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名古屋の天気予報
-天気予報コム-
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平成17年10月分

海外食料事情

葬儀場 六波羅蜜会堂のフラッシュ(動画)を作成しました
よっかたらご覧下さい。悪い目を悪くしました

■10/30       鎌倉より帰寺する    
29日に神奈川県鎌倉市にてご納骨供養に一泊でお参りをさせて頂いた。お亡くなりになられたのはある大学の薬学部長を長年お勤めされていた方であり奥様とも長いお付き合いを頂いている。
ご出身は伊丹のご出身でご縁会って名古屋にお住まいであった。神奈川県逗子市に新たに居を建設中にお亡くなりになられ私が六波羅蜜会堂でご回向をさせて頂いた。ご引越しをされても神奈川の逗子市にてご回向の強いご希望をなされ今回の神奈川までのご回向となった。拙僧の様な物に本当にありがたい依頼であった。
投宿したのは江ノ島が見える鎌倉のホテルであった。墓地や帰寺の都合を考え車で出かけた。名古屋と違い交通渋滞があちこちで激しく、また古都と言う街柄で道は細く移動に大変であった。

墓所は西武総帥堤家の墓所がある鎌倉霊園。テレビ報道等で見覚えのある鐘楼堂を眺める位置にそのお墓はあった。芝生墓所に埋葬された先生のご遺骨。場所を移して逗子市の新居へ上がり、真新しい家の中に、当寺で長くお預かりしていた仏壇をご回向して失礼をさせて頂いた。

本日のお寺の予定は全て寺の僧侶方に依頼を済ませてあったので鎌倉を朝早めに出て中央道を紅葉を眺めながらボツボツとお寺へ帰寺した。途中、長野県茅野市にて久しぶりに蒸気機関車を眺める。それは道に迷い車を少とめていた時、不思議な光景を目にした。カメラを持った大勢の人々が線路の側にまでおられた。SLの話を聞いていたので茅野駅付近を眺めると運良く黒い煙と白い蒸気を吐きながらの蒸気汽車を眺めることができた。道に迷って少し得な気分にもなれた。夕方六時ごろ帰寺する。疲れました。
■10/27 快晴       @戦後フィリピン残留邦人のテレビを見て・・・    
20名ほどで11/3の大祭の準備をする。皆さん段取りが良くて一日で全て終わってしまった。とても有り難かった。

第二次世界大戦後のフィリピンの残留邦人が未だにひっそりと暮されている事を初めて知った。本当に気の毒で言葉も出ない。戦後60年、日本の政府は一体、何をしていたのか怒りさえ覚える。戦後の捕虜収容所での連合軍の名簿が唯一の自分を証明する書類となっている情けない母国日本、戦後の外地在留邦人の政府の対応は怠慢としか言えない。

これだけ繁栄を遂げた日本があるにもかかわらず、中国にもフィリピンにもあちこちで悲しい人生を、送らなければならいに人達が未だにいる事を承知しているのか?日本の役所は何の為にあるのか?本当に憤る。

戦後取り残された彼ら在留邦人の多くは現今、最貧民の生活をしている。その第一原因は教育をまともに受けていないからだという。日本人と言うだけで迫害を受け、現地の人達の名前をかたりひっそりと生き延びてきた彼らに教育を受けられる筈もなく、生きていく就職の機会を得られなかった。

戦前フィリピンには約1万人の日本人移住者がいて現地の方と友好的に過ごしていたと言う。所が戦争が始り、地元の人達への凄まじい敵視政策が始まり恐ろしい現実が敗戦を切っ掛けに復讐劇の始まりが在留邦人へ向けられた。怨念が向うには、向うだけの理由があっての事。これは中国大陸でも何処にでも例外なく惨事が頻発した事は誰にでも容易に推測できる。

時が経て、落ち着きを取り戻すには余りにも時間がたちすぎ、年齢も取り返しのつかない所まで来ても未だに「遺骨収集」は目が向けられても「放置された残留邦人」の救済は放置どころか生きたままの遺棄を自覚だにしていない。

