02 03 04 05
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
1
2
3
4
5
6
7
8

9
10
11
12
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
各月のタイトル
と内容が異なる
場合があります
ご了承下さい

平成17年3月分

■3/29
  
午前中、月例会議を催す。

午後より全員で山の枯れ木の整理をする。枯れ木と言っても直径40センチ前後の結構な大木。松枯れの木が殆どだ。私は既に15年ぐらいは松枯れの木の伐採を暇が有ればしてきたので、きこりと同じくらい倒木作業はお手の物であり、伐採の様々な機器を準備している。チェーンソー、ワイヤーウインチ、発電機、重機等がある。

立ち枯れている松を切り倒しワイヤーを掛けてウインチで引きずり出す。そしてユンボで持ち上げチェーンソーで小切りにして整理する。簡単に聞こえるがとても大変な作業でもある。今は楽になったが以前はノコギリと軽トラックしか無く、私独りで切っていた。

山仕事の経験のない若い僧侶は興味津々で手伝ってくれるし、環境整備の職員さんは俺たちの仕事と言う気概を持って手際よく作業が進む。そうこうしていると受傷して休んでおられた方がそこへヒョッコリ来られて声を掛けてくれた。スグにでも仕事がしたいような様子が手に取れるように感じられる。

お寺は色々な仕事があり、特に当寺のように広い山を都心で維持して行くには、衣だけ着てお参りだけしている訳にはいかない。でもこの山仕事が慣れると結構楽しくもあります。そんなこんなで気が付けば夜、一日を終えました。
■3/28
  高野山参詣
午前中、建設業者が寺の本坊及び書院の改修に来られてほこりや騒音がけたたましかった。また大学病院の或る方に、知人今もお世話になっている入院患者さんへのご高配をお願いに出かけてきた。帰寺後、予定表を見て檀務を住職代理にお願いして午前11時から高野山へ参詣をしてきた。いつもと同じく奥の院ご廟へ参詣しその後、先師墓へ参詣をして山を下った。
奥の院での水行には許可証なるものがいる事を始めて知った。色々な手続きがあるもんだと思う。何もこれからは許可証のいる場所でなくても高野山には川や滝がある。
少し気が削がれたのか集中力が萎えてしまった。明日もう一度高野山を参詣を密かに思っている。春は間違い無く高野山の山頂にも訪れていた。
■3/27
  風もない穏やかな日
朝5時頃「ホーっ、ホケッキョウ」とウグイスの声が聞こえてきた。春になったんだと心持ちも軽くなった。都心の中で森があるのも珍しくなってきたこの頃、ウグイスの声を間近に聞くと本当に嬉しくなった。境内は梅の香はむせぶように漂い、木々が木の芽が春を今か今かと待つ雰囲気が感じられる。

青春は何歳から始まり、何歳頃に終わるのか? ふっとそんな事を思った。学生時分に、毎日の学校通いの中で青春が始まり、尾崎豊の歌ではないが「・・・青春も終わりかなとつぶやいて・・・ ♪」で終わる青春、森田公一とトップギャランの「青春時代・・・青春時代が夢なんて、あとからほのぼの思うもの・・」果たして何時頃に青春の終わりを迎えたのか?

ウグイスの声を聞いて春を感じ、目の前には汗ばむ陽気が目の前に迫っている。何時春が終わるんだろう? 今を大切に、そしてこの瞬間を幸福と感じられると幸せなんだろうな。人生、区切りのない時間の中で過ごす春秋。その中で「幸せだったな」なんて思えたら最高の人生だろう。 「ほーッ ホケキョ」ブルッと震っても春を楽しもう。
■3/25
  小雪ちらつく
春分の日が過ぎたのにも関わらず小雪と言うより雪が朝方降っていた。当寺の職員も驚いて窓に目を遣った。小雪が舞い散る午前中であった。私の若い頃、イルカと言う女性歌手のなごり雪を思い出してしまった。
万博が始まり新聞を賑わしていた。今年の九月まで車の渋滞情報は否が応でも注意を払わなければならない。ともかく始まったのだから無事を祈り大成功の博覧会であって欲しい。テレビや報道を見聞きするとなんだか一度行ってみたい気もするけれど・・。次回は上海万博とやら。やはり空いていそうな時にチラリと行ってみたい気もする。
■3/24
  
