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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

平成19年3月分
平成19年度行事予定

■3/30        風が強く寒い一日
メールを確認すると日進市にご在住の方より先だっての彼岸会の短歌を三句ご送信頂いた。限られた文字数の中に季節や風景、人の様子、雰囲気を織り交ぜて文字の世界の中に誘ってくれる短歌。最近では外国語の短歌の文化も創造されたそうだそうだ。

お寺の仕事は予定が立って立たない毎日。何だか気ぜわしい日々を送っています。あと少しすると新年度が始まります。昨年同様の行事が予定され倍旧の思いで新しい年度を迎えるつもりです。やはり健康で溌剌と毎日を過ごせれば理想ですね。世ではストレス、ストレスと何でもストレスに原因をすり替えているがストレスがなかったら或る意味この世の中、元気がなくなると思う。

まるでワサビの無い刺身を食べる様な物。七味唐辛子のないうどん、塩のきかないみそ汁なんて想像しても嫌になります。「あんたはお寺だからストレス無いんですよ」と言われそうなことをここで書いているが「ストレスのない生活」はこれまた恐ろしいものと思います。では極楽の世界は如何でしょうか?と聞けばこれも私は嫌だな。

所詮、生きることは苦楽が伴うこと。自分が思う様にいかない、他人が楽に見える、不満をストレスと言ったらこりゃ我が儘ですね。新しい年度に向かい最初から苦があると思ってまた進みます。そしたら楽しいことが待っていてくれたら思いがけなく幸せを感じます、僅かなことでも。しかし花冷えですね、さむーーぃです。
■3/28        高野山参詣
午前中色々な用事を済ませてお昼に高野山へ参詣させていただいた。

今朝も境内では鶯が盛んに鳴いて春の訪れを肌からも耳からも感じる。同様に高野山も鶯がきれいな声で鳴き競い、麓の町も色々と春の彩りで目を楽しませてくれる花々で一杯でありました。桃の花がピンク色に染まり地名は良く存じませんが本当にきれいでした。
桃色、桃の花の色、木の下は一面が菜の花の黄色で埋め尽くされ、鮮やかなこの風景を見る事が出来て本当に幸運であった。

山頂も気温は夕刻12℃で寒くも無く過ごしやすかった。途中一軒の知り合いのお寺に顔を出し挨拶を済ませて先ほど10時半にお寺に帰寺する。明日も色々と予定があり一日バタバタする。

朝の日の出は確実に早くなり鶯の声と共に境内は明るくなる。もう少ししたら枝垂桜やソメイヨシノが咲き始めたけのこも頭を持ち上げてくる頃となる。暑くなるのもあっと言う間だ。今のこの肌寒さを楽しまなくては、春の良さが分からない。花冷えの夜桜も一興。春、春、と言って暑くなるのは何時もの通りですね。
■3/26        桜チラホラ
山中の雑木の整理を始める。この作業はとても大変な作業であり気の遠くなる作業でもある。何せ機械も樹木粉砕器も出入りできない場所の枯れ枝や倒木の整理である。時間を見て半日ほど丸山僧正と作業を進めた。

作業は途中で中止となる。発電機の不調、ユニックの不調と不調続きが出た。こんな場合、事故の発生は頻発傾向にあると考えると即中止を決断した。他にも4名の環境整備の方達の作業所へ出かけて手伝う。私の指示と違う作業をしてた。大きな大木を切り倒した後でありガッカリした。作業古参の方に「これから樹木を切る時には親指と人差し指で輪を作りこれ以上太い木を切る時には私の許可を得てからにして下さい」と伝える。可愛そうな事をした。新芽が一杯芽吹く寸前で秋にはたくさんのドングリをつける樹が哀れにも倒れていた。
目隠しに植えたマテバシという樹木も一本伐採されていた。早速隣家の方へお騒がせした事のお詫びの電話を入れる。隣家の方も気がなくなった事に寂しく思っておられたみたいであった。

このドングリの木は青葉若葉の時は大変に爽やかで風薫る五月の風を葉一杯に受け止める。しかし落葉になると雪のごとくに落ち葉が落ち、ドングリの落ちる頃には瓦やトタンにガチンガチンと落下して睡眠不足になるくらいに騒々しい。この鈍感な私でも寝られないくらいである。

