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平成18年6月分
■6/30          パソコンの調子が・・・       
昨日よりパソコンの具合があまり芳しくない。ダウンロードにも恐ろしく時間が必要となりローカルのパソコンは全てアクセスできない状況であった。午前中にプロバイダーからの技術者の方がお越し頂いて色々と見て頂いたが・・・

午後より全く知識も経験もないのにあちこち触り、事もあろうにISDNの回線を切ってしまった。あぁあああああぁ、不運は続く。観念したが転んでも七転び八起きで回線を修復し色々と設定やモジュラーを整理してあちこち触っていたら元に戻りました。何が幸いするか分らないが、ラッキーを感謝する。午後3時半頃よりローカルパソコンも全て復帰した。ISDNは以前のダイアルアップ時のお品で現在はFAXと安全のための手段として利用さていてお寺ではケーブル回線を使用しております。

午前中、月例会議を執行する。防災、火災、梅雨時の天災の予防と意思疎通、及びキュウリ加持祈祷会の諸準備の打合。実は今月の23日に予定していたのだが天候の影響で本日の開催となった。今夜は評議委員会があり種々の審議を頂く事となっている。

明日からは名実共に下半期の正月です。暑い最中の行事も多いです。一年って早いですね。ホンと。
■6/29          足は未だに痛し         
昨日、先週から痛めている右かかとが痛くてとうとうお医者さんの所へ行って診て頂いた。「おっ、誰かと思えば・・」と院長。「痛くて痛くて」と言うと「レントゲンを撮りましょう」と撮影室へ案内された。クラウチングの格好で右かかとを撮影。暫くすると説明をして下さった。

「写真では骨折はないな。かかとの周りは筋肉、神経、血管、靱帯等複雑に絡み合っている。内出血した血が行き場を失って神経を圧迫して痛いんだよ」と言う。
「それで?どうしたらいい?}と尋ねると「氷水に15分、一日4回浸けてくれ」と言う。教科書みたいな物を出して色々と説明を始め「何なら固定化かテーピング・・・」と言いだしたので、「貼り薬を」と言って薬局で頂いて帰る。
院長曰く「痛み出して安静にすると一週間で治る。一週間後に受診すると全治に一ヶ月」と言われ己の歳を改めて残念に思った。若い頃はあんな足場から飛び降りても何て事も感じなかったのに。大人しくしてシップを張り替える事とする。

本日夕刻より第4管区海上保安友の会理事会に出席する。理事会も1時間程で終了。理事と幹部との懇親会がレストランで行なわれた。昨年、楽しいお話をした方が本部長になられていた。改めて名刺を持ってこられたので「昨年、頂きましたよ」と言うと「はい、もう一度」と頂いた名刺を拝見すると肩書きが変わられていた。ご苦労の多いお仕事の最中、大変かと思います。

懇親会では同じ理事にプロゴルファーの森口さん、名古屋市立大学青山先生、鳥羽水族館館長中村氏、元名古屋市商工会議所会頭谷口氏等々の方々がお見えで楽しい一時過ごし、会員の増員を図る事を各理事は宿題として持ち帰る事となった。

懇親会の終わり頃に、海洋図面の測量をする方と楽しく会話をさて頂いた。人知れない苦労の中、正に人と波と責任に揉みくちゃにされながらも「海が呼んでいるんです」の一言を誇らしげに語られました。「海の男はスマートだけど、陸の男はほこり臭いよね」と言うと、桜色の笑みに白い歯がよく似合っていた。「海の民なら、男なら、みんな一度は憧れた、太平洋の・・・」太平洋行進曲を口ずさみながらお寺へ帰ってきました。本当に楽しい理事会を年に一度私は楽しみにしております。因みに昨年は6月の備忘録をお読み下さい。

第四管区海上保安庁の外郭団体である「友の会」へご参加の方はここまでお知らせ下さい。 海上保安友の会にご入会を下さい。色々な行事に参加できます。大きな船に乗っての体験公開や、海難訓練の見学、楽しい行事等のご案内もあります。名古屋の人は第4管区海上保安庁のホームページから参加申込みが出来ますので是非ご参加を願います。貴方のご参加が日本の領海を護る海ざるの励みとなり、誇りとなります。
■6/27          世話人会懇親旅行より帰る         
昨日月曜日より懇親旅行で飛騨高山へ一泊二日で出掛けてきた。初日は雨の出発、結構な雨量であり出鼻をくじかれた感じであった。旅行の行程も「雨は降らない」でいたので再度コース作りに頭を車中で悩ませた。せせらぎ街道を通るコースは中止して「牧歌の里」と言う北海道の牧場を彷彿させる場所へと行き先を変える。

