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各月のタイトル
と内容が異なる
場合があります
ご了承下さい

平成17年4月分

■4/30
    
お寺では厨房基礎のやり直し工事を始める。側溝や山からの水が長年基礎部分である木材に当たり、その上シロアリが発生していたので大がかりな工事となってきている。ジャッキで柱や梁を数本上げて腐食部分を取り除き新しい柱と基礎をやり直す工事だ。
昨日も法事があり会食の準備をしようとしても従来の半分も厨房を利用できなかったので仕出し屋さんはとても苦労されたと思う。

近日中にトイレも再々工事がなされ全て洗浄型で木目を活かした純和風の男女別トイレが施行される。合わせてトイレ・厨房・庫裏の外壁も新しくなる。他に付帯する工事が有るがしなくてはならない工事でもある。このお寺を護って行くにはとても力もいるが、励みにもなる。

午後より寺の都合を見て組寺のお寺に支所の行事のパンフレットを配りに歩く。運営自体詳細の決まっていない、行事のパンフレットを配る。色々と質問や細部を聞かれても返事のしようもない行事のお手伝いだ。
行事自体はとても意義有る事であり参加は無論勧めていくが、当寺の壇信徒さんが混乱し不愉快な想いだけはさせたくないので、当寺が引率する方々へは細心の配慮と便宜を、当寺は図っていくつもりだ。
■4/28
  高野山団体参詣  
毎年の高野山団体参詣より帰る。二日間とも快晴無風のお参り日和に恵まれて参加された方も大変満足されて喜んでいただいた。
弘法大師のお母様のお寺「慈尊院」を始めてお参りさせて頂いた。大変良くして頂き帰り際には八朔まで頂きバスの中では美味しいの連発であった。高野山に到着したら案内人の方を初めてお付けして説明を頂いた。今までは私がしてきたのだが・・・。奥の院もホン際まで送っていただいたので皆さん「今年は楽をさせていただいた」と一同にご感想を言って頂いた。これはお足のお悪い方へのご配慮であり、本来は中の橋から歩くのが本来だ。まぁ、そうは言いながらも今年の高野山参詣のレポートをアップしますのでご覧ください。

慈尊院の山門
風薫る清清しいお寺であった
慈尊院本堂内にて 愛犬ゴンのビデオ
(参詣人を高野山まで案内した犬)
若葉のかきの葉にて包んだ柿の葉寿司
竹の皮に包まれていてお弁当のようだと
大好評であった
しだれ桜満開の本山
金剛峰寺
客殿にて法話と湯茶の接待を受ける
奥の院灯篭での清掃奉仕 昨年も一昨年も毎年している
この雑巾をきれいにして仏間やお墓を掃除するときに利用してもらう
宿泊した宿坊「金剛三昧院」
北条政子の創建、元々は臨済宗で栄西の開基
熊谷寺での接待を受ける 住職から親しくお話とお接待を受ける
伽藍で彼方此方の堂塔の説明をする
いつもバスでお世話になるガイドさん、有難うございます。
■4/24

快晴   暖かい一日
お寺では2件の法事があり私が担当した。一件は50人は来られたのだろうか、本堂のイスが間に合わない程であった。もう一件は20人程。天気も良く皆さん心持ち良さそうであった。

お昼過ぎにTシャツやさんの店主がお越しになられた。写真で私の意図する物を写されて少しお話をして帰られた。来客があったのでユックリもして貰えなかったのが残念。

夕刻知人の会食会に出かけて楽しい一時を済ませる。久し振りに合う友人は「とうとう、僕は体重が三桁になってしまった」と私にこぼした。うん、何となく隣に座った時に少し胸板が厚くなったかなと思っていたが・・・
体の調子も良くないと言う。結構人気のある人なので頼られて彼方此方に顔を出しているようだが余り無理はしない方が良いぞと一言言う。
春の宵・・・街はツツジが咲き始めた。少ししたら高野山団体参詣である。今宵は早く休ませて頂こう。
■4/23   母を見舞う  
午後、母の見舞いに出かける。話しかけると私の目を見てチャンと受け答えするのだが長続きしない。暖かいミルクに砂糖を入れて飲ませると「美味しい おいしい」と喜んで飲んでくれる。

帰り道、お寺の世話人さん達にTシャツを作る事を以前から思っていて街中のお店へ出かけた。お店にはいると雰囲気有るジャズがかかり、私が感じてきた衣料品店さんとは違う趣を醸し出していた。ピカピカの衣料品店ではないし、何となく商品をセンス良く掛けてあり親しみがあった。お店の雰囲気はお客の第一印象となる。