兄弟、親子、離ればなれになったあの寂しさ悲しさは、人混みで迷子の経験をした者には容易にその恐怖を理解できる。来る日も、来る日も父母や兄弟親戚を待ち続けて戦後60年。・・・・・この続きはまた記します。
■10/22 快晴       寒くなってきた     
あれ程暑かった日々は、爽やかな風と共に何処かへ移り逝き、お部屋の暖かさが優しく感じられる季節へとシフトした。各僧侶達もお参りや法事等へ出向き私もお寺での対応をさせて頂いた。久し振りに愛知葬祭会長金森さんと電話でお話をして今月中にお会いする約束をした。双方とても時間の調整が難しくホンの一時でしか時間がとれなかった。何時お電話しても本当に懐の深さを感じさせる方だと再認識した。

ネットオークションで冬用のタイヤを頗る安く手に入れた。お寺の公用車の冬用スタッドレスタイヤだ。お寺の公用車は黒色のクラウン。平成6年に購入した11年目の車。当初から環境を考え「LPガス車」のクラウンにした。今、環境のお話が出るが当寺のLPガス車は今を盛りに元気でいる。燃費は良いし何と言ってもLPガスがガソリンの燃料費が半分ほどである。市街地でも高速道路でも何も不足もない。力もある。乗り心地も良い。ただガス・スタンドを探さなくてはならないので辛いだけ。

何時もタクシー乗り場の待機車両の多さを見るにつけ、LPガス車だから、ガソリン車特有の排気ガスの不快な排気臭が無い事と、燃料費の安さを考え11年前に購入した。販売店では何時もガソリン車を求める私に不思議そうな顔をして説明をして下さった事を今でも覚えている。今年で11年目、LPガス車はチャンとしてお寺の公用としてお人の送迎に利用されている。そして軽自動車並みの経済性はとても有り難い。その公用車に初めてネットオークションで求めたタイヤが着装されるのは程なくである。ディーラーに確かめて落札をしたのだが少し不安でもある。
■10/21 快晴       役員会開催     
責任役員、評議委員会を開催する。先回の議案の再検討をなして夜9時頃閉会をする。午前中はなな月参りを僧侶7名にて執行する。
午後からは色々な相談を受けて私なりのアドバイスをする。「神様はその人に背負えるだけの苦労を背負わせる」という格言か何かがある。背負えきれないような物を背負わせない。と言う事は背負える人を神様は選んで背負わせるのだろう。
■10/20 快晴      
昨日夕方、お世話になっている方のお伴をして遠方に出かける。夕刻9時ごろ丁度地震があった頃に食事をしていた。結構ゆれていたらしいが私は少しお酒を頂いていたのでその揺れに気がつかなかった。「住職、地震です」ッと言われても「ええ??」ッと私。「あれ!アレ見て電気が」で初めてゆれている事に気がつく。少しお酒をなんて言ってかなり飲んでいた事になる。
本日午前中に予定を済ませて夕方にお寺に帰る。往復500`ほどの忙しい外出をしてきた。

明日は七月参りの日、夕刻は評議委員会と総代会が開かれる。寒くなってきて日没も段々早くなり気持ちも寂しくなってくる。先月は暑くて逃げ場がなかったのに肌寒い。季節は確実に秋に向かっている。

