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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

平成19年10月
平成19年度行事予定

■10/31       緊急地震速報受信機
午前中、なのか参りや予定が多くまた他の僧侶はやっとのお休みであるので、私一人で予定の全てを終える。夕刻は2件のお通夜があり一日を終えるにはもうしばらく時間がかかる。

お寺で予てより施工の予定をしていた緊急地震速報受信機が本日設置された。気象庁のサーバーから送られる信号を受信するシステム。境内から山中、本坊、本堂、ほとんどの寺内でその発する音声を聞くことができるう。

「震度○の地震が発生しました ビービービーっ(ブザーが鳴り出して)10、9、8、・・・」っとカウントされ震源地からの到達時間を大声で報知してくれる。この間に逃げればよいのだが・・・・

知ってるか否かで対応は大違いだが、知っていても何をしたら良いかが分からなければ、徒にパニックになるだけである。報知されたらどのような行動を執るかは、熟慮の要することだと思う。

第一に到達時間の長短である。10秒を上回っていたならば火の元の確認をして逃げる。恐らく警報が鳴ったらパニックになると思われる。何を如何するかを考えることとする。

しかしこの装置は境内どころか町内中にも響き渡るので暫くしたらご町内の方にもお教えしたほうが親切か? 誤報であったり直下型であればどの様に評価されるのか??今時は何もしない方が親切の時が多いようにも思われる。これって不親切なのだろうか? またまた悩み事が増えた
■10/30       超多忙
午前午後と世話人会の殆どの方々がお見えになりお砂踏み淨衣加持祈祷会の準備をしてくださった。毎年の事で皆さん手馴れた手順で進められお昼過ぎには大よそ完了してしまった。ありがたい。本当にありがたいです。

その間、来客が複数あり細部まで眺められないでいたが準備は殆ど済んでいた。その間にお参りの予定が複数件発生して僧侶も大忙しであった。また、私はと或るゴタゴタの対応に相談相手のところまで足を運んで話を進めてきた。その帰り道にわが耳を疑う、当寺とは関係の無い、出来事の相談を受け応答をしてお寺に帰りました。

お寺は本来、緑に囲まれ心静かに過ごす場所であるが、日本を代表するような不動産会社と手を結んで再開発を進め、生き馬の目を抜く商売人や学校経営者と自分のお寺を開発する驚きの内容に驚かされた。今日も一日、色々とありました。明日も心静かに過ごす事ができることを願うばかりです。

しかし、昨日の東京都内、山の手線内での外国人によるハローウインの大騒ぎ様、その名も「山手線ハイジャック」と言う信じられない出来事があった。不思議にマスコミも取り上げようとしないし警察も及び腰のあの乱痴気騒ぎ。一体何を考えているのか??
■10/29       多忙
午前午後と予定が重なり一日気の休まらない日を送った。その間に打ち合わせやご来客の方もお見えでお寺の全僧侶は正にフルで働いてもらった。

先日より予定が多く夜勤の僧侶も満足に休むことができないほどである。明日は世話人会総がかりでのお砂踏みの準備がある。休みらしきものが無いのがとても辛い。今年でお砂踏み淨衣加持は20年。早いもの。天気の良いことを望むばかりだ。

疲れました。本日は早めに休ませていただきます。「人の良いのも馬鹿のうち」と田中角栄さんが言っていた事を思い出されてならない。相手を大切に思えば時として、断る勇気も持ち合わせることを改めて思う。
■10/28      ひどい話
夕方檀家の方がお見えになった。ここの家のおじいさんはお寺に尽くして下さった方でありとても良くして下さった。私が若かりし頃、一人で忙しくていたのでアルバイトに境内の清掃等をお願いした事が数年続いた。

生真面目な方で時間に必ず通勤され、自分の仕事が終わらないと遅くまで一人で延々と仕事を続けられていた。しばらくおじいさんの思い出話をしていると「いやー、親父も頑固でね、一度だまされたんですよ」と、お爺さんらしからぬ失敗談を聞いた。

「豊川の山奥に宅地の分譲話があり60坪の土地をて買ったんです。ところがそこは調整地域で家も何も建たない、どうにもこうにもならないただの土地でした。いえ、ちゃんと更地にはなっていたんですが・・・」 「へーー、で今はその土地はどうなっているんですか?」と頭を突っ込んで伺うとそのままになっていると言う。