お寺の周囲はかなりの距離である。枯れ枝の原因で色々な事故や落ち葉等での迷惑を考えると黙ってはおられない。上手く指示を出せなかった私の不徳である。ともかくドングリの大木の冥福を祈る。ごめんなさい。安らかに。もう少し早い時期であれば椎茸の菌を打って二度目の人生で世話人さんや檀家さんに喜んで頂けたと重うと殊更に残念であった。
■3/25        桜が咲き始める
本日は午前午後と予定が詰まっていた。私は午前中に少し遠方の方のご法事に向かわせて頂いた。以前お寺の葬儀場楠会堂を竣工して頂いた方のお兄さんのご法事であった。恰幅の良いそしてにこやかで優しかった方の法事。驚く事に7回忌、既に6年が経た事になる。私が「桜の咲く頃でいたね」と思い出を述べると「皆さんそんな風に仰って下さる」と奥様がご返事を下さった。当寺私は何かの病気で入院をしていた。入院していたのでご葬儀には行く事ができなかった事が悔やまれていたので余計に思い出される。

そして本日、このお家に向かう途中の名古屋高速道路で私は体の不調を感じた。左側のタイヤがパンクしたのか?路面がおかしく変な揺れを感じる。何だか酔ったみたいな気分となり慌てて生唾を飲んだ。胸はドキドキするしパニックの様な気分となって高速道路を下りる頃には、今日の法事で体調に自信が無くなったような気分であった。どうしようと思いつつ無事法事を終える事が出来た。

お詣りの帰り、午後のお詣りには間に合いそうもなかったので丸山僧正にお願いをして最近竣工したという知り合いのお寺を訪れた。街の中心地にあるお寺には誰も居なく少し寂しい思いをして帰る。遅いお昼をいただいて来客等のご訪問を受けて一日を終える。

夕方「住職今日は良くゆれましたね」と僧侶が私に言う。「能登のほうかい?」と尋ねると「いいえ、愛知県ですよ」という。能登で地震のあった事は知っていたが愛知県もゆれた事まで知らなかった。「そんなに揺れたの?」と尋ねると「ええ、結構揺れました。私も驚いていました。結構長かったですよ」と真剣に言う。
「・・・・(名古屋も揺れた?)」私が今日、車を運転して気分が悪くなったのは遠い能登の地震で当地も揺れ、高速道路も揺れたのだろう。橋脚は高い所にあるので余計に揺れて揺れも激しく、時間も丁度符合するので気分が悪くなったというか酔った事が納得できた。

人の気持ちは分からないもの、自分の気持ちも分からんモンだ。「病気だろうか?身体の異常だろうか?」と高速道路を下りるまで生あくびが出るほどに気分が悪くスッキリしなかった。思いこみの怖さを知った。でも気持ち悪かった事も事実であった。

夕刻、境内に出ると枝垂れ桜や様々な桜がつぼみを膨らませ、またチラホラと花を咲かせ始めてきた。春寒の頃、今の時期を言うのか?、この時期が一番春らしいですね。少しでも暑くなったら体が気候に順応し切れていないので暑い暑いと言い始める。でも実際には暑い範囲には入らない気温。今の少し寒いくらいでお花が眺められる頃が一番だ。もう少しすると桜が満開となる。楽しみだ。
■3/23        哀れたぬき
「住職知っていますか?」っと電話が入る。当寺内の葬儀会館からであった。内容はお寺の駐車場、葬儀会館上り坂付近で狸が死んでいるとの連絡であった。

「え!狸?」と答えた。お寺の山中には狸が生息している事は知っている。事実子供たちが小さい頃、坪庭で夕食を囲んでいたら遠くから狸が眺めていた事を何度か経験している。道を横切っている姿も何度か眺めた。同じ狸かどうかは知らないが狸が死んでいるという。葬儀場の方々が山中に埋葬してくれると言う。朝から憂鬱な電話であった。

