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各月のタイトル
と内容が異なる
場合があります
ご了承下さい

平成17年2月分

■2/26

曇り  結婚式へ
現在、当寺の仕事中に指を受傷してお休みしている境内清掃の職員さんが遊びに見えられた。電話がありお会いしたいとの事であった。怪我がナカナカ治らない事を気にしているご様子と人伝に聞いたのでもしかしたらと思っていた。

でも結果は違い「暖かくなったら・・・」っと仕事復帰のお話であった。ホッと胸をなで下ろして心配事への私なりのお答えをして笑顔でお帰り頂いた。
午後休憩の他の職員さんの所へ出かけてお茶を飲んで恐らく近況を話してお帰りになられたのであろう。

今日は午後より結婚式に出かけて夜遅くに東京へ出かける事となっている。何だか気ぜわしい。帰ってきて一日過ごしたら3月弥生の月を迎える。ホームページの更新も遅々として進まない。どうしよう・・・
■2/24

曇り  
理事長の葬儀を済ませた。昨夜は200台収容の駐車場が満タンで身動きがとれなかった。そして錯綜する会葬の車両。600人以上の会葬があり、本日の葬儀となった。私も先代の理事長からのご厚誼を得ており出来る限りの事を六波羅蜜会堂で行なわせて頂いた。
志半ばでの急逝に同窓の方や大学理事長からもご弔辞が奉読され大変立派な葬儀となった。久し振りにお会いするご来賓の幾人と近況を伺い一日を終える。口々に六波羅蜜会堂の話題が出て励みとなった。システムを聞いてまた一様に驚かれていた。誰もチラシを見ていない事が判明した。
明日は住職代理お休み、住職補佐と二人でお参りを行ない午後より葬儀を上げさせて頂く。暫くすると突然に3月がやってくる。hpの更新もしなくてはならない。諸事の整理やお寺の段取りもつけなくてはならない。細心の準備をして毎日を過ごそう。
■2/22
 気ぜわしい一日
月例会議を催す為資料を作成し正に開始するその時、某病院看護部長より電話。
ええーー、突然の私の驚いた声に会議は出鼻をくじかれた。私とそんなに歳の変わらない病院の理事長の悲報が入った。信じられない出来事に平静を保つのがやっとであった。後数時間後に当寺に搬送されるという。私自身、月例会議を終えたら大阪へ出かける予定であったが急遽、住職補佐に代理として出張して貰い、住職代理が後のお参りをカバーして私は枕経に備えた。
あちこちから私の所へ問い合わせの電話が鳴り始め心静かにいる事が出来なかった。ご遺体到着後枕経へ六波羅蜜会堂へ出かけた。お亡くなりになった理事長は御尊父様そっくりのご尊顔で横たわられていた。

今春4月、新しい保健施設が開所されこれからという時の悲報に我が耳を疑ったが紛れもない事実に言葉もなかった。読経中、例のパニックが襲ってくるのが自分にも分ったがどうしようも無い。残念だ。力無く隅でひっそりとするご母堂様を見ると掛ける言葉も失った。本当に残念至極であった。

「住職!この薬は今際の際に飲むと復活する妙薬だ。なかなか手に入らない物だから大切に」と私にくれた薬を未だに大切に私は持っている。「見ていてください、患者さんの本来の姿に立った理想の病院をこれから私は建てます」と力強く話してくれた理事長。あまりの早さに本当に言葉も出ない。残念だ。

住職補佐は大阪へ、代理はお参りに、議事録に目を通して慌ただしかった一日を終えた。残念無念。只一言。
■2/21
 今日は寒かった
なな月参りには沢山のお参りがあり嬉しかった。いつもササ酒をお出しするのだが器が足らないくらいになってしまった。、その後、豊川財賀寺へ精進料理を頂きに上がった。名誉住職及びご令室、住職ご夫妻のご歓待を受けてお料理を頂いた。
美味しい山菜の精進料理。若奥様の心が伝わるお料理であった。そして85歳になる名誉住職と共に山道を歩き山頂の本堂までご案内頂いた。

坂道では若奥さんが往復でお足の悪い方を本堂まで2往復して頂いた。帰路を含めると4往復となる。

凍てつく本堂の中では名誉住職が私たちと共に読経を上げてくださり千手観音様のご利益、色々な歴史有るお話をとうとうと語って頂いた。みんな大満足で庫裏まで帰る。そこには近郷でとれたとても美味しい大自然のお野菜をお土産に持っていって欲しいと名誉住職奥様が勧めてくれた。重ね重ねの温情を一同で感謝して頂く。名誉住職ご夫妻及び若奥様の心を砕いて頂いたおもてなしに本当に感謝する。有り難うございました。