「税金だけでも大変でしょう」と再び尋ねると「いいえ、無いです」と拍子抜けの返事。「だって評価価格が6000円ですよ。だから固定資産税はタダです」と言う。「評価価格って一坪が6000円?」って尋ねると「いいや、60坪の土地の評価が6000円。ですから税金はかかりません」と返事をくれた。

「じゃあ、一体その60坪の土地は幾らだったの?」と尋ねたらなんと「一千万円でした」「・・・・・・」  
しばらく沈黙が続いて「お爺さん怒っただろうに」と言うと「かなり怒っていました。電話をしても不動産屋に行っても誰もいない。弁護士に尋ねても明るい返事は無かったですね」と息子さん。

昔、本堂の横を掃除していたら背中に入れ墨をした兄ちゃん相手にこのおじいさんが喧嘩をしていた事があった。入れ墨の肩を脱いで「おう、じじい。何が文句あるんだ!おぅ」っとすごむアンちゃんに「お前は入れ墨見せんと話しがつかんのか? 俺は深川の炭鉱でもまれて来た男。そんなモンの一つや二つで腰でも抜かす俺じゃない」とか、何とか言って、猫の凄みあいの様な雰囲気であった。幸いそのチンピラ風情の男は私の顔見知りで知らぬ間に何処かへ行ってしまったが・・・・  原野商法でコツコツ貯めた1000万円。烈火のごとく怒っただろうが人を信じる事は美しいが、多くの場合は不幸なことが多い。

亡くなられて7年も過ぎて・・・ひどい話を聞いてしまった。
■10/25       世話人会会議
午前中、隣地工事について対策打ち合わせをする。何でも最初が肝心であった。

午後より世話人会の打ち合わせをする。沢山の世話人さんがお集まりいただき詳細なる打ち合わせをさせて頂いた。色々なことが次から次へと起こり頭を悩ませる事が多い。

情に流されてしまうことは、今後はしないようにするつもりだ。情は必要だけれども情は情。結果は結果でありだれも責任はとらない。自分が情けなく感じられ少し落ち込んでいます。自分だけ良ければ相手の財産も都合も分かろうとしない手合い。そんな相手に私が目が利かなかったと言うこと。「しかし」と言う言葉が無常に、知らず知らずについ出てしまう。残念で仕方ない。
■10/23       
秋晴れの快晴の日が続く。今日お参りに出かけたら元気の良いおじいさんが「俺はシベリヤで酷い目にあった」っと私に話し始めた。勢い良く話し始めたので「ちょっと待って、お経を上げてその後ね」と言ってお参りを済ませた。

「何をしに行ったのかわからんのが俺の戦争だった」と話し始められた。「召集され船に乗った。そしたらバシー海峡でアメリカの潜水艦に沈められた」「どうやって助かったの?」と尋ねると「数時間したら日本の船が助けに来てくれた。あのな〜、船ってのは沈む時がトテモ怖いんだぞ。渦を巻いて沈んで行くので・・・あれで半分は死んだ」と思い出しながら話す。

「渦に巻き込まれなかったの?」っと尋ねると「運だな、俺は船底に押し込められていたのだが、トイレに行きたくなったので甲板に上った途端、突然どっカーーん、色んな物が浮いていたのでしがみついていたら助けてもらった」と当時を振り返りながら話さされていた。

「そいでな、助けられて満州に連れて行かれたと同時に終戦、シベリヤに抑留された。夏服しか着ていないオレたちゃ、パンとスープと鮭のカンズメだけでなー、、たくさん死んだ」「死んだら服を頂いて重ね着をするんだ。」と。

「夏に墓場を掘るんだよ、4m程掘ると凍土が出てきてもう掘れないんだ。そして冬が来て春が来る頃には穴には一杯の日本人が入っていた」・・・・恐ろしい話だ。

「来る日も来る日も森林伐採で、大木を人力で引っ張り出して電車まで運んだんだ。その時にな、この足を骨折してな、今じゃカタワだよ」っと悔しそうに話された。「何のために満州まで行ったやら、悔しくて仕方ない」と不自由な左足の大腿部と向う脛付近を撫でながら「二箇所も骨折でね」っと本当に気の毒であった。