暫くしたら家内が「お父さん、狸が死んでいる」と私の所へやって来て事件を報告してくれた。既に承知していると返事をする。「あの狸はかわいそうに、車にはねられて死んだんだよ」と再びその話をする。

外は鶯が鳴きはじめうららかと言うのに・・・狸に家族が無い事のみを祈るばかりだ。
■3/21        彼岸法会の日
天気も良く風も無い穏やかな一日。彼岸法会が盛大に行われた。たくさんのお参りを頂き久し振りにお会いする顔に大変嬉しく思う次第でした。

色々とお会いするので皆さんはそれぞれのお話やお願い事、お尋ね事等忙しい中にも時間がうまく調節できなかった。

たくさんの御霊位を読み上げでとても時間がかかり一時間弱と、いつもより長いお勤めとなった。世話人会の人たちも男性部婦人部と大活躍を頂き無事に終了させていただきました。

元の部屋への復旧もあっと言う間に完了してすぐにでも使用できるまでに現況回復してくださった。法会終了後世話人会総会のお話をして当日の準備の手立てを皆さんで話し合っていただいた。

たけのこを掘って味噌和えを作ろう! 私がたけのこ掘る!くわを持って来る!色々と楽しいお話が出て今度の世話人総会が楽しみとなってきた。終了解散後、数名の婦人の方に残っていただき次回の懇親旅行のお話ガ出た。「神戸、有馬、鳥羽、浜名湖、九州、函館・・・」一杯出るわ出るわで私に一任され総会で行き先の発表をする事となった。私の好きなところへ行けるのだが・・皆さん元気だ。イヤイヤいつまでも元気で楽しく老後を過ごし、お寺の行事に大活躍を頂きたいです。

写真は今回撮影をしていません。しかし、世話人会記録係の方がビデオをまわして記録をしてくださったので写真が出来たらアップします。疲れましたので休みます。ありがとうございました。感謝、一言。
■3/18        評議委員会開催
本日はとても忙しかったです。午前午後と予定が一杯詰まっていた。イレギュラーな事も飛び込んできて中々上手く時間配分に苦慮した一日であった。当寺の記録係の方がこの一年間の記録をDVDにまとめてご持参くださった。プロ顔負けの出来栄えとテクニック。たいした物である。当寺の世話人会の人たちは適材適所であり夫々の能力を活かして活動をしてくださっている。とてもありがたい。人で苦労を若い頃はイヤとしてきたが今は本当に幸せな住職であります。

午後7時より評議委員会を開催する。議案のうち主たる3議案が審議された。また来月行う火災訓練の事も話し合われた。凡そ私の作った議事録の原案の通りに進む。

9時前に散会をすると何やらサイレンの音がひっきりなしに聞こえてくる。色々と火災の手順どおりに当直者が非常持ち出しを持って警邏についてくれ異常の無い事を連絡してくれた。日ごろの打ち合わせの大切さを実感する。

来月は役員、世話人、奉賛会、内外僧侶を招いての総会が決定され懇親を深めていただくことも決定された。ますますお寺の力強い組織が出来上がって行く事が心強く思えました。
■3/17        風が強く寒い一日
今頃寒くなってきた。でもこの寒さは例年の気温でしょうか?

いつも夕食後散歩に出かけるのだが午後5時過ぎに何時もの散歩コースに出かけた。明るい道には夜見えない景色が一杯で本当に驚いた。先ず第一に何時もの散歩コースにお寺を発見して途中参詣をさせて頂いた。何時も通っているのにななーっと慨嘆する。暫く行くと豪邸があちこちにある。へぇーー凄い家だなとまたまた感心する。町のど真ん中の竹やぶや立派な門構えのお家。今日は陽のあるうちに歩いたので色々と様々に見物が出来た。夜歩くとまったくと言って良いほどに何も風景に感動しない。

夜道で知れるのは白い花とか、お月様、お花の香りや夕餉のおかずの臭い、お風呂の排水の臭い・・・香りや、ラジオやテレビの音でしか無い。私みたいに何でも興味を覚える輩には散歩の意味が薄れてしまう。眺めたり寄り道したり立ち止まったりで今日は何時もの半分しか回れませんでした。時間はチャンと過ぎて行ったのですが・・・

