事が出来なかった。老鳥がお寺にいる。小鳥なのだが何となく気になる。余り食欲も進まないので粉ミルクを作ってスポイトで口元に持っていくと横からチュパチュパ美味しそうに飲んでくれる。体もだるそうで心配だ。
もの悲しい秋に、心配の種がつぶらな瞳を閉じながらウトウトしている。
■9月15日 残暑というか蒸し暑い
夜、布団の中にいると虫の音が聞こえる。りんりん、りんりんと寂しそうに鳴いている。虫は何故鳴くのだろうか?亡父に「蓑虫はあの中で何を考えているのだろう?」とふと門掃きの竹箒を止めて尋ねた事があった。「アホの考え休むに似たり、サッサと掃け」と叱られた。人は生まれてきて色々な人生を過ごしてくる。この人生が蓑虫の蓑であればその中に人生があるんだろう。
どうして人として優しい言葉と愛情で育てられてきて、人を傷つけたり殺したり出来るのだろうか??「それは住職が幸せだったから分らないのよ」と言った人があった。そうだろう。虐待をされてきた人は知らずに虐待を我が子にしてしまうと言う。じゃ、酒飲みの子供が全部酒飲みかというと、酒も一滴も飲まず真面目に働く人を多く知る。一体どこで人は、引き返す事の出来ない過ちを思い付き、実際に行動をしてしまうのか?? コントロール出来ない自分。何だか分る気もする。人は口の中に斧を持って生まれてくる、そして他人に向けて斧を下ろしたつもりが自分に斧が降りると言う。
秋の夜長に虫たちはリンリン鳴いている。何のために・・・ 私、住職は思うのです。生まれてきて「お前はこの為に生き長らえてきたんだぞ、良かったな」と天の声が聞こえる時がキットあるような気がする。それは空耳かも知れないがそんな声が聞こえるように精進したい物です。
リンリン鳴いている虫の音を聞いていて気がついたら朝だった。・・・・・これは夢か?? イヤな事が全部夢だったらいいのだけど・・・
■9月14日 火曜日
月例会議を開く。先月の反省と今月の準備及び諸注意、来月の予定とその準備。大掃除のお話までに及びそうな雰囲気であり話を翌月までにとどめた。電話の応答及び連絡の再見直しをした。院内メールや携帯殿メールの活用も大切だが、届いた連絡事項を生かす事が必要。受けたら返事をする、確認の連絡を入れる。返事が来なければ確認を取る、と言ったまでの事の徹底を再度会議で確認する。
午後からは寺務処理を進める。植木を剪定しなくてはならないのだが何だか何時までも放置している。涼しくなったら始めよう。
■9月12日 日曜日
世間ではイヤな事が続く。一家4人の方が亡くなったりと恐ろしい事が最近身近の出来事として世間を騒然とさせる。他人事ではないことであり、何時も私も防犯には注意をしている。
最近六波羅蜜会堂で葬儀をされたか方々から色々な感謝の言葉や、ねぎらいの言葉を貰う。本当に嬉しい。本日も葬儀があり、お帰りの際に本当に感謝の言葉を頂いた。本日も葬儀を済まされた方が、当寺のシステムを聞いて驚いて何度も聞き直して、金額も問い直して本当に喜んで頂いた。
お金だけの事ではないと思う。最善を私なりに尽くした葬儀場で半信半疑で利用して、お帰りに感謝感激の言葉を頂くと本当に嬉しく思います。葬儀は短い時間に不慣れな事を手際よく処理して、終えなければならない。ハッキリ言えば分らない事ばかりであり、ひな形らしき物もない。不慣れな事、不明な事、多額の出費が必要となる部分をお寺で全部を準備して無償でお貸しする。そして当寺の姿勢を、理解して頂ける葬儀社のお手伝いさえあれば何処のお寺でも、何方の地域でも簡単に出来る事である。無論どこの葬儀社でも当寺の姿勢を理解して貰えば何処の葬儀社でも参入は阻まない。
私というより当寺の今の現状は、世間の全葬儀社のモットもされたくない事を始めたという事。世間中の葬儀社を向こうに回していると言う事は、世間の人は余り理解を示さない。私は世間の葬儀社を向こうに回しても始めなければならない自分があった事だけは、本当は知って欲しい。少なくとも私の身近にいる人達は私を理解して頂けるので寂しくはない。