これからは私がお参りに行って色々とお話を伺って、次の世代に伝えたい気持ちと、話してもらって少しでも聞いて上げられたらと思う。私はお年寄りのお話を聞くのが好きである。好きというより大好きです。

苦労話や辛い話を聞くと、私はその頃の情景を自分の中に自然と置き換え、話す人そのものになる事が私は出来る。そして昔話として今、お話が出来ると言うことは、昔話で終えられる今があるという事。安心しておじいさんのお話が聞けることが私の幸せである。午後より来客多し。夕刻お参りの予定を済ませて一日終える。
■10/22       
快晴の大変気持ちの良い一日。お参りに行っても「こんな良い日はどこかへ行きたいですね」っと同じような事を言われる。と言う事でお昼ご飯は柿の木下で頂いた。この間のコンロがまだ出してあったので薪割りされた良く燃えそうな薪に火をつけてお茶を沸かせてご飯を頂いた。青空に柿の葉と色づき始めた柿が調和の取れた絵のように食卓を彩ってくれた。

午後より久しぶりに車や家の周りを掃除する。汗を流して掃除をしていると侵入警報が鳴動して本堂裏の何者かによる侵入が感知された。早速、警邏をするのだが誰もいなかった。夕刻、明後日の葬儀の打ち合わせをしているところへデジカメの落し物をされた方がお見えになった。

デジカメの入れ物だけがチャックが空いたままで中身のカメラを抜かれて本堂裏に捨ててあったのを見つけられて、お寺を尋ねて下さった。腹が立つやら怒れるやらであり憤懣遣る方が無かった。

目の届かない場所や、通常立ち入りをしないような所は、当時は警報が鳴るようになっています。このような事が無いようにまた、未然に事故の発生を防ぐ目的があります。ご理解を頂き、またお気をつけ下さるようにお願いします。

秋晴れの良い天気のもと、夕暮れ時に大変辛い思いでおります。
■10/21      慌しかった一日
午前中、七月参り。思ったほどの参詣者は無かった。午前中お寺での2件のご法事でその後の会食会があった。午後からの予定もあったために先日来楽しみにしていたイムジチの演奏会に出席できず残念に思った。演奏会後に名古屋東急ホテルで懇親会がありイムジチの皆さんのご紹介を頂いた。

彼らの演奏予定を見ると驚くほどハードスケジュールであった。殆ど毎日、全国どこかで演奏会をして見えられる。移動日が休日なのか?まさにこんなスケジュールを見ると気の毒に思えた。メンバーは紹介後にかく立食テーブルに来られて愛想よく気軽にお話をしてくださりました。でも殆どのメンバーは首もとにナプキンを挟み器用に箸を使って色々なものをパクパクと食べて見えられました。その姿はとても可愛く私には感じられました。

法事で会食の席に着きまた再び立食での会食。食べなきゃ良いのに根が卑しいので、お腹に入る分だけ食べてとうとう夕食は何も頂かずに早めに休ませていただきました。澄んだ音色を楽しみにしていたのですが・・・残念でした。
■10/20       櫻井よし子さん講演会
夕方、京都にて元ニュースキャスターであった櫻井よし子さんの講演を拝聴に出かけた。久しぶりの京都は穏やかな天候であったが少々寒くなってきていた。

午後2時ごろに名古屋を出て三時ごろには渡月橋で嵐山を眺めていた。久しぶりに大河内山荘付近を歩き念仏寺、祇王寺を参詣。愛宕山麓の鳥居本でしんこ餅をいただいて会場へ走る。

一時間半の講演。ソフトな語り口、きちんと整理された内容には軸を外さない理路整然とした内容に爽快さを覚える。現在の外交問題や、日本の将来像を論理的、歴史的な観点を織り交ぜ外交力学の一端を拝聴してきた。会場は400人の聴衆が参集され静まり返ったなかで彼女の熱意が洪水のように私の胸に届いた。帰りの新幹線の中で彼女の一言一句が色々と頭をめぐり、外の景色である街の明かりがこの先、ズーット平和で穏やかに光り続けることを祈った。幕末の学者、吉田松蔭だったかの詩を思い出した。
「かくすれば かく成る物と思えども 止むに止まれぬ 大和魂」 気概を持った政治家が彗星のごとく現れて、紙芝居の様なこの日本を救ってほしいものだ。