今年もインフルエンザの話題が遠い地で話題になっている。鳥インフルエンザの防疫に必死になっている諸外国を見ていると果たして日本は大丈夫か?と心配になってくる。私も以前に肺炎を発症し、肺炎菌を特定できずに治癒した。私の周りにも同様の肺炎に罹患した人が多い。お隣の公害のばい煙かも知れない。海はくらげに占拠され、酸性雨と黄砂と公害物質を含んだ大気が日本に押し寄せ、鳥インフルエンザ発症の地よりの渡航者・・・・今年の風には特に注意が必要な気がする。私の素人の杞憂で終わればいいのだが・・・・
■10/18      良いお話を伺う
毎日実行すると良いというお話。
毎日、1回.10回.100回.1000回.10000回.実行すると心身共に健康になると、自信を以て言われた方がお見えになった。旧知の方のお話であった。
◆毎日1回実行する事は
「夜休む時に一日のうちで一つだけ褒めて上げられる事を見つけて就床する事」・・なるほど、イヤな事や恥ずかしい事を忘れて自分を一回だけ褒めて上げて寝る・・・これは気分が良いな。
◆毎日10回実行する事は
毎日、知り合いを10回ほど良い所を見つけて褒めて上げる事。これは「否定的な話し方」でなく「肯定的な話し方に心がける」と言う事にもつながると言う。・・・なるほど、自分の考えを通して人の意見を曲げる事を避ける・・・認める・・・人を褒めるにつながりますね。
◆毎日100回実行する事は
回りに否定的な考えを持たずに溶け込む。楽しい話題に心を開けて大いに笑う・・・・或る病理学の先生が言っていたが一笑い500万の細胞が活性化され免疫力が高まるという。笑いジワが出来ている人は円満な相が出ている。
◆毎日1000回実行する事は
1000字文字を書く事。なるほど、、、、パソコンやワープロが普及したので字を書かない。書かないと忘れる。字を書く事はとても大切。
◆毎日10000回実行する事は?
夫れは毎日1万歩歩く事だそうです。

以上は高齢者に限った事ではない。老いも若きも実行すると言うより、日々欠けている事を補う目標値。考えると大変そうでもある。しかし着実に実行した方がよい物ばかり。有り難うございました。成程なー。そうですよね。
■10/14      責任役員・評議委員会の開催
午後6時より評議委員会及び責任役員会を開催する。来月に迫るお砂踏み法会の運営と準備、六波羅蜜会堂の運営、認可葬儀社の件等午後9時で閉会した。来週にも再度開催され審議がなされる。

多くの人の審議を得て色々とお考えを頂く事はとても有意義であり、一人悩んだり心配したりしなくても良いだけ心持ちも軽くなる。また院内からも数名の僧侶が出席して活発な意見交換ができた。
午前中は月例会議を9時から10時まで開催して議題を審議した。お砂踏みの準備や年末大掃除の段取り等のタイムテーブルを大まかに決めた。季節は徐々に冬に向けての準備に入ってきた。本当に季節の移り変わるスピードが早く感じられる。

以前「一日が早く過ぎる人は計画性のない人」と言う話を聞いた覚えがある。なるほど計画性が無いのかも知れない、私は。一つ一つを心がけて丹念に過ごすと一日は長くも感じられる。でも同じように季節は移り変わる。陶淵明は「白髪両鬢を覆い、肌膚また実ならず」知らぬ間に両方の鬢(びん)は白髪となってしまい、自分の肌もシワだらけになってしまったと嘆く様を詠んだ歌を思い出す。私が高校生の時、毎朝洗面を済ませると手も肌も瑞々しく目に映った。本当にシワだらけにこの手がなるのだろうか?信じられない想いを毎朝感じていた。窓から眺める境内の景色はツツジが咲き鳥がさえずり、若葉が風に揺らいで何もかもが輝いて見えていた。母も父も良く働き、つましいながらの毎日に満足していた。

今この歳になって振り返れば、輝いていた青春の思い出は良い財産として今も心に在るはある。欲張りなんでしょうね、モット若くありたいと思う気持ちは。「老化とは自分の人生に興味を失った時点から老化が始まる」と言う。全ての物に興味を抱いて何時までも若くありたい。鏡や体の彼方此方を見ないことだな。
■10/10      本山布教師来駕
例年の法話の会を本堂にて行う。皆さん熱心に布教師さんのお話をご拝聴いただいた。今回の布教師さんは北海道旭川の旭山寺のご住職さんであられた。よきご縁を頂いてトのお話を法話の主題として一時間半ほどお時間を頂く。笑いあり、為になる話ありでとてもよかったです。
私が本堂に着席して暫らくすると丸ちゃんが飛んできた。私は廊下に出て何事かと尋ねると「法事に来られた87歳のおじいちゃんが車の中でぐったりしている」と報告を得た。早速本堂を抜け出し入り口付近に来ると車の後部座席でぐったりして奥さんが介抱しておられた。今日の法事の奥さんの親である。病院をと言われ彼方此方電話するのだが不在の病院ばかり。どうしようとその場にいる人たちと顔を見合わせ色々考え始めた。何の事はない救急車を思いつき早速119番に連絡。けたたましい警笛の音が山門近くで鳴り止みお寺へ到着された。暫らくして救急車は出発。法事の方には持仏堂へ上がっていただき相当時間遅れのお経を丸山僧正が上げようとする。
私は本堂に帰り何事もなく法話を聞き始めると、その聴衆の中に4人ほど法事の参加者が紛れていた。「法事が始まりますよ」っと側で伝えると少し残念そうに本堂から法事の会場へ移動をされた。法話は暫らくして法話は終わり、本山布教師さんと共に昼食を済ませる。