腰を掛けて色々と話して自己紹介をすると店主さんは既に私の事を知っていた。 お寺のそばで育った事、当寺へも何度か遊びに来ていた事、自分の思いの丈を絵に描いて私にプレゼントした事。そんなお話をして貰った。その絵の事は覚えているがその主が彼とは全然知らなかった。その昔、気の張った人が「今の自分だ」と言って強引に絵を置いていった。そんな思いがあり、床の間に相当長く置いてあったがその絵の作者のお店へ知らずに尋ねるとは、縁は不思議である。

懐かしさがあったのか、親切に色々と相談に乗って頂き有り難かった。自分は知らないのだが、先方は私を知っていてくれている。縁があると言う事はこの事だと感じ心強く思えてくる。
明日、写真を撮りにお越しになられると言う。力になって貰いたい。

お寺の応接を通る度に、若かりし頃の彼の絵を横目で眺め、今の彼を明日待つ。
■4/22
  寒く風の強い日  
午前中忙しくしていた。午後より山の雑木の処理を職員全員で行なう。木材粉砕機の愛称が「ガリガリ君」と言う名前で呼ばれている。命名者は丸チャンこと丸山僧正だ。ガリガリ君の機械口に刈り集められた雑木が入ると「がりがり」という凄まじい音でチップにしてくれる。
そのチップを庭木の下に撒いたり草の生える場所へ撒くと、保湿効果と雑草の生え難くする効果がある。何よりも自然の物を自然に帰すという環境へのリサイクルが可能でありとても重宝している。

夕刻より歯医者へ行く。数年前、知覚過敏で歯の神経を抜いた事があった。歯は小学2年生の頃に一度だけ虫歯で出かけた事はあったがそれ以来の歯医者であった。虫歯では無いが神経を抜く事を勧められ恐る恐る抜いた。それが半年程で化膿してトンでもない事態へと発展してしまった。
今回被せた歯が欠けて補修をして貰ったがいつまで保つか・・・ 歯医者さんが「今度欠けたら金属の歯を入れましょうよ」と勧められたが口を開くと色の違う歯が入るのがイヤだ。あ〜ぁ、最初の歯医者さんがチャンとしてくれていたならこんな事にはならなかったのに。
■4/21

  なな月参りの日  
午前中、大勢の人がお参りにお越しになられた。先日六波羅蜜の教えを書いたコピーを頂き、このhpにその事をご紹介した。
今日このなな月参りにお参りに来た頂いた方々にそのチェックリストを作ってそれぞれにお渡しをした。心がけてチェックリストをもう一度読み返して欲しい物だ。

一昨日、知人達11名とで浜名湖へ一泊で小旅行をした。本当に久し振りに会食して泊まるなんて本当に本当に久し振りであった。少し調子に乗りすぎてお酒を頂きすぎた。何せその中でも4〜5名で紹興酒を数本飲んでしまい、正直10数年振りに気分の悪い半日を過ごしてしまった。午前中に帰寺して色々と諸事の段取りをしてはいたが、昼過ぎよりダメであった。今日も少し反省の事が一寸あったがまぁ良いか。のどのガラガラは今朝で治りました。はい。
■4/19

  
午前中、世話人さん達がお越しになり護符のボランティアをされる予定であった。私の思いつきでタケノコを掘ろうとお誘いするとみんな大賛成で早速タケノコを掘り始めた。
とても楽しくみんな子供に帰ったように声を弾ませて一時を過ごした。山中や山門辺りのタケノコを掘りました。一段落ついた時に私がマイクロバスでドライブに行こうと誘うとまた喜んで大賛成をしてくれた。行き先は南木曾温泉郷付近の大しだれ桜の観賞が目的。
最近新しく開通したばかりの東海縦貫道を通り一時間20分程で長野県の南木曾に到着した。目的の大しだれ桜は圧倒される三本の枝垂れ桜で初めて目にした。時折通るのだが花の咲いた桜を拝見した事がなかった。凄いの一語で、周りの山中にも枝垂れ桜の大木があちこちにある。

暫く眺めて再びバスに乗り、程なくするとホテル木曽路館があり名物のお蕎麦を頂いた。4時過ぎに帰寺する。
下の写真はその大枝垂れ桜です。来年、木曽路館へ行かれる際は桜の季節を見計らって行かれるとその大きさに圧倒されます。