明日午後からイムジチの演奏会を予定しているがトテモ出席はできない。懇親会だけには出席したいものだ
■10/19 晴/雨       
しとしとと雨が降り出した。一雨ごとに寒くなる季節だ。環境班の清掃作業は午後しばらくして室内に移った。

午前中来客がありお茶を飲んで過ごす。お寺って良いなと思われるかもしれませんね、朝からお茶を飲んで過ごしていると。楽しいお話をしていると後先を忘れてしまうが・・・大切な用事を忘れる時も有る。知らずに時間の過ぎてしまって大慌てっていう事もあります。

午前中、ナラ枯れの調査に造園業者の方がお見えになり色々と山内をご案内する。午後からは雨となり目前に迫ったお砂踏み淨衣加持の最終打ち合わせをして、印刷に取り掛かった。何だか一日が早く過ぎていく。明日も予定があるので何事も起こらずに穏やかに一日を終えたいです。
■10/18       
午前中、シロアリ被害の予措置として薬剤の散布をしてもらう。範囲が広いので明日も続く。今は薬剤の安全性の向上が高まったので安心してお任せできる。何時だっただろうか?昭和58年ごろだっただろうか、本堂一円の薬剤散布をお願いした。翌日本堂の周囲の掃き掃除に行ったら蟻どころか、ムカデ、ミミズ、コオロギ、バッタ、ありとあらゆる昆虫がびっしりと死んで壮絶な光景であった。

今回の薬剤散布は今から5年前の散布で、幸いなことにシロアリの被害も発生していないとの事。昔のDDP の様な臭いが鼻先をかすめる程度であり、建物の維持管理を思うと少し気分が楽になった。

朝より七日参りや月参り、来客等が有った。お寺様にもご参集していただいて複数の僧侶でお参りする予定もあったので午後2時ごろまで対応に追われた。夕刻後もバタバタとして一日を終える。
■10/15       護符の会
最近、婦人の方々によくお会いする。よく考えると、体操の会、布教会、護符の会と半月に3回も顔を合わせていればしょっちゅうお会いしているはずである。

午前中、歯医者さんへ行って治療をお願いして「あと何回来れば良いですか?」っと伺うと「あと二回です」っと先生。まだ暫く続く歯医者さん通い。午前中のお参りに途中に衣で出かけたので待合室は私の姿を見てギョッとしていた。玄関の戸をあけて下さった方がお見えであったのでスリッパを出して「どうぞ」って私が準備をしてあげた。にっこり笑って「有難うございます」と言われた。

知らぬ顔をしてテレビを見ていると先日の相撲で死亡された方の事件がモーニングショーで話題となっていた。隣から先ほどの方が色々と私に話しかけてきた。私が返事をしようとすると看護婦さんに順番を呼ばれ診察室へ入った。少し申し訳ないので「すいません」っと言ってお別れしました。

午後からは、延び延びになっていた庭木の剪定を急いで始める。来客が夕方からあり夜もお寺の予定が入っていたので気ぜわしく仕事をこなし、一日を終える。明日は朝より来客予定があり、また防蟻処理を二日間の予定で始まる。社葬後の初七日の会食会があり本堂の準備もしなくてはならない。
■10/14      秋恒例 本山布教会
今日は朝より多忙でした。兵庫県西宮市理性院ご住職さんの法話を1時間10分頂く。神戸の震災時の多くの方々の支えで復興され、人情溢れるお話であったと参加者さんから伺った。私は他用があり拝聴をすることが出来なかった。

本日は疲れましたので早めに休ませていただきます。しかし、一年前からの予定も終盤を迎えております。一年って本当に早いです。当日の様子を写真でご紹介します。
高野山金剛峰寺 管長の御親諭(ごしんゆう)を
読み上げる西蔵僧正様
傾聴する参詣者の皆様
ご自身の体験
阪神淡路大震災の体験を熱く語られる
■10/13       
昨夜、急に外で食事がしたくなり子供たちが小さい頃に使ったキャンプ用のイスと机を出してきて屋外で食事を頂いた。子供の頃、よく登った柿の木の下で机とイスをパラパラッと広げ、元々用意してあった夕食を頂く。寒くは無く心地よい。時折、柿の葉がヒラヒラと落ちてくる。

