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平成17年9月分

海外食料事情

葬儀場 六波羅蜜会堂のフラッシュ(動画)を作成しました
よっかたらご覧下さい。悪い目を悪くしました

■9/30 快晴      大日寺参詣
恒例の世話人会「大日寺参詣とエクシブ鳴門」の懇親旅行から帰寺する。帰路の立ち寄り先は灘の生一本で有名な灘の五郷、神戸の魚崎と西宮の酒蔵を訪れました。魚崎郷では「菊正宗」の酒蔵を見学しました。大変立派な酒蔵で御親切に倉の中をご案内頂き、帰りには菊正宗のグラスまでお土産に頂きました。菊正宗の「菊」は秋の園遊会でのお酒という事で菊正宗、では春はと言うと「桜正宗」とう言うお酒が使われるそうです。その桜正宗では昼食を頂いて見学をしました。
最後の酒蔵は西宮、宮水の井戸がある「白鹿」の博物館、酒蔵館等を見学して帰りました。

帰りのバスの中、夕方までは大変靜でした。何故か? 試飲を重ねて白鹿を出る頃には私を含めて、真っ赤な顔をして気持ちよさそうにバスの中で船を漕いで寝てしまいました。矢張りアルコールが入ると結構体も厳しかったです。お酒はやっぱり夜が似合うのかな?写真をアップしますのでご覧下さい。
バスで出発 ほぼ満席 あの山が大日寺の境内
大日寺のお山は深い 本堂下の山門
私のいつもの休息場所 青空に映る本堂
住職よりのご挨拶 楽しいお話
エクシブ鳴門に到着 お疲れ様
今から懇親会でーす 前庭もきれいです
宴も最高潮
男性軍は「青い山脈」をスクラム組んで
歌いました
女性軍は北国の春を歌いました
魚屋さんのいつものボス鯛
帰りによる鮮魚屋さん
菊正宗 資料館 杉玉(奈良三和神社制)
お酒が出来ましたよ!の標の物
これが酒蔵に上がると新酒出来ました
酒蔵の入り口
ご説明を受ける 杜氏さんの飯場
沢山のお湯を使う、その桶 麹を発酵させる場所「むろ」
桜正宗さんでお昼を頂きました
白鹿資料館 大規模な資料館でした
お酒に必要な「水」(宮水)を運んだ
大八車。わだちが泥水に落ちないよう
石畳の上を走るようになっている
蔵の入り口
落ちる汗も酒のうち(昔の話し)
試飲コーナー(何時も一番に混みます)
■9/28 雨/曇      涼しい
きれいな言葉は聞いても清々しい。心にも優しさを感じられる。「有り難う」と言う言葉は簡単に言える言葉。黙っていても表情だけで相手に気持ちを表す事も出来る。例えば頭を下げる、微笑む。

私たち宗教家は率先して行なう事が大切な気もする。差し上げたり頂いたりする事を布施と言い、笑顔でお返しする事を和顔施。子供を抱いたご婦人に座席を譲る事を座施、人に仏教の教えの一端をお話しする事を法施と言う。

精進という言葉もある。自分に思い付くだけの努力をして行く事。海軍兵学校には「努力に恨み なかりしか」と言う私の好きな言葉があるが、己を律っして、他の喜びを自分の喜びのように祝福できる心の幅を持つべきと理解をしている。

法施を説く僧侶の第一原則は、法施の心構えをキチンとわきまえる事が大切だと思う。難しい事はない、己の言葉と行いの落差を縮める事を心がける姿勢を持つだけの事だ。そんな連中が壇信徒や僧侶組織に向け箔付参加の「講伝やお授け」に出席しても私には、趣味か道楽にしか思えない。

趣味、道楽、極道と人の生き方を大別された方がいたが、道楽の域では法施は説けない。大切な事は、普段言っている自分の言葉に責任を持つ事が大切。「言行に恥ずるなかりしか」兵学校の言葉が頭の中で響いている。この五省の誓いの最初「至誠に悖(もと)るなかりしか」これさえ何時も心がけたらどれ程、周りの人は法施の法楽を得られ、至福の一時を得られるか。難しいけど礼だけは欠きたくない。

1.至誠に悖(もと)るなかりしか
  Hast thou not gone against sincerity?
2.言行に恥ずるなかりしか
   Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds?
3. 気力に欠くるなかりしか
   Hast thou not lacked vigor?
4.努力に憾(うらみ)なかりしか
   Hast thou exerted all possible efforts?
5.不精に亘(わた)るなかりしか
   Hast thou not become slothful?