昔の古傷である左大腿部の筋が痛い。何度と無く針医者や運動を続けても改善どころか痛みが増す。先日、ロキソニンと言う鎮痛剤を一日一錠二日飲んでみた。痛みは消散したのだが、脂っこい物を頂いた後の不快感が未だに続いている。今日お会いした方が腱に異常が有るんでは無いか?とご自身の右肩の腱の手術のお話をお聞かせいただいた。針医者も知り合いの内科の先生が勧めてくださり特に紹介いただいた方であったが・・・・歳なのか?兎も角痛い。
明日は日曜日で忙しい。段々と鎮痛剤も切れてきて痛みが徐々に増している。運動しても鎮痛剤を飲んでも効かない。痛くなって早1年はなる。専門医の門をくぐる事とした方が無難であろうな。痛い。
■3/16        
備忘録の更新をと思いつつ・・・寒さが戻ってきて桜の蕾も引っ込んでしまう様な気候に逆戻りしている。お墓の登り口にある桜と山門の北側の桜、ビンク色の花の桜は後二〜三日で咲きそうである。今年2/1に植えた枝垂れ桜の大木2本はここ2〜3年後には見事な桜の木となるように祈っている。

お彼岸のお申し込みの準備を僧侶全員で行なっている。18日は評議委員会があり議事録の準備もいる。来月はお寺の自主防火訓練をする運びとなっていてその想定書も作成しなければならない。忙しいと言えば忙しい。どれもいい加減には作成できない。

防火訓練の目的は実際の火災を想定し、消火の手順、連絡等を密にしないと何の意味もなさない。当寺は山火事、灯明の火の始末、台所の火の始末、防犯上の火の始末と色々と心配事が多い。広域定期な防犯、防火のセンサーは最新鋭の機器でガードされているが、実際の火災の場では人の判断が全ての被害の大きさに影響する。万が一を想定して防火計画を作成することにする。今年も1/4が過ぎようとする。私の人生は半分以上が過ぎた。残された人生を大切にこのお寺に尽くしていくつもりだ。
■3/11        寒い一日
夜、散歩するとあちこちで多くのお巡りさんが警らをしてくださっている。私は歩きなので細い道や暗い道も時として歩く。バイクに乗ったお巡りさん達は寒い日も風の強い日も安全で安心して暮らせる街を護るために警戒をしてくれていることに感謝する。

この間、NHKのラジオを早朝枕元で聴いていた。「美しき日本なんて言わなくても外国から帰ったら十分美しい国です」と中国で植林活動をされておられ方がお話くださっていた。美しく安全な日本であったのに今や物騒な国に変わりつつあることも事実。

散歩をしていると風にゴミが飛ばされとても歩くことが出来ないような事はよほどの事が無い限り経験をしていない。街はきれいであり公園も学校も住宅も落ち着いた街として機能している。そこに暮らす私達は自分の街を大切にして行かなくてはならないと思います。

1時間の散歩中に3回お巡りさんの巡回に出会い(たびたび経験)安心して、感謝しながら健康保持に心がけさせていただいております。次回の散歩からはゴミ袋を持って拾えそうなゴミだけでも拾って散歩させて頂こうと密に思っています。道路にご恩返しをしようと思って・・・。
■3/10        
ウグイスが「ホー、ホケキョ」と鳴く。桜も相当につぼみが膨らんでいる。お通夜後に散歩に出た。レンタルDVDの届けに立ち寄る事となっていたので通常の散歩コースと外れたコースを歩いた。外れたコースと言っても以前にも歩いた馴染みのコースで季節の変わり具合が目を楽しませてくれた。すでに桜の一輪二輪と咲いている桜もあった。