高さ30mは有るだろうか 三本林立している
長野県南木曾町にて

■4/17

  暖かい一日
午前中忙しくする。以前からチョクチョク顔を出す「お父さん預かります」のお客さんとマドンナの一人がお寺を尋ねてきてくれた。日曜日はどうしても時間がとり難いので十分にお相手ができなかった。
そこでタケノコを掘ってお土産にして頂くという事をお願いした。ミカン狩りとかリンゴ狩りは有るだろうがタケノコ狩りは無いと思う。始めて鍬を持つのであろうか?ワクワクしながらキット掘られたと思う。

こちらは10時からのご法事をさせて頂き、引き続き11時のご法事をさせて頂いた。早いもので100ヶ日の方であった。お仏壇の前に座る前にご主人から「六波羅蜜の内容が分りました」っと話しかけて頂いた。
仏壇の前には「6つの幸せの種、六波羅蜜の教え」なるコピーされた用紙が置いてあった。無論私も感心があるので後で拝見させて頂くつもりで読経を始めた。

終了後、「このコピーは東京から本日来られた方が、葬儀場の六波羅蜜会堂の名前の事が気にとまり、偶々この書類に出会い本日持参された」との事を告げられた。「私なんぞ、本当は何であんな親しみのない名前を付けたのか分らなかったが、よく分りました」と言って頂けた。

その書類を見ると「六波羅蜜」の事が分かり易く、そしてチェックリストまで上手に作られていた。私自身これは良い物を拝見したと思い「コピーを頂けないか」と相談した所「その為にもう一部作り、持って頂くようにしております」と言われ、とても嬉しかった。しかしもっと嬉しかったのは「実は家内の忌明けの折り住職備忘録で家内の事を書いて頂いた部分をコピーして会葬の方に持って頂いた」と私に告げた。突然の事に私自身、奥様の何を書いたのかを既に忘れ「えっ〜と、何が書いてありましたか?」とこちらが尋ねるような事でした。

因みに六波羅蜜のチェックリストをここでご紹介します
名称 主たる意味 チェックリスト
1 布施 精神的
物質的な施し
□優しい言葉で話したか?
□笑顔を誰かに見せたか?
□親切にしたか?
2 持戒 戒めを守る事 □約束を破らなかったか?
□規則正しい生活をしたか?
□決まり事を守ったか?
3 忍辱 堪え忍ぶ事 □我慢できたか?
□怒らなかったか?
□許す事ができたか?
4 精進 一生懸命努力
する事
□一生懸命頑張った
□目標に近づく努力をしたか?
□続けている事を止めなかったか?
5 禅定 精神を集中して
静かに考える事
□心を落ち着けて行動したか?
□今日の行いを振り返る時間を持ったか?
□今日の反省を明日に活かそうと思ったか?
6 智慧 真理を見抜く
洞察力の事
□物事をよく見て判断したか?
□真理を見抜く目を持とうとしたか?
□正しい判断に基づいた行動をしたか?

私は大変良くできているチェックリストと思っております。難しく思わずにこのチェエクリストを振り返る事が一番と思います。
また、お寺の鐘の音を聞いたら、このチェックリストの少しでも思い出して六波羅蜜の実行を心がけて欲しいです。今日のご法事に感謝申し上げます。
■4/16

  教育の怖さ
子供は親からの影響を一番最初に受ける。鳥は始めてみた相手を親と信じて後追いをする。
それが人間であれ鳥であれ、一心に親の後を子は追う。
親は自ら子供の汚物に触れても汚いとも思わず昼夜を分かたずに子供の世話をする。病気も怪我も色々なことも自らの痛みとして子供の成長を願う。

そんなにして子供成長を楽しみまた、親を信じてきた子供にある日突然に、まったく逆の事を指示したら子供は何を信じて良いのか戸惑ってしまう。

いま、中国では反日や不買運動のデモや暴動化した事件が毎日報道されている。反日の教育は、中国国内事情の不満を逸らすにはこれほど好都合な事は無い。しかしが、その「好都合」により生じる幾つかの「不都合」は、子供たちにとって信じてきた事自体を否定をされ、その結果次第に親を子供は信じなくなる。親のご都合が不都合となりその矛盾を責め始めた時、「中国」が手のつけ様が無いような事態にならない事を祈りたい。