だんだんと暗くなると燃えカスのチビたローソクを持ってきて柿の葉を拾い上げローソクを乗せて机の上に置く。時折、遠くで電車の音が聞こえる。夏と違いあっという間に日は落ち静かに時間が過ぎて行き、色々なお話とともに食後の話題に花を咲かせた。時々は屋外で夕食をとるのも良いものですね。(昨夜の話)

本日は夕方、お寺の用事を済ませて神戸よりお越しいただいた本山布教師さんをご案内して、法類寺院の副住職さんと私とで歓迎の宴を設けてさせていただいた。阪神淡路大震災でご自身がご経験されたお話をしてくださり、気がつけば時の経つのも忘れて長居をしてしまい、恐縮してレストランを後にした。

明日は日曜日。布教会もお寺の用事も無事に終えることができるよう祈るばかりだ。
■10/12       デューク式運動も三回目
ディユーク式健康体操は今回で3回目。新しく参加された方も見えて楽しそうに体操をされて見えた。私は来客や他の対応で参加できなかった。

午後、先日境内での作業中、受傷された方の奥様がお見えになり「明日退院します。ご迷惑をおかけしました」とお詫びに来られ、他の環境班の方たちにもご挨拶をされて見えた。

明日は本山布教師様がお越しになられて夜は会食会を予定している。日曜日の本山布教会は初めてであり明日の予定を調整していると葬儀が発生していよいよ予定の段取りに頭を悩ませる。葬儀時間は法事もあり布教師様の法話も開始される時間。布教師様の紹介や私の挨拶・・・・どうもこうも無いが・・・しかし困った。他の方にお願いをするしかない。お寺はこのような状況がよく起こります。

朝夕だいぶ涼しくなりました。お風邪なぞ召されないようにお気をつけ下さい。
■10/11       傷害致傷?
私はあまりスポーツを熱心には見ないです。昔は野球もサッカーもテレビ観戦をしていましたが。オリンピック競技はさすがに見ていても惚れ惚れするような試合がなされ思わず深夜までテレビの前を動かないこともあります。日々は食事をするときくらいにテレビの前に座りますが殆どはテレビの前でなく、パ・ソ・コ・ンの前が多いです。

今朝、朝刊をチラリと見たらボクシングのカラー写真が掲載され、タイトルに「これでもボクシング?」っと見出しが躍っていました。目を凝らして写真を見るのだが、よく理解ができない。朝食を頂きながらテレビを見て、だんだんと新聞の記事が理解できた。繰り返し流れる映像は素人の私が見ても、お粗末でスポーツとは言えない喧嘩のように見えた。

スポーツである限りルールで競技が律っせられ、選手の能力一杯を競う、見世物と私は思っている。今朝見たボクシングはスポーツではなく既にルールを守らない無軌道な喧嘩。ルールと言う規制がかからなければ双方、競技の性格上、重大な傷害を受け易く、場合によっては警察のお世話になるような気がする。ルールと言う規制があるので出血しようと目が糸のように細くなって腫れ上がり肋骨が折れても傷害致傷にはならないだろうが・・・・

時津風部屋の「可愛がり」と言う相撲の稽古でも部屋の裏でバットやビール瓶が出てくれば、書きたくも無いが、刑事事件になり警察の登場となる。三人の兄弟ボクサーを抱えている親父さんは、時津風部屋のあの事件を、何も感じなく、他人事のように思っていたのだろう。

今朝、NHKラジオの午前4時から番組を寝床で聴いていた。ある温泉での若女将学校を開いた年配の女将さんのお話を聞いていた。「私はマニュアルを作らない。お客様は千差万別。頭を使って毎度違う応対ができるように指導している。」とか「全てのことに優先順位を思考させて常に周りに注意が働くように指導する」等々のお話であった。600人も応募があり十数人しか許可を与えなかっと言う。