今日午後よりお詣り大好き先生の病院開設記念法要があった。例の七福神の写真もご持参頂き私も当寺のDVDを先生にお貸しした。色々なお話をしている中、健康の事にも話しが及び「先生、私少し痩せたでしょう」というと「そうかね?」と少々期待はずれの返事が返ってくる。先生がご持参下さった写真を見ると七福神の中に混じる私の姿。七福神ほどに太っていない様に想えるのだが・・(頑張るぞ!)。
■3/9        久し振りに暖かい一日
昨日とうって変わって暖かい一日。朝は予定があり11時過ぎまで外出。その間に長年ご厚誼を頂くソフトハウスの方が次年度から導入するお寺のソフトの入れ替えの打合せにお越しいただいた。
現在お寺のソフトはMD-DOSと言う今では一般的ではないソフトでLANの構築が為されている。今頃になってウインドウズによるソフトの構築をするというと笑われるかも知れない。お寺の業務を整然と体系立て整理を繰り返して出来上がったソフトを新しい?OSに切り替える作業が今日から始まる。

色々と打合せをするのだが、ドスよりウインドウズの良さを考えると快適なお寺のパソコン環境が整うと思う。ただ外部からの不正アクセル及び個人情報の管理が最重要でありその点の細部に渡る説明も求めて取り掛かる事とする。

一日その対応と山内の倒木や枯れ枝の整理の応援にもチョコチョコ顔を出す。お通夜の会場へも顔を出しあっちこっちで飛び回っていて落ち着かない一日を終える。ここしばらく日記の更新を、思ってはいたのだが、出来なかった。何だか啓蟄を過ぎて大分落ち着かなくなってきた。夜も昼も・・・
■3/4        嫁ぐ娘の父・・・
午前午後の予定も殆ど終わり夜勤者と境内を散歩していた。桜の蕾のふくらみ具合を見に行こうと山門へ誘った。そこに友人の細君が妹と叔父さんとブラブラと散歩していた。

「おーーぃ ○○さん」っと声をかけると「住職、今度どっか行こう!」って返事をくれる。実はこの細君のご主人と私は友人でアチコチとフラフラ夫婦で出かける事が良くある。

「所で今度娘さんおめでとう、でもこの間電話したら夫君は大分落ち込んでいたぞ」と話しをすると「そうなの、内の旦那は毎日涙涙、、、で暮らしとるわ」と明るく言い放った。「嫁ぐ当日、お嫁さんが実家を出る時、名古屋の風習の『嫁菓子』を振る舞おうと旦那に相談すると寂しいから止めとけと言うのよ」「仕事もね、娘の事の気を紛らわせるために取りすぎるくらい仕事を取って日曜もしているのよ」「私をお嫁に貰う時とお父さんも同じなんだよと話しをするのだけど・・・・」と延々と話しが続く。そこに妹も叔父さんも話しに加わる。

山門前で私を含めて4人で調子良く喋っているのだが何だかプーーンと酒臭い、それも日本酒の臭い。「ねぇ奥さん、今まで何処へ行って何をしていたの?」と尋ねると「あのねぇー、○○寿司で妹と二人で一杯飲んで良い気持ち。そんで次にカラオケ屋に行って歌って今帰りよーー」と相当にご機嫌。夫君は涙涙で気を紛らわす日曜出勤。

私が「お父さんがそんなに泣いていて・・・、じゃぁ娘は寂しがっているの?」って尋ねたら「トンでもない、ルンルンよ」っと明るく返事をして下さった。そうかあいつ一人が落ち込んでいるんだ、花嫁の父は辛いモンだとシミジミ思った。

「まぁ、○○君に言っておいてくれ。40、50になった皺くちゃババアになった時は手遅れ、嫁も無かろうに。辛いけども娘さんのためにもお嫁に行く方が良いぞって」と細君に言った。この一言が彼女の自尊心に火をつけた。酔っぱらった名古屋弁で「悪っかったわぁねぇ〜ぇ 40、50のババァでーーー」 「・・・・・」 こりゃ友人も大変だわな。
■3/3 晴/曇        母を見舞う
法事を済ませさせていただいてその足で母の入所している施設へ見舞いに出かけた。ベッドで横になっている母に「お母さん、来たよ」っと告げる。天井を眺めている母は私をちらりと見て何か言いたげであった。抱き起こして車椅子に載せてテレビのある娯楽室へ出かける。