雨は降っていたがトレーラーを利用した観覧車で園内を回る事となった。楽ちんでありハーブやジギタリス、アジサイ、ラベンダー等の種々様々なお花が園内に咲き乱れ、香りも雨のせいかハーブの芳香が車窓を通り鼻の奥まで清々しさを届けてくれた。最初はどうなるかと思ったが皆さん大満足をして下さいました。観覧車を降りるとハーブティーのお店に私が入った。皆さんも私の後について入ってきてたちまち狭いお店は超満員になった。カモミールティーを頂いてお腹の中がスッキリした。

牧歌の里を後にして「さて次はどこへ行こう?」と考え思案していると「楽しいミステリーツアーだね」と家内が他人事みたいに言う。先ほどのドライブインで飛騨古川の街は落ち着いてしっとりしている街並の写真を思い出した。「運転手さん、飛騨古川まで」 運転手さんは「あっ、ハイ飛騨古川ですね」とタクシーみたいな返事をして一路飛騨古川の街へ方向を変えた。

不思議に雨は上がり日差しが出てきて暑くなってきた。「喧嘩祭と酒の街」とか記す看板を見ると何やら物騒な街に見えてきた。興し太鼓の会館で池の鯉に餌をあげている娘さんがいた。私もさせてと言うと「餌係、御願いします」と言われレジ袋一杯に入ったパン屑を渡される。早速バス全員をお呼びしてパン屑を渡して鯉に餌をあげました。世話人さん達は大きな声を上げて楽しそうでした。街並を散策すると清流の水路に錦鯉が数え切れないほど泳ぎ、古い商家や石畳が続く写真で見たそのままの街並であった。

飛騨古川を後にしてホテルに入りタップリとお風呂や露天風呂を楽しむ。夕方よりフランス料理で大宴会が始まり本当に楽しく大笑いしながら時間が過ぎた。高校三年生、王将、琵琶湖周航の歌、誰か故郷を思わざる、奥飛騨慕情、等々いつもの歌や、「今度はどこへ行く?」の話しばかりであった。

実は当日、私の和歌山の親戚で不幸がありお通夜を失礼させて頂いたが葬儀当日はお詣りに行く予定となっており一言二言挨拶をして、高山より和歌山へと車で移動した。本日葬儀に参列して同じく先方のご住職さんと読経を共にして会食、初七日を済ませて帰寺した。何と言っても私の予定が立つようで立たないのも現実。翌日の行程は家内と世話人の幹事さん、岐阜のお寺さんのお世話で何とか終わったようで、満足されてお帰りになられたそうだ。良かった良かったの2日間でした。写真は後でアップしますのでご笑覧下さい。
お昼ご飯を作る 牧歌の里風景 説明を受ける ウドさんと会う 園内一周
ハーブのお店 お茶をしました ひるがの分水嶺 神通川と長良川
飛騨古川の街 私もエサ上げる
ローソク屋さん お土産を買いました
フランス料理
カラオケも盛り上がりました
今回の楽しみの一つ、温泉と露天風呂
温泉に浸かり信飛の郡峰を望む
癒されますよ・・・・このお風呂
色々なお風呂があり皆さん大満足でした。
6/25 曇/雨          忙しくする
午前午後とお寺は大変忙しくしておりました。当寺は駅からも一号線からも高速道路からも大変近くまた駐車場も200台も収容能力があるのでお寺でのご法事が近年多くなりました。

夕刻突然東京より知り合いの奥さんが見えられて色々と楽しいお話をしてくださいました。健康のお話や、私が勘違いしている事を正しく伝えてくれたりで朗らかな時間がすごせた。で、いったい何が目的出来たかと言うと、亡くなったご主人の大好物の料理の仕方を家内に教えたいと言って名古屋へお越しのついでに寄ってくださいました。

それはジャガイモの冷製スープにコンソメのゼラチンを入れるいたって簡便な料理その名は「パリソワール」と言うらしい。この奥さんは凝り性で入れ物と缶入りスープを先日贈って下さって「冷蔵庫に入れておいてください」と一言書き添えがありました。近々に立ち寄りスープを作るとも書き添えてありました。

家内を呼んで台所でワイワイとスープを作り始めたが本当に簡単に出来て見栄えもとてもよく美味しく頂けた。出来上がり私が試食して暫く歓談してお寺の公用車で投宿先のホテルまでお送りさせてもらった。