健気なまでの若奥様のお姿が深く私の心に残りました。
さあ出発 精進料理を頂く
本堂でのご案内 10万坪の境内(山林を除く)
一路お寺へと真っ直ぐ帰らないのが当寺の旅行。少し走ると中部国際空港へ行こうという話になり真新しい空港を見てきた。とてもきれいで便利そうであった。皆さん大満足。でした。
■2/20
 春めいてきた
明日はなな月参り、そして午後よりは世話人会の有志で豊川財賀寺へ精進料理を頂きに上がる。一昨日から余り体調が良くなく他の職員さんに迷惑を掛けている。昨日も忌明けの法事を午後から有り準備をしていたのだが住職代理に替わって貰う。早く休むのだがなかなか・・・

とある大学の元学長さん奥様と東京でお会いする約束となった。学長在任中にご主人を亡くされて私がご葬儀を上げさせて頂いた。お母様もご葬儀を上げさせて頂いた。数年前に名古屋を離れられた。ご意向で仏事やその後の事を相談するとの事となった。実は名古屋へお越しになれれて色々と相談をしたいと昨年からお手紙が来てはいたのだ。そうこうしている内に私が東京へ行く用事がありその旨をお手紙に書いたらお会いする運びとなり近々に、本当に久し振りにお会いする。
とてもチャーミングな方で私の母親よりは少しお若いでしょうがご子息と私は同年齢で余計に親しみを感じて頂いているとうかがった事があった。住職冥利に尽きる。何か私が特別な事をした訳でもないのに・・・
■2/18
 木の芽起しの雨
季節の変わり目か? 春の芽を起す雨なのか一日シトシトと降る雨。久しぶりのような感じがする。午前中葬儀の相談を受け午後より岐阜へ所要で出かけてきた。長らく大切なご本をお借りして2年も過ぎてしまい所用を兼ねてお邪魔した。何度かお声をおかけしたがお留守のようで失礼をさせ頂いた。
先方のご住職はパソコンにご関心がおありで、とても参考になる本を貸していただいた。この場をお借りしてお礼を申し上げさせていただきます。

さて今日も色々な事があり考えさせられる事柄が多かったです。お寺ですので悩みや相談もありますが、どうにもならない事も好むと好まざるとに関わらずやって来る。
住職冥利に尽きる事もあるが、深く考えさせられることも有る。こんばんは早く休ませてもらう事とする。住職代理お通夜へ。
■2/15
 少し春めいたか??
お寺の庭にも春を感じさせるような気配を感じた。ここの寺に生まれた時よりいるとそれを不思議に感じる。「おっ、春めいたかな?」がお昼前の私の感じた春の気配です。
午前午後と昨日の仕事を続行する。
途中、お参り大好き医院の月並みのお参りがあり私が出かけた。キット先生はこの霊場はお参りしていないだろうとかすかな期待で胸を膨らませて門を開けようとした。そしたら、風に吹かれたのか門がふーーっと開く。そして先生が玄関からニコニコして出てくる。「あれ?私の来るの分ったの?」っと言ったら「今日は住職が来るだろうと思っていたので立って待っていた」と冗談めいた口調で私に言う。「へーー珍しいのが来るので先生もそんな感じがしたのかな?」と言葉を返して自慢の家へ、仏壇の前へと座った。

 一通りの御経が終わりモソモソと件の霊場パンフレットを取り出し「先生ここはまだ行っていないでしょう?」っと少し勝ち誇ったように言い放つと「ああぁ、そこね。2回行っているよ。お不動さんの霊場もあるでしょう!」っと戦艦から大砲を撃つように私の先手先手を打って、満面笑みで私にあちこちのお寺の説明をする。「いやぁ先生には参った」と言うと「明日から淡路島の七福神と十三仏霊場を回ってくる」とトドメをさされた。

 ここの先生はお参りが大好きで、今の調子で行くとギネスブックに推薦されたら登録できる程だと想う。昭和41年お参りを続けてから今日まで40年、沢山のご集印帳が先生の宝もとして何時も見せて頂く。今日も霊場のパンフレットをチラリと見るなり隣の部屋からご集印帳を持ってきて色々と説明をしてくれた。私ももう少ししたら霊場周りをしたいものだ。