■9/27      世話人会親睦旅行下見
次回の世話人会親睦旅行の下見に出かける。何時ものように大日寺を参詣して鳴門で宿泊、親睦の宴会、翌日は何処へ行こうかと迷っていたが帰路上に在る神戸の灘の生一本、酒蔵巡りを思いつき、中食の会場やコース、酒蔵を実際に見学してコースを一通り目を通してきた。

酒蔵の地元、西宮六甲山鷲林寺のご住職に色々と下見に関するご相談をして下見をしておりました。帰路によった麻耶山天上寺から下山する折、携帯に電話が入った。私が訪れた事を知り、色々とご指導を頂いた。ご交友のお広い方には色々な情報がすぐ入いり驚いた次第でした。具体的にご指導を頂いたので本当に心強く、世話人会のメンバーをお連れすることができます。ありがとうございました。ご挨拶に伺うつもりでいたので立ち寄りだけさせていただき、お留守の方にご挨拶を頂き失礼をさせていただいた。

大日寺の実弟の道順を聞いてその通り帰ったところ大渋滞に巻き込まれて途中で一泊して、本日午前中にお寺へ帰りました。少々遠くても何時もの道を通るべきでしたが、また弟の顔が見えるかと思うと私への思いやりを感謝しながらも、ブツブツ言いながら帰りました。
■9/24      日中は暑
リンリンと鈴虫が鳴いている。暑かった夏も夜になると涼しくなってきた。穏やかと言うか、力強い夏の盛んな精気も秋の情緒に席を譲ろうとしている。心持ちが良い夜風を今受けて備忘録を書いております。

先ほど久しぶりにテレビで拝見した元NHKアナウンサー鈴木健二氏が良い事を仰っておられた。世界の言葉の中でどこの国でも一番美しい言葉がある。それは「有難う」と言う言葉。今の日本人はこの有難うと言う言葉を使わない。その言葉に代わる言葉が「どうも」であると言う。挨拶を受けても、親切を受けても「どうも」でお終い。頭を下げると言う謙虚さを忘れて「どうも」になっている。きれいな言葉、有難うを使わないと言う。

挨拶が満足にできない熟年及び老人も多いと最近多いと想っていた私には肯けるお話であった。何をしても、らっても「知らぬ顔」で平気でいる中高年が多いようにも思う。この間も世話人会で出かけた団体旅行、同じバスの同乗した見知らぬ人のお話。

「ここのお買い物が済んだら、帰りの飛行機の乗ります。必ずこの時間までにバスに乗ってください。乗れなかったらタクシーで飛行場まで来てください」とガイドさん、添乗員さんにあれほど言われても時間を守らない夫婦がいた。集合時間になっても件の夫婦は来ない。飛行機の時間は迫るは、バスは身動きが取れない、添乗員さんもバスガイドさんも顔色が変わってきた。

幸い私がその夫婦と最後に分かれた場所を知っていたので「私が探してきます」と言って探しにバスを降りた。暫らく歩き大規模な土産店内を一巡してもう一度分かれた場所に来たらご夫婦で2階から歩いて降りてこられた。「バスの時間が過ぎて探しに来ましたよ」と私が言うと「ええ?○○分じゃないの?」と聞き返すので「皆さん、バスで相当お待ちですよ」と言うとブツブツ言いながら私の後をついてきた。携帯で見つかった事を報告してバスに乗る。件の夫婦は知らん顔して一番奥の席について一言も言葉を発しない。その夫婦が旅行中「こんな安旅行」とかブツブツ文句を言っていたのを何度か聞いていた。

どんな人生を今まで送ってきたか?そしてこの先楽しい人生が待っているのだろうか・・・?  ありがとうございました、すいませんね、たった一言でバスの中も雰囲気も、そして人生そのものも明るく楽しいものになるのになと、今日のお話を聞いてつくづく思った。中部空港について解散する時に奥さんが小走りしてありがとうございました、と私に言った。白髪の親父は「俺は関係ない」風で一人で出口に向かって姿を人込みに消した。
■9/23     彼岸法会
多くの方が彼岸会にお越しになられました。毎年準備を慎重に進めて今日を迎える。不思議な事なのだが入力ミスや諸準備が上手く為されていなかった。幸い、参詣の方には大した事故もなかったのだが・・・ お寺の中が全てオンライン化されて事務上のミスが激減し正確な内容がおマイリに反映され始めて10年近くが経って始めての私が経験する事務ミス。