先ほどまでこの間のお参りのビデオをDVDに編集して書き込みを初めてなしておりました。カメラはソニーのハードディスク録画の代物でパソコンはNEC。余り相性は良くないみたいだ。高野山の様子や納骨の様子を書き込むのだがとても時間がかかった。しかし出来上がるとこれまた気持ちの良いものでもある。でかしたと言う達成感と、編集のまずさもあるけれど、初めてのDVD書き込み成功に気を良くして今夜は休もう。
■6/24          天気予報・・・・外れ(またしても)      
天気予報はどうしてしまったんだろう? 何故こんなに天気予報に注意を払うか?それは近々世話人会の人達との親睦旅行があるからだ。何時も天気を気にして、雨が快晴になるとその反対を心配してしまう。まぁ、昔みたいに雨の降ったのも人のせいにする人は居ないだけが心が安まる。

今回の親睦旅行は高山の温泉に行く事となっている。色々なお風呂がありまた美味しい夕食も待っている。何時もお世話になる世話人会の皆さんとあちらをフラフラ、こちらでパクパクで毎回親睦を深めている。今回で何度目になるのだろうか?もう数え切れない程の旅行回数だ。海外は2回行っている。国内は沖縄2回北海道は5回以上、後はエクシブの一泊旅行は10回以上、世話人会結成以前には日帰りの小旅行と良く出掛ける。

世話人さん達は『長生きして良かった』とか『最高〜』、『今度はどこへ行こうか?』『こんな老後が待っていたなんて』と思い思いの事を私に返事をしてくれる。自慢めいた話しになってきているが実際に私が直接や、人伝に聞いた事であります。楽しく熟年パワーをお寺の興隆に向けて頂き、お寺も会への応援を出来る限りしていきたい。

何とか天気にして欲しいな。今度の旅行・・・・
■6/23          天気予報・・・・外れ        
月例会議を開催すれば良かった。天気予報はどうしてしまったんだろう。

たくさんの案内状や寺報(お寺の新聞)等を紙折り機で折るのだが上手く行かない。メーカーのサービスの人に来て頂くと耐用年数を過ぎているという。ゴムやローラー等が痛んでいてオーバーホールかチョコチョコ直し、若しくは買い換えを勧められた。紙を正確にそして均一に折るには手でも出来る、が大変な時間と注意力が求められる。機械が一番であり買求する事となった。

先日右かかとを痛めてそのうち治るだろうと思っているが殊の外、痛みが増しているように思える。骨折と言う文字が頭をよぎるので一度病院へ行ってみようと思う。運動にも行けないのが辛いです。
■6/22                  
明日は月例会議予定日だが急遽中止とした。境内清掃の人達が雨のため出勤できないと予想したからだ。で、明日は私がお休みとし他の僧侶はお詣りと夏の例祭の準備をする予定となっている。

雨が降る梅雨空はシックな感じでもあるけど少し体が不調とか、何か落ち込む事があると気分も湿り出す。

話しは変わるが私が今はまっているネットオークションでベッドを求めた。病院で使われる電動式のベッド。頭や足の部分が起きたりベッド自体が昇沈したりする物。最近肩や首筋が痛く、今までにない凝り筋肉痛に悩まされている。歳のせいにしても何とかするのは自分しか何のでこのベッドを求めて体を休める時に少し工夫を凝らして休むつもりだ。少し休んでみたが予想していたような快適さがある。期待通りの快眠を期待したい。
■6/20         今度は右足のかかとが・・・         
昨日は剪定の出鼻をくじかれてしまって何もせずに携帯電話に振り回されて剪定はお休みとなりました。そして今日、剪定を再開したのですが・・・ 昨日より足場等の準備を済ませていたので後は剪定機であるエンジントリマーをブルンと発動させて仕事をすればよいだけでした。

ヘルメットに薄手のジャンバー、サングラスに軍手、そしてシッカリ体にくくりつけられた携帯電話。さあ仕事再開で順調良く仕事ははかどりました。境内清掃の人達も遠巻きにゴミの出る量を計算しながらこちらをチラチラと見ている。キンモクセイの手入れを2年程ホッタラカシにしていたのでグングンと刈り込んでいく、とその時ブーーンと蜂が飛んできた。かなり大きなスズメバチ。気にも留めずに刈り込んでいくと10匹程のスズメバチが騒ぎ始めた。よく見るとキンモクセイの枝の途中にこぶし大の巣を発見した。

発見した瞬間「これは危険だ」と感じ急いで逃げる事としたが足場の上で何ともしがたい。しかしスズメバチのショックで重篤な事になる事も怖い。で恐る恐る飛び降りた。体重は少々重めである私を支える最初に支えてくれた右足首にイヤな痛みが走った。ともかくここは逃げるが一番でその場から離れる。幸いにハチも追ってこなくて難無く逃げおおせた。