自販機でりんごジュースを飲む。が、飲んだり飲まなかったり。このりんごジュースは思い出のジュース。母と二人だけの特別のジュースだ。私の子供のときは買い食いなんかできなかった。お金が無いのでいつも腹をすかしてズボンのポケットはゴミだらけでした。りんごジュースを飲めるときは風邪を引いて体がしんどく、隣町の医院での帰り道。母がいつもこっそりと私に買ってくれたジュースであった。

お寺では自由になるお金がなくまた倹約を旨としてたのでとても苦しく厳しい子供の頃の思い出しかない。そんな時、母はいつも子供にはこっそりと美味しい物を飲ませたり食わせたりしてくれていた。りんごジュースとモツ鍋は子供の頃に味わった唯一のご馳走であった。

弟の眼医者の帰りはモツ鍋を何度となく食べた。美味しかったのでガツガツと食べていたら頭を母にぶん殴られた。「○○の子供じゃない、寺の子だ。行儀良く頂きなさい」と言われた事を覚えている。りんごジュースも「もう一本」と言うと「今度にしなさい」と言われた。

いつも弟とこの話が出る。或るとき母と、このモツ鍋とりんごジュースの話が出た。「子供の頃になんでモツ鍋なんだ?」って尋ねたら「育ち盛りに豆腐や大根、ヒジキやニンジンでは大きくなれないと思いお前たちを連れて行ったんだよ」と弁解のたつ医者通いを口実に母が連れて行ってくれた、涙の味だった。

モツ鍋の店は暗くコップ酒を飲む電車のガード下のバラックみたいなように記憶していて以前尋ねた事があったが眼医者はあってもモツ鍋屋は無かった。ではその食費はどうして出たんだろうか?きっと僅かな買い物のお釣を貯めて母が身を削って貯めたんだろう。母の化粧品はメンソレータムしか私は見た事が無かった。お風呂から出てきて笑いながら、ピカピカに光る顔にメンソレを塗る母。
私の手にも良く塗ってくれた。母が洗面器に湯を張り両手を洗ってもらうのが大好きであった。両手で洗ってくれる母の手はガサガサでも石鹸でくすぐったい。何度も何度も洗ってくれた母。

「りんごジュース美味しい?」って聞いても「・・・・・」。本当に悲しい。でも、尋ねて行ってやさしい母がいてくれるだけでどんなにか救われるか、最後に尋ねる先があることだけがどれだけの救いか。

「お母さん、また来るね。ありがとう」って言ってベッドの母に両手を合わせて後にしました。健康である事は母のお陰、健康でこのお寺に尽くすことこそ最大の親孝行と思い涙しております。明日は母の誕生日。来年もまた母と一緒に桜を見たいです。
■3/2        
高野山へ参詣した。ここん所、詰らない事で自分を責めていた。たいした事ではないのだが少し気分が落ち込んでいたのだが気分も、少し落ち着いた。

すでに奥の院の玉川は先月よりは雪解けで増水し、小鳥もさえずっていた。訪れる参詣人も少なく落ち着いて御廟の前ではお詣りを済ます事が出来た。雪の少ないせいかお墓も荒れていなく短時間で清掃を済ませられた。

行き帰り、年度末の道路工事に悩まされながら夜遅くにお寺に帰る。
■3/1        
夜散歩に出た。沈丁花の香りがあちこちから漂っていた。梅もまだ咲いているのでそっと花の香りを確かめると甘酸っぱい芳香が鼻先をかすめる。少しコースを変えて歩いたのでやや長距離となり帰寺したら13.000歩も歩いていた。

以前、散歩用以外の靴を履いて散歩に出かけた。この時も10.000歩ほどを歩いたのだが足の裏に痛みを感じお風呂で眺めたら赤く皮がむける様な風体に見えた。「たかが靴だけど、ウオーキングシューズって言うだけあるな」と感心した。少々値段は張るけれども専門の靴を、これから散歩を始める方がお見えならお奨めします。足の裏は皮もむけずに何ともなく翌朝はいつも通りに過ごしておりました。

桜のつぼみは大きくなりこの調子だと三月の半ばくらいに咲くのかな??