常々、全方位に目を配らせ、遠くに起こった出来事を他人事と思わず、自分ならどうするとか、出来てしまった事であればどの様な善後策が打てるだろうか、を常々思考することが大切なような気がする。その基本中の基本が「基本を忘れない」と言うことだろうか。人は楽なほうに、誰でも、転びやすい。楽な方は都合が良いので慣れてしまって、気がついたら収拾不能。他人事と思わずに基本を忘れないように過したいものと思います。
■10/9       
連休中は色々とお寺の予定があり忙しくしていた。とある所からイムジチのチケットをいただく。ビヴァルディの四季の中で「春」の演奏を聞かれた方がお見えであれば「あぁあの合奏団ね」とお分かり頂けるほど、ビヴァルディと言えばイムジチを思い浮かべるほど有名である。久しぶりに聴く室内管弦楽、楽しみである。しかし予定はこの前後、幾つか有るのです。京都では櫻井よし子さんの講演があり今夏、既に申し込んである。友人と出かける予定も入っている。おとなしく、秋の夜長をお寺に居れば良いのだが・・・・

11月を目前となったお砂踏み浄衣加持祈祷会の準備や来春の星祭、近隣工事への対処、都市計画街路での問題、年末の大掃除の企画書、ナラ枯れの対処等、消化しなくては成らないことや頭の痛い事が多い中、一時の音楽や講演、小旅行を楽しんでリフレッシュして事に当たりたい。しかし、そうでもしないと気分が沈んでしまいます。今日は愚痴になりました。
■10/6       ああぁ・・・・勘違い
色々なことが最近あった。気忙しくなる事ばかりであったが今日は久しぶりに面白い話を子供より聞いた。大学の友人の就職面接での出来事と言う。

どんな話かと言うと筆記試験を終え、面接となった。色々な質問が彼女に向けて行われたそうです。娘によると、彼女は大変生真面目で慎重な人と言う。就職の面接さえパスすれば来春は晴れて社会人一年生。誰でも緊張をする。

「どうしてこの会社をご希望されたのですか・・・」「会社に何を期待しますか・・・」等々の質問にも、色々と準備していた答えを答えていたそうでした。最後に試験官が「では貴方の家業は何ですか?」と質問をされた。

彼女は一体全体如何したのか??変な答えをしてしまったと言う。私も質問者も正確な質問をしていなかったとも思う。「貴方の家の家業は何ですか?」って聞けば誰だって「○○です」と答える。「家はサラリーマンです」「家は鉄工所です」とか色々な返事が返ってくる。質問者もそれを聞くつもりであった。しばらく経って、なんと彼女からの答えは・・・・

「かきくけこ・・・・」って答えたと言う。カキクケコ??

「それで彼女はその就職試験に受かったの?」っと私が娘に尋ねると「さすがにそこまでは聞けなかった」と言っていた。カキクケコ・・・勘違い。大体、面接は3名ほどで面接をすると言うが面接室の中からは笑い声が聞こえたのか?沈黙が続いたのか、想像しか出来ない。
■10/5       姫路より帰寺する
昨夜、姫路のホテル。就寝中の午前2時過ぎに急に胸が苦しくなり息が止まるような苦しみに陥った。寝苦しかったのか?とも角、息が詰まり胸が苦しくなった。「落ち着こう」としても苦しくなるばかりで思わず、廊下に顔を出して深呼吸をする。部屋に戻っても窓は締め切りで外は雨。紙袋を顔に当てて深呼吸を数度行うと少し落ち着く。このままお寺へ帰ろうかと思うほど酷かった。暫くテレビをつけて就床すると知らぬ間に寝ていた。

朝食も取らずにホテルを出て弟のお寺へ出かける。昨日も求めたマツタケをお土産にご挨拶に出かける。弟の顔を見て暫くしてお寺を辞した。一路、中国道、名神、湾岸道を抜けてお寺に帰る。とても疲れた。帰ると、環境班の人たちが先日の事故の事で、私にお詫びを申しに来られた。暫く歓談して寺務所へ入る。

夕刻、都市計画街路課の職員3名がヤヤコシイお話を説明に来られ、次回評議委員会に諮問することを約束して帰っていただく。引き続き大○組さんが打ち合わせに来山。すぐに終わる。夕食後、散歩に出かけて一日を終える。事故も無く予定はすべて消化した。たいそう疲れました。明日も何も無く一日を終えられますように。
■10/4       
高野山にて葬儀に列席をする。本山の様子はわからないので受付の人にどうしてよいやら伺うのだが・・・境内に一人ポツンと衣を着ているのは私だけであり暫くして失礼をした。奥の院御廟に参じてお参りをさせていただく。ふと姫路の弟の思い出し姫路に向かい明日、突然ではあるがご機嫌伺いに参じさせていただくつもりだ。しかし養子って本当に大変だと思う。