またしても剪定は中止となり境内受けから市役所の環境課へ連絡を入れて頂いてスズメバチの巣の除去を御願いした。夕刻専門家の方が来られて知らぬ間に処置をしていたいた。

右足には鈍い痛みがあり規則的なリズムで歩ける事が出来なってきて段々と痛みも増してきた。夕方、運動に出掛けるも歩行以外のストレッチ運動に一時間程終始して一日を終えた。

日々のリズムが狂うとあっちもこっちも凸凹になる。普通の生活を取り戻すには凸凹の時こそ心静かに過ごそうと心に決めて一日を終える。しかし新しい携帯電話は難儀です。
■6/19         携帯電話が・・・         
お詣りも少なく丸山君にお願いをして気になっていた庭の手入れをする。雨がまとまって降るので池にスグに水が溜まってしまう。庭木の剪定をするとなるとこの水が問題となる。池に剪定時の落ち葉や枝が生でボロボロと入ると、庭木は清々しくなっても池にはドンヨリと落ち葉が落ち込み、重く浮いて後から引き出すのが大変になる。始末の悪い事に全てを引き上げる事はほぼ不可能。で、池全体の水抜きが必要となる。

エンジンポンプを発動して水抜きを開始するが、水の吸い込みパイプに接続されている口が、池の一番深い所に達せずこのままでは吸い切れずに水が残ってしまう。ただ始まったばかりで時間の余裕があるので、剪定の足場や脚立を準備してエンジントリマー(剪定機)もエンジンをかけて用意万端にして再度吸い込み口に行った。

消防ホースも接続できる能力があるエンジンポンプなのでグングン吸い取って見る見る池は底が見えてきた。急いで細い竹棒を持って吸水口を突っついて深い穴に押しやる。これが失敗の大原因であった。

あと少しとばかりに思わずって竹をぐっと押したところ・・・・ボットンっと鈍い音を立てて携帯電話が落ちてしまった。慌ててクツのままで池に飛び込む。くるぶしくらいまで水に浸かって早速取り出した。電気が点いたり消えたり・・・・どうしよう。

消防ホースを雨水管に接続する時には既に全身が撥ね返った池の水でボトボトになっていたので、最初から怠けずに池に入っておけば良かった物を・・・・後悔しても仕方ないが、本当に残念であった。平成元年より電話機を持って以来、初めて携帯電話の水没を経験した。不運を予感させるのかなっと想い一日を慎重に送って一日を終えた。

早速事情を境内受付さんに説明して携帯電話屋さんに駆け込んで新しい携帯電話を求めた。因みに初めてフォーマの携帯電話を求めたが・・・・・難しいと言うよりまどろっこしいのが本音でした。同じPなので大丈夫かと思ったが・・テレビ機能は充実だろうが電話本来の利便性は薄れていてとても疲れました。またネットで同じ機種のムーバを求めて利用する事を考えております。

皆さんも携帯電話のデーターのバックアップだけはしておいた方が良いですよ。
6/18          高野山団体参詣より帰る
昨日の早朝より観光バスで高野山団体参詣に出かけて先ほど帰寺する。毎年の名古屋からの団体参詣は父のころからのお付き合いで既に35年ほどの歳月が経ている。高齢化が進み足腰の弱られて方が多くなっている中、お参りの意欲は大変に熱心でおられる。

お寺の土日はお参りが多く相当以前から一泊二日にして頂いている。これは私が二泊目の精進落としの宿泊をここ数年失礼して、後は幹事さんが楽しく二泊目をされていると言う事になる。以前あるアクシデントがあった。高野山でお別れしてお寺へ急ぎ午後からのお参りをして日が暮れだしたころに旅先の添乗員さんから電話がお寺に入った。それは精進落としの有馬温泉での出来事であった。

「大変です、お一人が脳梗塞で緊急入院をされました」との連絡であった。「ああ、そうですか」で電話を切る訳にもいかずすぐさま新神戸に向かい電車の乗り継ぎ有馬温泉に生まれて初めて降り立った。宿泊先を探すと○○坊と言う似た名前が多く探すのに一苦労した。一言声をかけて新幹線の最終でお寺まで帰った事があった。有馬温泉にはその後も行った事はありませんが。

何事もなく穏やかにお参りの参詣が済むことが一番です。この何事も無い事、即ち普通であることが簡単そうで中々難しいようにも思えます。病気入院の事や色々な事故が時々忘れたころにありますが幹事さんが奔走して何とかうまく収まっています。