 そんなこんなで一時間以上も先生宅の仏壇を背にして楽しく会話して帰ると「遅かったですね」っと言われてしまった。そうだ仕事が途中であり私がいないと始らなかったんだ。

矢張り春めいてきたのかな?。私独りが春めいているのだろう。
■2/14
 電話が良く鳴る日であった
今日も忙しかった。午前午後と三月春季彼岸会の準備でお寺の印刷機はフル回転を始めた。また宛名シールの印刷も開始されプリンターは数時間連続用紙に印刷をかけていた。私は昨年の春彼岸のホルダーを更新してプリントアウト。丸ちゃんが原稿を受けて印刷を開始する。しかしそれだけではない。墓地の管理料や滞納の打ち出しと詳細のプリントアウト。申し込み葉書や種々の案内も同封されるので印刷物も相当に多くなる。
全部院内で処理をする。デジタル印刷機、紙折り機、バースター、封緘機、機械で出来ないタックシール張り等は手作業となり三月には発送できる段取りとなる。その後は彼岸塔婆の準備や受付一覧の入力とプリントアウト、塔婆の清書と十重二十重の読みあわせとチェック。墓地管理料の入力と付け合せ。
お寺って何をしているのだろうと思われる向きもおありだと思うが内部だけでもこれだけの事をしている。これは「寺」務の一通りであって「事」務ではない。事務はモット煩雑であります。
昭和58年ごろからパソコンを導入したおかげで、時間の極端な短縮と正確さがもたらされて現在あるがそれでも大変だ。
お墓の清掃、植木への肥料の準備と除草の対策、墓参の設備の計画、世話人さんや僧侶の一丸となった協力で毎年乗り越えている。

 午後より親睦旅行の打ち合わせ会を3時過ぎまで行い台湾旅行の夢を皆さん、ふくらませてお帰りいただいた。事業計画(遊びの)も今年度から決めて計画的に遊びに行くそうである。私も楽しみが増えた。
■2/13
 多忙な一日
今日は忙しかった。
六波羅蜜会堂で葬儀を上げた方よりまた大変な感謝の言葉を頂いた。私的には何時も心配をしているのだがかえって感謝をされるとこちらも戸惑う。と言うのも自分で良いと感じて居るのと利用者が感じる事とは違うので、お世辞を抜きにして正直な気持ちで神経を使う。
使っていて最後に感謝の言葉と心からのお礼の言葉を言われると本当に気持ちも軽くなるし気力も充実してくる。
またメールで色々と感想や思いの丈をお知らせ頂くのでこれもまた嬉しい。バレンタインのプレゼントを遠来より頂く。お参りに行って貰う事もあるが心に掛けて頂くチョコの味はチト味わいが違うようだ。
明日は女性世話人の有志の方と少し懇談を持つ。午前中は春期彼岸の準備もある。住職代理は公休。住職補佐と共に明日を勤める。
■2/12
 午後より高野山へ水行へ
午前中、法事を済ませて午後より高野山奥の院へ出かけた。水行と書いたが玉川という清流が御廟前に流れている。
この間の葬儀の時、洒水器の水を壇用教典の上にこぼしてしまいボトボトとなってしまった。洒水器とは清浄に加持された水を入れる器であり、壇用教典とは葬儀の時に導師が柩の前で読む経本の事である。住職をして30年弱にして始めてこぼした事を深く考えて高野山奥の院玉川で水をかぶろうと思いつき本日出かけてきた。
山頂はマイナス2度程であり下界から登ると耳が痛かった。水行場に行くと多くの参詣者がおられた。今日は土曜、今から始めようとする私の衆人環視の行為は、私の決心をくじいてしまった。情けない、が仕方ない。準備してきたタオルを清流の流れる水行場へ持って行きタップリと濡らして頭、顔、両腕、腹部と拭いた。意気地がないのである。頭からも腕からも湯気がモウモウと上がる。手だけが不思議に冷たい。体を拭くと数人が不思議そうに私を遠巻きに眺めていた。冷たいタオルを手に奥の院御廟にてお経を上げた。
ワイシャツに半袖の下着。とても寒いのだろうが不思議に寒くなく心を込めて読経を済ませる。その後、奥の院先師墓へ読経を済ませ雪の降り積もる参道を踏みしめて車に戻った。
先月もお参りに出かけさせて頂いたが出来る事なら毎月お参りに上がりたい。私も歳なのであろう。明日は忙しい。交通事故だけには注意しよう。
本日のお参り、今度は泊まり込みで人のいない頃・・・夜にでも行なわせて頂くつもりだ。
■2/11
 結婚式出席
午前中、法事を済ませて午後より結婚式出席する。今までにない心配りのあるそして、夢も希望も湧き出るような結婚式にお招きを頂いた。結婚式に出席後、屋外でのカクテルパーティー。さぞや寒いと思っていても全然寒くない。沢山の能力の高いストーブが設置してあるので寒さを感じなかった。
その後、披露宴会場で盛大な結婚式。そして再びガーデンパーティーでデザートを頂きお開きとなった。とても思い出深くそして心のこもった結婚式に出席できた事を心から感謝したい。ただ惜しむらくはデジカメを買って持参したのだが電池切れで・・・・
同じテーブルの方達ともとても楽しく過ごす事ができたのしかった。今月もう一軒の結婚式が待っている。待ち遠しい。夕暮れのなかを急いで帰寺したら真新しい白木の位牌があった。
■2/10
 所用でお寺を空けていた 
色々な突然の予定に遠方に出向いて昨夜遅くに帰寺した。留守中に葬儀もあり申し訳なく思う次第であった。