午前中、建築業者さんそしてお弁当屋さんが来られて万博の四方山話をして帰られる。お弁当屋さんのお話だと一日に6万食のお弁当の需要が有るのだが単価と納期の問題で殆どの業者さんが降りてしまい現在5000食しか納入できない状態という。どうするんだろう?明日からの万博。関係者は他の事も含めて頭の痛いままの開催となるのだろうか??
午前中葬儀執行。午後より来客有りで忙しくする。
明日も2件の葬儀を行なう予定となっている。もう今年も1/4が過ぎようとする。四月目前、気が付けば春。ドンドンと時間だけが過ぎ去る。
■3/23
 寒い雨の一日   
午前中葬儀、午後より来客や打ち合わせで忙しくする。住職代理は公休。
何処へ行っても万博の話題でもちきり。お話の中心はやはりアクセスと手荷物検査、及び食事の問題がスグに上る。
私は以前より人ごみが嫌いなので行かないと決めているので気楽に聞いている。明日は天気がいいみたいだが明後日、万博当日は晴れにして足元を良くしたいものだ。
当寺の山門上棟式も抜けるような昭和62年3月31日、快晴のなかで行われた。母も元気で色々と気を使って息子の晴れを応援しくれた。前日は余り天気が良くなく相当心配をしていた。同時にオープンした葬儀場「楠会堂」も竣工を迎えた当日であった。盛大な祝宴を開き大盛会に終えた事を昨日のように思い出す。あれから18年の星霜を経て今日がある。私も若かった、31歳の春だった。
万博も晴天の下に行われ事を祈るばかりだ。夜お通夜を住職補佐と二人で行い一日を終える。
■3/22
 雨の一日   
早朝、枕経に出かける。8時半にお寺を出て14時に大阪府泉佐野まで所用で往復する。高速道路が劇的に整備されたので当寺から僅か3個信号を過ぎれば泉佐野までノンストップで行く事が出来る。
また東海環状道の一部が完成したので豊田ICから中央道の土岐辺りまでつながったので長野方面へも大変便利になった。第二東名も四日市までつながったので2時間コースが30分に短縮でき便利になった。
午後より掃除や書類整理で一日を終えると子犬のシェパード「グレイス」が私を待っている。とても疲れる。まだまだ赤ちゃんなので世話が大変。困った事です。夜、枕経に再び走り就床となる。
■3/20

 春分の日   
彼岸のあわただしい一日を終える。お墓参りもたくさんの方がお見えであった。
午前11時より僧侶6名にて彼岸会を執行する。多くの方がお見えで大混雑をした。事故もこれと言ったトラブルも無く穏やかに終えられたことが幸いでありました。
彼岸会の様子をアップします。ご覧ください。

お勤め開始の半鐘が鳴る 本堂の内
僧侶入堂 導師戒名奉読供養
焼香の方々
皆が本堂に入りきれない・・・寒い外でお待ちいただいた
無い々尽くしが、気が付いたら
立派な本堂に成っていました
糞雑衣(袈裟)のお話をしました
本堂の外様子
塔婆をお渡しする
法会後のお接待(おはぎ2個)
当寺の袈裟を着衣されたご家族
袈裟(「糞雑衣」)着衣を私は薦めている
美味しい??
私たち世話人会が準備しましたよ! どうぞ頂いてください
■3/19