また明日からも普段の生活が戻ります。何事も無く普通でいられるようにいたいものです。
■6/16          本堂仏具来る       
昭和59年、弘法大師1150年ご遠忌記念に本堂内の仏具を全て新調するはずだった。長年の仏具の劣化は酷く亡父の頃からの念願であった。殆どの仏具は新調されたのだが前机という仏具が、或る事情があって新調できないままでいた。

平成元年頃であったかマッチの消火壺の中に誰かがローソクの短くなった物を入れてしまったらしい。昼ご飯が済んだ役僧さんに珍しく私が散歩に誘った。二人で色々と話しをしながら本堂正面まで山から下りてくると不思議な光景が本堂中に広がっていた。それは真っ白な雲のような物が天井当たりに充満している。

『住職さん、何でしょうね?』と役僧さんであった○田君が私に尋ねる。『何でしょうね、まさか火事じゃないよね』。それは本堂内部の天井からドンヨリと白い雲が1/3程かかっていた。火事という認識はとっさに出来なかった。『○田君、本堂の戸を全て開けてっ!!』っと私が怒鳴り、煙の上がっている所を見ると火消し壺であるガラスビンが、破裂して飛び散り古くなって虫食いだらけの『前机』の分厚い板の中に沈み込みブスブスと煙を上げているのが確認できた。

消火を済ませて掃除をすると、ボッコリと大穴が開き炭化した見苦しい不注意のボヤの跡が今起った現実を今日まで示していた。穴は薄ベニヤをひいて応急処置をして何時か入れ替えようと思っていた。平成元年は、仁王像(3.6m一対)仏師斉藤恍琳師に依頼中でありまた古戦場史料館を建設中で出費が重なり求める事が踏ん切り出来ず、また無くても目立つ物でもなく、ベニヤを毎日見めて今日まで来ました。ただ煙感知器はスグに完備をしました。

『住職さん、この古い前机には大きな焦げ穴があるんですね』っと住職代理に言われた。境内清掃の人達も「これは結構な大きさだね」と古い前机を境内に出す手伝いをしながら私に声をかけた。『いつも、火事の事ばかり言うけど燃えたら終わりだよ。気を付けて下さい』と返事をした。古い前机は別れるのに忍びないので仏具屋さんに私に見えない時に車に運んで黙って帰って下さいと伝えた。
下の写真は新しくなった仏具『前机』と本堂の様子です。
■6/14          伊吹山を訪れる       
今日は生まれて初めて伊吹山を訪れました。私の予定は本日無いのでお休みと言う事にしました。何となく高原の爽やかな風に吹かれたいと思い伊吹山に登った。

伊吹山管理事務所に気象に関する問い合わせをさせて頂くと「晴れていますよ」と返事を頂く。車を走らせると梅雨時期のせいか、晴ていても湿気で遠くまでの見通しが悪い。一抹の不安はあったがドライブウエイの入り口まで辿り着く。徐々に車は快適に山頂を目指して距離を縮めて行く。今自分が走らせてきた道路が遠くに見え始め雲が間近になってきた。

窓を全開にしてユックリと登っていくとウグイスの声が頻りに聞こえる。山頂駐車場に到着すると別世界の爽やかさであった。歩く事、小一時間程で山頂に着いた。気持ちの良い汗をかいて飲むミネラルウオーターは格別。腰を下ろすベンチは見晴らしの良い所に設置されていて足下はすくむような崖が数百bに渡り底まで続いている。世間中のウグイスを集めて鳴かしているかと思う程に鳴き競うウグイスの声を、暫し登山道の折々で腰を下ろしては、シンとした何も雑音の無い中で聞く幸せ。

見通しがきかないが本来なら若狭湾、立山、御嶽山、琵琶湖、賤ヶ岳、槍ヶ岳、伊勢湾が見えるという。今度はスカッと晴れ渡った雲一つ無い伊吹山に登ってみたい。三時間ほどいて下山をした。今日は山に登り、心身共に清遊した想いになれた。自然って良いですね。

大きな声で
朗らかに鳴いて
いました
■6/13          夏の細かい準備       
夏の準備??細かい準備?? お寺は広いので細かいところまで気が回らない。私が何時もしまったと思い探してもなかなか出てこないのが「蚊取り線香」。お笑いになるかもしれませんがこれが夏しか使わない。今まではバラバラになってしましたが、昨年の月例会議で回収と収納を明示した。が、真冬にポロット出てくる事がある。

昨朝、本堂でおまいりしていると蚊が飛んできた。「嫌だなー、本堂で殺生は」と思いながら居るとガラスが細かく揺れる音がする。風も無いのに細かいガラスの音がする。??っと思っていると揺ら揺らと地震がやってきた。ひどい揺れではなかったが、このまま本堂の下敷きになったら困るな、ローソクの火が倒れたら燃えるなと思っていたら地震は落ち着き始めた。