午後からは母の入所する老人保健施設へ出かける。紙芝居と法話を交えた楽しい時間を過ごした。私が「紙芝居また来ましょうか?」っと尋ねると「また来てネ」っと言われ好評の内に今年の布教会を終えた。暇だったのでお寺の職員全員で次の会場のお寺までお送りして今日を終える。色々ありましたが少し疲れました。
布教師さんのご法話 住職代理の紙芝居
舌切り雀、ゴンギツネ、つるの恩返し
■10/8      本堂で講演会をする
午後2時より地元生協の方と近所の方を交えて「笑顔の老後」なる講話を依頼され1時間10分ほどお話をした。始めは徒然なるままのお話を住職にとのお話で受けたのだが彼方此方お参りに行くと「今度講話をされるんですね」なんて聞かれると「ええ?何時ですか」と問い返して「ああぁ それですね、どうして知っているんですか」と再度尋ねると「回覧が回りました」と返事を頂いた。そのタイトルが「笑って過ごす老後」なるタイトルに変更されていた。

そして今日の司会の方は「人生最後の死」について等のお話をと、聴衆の前で紹介された。徒然なるまま⇒笑って過ごす老後⇒人生最後の死・・・タイトルは転々と変わる。こちらの気持ちも転々となる。まぁ良いかでお話をしていると気がついたら1時間を過ぎる前であった。話をまとめていて気がつくと1時間15分となっていた。

悪くは感想を言われないが、シンとしたリ笑ったり、為になったりで楽しかったですと一様に言われた。こちらも十分にお話できたか心配ではあったが・・・

今から10年ほど前に記した闘病日記が「笑って過ごす老後」に役に立つとは思わなかったです。真実を綴った日記の内容を読むと皆、うなづきながら良く聞いていただいた。

時々欠伸をしていた人も最後には私の調子に引っ張られ目も覚めたのか、最初の10分ほどは気持ちを引き付けるまでに少し時間が必要でしたがまあまあの講演と自分では思っています。久しぶりの講演に少々気疲れしました。ではおやすみなさい。
■10/4 曇/雨      婦人部の護符折り
本日は10名ほどの婦人部世話人会の方がお見えになって護符折のボランティアをしていただいた。沢山の護符が折れて今後数年間は不自由しないほどの量となってきた。ありがたい話である。

先月の月例会議で竹やぶ清掃をする事が議題となっていて本日午後より僧侶と境内清掃職員さん三名、総計6名で門前の竹やぶ清掃をする。密集した竹やぶの中に入り、要らない竹や色の変わった竹等を伐採して石垣の外に出す。

コレが結構辛い仕事です。竹は生なので水分を含みと手も思い。石垣を越してトラックまで積む。積み上げた竹の上に再び、重い竹を載せる。辛い仕事でした。

往復4台の軽トラックに満載の竹を山へ移動させました。昔はこの竹を適当な広場に放置して雨風に当てて枯らせました。枯らせた後には大量の竹の葉が堆積し、その上には下手をすると目を突く竹枝が四方八方に出た竹が捨て場を失って何時までもほったらかしにされていた。

