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名古屋の天気予報
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平成22年3月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

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■ 3/26      世話人会懇親総会
夕方より石庭にてお世話人会や役員さん達との懇親会を開いた。ピンク色に染まった枝垂れ桜を照らして野菜や焼きそばと楽しい宴会が繰り広げられました。
何時ものように楽しい宴も花冷えの中では段々と体力を奪い始め、皆さん風邪を引かないように午後七時半までには解散をして頂きました。今度は夏の暑い日に行うつもりです。宴の様子をご紹介します。
皆さん、枝垂れ桜よりも鉄板の方に目が行っています
歌も出ました
焼きソバやゆでた牡蠣は暖かいですが・・・・少し寒かったです
■ 3/25      うそよ
本日のお参りの時のお話である。「うそよ」と書くと相手は女性のように思われるでしょうがれっきとした年配の男性です。この方は以前と或る役所にお勤めの方でお寺の檀家さんです。楽しく愉快な方でお話も上手で親しみのわく優しい方です。

今は会計事務所を運営されている。昨今の経済情勢や様々な事も時々話題に上り年金や、世間の裏技までお話を伺う事もあり「へーっ」って感心してお話を伺う事が多いです。その年金のお話から保険のお話に話題が変わりました。「実はね、私(住職)は保険に若い頃、半信半疑で生命保険に加入したのです」「ハイハイ」「で、満期となると保険金が予想利回りを加えて入るはずなのですが・・それがどうも入らないみたいですね」と保険の悪口を言い出しはじめました。

「住職、面白いお話をお聞かせしますよ。『予想』って逆さまから読むとなんと読むかご存じですか?」とニコニコ笑いながら私に悪戯っぽく尋ねてきました。「よそう?」突然振られた回答に「よそう?」「よそう」「そうよ??」って独り言を言い出して考えていると「あのね『よそう』って逆さまから読むと『うそよ』って読むんです。あの予想利回りなんて「うそよ」って読むんですよ」っと仰った。

「予想」は「うそよ」か・・・ため息の出るようなお話でした。想像とか予想とかは頭の中で巡らす事柄。経済も先行き不透明と言われるがこれが正直なお話であり、確実とか高利回り、元本保証とかを謳い文句で世間を騒がす事件が多い中、これからは「予想」と言う言葉には注意を払わなければならないですね。
■ 3/24      観光ボランティア
お彼岸が終わり穏やかな日々が過ぎている。昨日は古戦場観光ボランティアさんの研修をかねて当寺で私が講師となってこの辺りの歴史の勉強会が為された。

何時もの観光で来られる観光客の方々とは違う面々であり面識のある方もお見えである。じつはこの古戦場、桶狭間は合戦の場所が2乃至3カ所あると明治過ぎ頃から言い出され始められた。尾張藩が藩内の経済調査を行った樋口好古著の尾張徇記オワリジュンコウキ)などや尾張誌、張州府誌等々の行政当局出版の書物にははっきりと合戦場所の記載があり今川義元戦死の墓所まで克明に書かれている。その書物の基幹となる書物が尾張藩が寛文年間(江戸初期)に検地作業を行った「寛文村々覚書(カンブンムラムラオボエガキ)」 であり当地の調査書であった。具体的な墓所や街道が示され桶狭間と今川義元の戦地を丁寧に相違を示し、特筆は将来の混同を避ける事を意図しているように読み取られる。江戸中期の尾張誌にもその文言が記述され、明治31年参謀本部の冒頭の一文となり、司馬遼太郎氏「国盗り物語」の一文の原典にもなっている。

いま、桶狭間古戦場の地の相違を唱える主張に応じようにも、寛文村々覚書や尾張誌、張州府誌等々の聞書には一欠片の記述も墓所も、歴史の舞台には登場していないように、寡読のせいか、私には思われる。国会図書館や蓬左文庫、尊経閣文庫、徳川林政史料研究所等に保存された絵図や史料にも不思議に英比之莊大脇村(元桶狭間古戦場)の史料は豊富だが、花房之莊桶狭間村には不思議にその記述を、悲しいかな、見いだす事は出来ないで未だに私はいる。

今日の観光ボランティアの方々へは古文書を中心に、私見を述べる事を極力控えて、書いてあった事実、描かれていた絵図の内容と保管されている図書館、そしてそれらの書物が公文書としての保存され、尾張藩当局の出版物であり、尾張一円を隈無く丁寧にしかも、具体的に昨日の如くに記述されている事を、私の知り限りの事柄を述べて、自信を持って観光ボランティアを努めて欲しい旨、挨拶をさせて貰って終えました。約一時間半程のお話でしたが準備した史料の半分、映像資料の1/3も紹介できなかった事が心残りでした。
 ■3/21 晴れ      春分の日         
お彼岸の中日。沢山の方のお参りを頂きまたお接待の会場は溢れんばかりのお参りの方で賑わいました。今日は雨模様で風も強く半ば大変な一日になるな〜と思っていましたが幸いに崩れる様子もなく午後にはお日様まで現れて本当に清々しい一日でした。

今日でお別れする僧侶があり再び高野山に登るという。ご結婚をされて本山に帰る僧侶。彼の人生に大いに祝福と幸い多き人生を祈るばかりである。短い時間でありましたが沈着冷静、聡明で私のような至らぬ住職を良く助けて頂き心から感謝します。お手伝い頂ける僧侶の方は未だ決まりません。色々な事を思っても仕方のない事、健康に気をつけて多くの人達にご迷惑をおかけしないように精進をするつもりです。

今日の様子をアップしますのでご覧頂けましたら幸いです。
お参りの開始です
少しお話をさせて頂きました
塔婆のお渡しです
お接待の会場
秋田産の小豆と沖永良部島産黒糖と白玉 全部お寺の手作りぜんざいです
■ 3/17 晴れ      暖かい春の一日
久しぶりの備忘録となった。色々ありため息の出る事もあるのです。

お参りに出掛けると路傍の草花は春の日差しを受けて可愛らしく咲いている。子供の頃に遠足や友達と遊んだ頃に眺めた色と変わらない素直で優しいお花を見ていると時を忘れてしまいます。毎日、人の心も温かい思いで過ごしたい物です。色々なお寺もあります。私も気をつけて毎日を過ごしたいです。。