蚊取り線香も火を使うので、今年から90日の電気で蚊をやっつける物を幾つか求めてきた。各々の機器に設置場所を書き込み一夏を迎える。

今日は全員が休みで私独りでお参りを済ませる。
■6/12                 
起床したと同時に頭のてっぺんが抜けるように痛くなった。こんな経験は初めてである。頭痛はするし体が痛い。「風邪かな・・・何時もにもなく眠いな・・」であったが通常のお詣りをした。境内に出てれば紫陽花の咲く姿を見て清々しくも想い、「紫陽花の小さかった事を思い出した。

数年前に植えた数株の紫陽花。陽の当たる場所によっては成長が違う紫陽花を眺め、植え替え考えながら大きな株となってしまった。この梅雨のうちに紫陽花を幾つか仕入れようと今朝思い付いた。目に鮮やかなアジサイの花はこの時期、本当に心を和ませてくれる

そしてボーっと立って思い付いたのは、お花のリレーが頭に浮かんだ。立春の頃合いからスイセンが咲き枝垂れ桜、ソメイヨシノ、八重桜、そして花水木、ツツジとサツキがその後を嗣いで雨の頃となる。雨の頃にはたくさんの紫陽花が咲き乱れる。青葉若葉の頃に様々なお花のリレーが人の目を楽しませてくれるのではないかと思うと、朝の清々しさも一層気持ちが良かった。お花を植えよう。香華山という山号は花の香りと書くので花の切れないお寺にしようと決心した。

今朝の紫陽花ではないが、植えなきゃ育たないし大きくもならない。手も入れて可愛がって後10年もすれば綺麗なお花に囲まれたお寺になれるだろうと思う。朝起きは三文の徳と言う。少し得した気分でした。

午前中葬儀、午後は事務、小学校先生出版の打合せ、バタバタして終わる。紫陽花の写真を写して数日中にアップします。

お墓に行ったら
甘い香りが
漂っていました
大きくなったアジサイ
6/11        昨年と同じ気持ち
今日は藤田保健衛生大学創立者藤田啓介先生の逝去された日であった。先生にはお世話になった。先生も私のことをいつも「湯川住職」と呼んでいただき歳こそ離れても何時も気を使って頂いた。祭礼の時、空模様が悪いと心配していらしく、お会いすると「良かった、晴れていてくれて」と心にかけていただいた。

当寺の山門名も先生にお付けいただいた。私が男芸者よろしく先生にお願いをした訳ではない。藤田学園建学の精神「独創一理」という絶対に曲げない男気で大学を創設され、困難にも弱音を吐かず孤軍奮闘された先生に私は憧れ、先生を心の頼りに今日まで粉骨砕身きたつもりである。先生も私の姿を見て哀れと思い何かと気を使っていたただいた。嬉しかった、本当に嬉しかった。

「私を利用してください、そしてあなたの良いように私を使ってください。名古屋市長の西尾は私の後輩や、愛知県知事が市長が来てほしい、勲章をやるから来いと言われてもワシは行かんし、貰いもせん、だが住職が来てくれと言えば何時でも何処でも行くから、私を使ってください」。当時私は34歳だった。仁王像開眼供養と史料館会館の記念式典の折、私が催す記念音楽会の一時、私に応接室で先生から直接承った言葉だった。私は唯、黙って頭を下げて気持ちが落ち着くまで頭を上げる事が出来なかった。音楽会も終わり公用車に乗られる先生はご機嫌であった。

暫くすると藤田保健衛生大学創立25年記念音楽会に主賓として招かれ、藤田学園2000人ホールの二階席左最前列に先生、右最前列に私は着席した。エルガー作曲「威風堂々」に聞き入る先生の姿を未だに忘れることができない。世の中に立志伝中の立志という言葉ある。私の今までの人生の中でそんな人ばかりに囲まれてきたことが、幸運というより、不思議でならない。何気ない素振りの中に人を気遣う偉人の情。私は立志伝中の色々な人に可愛がってい貰って今がある。
■6/10 晴/曇                 
午前中法事、帰寺途中の車内に携帯が鳴った。昨日設置した警報機が鳴って止まらないと言う。設置会社に電話してスグ来るように申し渡す。15分もすると「鳴動が止まりました」と寺から電話があった。

急いで帰ると煙感知器が作動している事が判明した。煙感知器は平成2年頃に設置した物で、今回の会社の方に伺うと取り替え時期に達しているという。煙感知器、赤外線侵入感知器、炎感知器と幾つかの機器がありどれが鳴っているか少し分らなかったみたいだ。