要はヒューマンエラー、、、人的ミス、入力を間違えて入れている箇所があり大変私には正確さを欠いた事務処理の結果に大いに不満であった。法要終了後、早速事務に関わる全員を事務所にて間違いの内容と、その結果起こる受付での混乱、本堂での混乱、その収拾に神経を磨り減らす気苦労を話し、再発防止を徹底願った。しかし不思議だ、毎年無事故で来た信頼性の或る仕事内容に正確性が欠けた事が。

特段、混乱もなく何時もの彼岸会を終えることができました。何時も緊張のバランスの上にいないとこの様な心配事が起こる。最終責任者としての私は改めて自戒した。
■9/21 晴/曇      
本日はなな月参りの日ではあったがお彼岸の中日、23日に変更をしてあったので終日、何事も無し。少し外出をして夕刻帰寺する。
馬の話しを聞いた。馬は群れて生活をするという。弱いからと言って一頭だけでポツンといる事はストレスが溜まりどんなに弱くてもいじめられても群れの中でいるという。そしてその群れは完全なる序列の世界で構成されている。最下位の馬がボスになっていくお話を聞いた。

そのボスになっていく馬、サメチャンは生後1年で違う牧場の馬世界に入れられ序列のきつさを散々味わったらしい。前の牧場で「死んでも構わない」式の待遇を受けていたらしくボロボロでやせ衰えて来たという。

最下位の馬サメチャンには最下位の社会があり、ボスにはボスのボス争いがある。ボス争いで元のボスが逃げ出し、ボスを狙って新たに馬の社会に入ろうとする馬に、正面切って群を護り群れの秩序を維持したサメチャンは急に序列が上がり、フリスキーとかコッキーとかという上位の馬を追い抜き、序列の最上位に立ったと言う。

上位に立つというのは他の馬の一頭一頭から実力を認められたと言う事になる。ボスの前を不用意に歩くと噛付かれたり追われたりする。しかしただ強いばかりでなく、最下位の馬を何時も側につけていじめられないように気を配り、出産の時は馬の親子を守り抜き、例え群から離れても何時も親子の馬の側で外敵から護る。親離れした子馬を何かと気配りする。それが今のボス馬サメチャン。全てのボス馬がそうかというとそうでもないと言う。

このサメチャンという馬を私も知っている。大きくもない馬で騒ぐ訳でもない。人から言われれ初めて気が付く程度の馬だ。馬のボスになって給料が上がる訳でも手当てが付く訳でもない。評判なんて意図する所でもない。ただ、その馬に備わった能力が自然とボスとしての風格をその馬に与え、群れをまとめるだけの事。人間ならナカナカできない事である。馬の耳に念仏と馬が聞いたらキッと怒るだろうなと想いながらお話を聞いた午後の一時でした。
■9/18     どこまで続くこの暑さ
暑いの一言。万博もあと一週間で閉幕となる。私は未だと言うより、人混みは余り好きではないので行かないつもりで今までいたが、何だか行かないと寂しいような気もし始めた。でもあの大行列を見ると萎えてしまう。

二日程前、知人のお母さんが万博に出かけたお話を聞いた。朝5時にタクシーで会場へ乗り付けて待つ事数時間。やっとゲートが開くとあっと言う間に大波が出来たそうだ。そして人気のパビリオンに入場出来たのは『予約』をして午後の2時だそうだ。で、お母さんの感想はと聞くと「聞いていませんが今寝ています」言っていたのが、更に私の気持ちを萎えさせてしまった。

でも、日本で万博があったのは私が高校2年生の時。あの時も行かなかった。大混雑を呈するあの千里の会場をテレビで見た時はとても行く気がしなかった。夏休みが空け、学校では万博の話題が良く出たのを記憶している。2回も3回も行った友人がいた。

今は、万博を見に行きたい気がする。でもは何が見たいかというと「何もない」のが本音。毎日の新聞で入場制限だの、大混雑だのと言われると、益々万博へ遠ざかる本来の私だが、でも行ってみたいという思うのは、自分でも不思議なような気もする。本とを言えば行きたいのだが・・・アホな事を思っている。
■9/16.      一日多忙
夕刻、東京から講演に来られた方と名古屋駅付近で待ち合わせをして色々と相談や近況、様々な事を話して知らない間に2時間も過ごしてしまった。コーヒー一杯でも結構もつものだ。
陽が暮れるのが早くなった今日この頃、遠く茜雲に染まった西の空を電車の車窓から懐かしく眺めて帰寺する。