亡父が存命中は竹は焚き物として小さくまとめられて風呂の焚き物になっていた。そして数年前までは焼却炉で処理していた。今はお寺が所有する粉砕機で粉々にされてお寺の山に帰って行く。多くの緑の根元にばら撒かれて、自然に帰っていく。この粉砕機で出てきた木屑は乾燥を防ぎ、地中の保湿を高め、雑草を防いでくれる、思わぬお寺の味方にもなってくれている。寺内では「ガリガリ君」と愛称で呼ばれている。今日の作業を写真でご紹介します。ガリガリ君のhpデビューです。
竹そのものをドンドン入れて行きます。
松でも、枯れ木でも、楠でも大丈夫。
古釘のついた木は駄目です
粉砕されてチップとして再び山へ帰ります
トラック4台分の木々が10分ほどで肥料となります
自然に帰るたぶん理想的なリサイクルと勝手に思っています
緑色の所は竹の葉や松の葉
白っぽいところは木の幹のあたり
草は生えない、保湿はする、木の肥料になる
(但しチップ量が厚すぎると水が届かず木が枯れる)
■10/3 晴/曇      何だか忙しい
法事がありまた、お砂踏みの準備やそれに伴う本坊の清掃や整理等をしているとスグに時間がたってしまった。清掃道具は大切な品々だがきれいにしたら片付けてしまう事がなおざりになりがち。雑巾はあそこへ置けばいい、ほうきはあそこに立てかけておく・・・そんな調子でここ数十年来たがロッカーを求めてチャンと設置すると見違えるように収納され、乱雑だった箇所も綺麗になった。

お砂踏みの準備を開始する。来月の事ながら今から準備を進めないとなかなか進まない。今年は官製ハガキを利用してのご案内となる。明日は婦人部のボランティアの日。今月は他に数日出て頂き準備を完成したい。スグに師走が来てしまう。いそがない・・・
■10/2     多忙な一日
ご法事やお参りがあって忙しく月初の土日を過ごす。一昨日の鳴門での世話人会懇親旅行会お酒が過ぎたのか、寝違いをおこして右肩と背中が痛む。酒蔵巡りもしたのでお酒が入りクタクタで神戸から帰ったのでなかなか疲れがとれない。酒蔵巡りも善し悪しであった。

昨日も法事の後に会食を誘われていた。背中も首も痛い。今年2回目の法事をされる「女性ホルモンタップリ」の、あのお家である。お墓参りを済ませて仲良しの同級彼女に「実はこうで・・・会食行ってきてよ、僕はよそうかな」っと言うと「私が今夜、揉んで上げるから」っと言う。嬉しさ半分、痛さ半分。「まぁ、行くか」でハンカチを取りに行きバスに近づくとバスが発車間際であった。少し動き出した所で運転手が気が付いてドアが開いた。

その会食場所で女性ホルモンタップリの彼女が「この間のホームページ見たわよ」って言う。こっちも忘れていたので「えぇ、あれ見たの?」っと声にならない声で聞き返す。再び彼女の旦那さんを見つけて「一緒に座ろう」というと「はい」と言ってくれた。ニソニソしている旦那さんが隣にいるとアプローチが難しい。

お酒が入り場がなごむと「hp見たんですって?」と尋ねると「あー、はい」という。目の前のご夫婦も「住職、hp持っているんだ」っと相づちを打つ。結構な年配の方なのだがパソコンを使っている方らしい応答に宣伝をしてしまう。この夫婦とはスポーツジムでもご一緒になる時がある。皆勤賞物のご夫婦と三日坊主の私とは違い元気溌剌で「年末の大掃除は、お陰で体力があるから、ジムを欠かせない」と私に言わる。「最近そう言えばお見かけしませんね」と言われると痛い所をつかれ、早速話題を変える。

今回の彼女の旦那さんはガードが堅い。うぅーむ、ネタをなかなか提供してくれない。彼は通信事業が専門で色々よくご存じである。「○○さん、実は最近変なメールがたくさん来て迷惑しているのです」と彼に良い智慧を授かるつもりで助言を求めた。「あぁ、そうなんですか。むぅううう。私の所へ一通も来ないんだが・・不思議ですね」とニヤリとこちらを見ながら初めて嬉しそうな顔をして私を眺める。変なサイトを見るとこの手の迷惑メールが飛来する事を忘れて、エキスパートの彼にポロリと喋ってしまった。ニッコリした旦那から女性ホルモンタップリの彼女にその話が何時ばれるか。今度は私が自分をばらしてしまった。午後2時半頃帰寺出来た。