しかしこれではまさかの時には何も用がなさない。このままではオオカミ検知器が3台ある事になる。明日は全員が揃うので朝一番に機器の改めての説明をするつもり。

午後は久し振りにお越しになられた方と暫くの歓談をした。大学に奉職して40年、今は或る関連会社の責任者をしている。月日の過ぎる事や、多生の縁を頂いた人達のその後、或いは今の様子、色々な事を懐かしく話して時の経つのを忘れてしまった。お土産に頂いたシュークリームは美味しかった。

明日は少し忙しい。他事の準備や調べ物もある。早く休みたいが、火災報知器等が夜中に突然鳴らぬ事を祈るばかりだ。あれは鳴ったら町中に聞こえるので・・・考えたら怖いが火事の方がもっと怖い。では。
■6/9            お寺の相談     
或る所からお寺の面倒を見て欲しいとの依頼があった。お話を良く伺う事として近々に具体的に相談に乗る事とした。お寺も色々なんだなとつくづく思う。袖すり合うも多生の縁と言うので・・・考えてみる事とする。

午前中法事があった。喪主がいないので尋ねた所交通事故でケガをして入院をしたと言う。入院したら胆石があり手術する事になり今入院していると言う。入院先から食事がどうのこうの、宴席はお寺のあそこの部屋とか色々文句を言うと奥さんが笑って私に返事をしてくれた。そんなに元気なら大丈夫と返事をして法事を済ませる。会食会も済ませお寺の相談に乗る。

夕刻枕経一件、慌ただしい一日を終える。
■6/8 曇/雨          高野山参詣  
早朝より高野山へ日帰りで参詣を済ませる。先月行ったばかりであり今月も団体参詣で行く予定にはなっているが、お詣りしたくて出掛けた。毎回出掛けるので色々な所で顔見知りが多くできて良くしていただくことが多い。高野山の山頂は摂氏17.5度、大阪府に入った頃には23.5度と6℃程の温度差があった。

高野山の奥の院で数十年ぶりに同室であった方とバッタリお会いした。驚いたのはお互いで「お久しぶり」が何度も行き交った。大人しい方でお父様が高野山大学の教授をされて見えられた方だった。近況を話して別れる。

奥の院にて読経を済ませ心を落ち着かせて先師墓に参詣する。花を供え線香を立て、掃除を済ませて再び読経をなす。綺麗になったお墓は清々しかった。

往復500qの行程は結構な距離だが何時もあれこれ考えながら車を走らせる。
■6/7            
午前中、古戦場祭の関係者、病院の紹介をして欲しい人、病人の家族、午後は松井建設、電気屋さん、色々な方が見えた。

防火管理者である私は防災教育記録の記入義務があり履歴を書き入れを午前中していた。毎月の月例会議で防災を議題として取り上げたり、火災の対応や機器の増設をしている事が議事録に残っている事に神経質に為り過ぎているような違和感もあるが、これで丁度良いと自分で納得している。100年兵を養うは一時の戦いの為なりと同様で日々防災の心がけをする事が、万が一の時に役に立つと思う。

暑い一日であったが日が暮れると爽やかな風が吹く。暫くすると陽が落ちでもムンムンとする夏がやってくる。過ごしやすい時に汗をかく仕事を済ませてしまおう!
■6/6       防犯防災工事     
朝より境内清掃さんの掃除。10時より婦人部の護符折りボランティア。朝九時より防犯と防災の機器の取り付け工事及び、エアコンの新設工事をする。防犯防災機器は火災等があった場合に通報するシステムだがこれが大変優れものであり驚いた。

100円ライターで火を灯すとサイレンと非常ベルが鳴り始め境内中がパニックになる程の品物。サイレンとベルは、女性の声で「この付近では火気厳禁ですよ」と優しく声をかける事もできる。火災はとても心配であり同様に、事件事故も心配で色々とセキュリティーには気を付けている。まぁ、これで大凡万全と言うところでしょうか。

エアコンの大型機器を取り付けて本坊全体が冷暖房が可能となった。補助的なエアコン2台も新設されこれで暑い寒いは無くなると思う。本坊全体のエアコンはガスヒートポンプだが矢張り電気エアコンが良いような気がする。

夕方にかけて来客多し。一日を終えた。
■6/5      
土曜日の古戦場祭、墓前祭霊前祭も無事に終えて人だかりのするお祭の境内から新幹線乗り場に急いだ。日曜日に東京で13回忌の法事を依頼され一泊してきた。ご歓待を受け銀座の街をご案内頂いた。喪主の奥様が「銀座のとっておきのバーにお連れします」という。
頂いたカクテルはクチナシの花を浮かべたとてもオシャレなカクテル。平たいクラスに浮かべてあるので頂くと鼻先にそのクチナシの香りが仄かに香るとてもオシャレなカクテルであった。