法事の席で「本当に有り難い」「初めは理解できなかったけど」と異口同音に言われる。今日も同じような事を言われた。まあそれは有り難いが「仏事で分らない事は住職のホームページを見ると分かり易くてとても助かる」とも言われた。トテモ嬉しく感じました。
文明の利器に背を向けている昔ながらの人も沢山おられる。新しき物に背を向けず、古き物にも囚われないで今後も行きたい。この葬儀場「六波羅密会堂」は新しき物い背を向けず勇気を持って開かれた寺院主導の葬儀場と自負している。
■9月8日 地震と台風
頻繁にやって来る天災に閉口する。酷い揺れが来たかと思うとトンでもない風が吹く。降る雪に名前はないけど積もった雪には名前が付くと雪国の人に言われた事があった。成る程な〜と思う。風が吹いて雨が降って原因が、台風であっても管理は万全になくてはならない。
昨夜面白い事を聞いた。テレビ番組の中でのお話なのですが・・・・大声で話をしたり、人を不快にさせたり、自分勝手な人を良く見受ける。人としてあるまじき振る舞いをする人は「初めて人間になった人」なのだそうだ。
へえぇぇぇぇ・・???と聞いていたら「あの人は徳のある人とか、魅力を感じる人は、何度も人間として生まれ変わり徳と苦労を積んだので人徳が出来ている」と言うお話。魂は動物や物や人間の中で生命を動かし、生まれ落ちた種の様に行動すると言う。たまたま人として「初めて生まれてきた人」は前世の種の宿縁を持って生まれ変わるという。
成る程な、そんな人いっぱいいるな。生まれ持って幸福な人や欲のない人、何をやっても不運でそのくせ強欲、マナーもない人。
「徳とは善をなす習性」とカントは言ったらしい。習性は持ってくる物だろう、前世より。と言う事は今の世の中、今を良く生きると言う事は、将来の自分と社会はモット良い世界が出来ると言う事にもなる。
何だか宗教の必要性というか人間の弱さ、宗教のボンヤリとしたスタートラインが見えたような気がした。
■9月5日
今度は東海テレビの取材を受ける。同じく万博がらみでホストカントリーのブルガリアの女性キャスターと日本の女性キャスターが大人数を率いて取材にお越しになった。因みにブルガリアの女性はノラさんと言いとある大学で比較言語学の研究をしている方だ。そしてもうお一方が何と川原麻衣さんという方だ。と言っても私は知らない。背の高い女性でお母さんのような方がお一人ついてきたので「一人娘を心配して・・」と勝手に想っていた。そしたら大違い。
お母さんのような方がこの川原麻衣さんのプロダクションの社長さんであった。名刺をもらったので分ったのだが・・・
「川原麻衣を宜しく」と言われたのだが「私、今の娘さんを見るとみんな同じに見えてしまうので・・」と答えた。所が彼女は今年のアサヒビールの全国キャンペーンガールであり愛知県内のガソリンスタンドでの幟旗にも起用され、万博の宣伝を引き受けているという。十二月からはNHKの月曜番組にも出演するという才女。社長さんから渡された昨日の日経新聞夕刊には明るく微笑む彼女の姿があった。最後にアサヒスーパードライのポスター写真の名刺まで頂いた。「おおっっっっっっっっっぉお ホントだ」と初めて経験する今時の何とも言えない経験。感想は頭の良い娘さんの感じを受けた。道ばたでしゃがんでいる小娘とは違う頭の働きに、世に出るだけの方は大いに違うな〜と関心をする。
もうお一方のノラさん、おとなしそうな娘さん。ブルガリアから留学して1年と少しらしいが日本語が上手。話したい気持ちが手に取るように分るがが・・・やはり日本語は難しいらしいと見えました。三人でカメラの前でリラックスして取材を受けて帰り際に取った写真が下の写真です。日曜日の午後、気ぜわしい中での来訪に、目を丸くして色々な資料に目を丸くするお二人に、私もとても良い気分になる事が出来ました。「是非今度はブルガリアで日本の興味有る事柄をご紹介下さい。」とお願いしてお終いとなる。
この番組は9月23日に放映される。いつもの事ながら自分の出ている番組は余り見ない事にしている。ご関心のある方は東海テレビのテレビ欄をご参照下さい。