何時も悪者がいると「あいつのせいで・・・」で、すべてが片付く、非常に或る意味では都合が良い。雨の降ったのも「あいつのせいで・・・」、失敗したのも「あいつのせいで・・・」で毎日を過ごす。自分のせいでも「あいつのせい」で不満は収まる。

「あいつのせいで・・・」を「今日から使うな」は子供として、親の真意を量りかねる自体となり、力で封じ込める事は容易だが、以前にも増したパワーを持った「「あいつのせいで・・・」が方向性を失い無軌道な爆発を誘発してこの地域の安定を失わせるような気もする。三つ子の魂100までも。

シンガポールでもタイでも台湾でも殆どの国民は日本が大好きとアンケートに答えているとニュース報道があった。反日教育を「根性の根源」としてきた国民にとっては自分たちとはまったくかけ離れた考えると映るだろうし、如何に教育の重要性が大切かを身にしみて考えさせられる。

では今の日本の教育はと言えばこれまた考えさせられる事態となっているように思える。緊張の頂点に立つ中国や韓国、考えや意思を主張する事さえ失った日本。両極端が対峙する摩訶不思議な北東アジアの現況。

しかし、万博やオリンピックの開催国にしては本当に資質を疑う。もういい加減にして欲しい。下手をすると経済も信用も国家の土台からも一瞬にしてひっくり返ってしまう・・・。人民元の切り上げ要請、国営銀行の膨大な不良債権、貧富の差の拡大、富裕層の財の独占と農村の格差、環境・失業・人口・食糧・鉱物資源・知的所有権等の問題を考えると本当に心配だ。中国こけたら皆こけるから・・
■4/15

  健康診断
毎年一泊二日の健康診断に出かける。通常は年一回の検査で種々の細部までの検査をする。
心臓・脳・癌と三種類の検査であり、三種類の検査と一種類の検査を一年おきに変えて検査をしてもらう。毎年たいした異常は無いのだが、例年医者から脅かされるのが嫌で一年と少しばかり時間が空いてしまった。もし癌があったら困るし、体に異常が無くても色々と注意をされるので、それが嫌で行かなかった。

流石に怖くなって行って来た所「いや〜数値が良くなりましたね」と心配とは裏腹に褒められてしまった。褒められたと言うよりマシになったと言ったほうが当たっているかもしれない。これからはもう少し運動をして健康な体を維持して行くようにと指導をされた。

明日は土曜日、色々な方が来られる予定となっている。元気な顔でお迎えをしようと思う。
健康は宝と言うが、本当に何も無くて良かった。
■4/12

  隣地にマンション工事
桜が雨散り始める。
突然、隣地にマンション工事が始る。その土地は50年程前にはお寺の土地であった。
「愛知用水が来ると二束三文で買い取られるので手放すと良い」とガセネタを信じた当寺の先々代住職が実印もろとも不動産屋に渡した土地と私の父が事ある度に悔やんでいた。7階建てのマンションは賃貸という。これから芽吹く木々を思うと可愛そうな気もする。
■4/10

  暖かい一日
桜が満開だ。明日から雨が降るという。本日はいつものような日曜日でバタバタしていた。任意のサークルの会議もありお寺は終日賑やかでもあった。

目のご病気で病院を紹介させて頂いた方のお見舞いにも出かけてきたが、失明を免れ前よりも視力が回復したと言われてお礼を言われた。別に私が医者ではないのでお礼はドクターに言うべきであろうが、余程嬉しかったのだろう。
私も一時期失明の危機に瀕し、毎日みじめな想いをして暮していた入院経験がある。散瞳っと言って瞳の中の検査の為、瞳孔を薬で開かせる点眼が一番イヤだった。別に散瞳がイヤではない。数分の検査の為に散瞳をすると一日が全てお終いとなってしまう。
と言うのは、瞳を空けるので眩しくそして映る物が全てボンヤリしてしまう。
タダでさえ視力が落ちていてハッキリ見える朝一番の検査は、夕方暗くなる頃に元に戻る。新聞を見ても何を見ても辛く悲しい。視力が落ちるという事は、精神的に追い込まれ絶望の淵に立たされる。

今は良くなっているがかつての元気有る視力や能力は半減をしてしまった。命だけ有った事に感謝をしなくてはならないが、目の病気も精神的に追い込まれやすいので今回のような患者(檀家)さんの場合、本当に分るものがあった。