翌日は大坂、静岡とご親戚がご参集され厳かにも心温まる法事がなされた。墓参後、イタリアンレストランにご案内されて楽しい歓談をした。遠く東京までわざわざ呼んで頂いて宿泊から何から何までお世話頂いてのご法事に有り難く感謝した。
■6/2      古戦場祭の準備
気ぜわしい一日を終える。明日は古戦場祭で多くの人達がお祭の準備にお越しになられた。お茶の先生、お花の先生、会場の設定等色々であった。

「住職さん! お久しぶり」と二人連れのご婦人が境内から私に声をかけて頂いた。以前お寺で行なっていた精進料理の元従業員さん達であった。久し振りであり思いがけないご来訪に大変嬉しかった。平成4年5月10日に開設した楠会堂別館(現楠会堂雲上愛昇殿)の開設は大変な作業でもあった。この備忘録を書いていても克明に記憶が蘇ってくる。

コンクリートのたたきの上に裸足になってデッキブラシをかけ、本当に自分の事のように頑張って頂いた。何とかしなくてはならないの一心で私を支えてくださった人達であった。その当時は最大で15名程の人が働いていて毎日が活気があるというか戦争でもあった。毎日毎日200〜300人の団体さんが入るのは普通であり、準備、盛りつけ、片付け、清掃、仕込みの連日であり且つ、葬儀場へも人員を割り振りし、私もお寺の事、葬儀場の事、精進料理会場の事、その他の膨大な雑事に忙殺されていたが、今振り返ると、良い思い出でもある。

その当時、私は「『そんな事、出来るはずはない』はやる気のない人の口癖」っと言って自ら率先してやれない事もやり通し先頭に立って旗振りをして突き進んできた。が、本当は多くの人の善意で来られたと今でも感謝している。その私を支えてくださった人が10年ぶりに二人で私を訪ねてくださった。本当に嬉しかった。応接室には人がいるし、次のご来客の方もお待ちだし、明日の簡単な打合もある。上がっても頂けずに暫く大玄関前で懐かしくお話しかできなかった。

明日は古戦場祭墓前祭と霊前祭を執り行うとスグに東京へ行かなくてはならない。ある方の13回忌を帝○ホテルで行なう。既に路金まで頂いている。本当に感謝の気持ちで一杯だ。わざわざ遠路を呼び出して頂いて本当に嬉しい。精一杯のお詣りをさせて頂く事とする。宴席があるので自分のパソコンを持っていき懐かしい写真をスライドショーで見ながら歓談を考えている。夜は銀座へ繰り出すというのでこちらの方がもっと気になる。はい。
■6/1      ビヤガーデンへ行く
「住職さん、こんな日にはビヤガーデンに行きたいですね」っと先月の半ばに誘われた。「○田さん、僕と君の健康状態では止めといた方が良いんじゃないかな?」 「・・・・はぁ・・・」っと残念そうな声が耳に残っていた。ビヤガーデンが始まっていると情報を流したのは私であり、あそこは面白いと関心を示した彼。しかしお互いに体を大切にしなくてはならない身の上。しかし

昨日はとても気持ちの良い一日であり夕方になるといてもたってもいられなくなった。思わず彼に電話したら断るはずもなかった。他のお寺さんにも電話で誘うと誰も断らない。と言う事で昨夜はビアガーデンに繰り出し、今年初めてのビアガーデン・デビューは楽しかったです。

久し振りにジョッキを傾け、ワイワイガヤガヤで時の経つのも忘れてしまい9時頃まで大笑いをして騒いでいた。追加料金お一人千円を払い各自帰宅の予定であったが「歌を歌おうよ」と今度は何時もの「お父さん預かります」のお店へ行った。楽しい輪に入って大声で歌を歌って騒いで帰ってきたのが午前一時過ぎ。楽しかったのだが矢張り、止めておけば良かったと今更ながら思っております。

しかし多くの友人と久し振りに、若かりし頃の恥ずかしい話しや、青春の思い出、淡く切ない思いで等色々な話しが時を忘れさせてお話が盛り上がりました。久し振りにスカッとした一日でした。話しは世間の事に突然なりますが、道路の駐車違反摘発の関係で繁華街の違法駐車は全くと言っていい程の効果がありました。いつもなら路上や幅員の狭い路上に我が物顔で駐車していた車は殆ど見受けられなかった。効果絶大という物でしょう。