日差しは時として春を告げるような陽光であり、地面に目を落とせばスイセンの頭がポツポツと出てきた。生命の芽吹きは嬉しいが亡くなる事は寂しい事。やり直しのきかないのが人生だ。私も悔いを残さないようにと、思い切って人生を送ってきた。
悔やむような事は少ないけれど、もう一度若くはなれない事を寂しく思う日々です。これから先をもっと大切に生きなくてはいけない。
■2/6
  
僧侶久し振りに全員揃う。朝より色々と忙しくする。立春とは言えども未だ寒い。でも一輪程の暖かさで梅もチラホラ車窓から眺める事が出来る。
昨年11月にネットオークションでデジタルカメラを落札した。お金を振込み首を長くして待つ事暫く、クリスマスの頃に商品は手に入らなかったので返金しますと言うメールが来た。こちらの口座を連絡要請がありメールを出しても梨の礫。他の方々も同じく被害に逢われ被害届を出している方もおられる。大変便利で費用も格段に安価で手に入るオークション。ほんの一握りの悪人がほくそ笑む詐欺。酷い事をする。クリスマスの子供のプレゼントだったのに。
明日被害届を提出するつもりだ。
■2/4  
住職代理は連休に入る。丸山住職補佐が朝より一人で頑張ってくれる。私は午前午後と来客や昨日の星祭りの事後処理に追われて一日を終える。夜久し振りに運動に出かける。やはり体を動かす事(運動)は終えると清々しくお腹の周りも少しへっこんだ様な気分にもなれる。健康が第一だ。
■2/3  節分・・・沢山の方々がお見え頂いた
豆もなくなってしまい恵方巻きも底をついてしまった。冷や冷や物で豆撒きの最後の方は世話人さんのお札の豆を集めて豆撒きをした。恵方巻きも一本残らず無くなり崖っぷちでの豆撒きを終える。
可愛い赤ちゃんや、娘さん、おじいちゃんお婆ちゃん、色々な方がお越し頂いた。私のかけ声で豆撒きをする。豆を頂いた方に一言、「ご自身のお歳の数だけ豆を頂いたら一つ余分に豆を食べてください」来年も元気でお越し下さい。有り難うございました。
豆撒きの会場 大きな声で「福は内」
恵方巻きと南天の一葉
お札に挟んで玄関へ
最後は世話人さん達の
豆撒きでした
■2/2
 寒すぎる・・・
何か仕事をしていたのだろうが寒いのと、雪の心配で一日を終える。明日は星祭り。多くの方がお越しになられるのだろう。
世話人会の旅行に既に10名近くの台湾旅行参加者が現れた。いつもの事ながら楽しいので皆さん無理をしてまでも出かける。私も楽しみだ。明日は豆撒きがありお手伝いの方も多く来られる。万端手配をして粗相の無いように勤めたい。
■2/1
晴れ  最高気温4度 とても寒い
午前中、法事等で帰ると女性世話認可の方々が掃除や星祭りの準備に来て頂いて慌ただしく働いていてくれた。彼方此方で無駄話をしてきて半ば遊んで帰ってきたら・・・忘れていた。
11時過ぎにお茶の時間となり私も仲間に入った。湯布院に行くとか再度沖縄へ慰安旅行へ行こうかとの話で持ちきりになった。私が「台湾へ行こう」っと言うと待てましたとばかりに賛成の声。これで台湾へ行ける。食べる物も温泉も日本人にはフィットする外国だ。と言う事で春先の旅行は決まった。
お昼ご飯後、何処かへお参りに行く事となり豊川の財賀寺に出かけた。とても良くして頂きご住職や奥様から大勢で出かけたのにお抹茶のお接待やご法話まで承った。奥様の気取らない気さくな語り口にみんな大満足でお参りを終えた。帰りのバス中で精進料理を食べに行く事となり財賀寺さんへ再度電話で食事をお願いした。
第二東名では刈谷のハイウエイオアシスでみんなのお気に入りコーヒーを飲んで2/3の打合せを再度確認してお寺で解散となった。
みんなからお誕生日のお祝いのプレゼントを貰いうれしかった。

財賀寺さん、今日は突然お参りに出かけて済みませんでした。本堂や諸堂を参詣させて頂きみんな大満足でお参りが出来感謝申し上げます。