今日、朝一番に歯医者さんに行った。数年前に治療事故から転院をして今診て頂いてるやり直しの再々治療をして頂いてる。虫歯でもなく何でもない知覚過敏。『神経を抜こう』と言われ言われるがままにいて今、健康で虫歯一つない歯が、鋭い音を立てられて毎回毎回磨り削られる。私に何の落ち度があるんだろうか?既に数十万円の歯のやり直し治療にかかってしまった。本当にお医者選びも寿命の内とと或る病理学教授が私に言っていたが本当だ。で、その本日の治療は上手く噛み合わず「調整に出します」でもう一度行かなくてはならない。幸い今の歯医者さんはとても腕の良い先生と思います。

しかしどんなに良い歯を入れても駄目ですな、親から貰った歯が一番です。昨日母を見舞った。骨太の母に感謝する。その母はソフトクリームを美味しいと言ってパクパク食べていました。
■9/13 残暑      月例会議
残暑が続く。8月には開くことが出来なかった月例会議を開く。今月の予定や11月のお砂踏み法会のための事務処理を急ぐ事、火事の対応や警備監視システムの再度の確認等をする。気も早いが大掃除等の議題を来月の議題として閉会する。

選挙では新聞で見た通りの結果に、良い悪いはともかく、リーダーシップのあり方を考えさせられた。昨日もテレビ等で新議員をテレビ局に呼んで公開で色々と質問をしていた。演説ではハッキリ、ズバズバと叫んでおられた諸氏は、ハッキリとした事を言わなくなりくなり少々がっかりした。こんなもんだろう。

海外のメディアの色々な論評をよむと褒める国もあれば、緊張が増すと言う国もあれば、様々な言い回しをしていた。呆れたのは自国でマトモな選挙を建国以来一度も行わず、独裁政権、覇権を一切求めないといって国交を樹立した某国家が、「選挙と結果」については論評する資格すら無い事を指導部自身が気がつかないのが滑稽に感じた。
選挙で選ばれていない人々に選挙結果をとやかく言われたくないものだ。
■9/10 残暑      
暑い日が続く。法事等で忙しくする。夕刻久しぶりに自室を清掃する。不思議につまらないものや忘れていたものが出てきて、処分するか否かに悩んでしまう。

今面白くて、再度読み直している本がある。「夢顔さんによろしく」と言うタイトルの本だ。主人公は近衛文麿元総理の長男「近衛文隆」の本。以前、中国の長江の旅で出会った元上海東亜同文書院の学生であった方から旅行後、先方から「面白いから読んで見ては」と勧められた本であった。一晩で読みきったほどの作品であった。その後、お借りした本なのでスグにお返しをした。

先回の「空会の風景」同様に急に思い読みたくなり早速取り寄せて今、読みふけていて、夜遅くまで楽しんでいます。「戦争に勝っても惨めだが、負けたらモット惨めだ」と元上海東亜同文書院生は振り返りながら私に、その当時の悲惨さを伝えてくれた。南京事件の真実を語ったり、東亞同文書院生でありながら押し込み強盗の通訳をして「俺は何をしにここへ来たんだ」っと恐らく、慙愧の念なのか、思わず私に吐露された。何時も私の隣に来て青島ビールを注いで色々なお話をしてくださった。お元気で居られるだろうか?

さて、夢顔さんとは如何なる人物か?夢顔は「ムガン」とも読める。ムガンと言う場所から日本に来た人物を、この本の主人公は相当、頼りにしていたようだ。読み直しなので結末はおぼろげながら覚えている。さて続きを読もう。おやすみなさい。
■9/6      猛烈な台風接近
猛烈な台風が長崎県諫早に上陸。通常なら当地名古屋まで風雨や暴風が影響するはずも無いが今回ばかりは先述のアメリカのハリケーンを凌ぐ規模の台風らしく実力どおり午後からはとても過ごしにくい天気となってしまった。
午前中は世話人会婦人部の方達が10名こられて先日の知床の思い出話に花を咲かせたりお彼岸の準備をお手伝い頂いたりしてもらった。冷蔵庫の果物を食べながら私の撮影したデジカメの写真を見たりして一時楽しい想いをした。本来なら午後3時ごろまで居られるのだが風が強くなってきたので皆さんお昼を食べて少ししたらお帰りになられた。