姫路にはとっぷりと日が暮れた頃に投宿する。外は雨。あれほど天気がよかったのに。今日は早めに休ませてもらう事とする。本当に10月に入り色々な事があり過ぎ疲れました。
■10/3       慌しい一日
昨日の事故の対応で労働基準監督署へ出向き書類をいただく。帰路、大学病院の救急救命センターへお見舞いに出かけるとそこには元気ピンピンの○○さんがベッドの上であぐらをかいていた。昨日と同じく「住職、本当に申し訳ない」の一点張りの○○さん。「こちらこそ痛い目にあわせました」と言う。「もう俺は元気だ」と手や足をバタバタさせて私を安心させてくれた。本当に涙が出るほど嬉しかった。寝たきりや麻痺、歩行障害等、考えれば恐ろしいことしか思いつかなかったが「もう少し、落ち着いて養生をして元気に退院してね」と言うと「もう少しお世話になります」とポツリと返事をしてくれた。

「○○さん、これを懲りずにまた高徳院で働いてくれますか?」っと恐る恐る尋ねると「えぇ? また使ってくれますか?有難う、有難うございます。元気になったらまた宜しく使ってください」と言ってくれました。「今度はちゃんと安全に十分注意してお願いしますよ」と笑顔で声をかけると「はい」っと笑顔で答えてくれました。ホッとしました。

お寺に帰り机に座ると電話がなった。「高野山の住職が亡くなった」との連絡が入る。当時の以前の副住職や現在の住職代理、他の役僧さんをご紹介くださり色々とお骨折りをいただいたお寺の高僧。夕刻お通夜に出かけるも日も落ちとてもではないがお通夜には間に合いそうもなく、途中のホテルに入って明日葬儀に列席をさせていただく。帰路は姫路に久しぶりに立ち寄り養子先のお寺へご機嫌伺いに出かけるつもりだ。

月が変わりお寺も忙しいが予期せぬことで振り回されている。健康な証拠だ。有難いと思わなければ・・・
■10/2       大変な一日
来年の星祭の事務処理の企画や11月のお砂踏みの実行書等の手直しや色々な事柄の書類整理をお昼からしていた。突然境内の方から「住職さん、救急車を呼んでくれ」と息せき切った声がした。
反射的に事故を予想し「どうした!?]っと尋ねると○○さんが屋根から落ちた」と気絶しそうな返事が返ってきた。「屋根?」一体どこの屋根だろうかと思いつつ119番に連絡をする。以前、この119番が、私の気の動転でつながらなくて困ったことがあった。中々つながらなかったが落ち着いて救急車の要請をお願いして現地に向かう。途中家の冷蔵庫の中に頭を突っ込んで有りっ丈の保冷剤とタオルを持って現地に行く。

そこには顔から出血して顔色をなくしている○○さんが横たわっていた。頭と顔面を保冷剤で冷やしながら意識を調べるとシッカリしているが腫れて出血している場所が場所だけに救急車が到着するまでに大学病院へ連絡してお骨折りを願った。救急車の誘導後、担架への搬送を見届け搬入先の確認を消防署と行い大学病院へ急ぐ。途中で救急車に追い抜かれる。

大学病院へ行くと数名の方が待ち受けていてくれ早速、MRIの検査やCT写真を撮っていただき緊急の処置をしていただいた。数時間後、医師からの詳細な説明を受け特段の障害や麻痺、臓器への損傷もなくしばらく入院して様子を見ることで落ち着く。正直、ホッとした。色々な事柄が頭に思い浮かび血の気の引く思いをした。暫くして病室に行くと「住職、申し訳ない、本当に申し訳ない」の一点張り。私も何時もは現場にいて監督や見ているわけでなく「こんな作業をしたいが良いですか?」と作業の相談を受けると「はいはい、気をつけて仕事をしてください」程度の事しか言っていなかった。

毎月の月例会議では常に安全に心がけ危険なことはしないで欲しいと言っていたのだが・・・起きてはいけない事故が起きてしまった。幸い、見様見真似の法定書類や雇用関係を示す書類、労働保険等を行っていたので遭ってはならない事ながら、気持ちも幾分楽になった。それは兎も角、一日も早いご快癒を祈るばかりだ。