   
彼岸前のあわただしい一日を終える。お墓参りもたくさんの方がお見えであった。午前中、お参りに出かけて帰寺すると当時の顧問弁護士さんをご紹介させて頂いた方のご挨拶を頂いた。元来明るいご性格のような顔立ちの方も永年の心労のせいか、疲れに曇る眼差しが気の毒であった。
午後、法事を済ませていると六波羅蜜会堂の相談にこられた方がお見えであった。
テレビを点けると万博会場の悲惨な光景が映し出された。以前にもどこかで話したことであったが気の毒な光景である。と言いながら昨日、とある寺院から万博会場でお寺主催の仏教音楽の出演の依頼が来た。待つ、並ぶ、押されるは嫌いだから万博には行かないと言っていた私に、嫌な依頼であった。結局「はいはい」となってしまったがあのテレビを見て改めて嫌になってきた。仕方ないか。でも・・・
明日は彼岸中日、多くの方がお参りにこられる。準備万端ではないが毎年のことだから手抜かりは無いつもりだ。天気も良いらしいので忙しいと思います。

さて先日の当時世話人会主催「台湾旅行」のスナップをご紹介しますのでご覧ください。

さあ出発
中部空港セントレア
100年振りの大寒波 バスの中は冷蔵庫
南国のバスゆえ暖房は一切無し ”残念”
孔子のお寺
四川料理??
日月譚(にちげつたん)
湖>譚>池
湖より小さく池よりも大きいのが譚
玄奘時
三蔵法師をまつる寺
トラのお尻から入って口から出ると言う不思議な物
中には色々な仏画が書かれいた
高雄の夜の屋台村
凄い匂いと活気にあふれた場所。まるで歩行者天国夜間バージョンの屋台村でした
色々なものを目の前で作ってくださる
高雄の圓山大飯店 不思議にベッドが4個も入っていた
アミ族の文化村。日本の民謡をアレンジしたと思われる
民族舞踊?を眺めた。微妙〜でした。
岩をくりぬいた道路 同じく岩をくりぬいた道路
為せば成る!
歩道。。。。 ツバメの巣があったあと
花蓮〜台北まで電車移動
故蒋介石総統の記念堂 総統 専用車
執務室の総統(人形)
ヒスイの白菜 バッタ付き(故宮博物館)
細かくバッタが2匹彫られている
石で出来た
豚の角煮(故宮博物館)
■3/18

 
お彼岸の塔婆を書き始める。もうすぐ彼岸会で気分的には一年が始る気分だ。午前中六波羅蜜会堂にて葬儀。午後より来客。全僧侶が慌ただしく一日を過ごす。境内環境整備の方達もお彼岸の準備やお墓の清掃等の準備もすまされた。新しくお墓の中央部に水道栓を設けたので結構喜ばれている。

この間の高徳院世話人会台湾親睦会の旅行写真をアップしますのでご覧下さいね。(3/19にアップします)
今年の春先までに新たに世話人会のTシャツを作ってみんなに着て貰うつもりです。今までのハッピも良いけど少し若々しくTシャツをバッシッと身につけて貰い、気分だけも軽くなって貰うつもり。安物を作っても仕方ないので「海人」まがいのシャツを作るつもりです。熟年の世話人会Tシャツ姿を見て私も欲しい、私も着てみたい、私も世話人会に入りたいと希望者が出てくる事を祈っての考えです。ハイ。
■3/16

 豊明市老人連合会慰霊祭
午前中、豊明市老人会慰霊祭が六波羅蜜会堂にて催され多くの方のご参列を頂く。私は所用の為ここ数日お寺を空けていた。何時も所用で留守をすると葬儀や色々な事が起きる。
お寺へ帰ると子犬がいた。シェパードの子犬。可愛らしい顔をした生後数週間の子犬。新しい家族が私の承諾なしに増えてしまった。明日から大変だ。まぁ良いか。
世話人会主催『台湾旅行』の報告を暫くしましたらご報告をします。年に一度親睦を深める為に飛行機に乗って数日間の旅行を楽しみます。ハワイ、沖縄、今回は台湾。とても寒くガタガタ震えるような日もありましたが後半は暖かく亜熱帯の日差しを受けて大満足の台湾旅行でした。
殆どの世話人さんは当寺のお手伝いを一生懸命になさって頂きます。今回はご都合で行く事の出来る人が半分でした。私が感謝したいのはご都合で行く事が出来ない方々が「それじゃ、私たちはお寺へ行って掃除でもしよう」っと留守にお寺へ来て彼方此方を掃除して下さったとの報告を伺った。本当に感謝したい。お土産はメンマをたくさん買ってきたのでお渡しするつもりだ。
次回は北海道へ夏に行く事となった。その間に高野山団体参詣、エクシブ蓼科、と小旅行も予定されている。遊んでいるばかりに聞こえるが、仲良く楽しくお寺のお手伝いをしていただけることが住職、私の本当の喜びです。感謝。でも疲れた。
■3/11