よかった、良かった、これで10年長生きできたね、お寺の桜は満開だよ、と喜びを分かち合った。
■4/9

  暖かい一日
桜がとてもきれいに咲いている。お寺の様子を・・


■4/5

  暖かい一日
11時頃より高野山へ日帰りでお参りに出かけてきた。先月と言っても1週間も過ぎていないのに、お山の上は既に春の陽気であった。
例の如く奥の院でお参りをしてきた。また水行は奥の院裏の人気のない所で憚ることなく行なわせて頂いた。玉川の浄水をバケツで何杯も掬い上げ他のバケツに貯めておいて身を律して行なえばそれで良いのだ。

窮すれば通じるで色々な方法がある。引き続き先師墓のお参りであったが雪の後の落ち葉や枯れ枝が一杯散乱していたのでお寺から持参したエンジンブロアーで大まかな清掃を行い周りの墓地も清掃させて頂いた。

高野山は春であった。写真屋さんも「院家(インゲ)さん今日はお一人?」っと年初来始めて見掛けた程に、お山の上は観光シーズンの到来を告げていた。帰り道、柿の葉寿司の田中屋で久し振りにお寿司の詰め合わせを求めて帰寺する。
■4/4

  寒い一日
今日は久しぶりに半日ほど休んだ。体も楽になってきた。午後よりメールをチェックすると葬儀のアンケートが一通来信していた。開封すると色々な内容のアンケートが記されていたが「当寺の斎場の費用がモット安価であって欲しい」なる一文があった。

葬儀の費用が不確かなのでこの様な要望が出るのであろうが、必要経費や葬具品一式の費用と業者さんの日当が出る程度の費用であり、ほぼ原価に近い物がある。そしてお寺の収益は一切無い。

施設や祭壇を無償で提供し、一生に何度も経験する事の無い葬儀費用を原価で葬儀業者に行って頂く、その様な行為が真っ先に為されるべき事業を実行している、本山や公営葬儀会館、寺院、神社があれば教えて欲しい。

大切な身内を亡くして困り果てている時、宗教家が出来る最善を考えて行なわせて頂く事こそ菩薩行と私は確信する。

「日本人の宗教は置き薬みたいなものだ。家に在る事は知っているがその薬を取り出して飲もうとはしない。薬が有るのに外へ求めに出かける。薬の濃淡を知らずして最期に当てにもしなかった空の置き薬り箱のラベルに振り回される」。

全ての人がそうだとは言わないが、その薬の濃淡を告げるのは私たち宗教家であり、先祖崇拝を仏教の主たる活動に置いてきた私たちの責務は大きい。出来る事を最善と信じて行う布教活動をモット精力的に行わなければならない。
■4/3

  春の日差し
今日は境内で市会議員さんのお花見大会があった。予報は雨、確率70%。昨日は曇りで雨も降り始めそうであった。私が先方に電話をして座敷の準備をと勧め喜んでおられた。そして本日、雨の心配もなくなり懇親を桜の下で行なわれていた。しかし!桜はパラパラであり昼過ぎにはだいぶ色づき始めた。

面白いもので心配事に順序があり、天気を心配しそれが終わると桜の花の数が心配で、それが終わるとお寄りになる人の数が心配・・・考えると切りのない心配にも順番があるようだ。

お寺でのご法事も数件有りその度に宴席の前を通ると喪主にも私にも声がかかる。寄りたい気持ちを堪えてニコニコしながら会釈をして通り過ぎる。今日一日忙しかった。
■4/1

 桜がチラチラ
桜がチラホラと咲き始めた。今から2年前の平成14年三月31日は鐘楼堂「六波羅蜜鐘」の落慶であった。満開の桜と晴天に恵まれて晴れやかな落慶を迎えられた事を思い出す。
今年は何時までも寒くて桜の開花が遅れたようだ。
数年前に南木曽温泉のホテル木曽路館さんより桜を50本寄贈頂いたが現在、色々な桜の花を楽しませてくれる。桜もたくさんの種類があり、花の色も夫々だ。もう少ししたら写真に写してこのhpでご紹介をさせていただきます。

昨夜はある食事会にお誘いを受けて春の宵の街角に出ました。アンコウ鍋を食べて遊ぶと言う趣向で異業種の代表的な方々と話しに花が咲きとても楽しい時間を過ごさせていただいた。とても魅力的な人たちばかりでやはり社会を動かしている方々は人としての魅力も兼ね備えていないといかん事を痛感して早めに帰宅した。人情と気配り、コツコツ努力して素直に生きることが魅力を作るんだろう。



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