いまデスクに向かっているが外はビュービューと風の唸り声と木々が激しく揺れる心静かに居られない音がする。何事も無く明日一日を過ごしたい。
■9/4 曇/晴     
一日ばたばたする。私がまだ独身の頃に亡くなった子供さんの33回忌を行った。ご両親とあの頃の思い出をしみじみ語った。「住職もあの頃は若かったね」ッと言われると照れくさい。
午後、高野山へ出かけて先ほど11時少し前に帰る。山頂気温は21度。世界遺産に指定されたのか外国人の方々の訪問が毎回感じることだがとても多い。あの人達は良く歩くと感心する。

何時もながら感じることだが清清しい気分でお参りが出来る事がありがたい。奥の院御廟前で色々と反省し黙然し、自己に問いかけ感謝の気持ちで帰る。おやすみなさい。
■9/3      
猛烈な台風がアメリカを襲ったが今度は日本近海に同等の台風が近づいているという。トンでもない被害が出ると言う。アメリカの災害状況を見ると如何に危機管理が大切かを物語っていた。

私が子供の頃に襲ってきた伊勢湾台風。小学校にまだ入学前の台風による大混乱は微かな記憶として未だに残っている。朝起きるとお寺の客殿は雨漏りで惨憺たる事となっていた。そして外に出ると山も境内にも昨日まで生えていた松の大木がゴロンゴロンと転がり、松が放つ独特の臭いが境内中に漂っていた。

暗い電気も来ない客殿の中では畳を上げて掃除に追われる母達の姿と境内に出て掃除よりも松の大木をノコギリで切る父の姿。昭和34年だったか、重機も何もない頃の手作業は想像するにも気の毒が先に立つ。当寺の客殿の裏にはトタン小屋があった。その横には柿の木があり美味しい柿を実らせる木であった。そのトタン小屋は私達の遊び場でもあった。漬け物樽も数樽あり美味しい大根の漬け物が漬けてある樽。そんな中の小屋の中に不思議に縄で括られた枯れ枝の束が無数にあった。不思議に思い始め父に何故その枯れ枝があるかを尋ねた事があった。「お前が小さい頃、伊勢湾台風で倒れた松の枝を集めた物がこれだ」と教えてくれた。

あの山程あった松の大木は父が全てノコギリで小さくして薪にしたものであった。本堂の下にも何処にでも一杯、薪は積んだり押し込んであったりした。父に「あんな埃っぽい物は処分した方が良い、放火の材料にjもなる」と言うと「薪一つで戦後は死人も出た程だ。箸一つ作るのも大変なもんだ。何が何時おこるか分らないので、まぁ 置いておこうじゃないか」と言われ父が他界するまで彼方此方に薪はあった。
父の存命中までは、風呂は山からの薪を使い毎日、山へ行って薪を集めて風呂を沸かしていた。父が他界すると伊勢湾台風の薪をチョロチョロ使い始め枯渇すると、真っ先に風呂をガス風呂に変えた。

「あぁー、便利で気持ちが良いな。今までは大変だったな」と思って風呂へ入った。その念願叶った風呂へ入って今までの風呂と違う点にスグに気が付いた。何も風呂が変ったのではない。お湯の給湯方法が変っただけなのだ。何が違うか??それはお湯に力がない事、スグに気が付いた。今までの薪で焚く風呂は釜や風呂本体が暖められるのでお湯に力があった。所が冷めた風呂桶に湯を注ぐだけなのでお湯の力強さが感じられなくて暫くの間は物足りなさを感じていた。それは今でも同じ感を持っている。

台風の話しからお風呂の薪の話しまでになってしまったが、この時期、台風のニュースが出ると忘れられない想いが蘇ってくる。松の生木のあの臭いをかぐとあの酷かった台風を思い出す。今度の台風の進路に目が離せない。
■9/1      
お彼岸の準備を始める。例年の通りのお彼岸法会の後日、月を改めて10月に本山布教師さんもこられるのでその確認等をなし印刷に回した。
最近、事務機器の耐用年数が段々と進み気がついたら既に10年以上使っている機器もある。例えば紙折り機。この機械はとても便利で1000枚くらいの紙なら殆どの折方で数分のうちに全てを終わらせてしまう。また封緘機。この機械も封筒が相当数あっても自動で封緘をしてくれるのでとても助かる機械です。

お寺では全ての印刷物がパソコンでプリントアウトされデジタル印刷機で大量印刷され、紙折り機で整頓、封緘機で出来上がり。気がつかない間に機械の方が歳を早くとってしまった。修理や買い替えを検討し始めなくてはならない。

夕刻、昨夜の友人からまた電話があり「夕方の万博へ行こう」とのお誘いがあった。残念であったが所用で行けなかった。残念。
あと数日で万博は終わりを迎える。一度は行こうか?・・何を今頃!如何しよう??