 来客の多い一日
午前中、市役所観光協会、奉賛会の幹部の方の古戦場祭開催の挨拶を受ける。その後、中学校の恩師の方が突然お越しになられて色々なお話をさせて頂く。その後、営業の方や檀家さん、がお越しになられた。
午後より雨のお陰を頂いて、山の排水の善し悪しを実地で歩く。矢張り問題箇所を発見する事が出来た。引き続きマイクロバスの洗車をする。

数年振りに自室を移動させて二階より一階に下りてきた。色々と古ぼけた物もだいぶ片付けた。子供の頃から彼方此方へ移動するのが好きだったので何となく懐かしい気分にもなっている。
■3/9

 外出より帰寺
以前よりの約束で二日間外出をしていた。長野県での約束でお寺を空けていました。帰寺すると葬儀があり六波羅蜜会堂に手の葬儀で住職代理が滞りなくご対応を頂き感謝する。
長野県も春めき早春の息吹を感じることが出来た。明日はお参り大好きの先生の法事がある。きっと色々な楽しいお話が聞けると思う。私ももう少し歳をとったらお参り大好き先生みたいに霊場や色々な神社仏閣をあるいて見たい。お寺は京都と思われがちだが、東京にも若狭にも長野にもとても興味深いお寺が多い。特に東京のお寺は興味深いものが多いように私には思える。
■3/4

 高野山参詣
昨日、母の誕生日を一日早めてお見舞いとお祝いに出かけた。「お母さん、幾つになった?」と聞いても返事もしない。かわいそうだ。暖かいミルクにお砂糖を入れて飲んで貰う。「美味しい??」っと尋ねると「美味しい」っと困ったような顔で美味しいと言ってくれる。暫くして「お母さん、今から高野山へ行って来るよ」っと言うと「ウン」と返事。
夕方4時半頃にお寺を出た。名阪高速道路ではあちこちで事故や工事で渋滞をしていた。高野山の土産物屋さんにて天候を伺うと雪との事。夜の9時過ぎにお寺へ泊まるのも迷惑と考えたが宿泊する所も知らないので藤井寺から阪神高速に乗り市内で一泊。今日、奥の院を参詣した。
今日はガラ〜ンとしていた。奥の院水掛地蔵尊の辺りで頭から水をかぶり身を引き締める。前回と同じなのだが手だけが寒い。不思議に体は寒くない。身支度をして無明の橋を渡ると、後ろでドボ〜ンっと凄い音がする。振り返ると雪かきをしている方が雪を川に投げ入れる音だった。御廟前で理趣経を一巻上げる。
奥の院の霊気を胸一杯に吸い込み、感謝の気持ちで先師さんのお墓もお参りする。
奥の院御廟前をお参りして、考えさせられる事、教えて貰える事、諭される事、色々であり本当に有り難いと思える。心平静に静かに居られるお山に感謝したい。
白銀のお山から40分もすると春の気配漂う紀ノ川を渡り先ほど帰る。
■3/2

 
午前中お参り、お昼より葬儀を六波羅蜜会堂で執行。大変喜ばれた。「以前は集会場で普通の祭壇で葬儀をしたのに180万円程必要だったが今回は1/4以下の40万円程で済んだ。祭壇も施設も比べようもないくらいに立派で本当に良かった。有り難うございました」と大変感謝の言葉を頂いた。
  「私しゃがビックリしたのはトイレだった。こんな綺麗で行き届いたトイレは初めてだ」といたくトイレにお褒めの言葉を頂いた。しかし、それもその筈で、トイレに立てば自動的に蓋が開く。全て清潔を旨として便器も選んだ。腰を上げ身支度をすると勝手に水洗をしてくれる。出れば自動蛇口から温水のお湯が出る。手を石けんに運べば自動で石けんムースが出てくる。勿論手の乾燥機も温風だ。キットそれを驚かれたのであろうが、考えてみればホテルくらいにしかない設備だから・・・。でもロビーや至る所に東山魁夷画伯や千住博、色々な方のリトグラフも掲げてある。そちらの方がもっと高価なのだが余り感想を聞かない。ともかく喜んで頂いて有り難かった。

 葬儀後名古屋MKタクシー会社の人達が来られ観光の勉強の講師をする。1時間程であったがとても熱心にメモを取られておられた。万博や色々な所からのお客様をお連れするという。
お彼岸の発送を完了する。明日は中京競馬場馬頭観世音祭で住職補佐とお参りに出かける。代理は公休。
高野山へお参りに出かけなくてはならない。奥の院の凛とした空気が胸一杯に早く吸いたい。玉川の水を体に受けて気持ちだけでも清浄になりたい。
■3/1

 3月桜はマーチかな
桜が咲いていた。先日東京へ出かけて帰る途中に皇居、平川門という場所で信号待ちをしていた。カメラを向けてパチパチとシャッターを切っている方がいた。タクシーの中から眺めるとピンク色に花のつぼみを揃えた桜の木を眺める事が出来た。梅ではないだろうかと暫し眺めるのだが矢張り桜であった。場所によって桜が咲くのだろう。

昨夜、寒い名古屋駅に降り立ち迎えのタクシーを探していた。「桜通交番の前」と言われるのでその交番を探しているとお巡りさんがおられた。お腹の突き出た私と同じくらいの方のようであった。「すいません、桜通り交番って何処ですか」「ああ・・あそこだよ」「有り難うございました」っと分かれた。しかし迎えのタクシーはいない。そこへ同じ警官がやってきた。「タクシー来た?」っと私に尋ねる。「まだなんです」といった時、タクシー会社からの電話で「何処にいます?」っと携帯が鳴った。「交番の前ですよ」って言うと、「ここにいると言ってやれ!」と警官。「ここにいるよ」と言うと「・・・運転手に探させます」で電話が切れた。
警官が「お宅は何屋さん?」っと聞く。私は冗談っぽく「お寺屋さんです」と返事をする。ニッコリ笑って「何処の?」っとまた聞く。「○○方面です」と答える。話題逸らそうと「お巡りさん、県警の警備部長って偉い人なんですか?」って聞くと「そんな話よりも下々の話で・・」と私を見つめる。「実は○○の事件のうわさ話を聞かないか?」っと聞く。忘れていた昨年の事件の話が主題であった。私どもが忘れている事も気にしているんだな〜と想いつつも知らないのは事実だから「知らない」っと答える。「お巡りさんは仕事熱心だから何時かテレビに出るかも知れないね」っと言うと「実は今度テレビに出るんだ、それも全国版で」っと嬉しそうに言って分かれた。
タクシーを探すべくキョロキョロしていたら遠くから大声で「コッチダー、コッチダー」と声がする。側にいた数名の警官が走り出した。「違う違う、そこの和尚さんだよ」っとタクシーを見つけてくれた。車に乗り窓からニッコリ笑顔で会釈するとニッコリ白い歯が見えた。ホンの僅かな時間だったがお巡りさんの仕事熱心さが良く伝わり、厳めしいばかりではないお巡りさんを感じる事が出来た。

お彼岸の準備もこの2〜3日で発送の運びとなる。寒い冬から穏やかな春を迎えようとしてる。



戻る